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ラビットホール  作者: 茉白
7番目に入ります。
2/6

1 お嬢さんと呼ばれた日

「どうしてこんな所に人が落ちてくるかねぇ 」




朦朧とした意識の中でぼそりと聞こえた声は耳に優しくて柔らかいのに何故か冷たかった。

今まで聞いた事なかった声だ。

でも今は声が聞いた事あろうが無かろうがどうでもいい。

漸く気分が良くなってきたのに。あの落ちる感覚から解放されて、ふわふわと優しい浮遊感に包まれたのに。

わたしはまだ眠っていたかった。

浮き上がりかけた意識を引っ張り戻してまた眠ろうとする。

「おじょーさーん」

優しくふわふわと呼ばれる。

本当に喧しい奴だ。

わたしは今眠たいのに。 「ねぇ、おきてますー?」

起きてる。起きてるけど眠いんだ。

頼むよ。

わたしは凄く眠い上に、やたら心労が溜ってるんだよ。

寝かせてお願いだから。


「また落ちちゃうぜ?」


その一言で頭が覚醒した。落ちる?夢?ああ、やっぱりあれは夢だったのか。

そうだよな。

あんなずっと何時間も落ちる落し穴があってたまるか。

上半身を腕と足の反動で起こして周りを見ようとしたが、頭に衝撃が走る。

「だっ!!」 「いっ!!!」

痛すぎる。一瞬目の前に星が散ったぞ。

第一なんだこれは。

目を瞑ってる為なにかわからなかった。

ぶつけた額を押さえ、薄く瞼を開くと緑と焦げ茶色の影がみえた。

「え……?」

ゆっくり目を開いていくとぼやけた視界がクリアになって、鮮やかな若草色が目に入った。

綺麗な視界のなかに草原があった。

寧ろそれしかなかった。

それも見渡す限り緑しかない。緑の中に人は愚か草食動物の一匹も居らず、高い空と雲の白、柔らかな草の緑と高い背丈の硬い草のくすんだ緑しか見えなかった。

だとしたらさっきの茶と声はなんだったのだろう。

幽霊? まさかまさか。

いたとしてもわたしの近くにはいないし。

妖精? まさかありえないでしょ。

わたしのまわりでそんな不思議が起こるわけない。

「お嬢さんそりゃないよ」 下から笑いを含んだ声が聞こえてきた。

さっきわたしが寝ていた時に聞こえてきた声が。

ふと自分の背後を見てみるが誰もいない。

違和感から首を捻ってその下を見ると、灰色の塊が見えた。

端からちらちら見える柔らかい茶色が強い焦げ茶は、さっきの焦げ茶だ。

だとしたらこいつは声の主で、ヒトガタである。まだ人とは確定してないが。

ちらちら見える焦げ茶は髪なのか。

「お嬢さん」

また奴は草原に寝転んだまま、わたしをお嬢さんと呼んだ。

首を捻るのは痛いからそちらに体を向けた。

それにしてもさっきから呼ばれてるのだが、お嬢さんとか言われたの初めてで少し照れくさい。

顔さえ分からない人にお嬢さん呼びされるというのはなんとも恥ずかしいものである。

「… …顔みせて」

耳障りのいい囁きと共に、ふっと灰色が動いた。

灰色はフードだったらしい。上体を起こしたこれの焦げ茶の髪が広がって、ぱっちりとした黒目がわたしを捉えた。

その眼力に負けないよう、わたしも奴をじっと睨むように見た。

整った顔だった。

顔、雰囲気とも中性的で男と断定するには目が些か愛らしすぎる。

かといって女と肯定するのは憚られる。

しかし、よく見るとその首は男のものだ。

その手もしなやかでありながら確かに骨張っていた。

「お嬢さーん。なにかいいなよ」


お嬢さん。


もう一度言って奴は不服そうに唇を曲げ、口を閉じた。

わたしが返事をしないのが不服らしい。

こんな男はさておき、わたしはこんな場所を知らない。

そもそもわたしの学校は所謂都市校だ。アスファルトと高いビルに囲まれたせいで照り返しの強い、そう有名では無い都市校である。

