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第1話 裸の王様と静かなる守護者

「おいレン、貴様は今日限りでクビだ」


焚き火の爆ぜる音が、不自然なほど大きく響いた気がした。

俺、レン=ウォーカーは、手に持っていた干し肉を口に運ぶ動きを止め、目の前に座る男を見上げた。

黄金の鎧に身を包み、整いすぎた顔立ちに傲慢な笑みを浮かべているのは、このSランクパーティー『聖雷の剣』のリーダーであり、聖剣に選ばれし勇者アレクだ。

彼は最高級のワインが入った銀の杯を揺らしながら、まるで虫でも見るような目で俺を見下ろしている。


場所は、大陸最北端に位置する未踏の地、『奈落の魔境』の深部。

本来であれば、一瞬の気の緩みが死に直結する危険地帯だ。Sランクの魔物ですら雑魚扱いされるこの場所で、彼らはまるで王都の庭園でピクニックでもしているかのようにくつろいでいる。

その異常な状況を作り出しているのが誰のおかげなのか、彼らは全く理解していないようだった。


「……クビ、ですか。まだこの魔境の探索は半分も終わっていませんが」


俺は努めて冷静に言葉を返した。

感情を荒立てても意味がない。この男の性格は、三年間の付き合いで嫌というほど理解している。一度言い出したら絶対に引かないし、人の話など聞きはしない。


「ああ、そうだ。半分まで来たからこそ、確信したんだよ。お前のような無能な荷物持ちは、これ以上連れて行く価値がないとな」


アレクは隣に侍らせている新しい女魔導師の肩を抱き寄せながら、鼻を鳴らした。

鮮やかな赤髪の、露出度の高いローブを纏った女だ。名前は確か、ミリアといったか。先週、街でアレクがナンパして強引にパーティーへ引き入れた、Aランクの攻撃魔法使いだ。


「レン、お前も薄々気づいていただろう? この魔境に入ってから三日間、我々は一度も魔物と遭遇していない。一度も、だ」


アレクは大げさに両手を広げてみせた。


「ギルドの連中は『奈落の魔境』を人類生存不可能領域だと恐れていたが、蓋を開けてみればどうだ? 散歩道と変わらん。なぜだか分かるか?」


俺は心の中で溜息をついた。

分かるも何も、俺がやっているからだ。

俺のユニークスキル『虚無のヴォイド・ヴェール』。

これは自身の周囲半径数キロメートルに及ぶ広範囲の気配、音、匂い、そして魔力波長を完全に遮断し、風景と同化させる隠密スキルだ。

それだけではない。このスキルの真骨頂は、範囲内にいる味方に対する「敵意」や「認識」すらも逸らすことができる点にある。

今、この瞬間も、俺たちの周囲百メートル圏内には、鋭い牙を持った『暴食の影虎シャドウ・タイガー』が三体、樹上に潜んでいる。さらに五百メートル先には、一撃で城壁を粉砕する『剛腕の巨人ギガント・オーガ』の群れが行軍している。

それらが俺たちに気づかず、あるいは「気づいても興味を持たず」に素通りしているのは、俺が常に神経を研ぎ澄ませ、全魔力を注いで『帳』を展開し続けているからに他ならない。


だが、俺が口を開く前に、アレクが勝ち誇ったように言った。


「俺の『覇気』だよ」

「……は?」

「俺から溢れ出る勇者としての神聖なオーラ、圧倒的な強者の波動に、魔物どもが恐れをなして逃げ出しているのだ。それ以外に説明がつかん」


本気で言っているのだろうか。

俺は思わず、アレクの瞳を覗き込んだ。そこには一点の曇りもない。純度百パーセントの、混じりっ気のないナルシシズムと勘違いが渦巻いている。

冗談ではない。Sランク指定の魔物たちが、たかが人族のオーラ程度で逃げるわけがない。むしろ、強者の魔力ほど奴らにとっては極上の餌だ。俺が隠蔽していなければ、アレクの無駄に垂れ流している膨大な魔力など、真っ先に標的にされていただろう。


「あの、アレクさん。それは違います。俺がスキルで……」

「口答えをするな!」


アレクが杯を地面に叩きつけた。

ワインが飛び散り、焚き火がジュウと音を立てる。


「貴様のその、陰気なスキルだろう? 『隠密』だか何だか知らんが、そんなコソコソ隠れるだけの地味な技が、この魔境の化物たちに通用するわけがないだろうが! 身の程を知れ!」


アレクの怒声に同調するように、赤髪の魔導師ミリアがクスクスと笑った。


「そうよぉ、レンさん。あなた、いつも一番後ろを歩いてるだけじゃない。私たちが歩きやすいように草を刈ったりもしないし、戦闘になったら真っ先に逃げる準備をしてるんでしょう? ま、戦闘なんてアレク様の覇気のおかげで起きないんだけどね」


