5
唐錦
「あれ? 家、こっちのほうだっけ?」
先輩がさくらと呼ばれた彼女に尋ねた。
「んーん。実は、友達の飼い犬が死んじゃったらしくて、元気が無かったから様子を見に来たの」
「それは気の毒だね」
「うん。昨日の朝までは元気だったらしいんだけど……」
沈痛な面持ちで彼女は答えた。なんて女だ。友達の飼い犬の死で先輩の同情を買おうだなんて。先輩は犬が嫌いなのに。
ふと、彼女の目が私をとらえる。
「そちらの子は?」
「ああ。新しく入ったバイトの子だよ。同じ学校の後輩」
「それじゃ、私の後輩でもあるのね。よろしくね」
まるで菩薩のような微笑を湛えて、彼女は私に握手を求めた。眩しい。後光が射しているようだ。先輩に安易に近づく女なんて、仲良くしてたまるものか。
「はい! こちらこそ!」
気付くと私は彼女の手を握り返していた。何をやっているんだ私は……。
いけない。こんなに眩しくて綺麗な人が先輩の近くにいたら、きっと先輩はこの人のことを好きになってしまう。私のことを見てくれなくなってしまう。それはなんとしても避けなければ。
そう思った私は、彼女へいくつかの質問をしてみた。
今日は終電で帰ること。となり町のM市に住んでいること。
自然な会話の中で、それだけを頭の中にメモした。この情報は、私にとってはすごく都合の良いものだった。
「それじゃ、また来るね」
いくらかの雑談をしたあと、彼女がそう言った。
「「ありがとうございましたー」」
それから私は、バイトの終わりまで先輩と二人きりの時間を満喫した。
帰り際、先輩がまた送っていくと言ってくれたが、私は用事があると言って断った。コンビニで先輩と別れたあと、私は一度家に帰り、一本の手ぬぐいを持って駅へと向かった。
目的地は、M市。
M市の駅に着いた頃、終電にはまだ時間があった。私は駅前のコンビニで肉まんを買って時間を待ち、終電の時刻になると、改札の脇から彼女が来るのを待った。
彼女が改札から出てくると、私は気付かれないように後を付ける。
しばらく歩くと、人気の無い河川敷へと道は続く、遠くに町の明かりが見える。右には草むらの斜面があり、その先は川が流れている。好都合だ。町中へと向かっていたら、とても面倒だった。
持ってきた手ぬぐいにはあらかじめハサミで切れ込みを入れておいた。
私は手ぬぐいを3つに裂いて一本の紐にして、片方で輪を作る。それを左手に通して、落ちていた木の枝を手に取った。
タイミングを見計らっていた私に好機が訪れる。彼女は斜面を下って川のほとりへと歩いていき、そのまましゃがみ込んだ。日課なのか、今日たまたまそうしたのかは分からないが、私は考えるよりも早く、音を立てないように彼女の後ろへ立った。
紐で輪を作って彼女の首に素早くかけた。顔は見られていない。
一旦上に引き上げて腰を浮かしてから後ろに引き倒す。不意を突いたから簡単に倒れて尻餅をつく。そのまま草むらの斜面を引っ張りながら上る。彼女は何が起こっているのかも分からずに、喉をかきむしる様にして紐を外そうとするが、完全にのど笛に入っているため、それは虚しい抵抗だった。紐を後ろに引けば、抵抗できずに自ら後ずさる。力のない私でも簡単に彼女を制御できた。
彼女の体を完全に斜面に横たわる状態まで引っ張ると、脚で彼女の肩を固定して背中を引き、ちょうど首つりのような状態にして、左手でもう片方の紐を持つ。Vの字になった紐と紐の間に木の枝を差し込んで巻き上げながら背中を立てる。即席のガロットが完成した。もう彼女は私の手中だ。行動も、思考も、呼吸でさえも。
アメリカに行くの? 昨日はよく眠れた? 明日は雨? 一昨日の晩御飯は何だった? お父さんの血液型は? お母さんの誕生日は? シュレディンガーの猫は可愛がってる? お姉さんはいる? あれはちゃんと隠した? お兄さんの車のガソリンはいつ入れた? セロリは食べられる? アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 自分で下着を選ぶようになったのはいつ? 明日の月は綺麗? 初めて読んだ漫画のタイトルは? 学校の宿題はもう終わった? 一年前の今日は雨だった? 昨日はよく眠れた? お母さんの誕生日は? あの星は今も輝き続けてる? 気付いてないのは自分だけ? セロリは食べられる? 車に轢かれる夢を見たことはある? 昨日はよく眠れた?
私は木の枝を緩めたり締めたりして、彼女の呼吸を制御しながら、意味の無い質問を何回も繰り返した。彼女の頬に涙が伝う。
「右腕を上げてください」
無反応。締め上げると、ゆっくりと右腕があがった。
彼女は私の質問に対して嘘ばかりつく。
でも、もう私に逆らうことはないだろう。ほんの少し緩める。すがるように彼女は息をしようとする。また締め上げる。
「あなたの名前は、つばきさん?」
首を振る。
「それともさくらさん?」
うなずく。少し緩めて、またすぐに締める。
「違います。さくらだなんて綺麗な名前、あなたには勿体無いです……、そう。あなたは魔女よ。返事してください。魔女さん」
返事がないので強く締め上げる。そして少しだけ緩める。彼女は何回もうなずいた。右腕が下がり始めたため、また締め上げる。
「誰が腕をおろして良いって言いましたか? すぐに上げてください」
緩めても、下がったまま動かない。もう一度命令すると、ゆっくりと右手があがる。
「皇という男の人に色目を使っているのは、あなたですか?」
首を振った。彼女はまた嘘をついた。
「私はあなたが彼に色目を使っているのを見ていました。彼を自分のものにしたいと思っていますよね? 嘘もいい加減にしないと、殺しますよ?」
私の言葉に、ようやく状況を理解したのか、首を振りながら何度もうなずく。
「非道い人ですね。見上げた魔女です。反省してください。後悔してください。わかりましたか?」
力なく頷く。
ゆっくりと締め上げて、ほんの少しの間緩める。またゆっくりと締め上げる。そうやって少しずつ、肺に入っている酸素を全て吐き出させる。
彼女の右腕が、電池が切れたように地面に落ちた。
さくらさんの葬式に、私は先輩と二人で向かった。学校の人たちもたくさんいた。喪服姿の悲しそうな先輩。普段とは違う一面が見れたような気がして、私は少し嬉しかった。
さくらさんは友達の家から帰る途中、川に落ちて溺れた。ということで片付けられた。
「仲良くなれそうだったのに、残念です……」
「そうだね。出会ってすぐだ。君もつらいだろう」
帰り道、先輩とそんな会話をした。先輩はずっと口数が少なくて、私は慰めるのに必死だった。
「またね」
そう言う先輩に返事をして、私たちは別々の方向へと歩き出した。