あの町にこんな草原があったなら、夏場に少々涼しくなり多少は住みやすくなるだろうに。

とどのつまり残念ながら、こんなところは我が町にはないのである。

緑など一軒家の垣根と、申し訳程度の街路樹、学校の観察用植物、そして大型ショッピングセンターだけでしか見ることなどなかった。まして野生の雑草など。

それならばここは何処だろうか。わかるわけもない。

ここにいる理由…現実的に考えるなら、誘拐が安直で手っ取り早い答えだ。

拐ってきたはいいものの置き場に困り、ここに捨てた。なんとも酷い話だが、可能性的にも一番有得る。

ただ、それはわたしが可愛らしいからなんて自惚れでもなんでもなく一般的な見解である。

決してわたしの見た目が麗しい訳では無い。

念を押すようだが、わたしの顔は整っていない。

ぱっちり開いた大きな瞳も整った鼻も唇もない。

だとしたら誰がこんなことを。

この骨と皮の男がそんなことできる力があるわけがないので、こいつは除外。

そして勿論心当たりなど善良な一市民であるわたしに有るわけもない。


「どうしたの?」

わたしが状況整理している間に長らく退屈していたのか、奴はすぐに返事をした。

わたしが話しかけるのを健気にも待っていたらしい。

犬か、お前は。


「ここ、何処ですか?」

奴は目をぱちくりと明け閉めした。

そして数秒間目を泳がせ、薄い桜色の唇に微笑を浮かべた。

「此処の地名?」

「はい」

日が少し高くなり、奴は少し目を細めた。

「此処はエイという町へ行く途中の草原だよ」

エイとは海鷂魚と書くあの魚のことだろうか。変な地名もあったものだ。

しかしわたしが知らないだけかもしれないが海鷂魚なんて地名をわたしは聞いた事が一度も無 い。 要するに、ここはわたしの知らない土地だ。

「エイ……」

復唱してみるとやはり変な感じがする。

「君、エイに行く途中じゃなかったの?」

「違いますよ」

えい、なんて町初めて知った。地名が判らなくなるなんて随分遠くまで運ばれたのだろう。

現時点でわかるのは"えい"という変な地名だけだった。目の前のこの男のことも自分のことさえも分からない。


「お嬢さんお嬢さん。お困りですか?」

「は?」

奴はわたしをお嬢さんと呼び

、形のいいアーモンド型の目を少し細めて所謂人のよさそうな目をした。

しかしながら経験上いい人を全面に出す奴というのは当てにならないものである。

大抵はいい人である自分に酔ってるか、何か腹に一物あるかだ。まぁ極稀に例外もいるのだが。

この男もこの笑顔の裏で楽しんでいるのか、企みでもあるのかだと思う。

わたしはこんな趣味の悪い楽しみ方は理解ができない。

だが、こいつならこんな状況にわざわざ首をつっこんでいく。そして見えない所でせせら笑ってそうだ。

しかし奴とわたし以外誰もいない以上、わたしには奴しか頼るやつがいない。

全くもって不本意なのだがこの誘いに乗らない手はないのだ。

わたしが渋っていると横から「そんな深く考えなくていいよ」と、囁くように言われる。

頼らない手はない。

そう解っていても、奴の胡散臭さにどうしても気が乗らない。


「二択だよ。困ってるか、困ってないか。

たったのそれだけじゃん」


それを提示したのがお前だから信用ならないんだよ!

口に出すわけにもいかず、煮え切らない生返事をする。

その間も奴の表情は変わらない。

答えは決まってるのだ、もう渋ってもしょうがない。

「… … …困ってます」

ぼそりと呟いた時に奴はアーモンド型の目を一度完全に伏せて、そして綺麗な笑顔を作ってみせた。

「分かった」


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