彼女の言葉には、無知ゆえの残酷さが滲んでいた。

俺が最後尾にいるのは、パーティー全体の気配を管理し、背後からの奇襲を警戒するためだ。草を刈らないのは、痕跡を残さないため。

そして何より、彼らが「戦闘が起きない」と信じているその裏で、俺がどれだけの危機を未然に回避してきたか。

昨日も、致死性の毒を持つ『静寂の毒蛾』の群れが進路にいたため、俺は微細な風魔法で気流を操作し、彼らが気づかないうちに群れを遠ざけた。

一昨日も、地面に擬態していた『捕食植物』の感知範囲に入らないよう、さりげなく会話を誘導してルートを修正させた。

それら全てを、彼らは「運が良かった」あるいは「俺の覇気のおかげ」で片付けていたのだ。


「それにねぇ、報酬の配分も勿体ないのよ」


ミリアがアレクの胸板に指を這わせながら、甘ったるい声で続ける。


「このパーティー、アレク様と、盾役のガルド、回復役の聖女ソフィア、そして私の四人で完璧じゃない? なのに、何もしていないレンさんが報酬を等分で持っていくなんて、不公平だと思わない?」


焚き火の向こうで、大盾を磨いていた巨漢のガルドが、気まずそうに目を逸らした。

聖女ソフィアに至っては、興味なさそうに古文書を読んでいる。彼女は極度の人間嫌いで、自分に害がなければ誰がどうなろうと知ったことではないというスタンスだ。

誰も、俺を庇おうとはしない。

三年間。

俺はこのパーティーの影となり、彼らの栄光を支えてきたつもりだった。

アレクが「ドラゴンを倒した」と英雄視された時も、ドラゴンの逆鱗の隙間を縫って麻痺毒を打ち込み、動きを鈍らせたのは俺だった。

ガルドが「鉄壁の防御」と称賛された時も、敵の攻撃軌道を風魔法でわずかにずらし、盾の芯で受けられるように補正していたのは俺だった。

だが、影の仕事は、光が強ければ強いほど見えなくなる。

彼らの目には、俺はただの「ついてくるだけの寄生虫」にしか映っていなかったのだ。


ふと、俺の中で何かが冷めていく音がした。

怒りではない。悲しみでもない。

ただ、張り詰めていた糸がプツリと切れるような、乾いた諦念だった。


これ以上、言葉を重ねても無駄だ。

彼らは結論ありきで話している。俺を追い出し、報酬を独占し、新しい女を囲いたい。その欲望を正当化するために、「レンは無能だ」という理屈を捏造しているに過ぎない。

そこで何を弁明しても、彼らのプライドを逆撫でするだけだろう。


「……分かりました」


俺は立ち上がり、砂埃を払った。


「パーティーを抜けます。今までお世話になりました」


あまりにあっさりとした俺の反応に、アレクは拍子抜けしたような顔をした後、すぐに勝ち誇った歪んだ笑みを浮かべた。


「ふん、ようやく自分の立場を理解したようだな。だが、勘違いするなよ? 装備とアイテムは置いていけ。それはパーティーの共有財産だ」

「これは俺が個人で依頼を受けて稼いだ金で揃えた特注品ですが」

「口答えをするなと言っただろう! Sランクパーティーに所属していたという経歴、それだけで十分な報酬だと思え。この恩知らずが!」


アレクが剣の柄に手をかけた。

俺は小さく息を吐き、腰の短剣と、マジックバッグの中に入っていた共有の食料、そしてテントを地面に置いた。

身に着けているのは、自身の魔力増幅効果がある黒いコートと、最低限の護身具のみ。

この魔境のど真ん中で、丸腰に近い状態で放り出される。

通常の冒険者であれば、それは死刑宣告と同義だった。


「これで満足ですか?」

「ああ、せいぜい魔物に怯えて震えながら帰るんだな。……まあ、俺の覇気が残っているうちは、周辺の魔物も寄ってこないだろうがな! ガハハハ!」


アレクの高笑いが夜の森に響く。

ミリアも一緒になって笑い、ガルドは黙って焚き火を見つめ、ソフィアは欠伸を噛み殺している。

ここにはもう、俺の居場所はない。

そして、俺が守るべきものも、もうない。


「忠告ですが」


去り際、俺は最後にもう一度だけ、彼らの方を振り返らずに言った。


「あまり大声を出さない方がいい。それと、火の魔力を強めすぎるのも危険です。この森の魔物は、光と音に敏感ですから」

「うるさい! 負け犬の遠吠えなど耳障りなだけだ! さっさと失せろ!」


罵声を背に受けながら、俺は闇の濃い森の奥へと歩き出した。


一歩、また一歩と、彼らとの距離が開いていく。

背後からは、まだ彼らの嘲笑と、勝利の宴を始める乾杯の音が聞こえてくる。

俺は無言で歩き続けた。

冷たい夜風が頬を撫でる。

不思議と、足取りは軽かった。

毎日毎秒、すり減るような神経を使って『帳』を維持し、彼らの我儘に付き合い、尻拭いをしてきた日々。

それが終わったのだ。

明日からは、誰の顔色も窺わず、自分のためだけに力を使えばいい。

そう思うと、口元に自然と笑みが浮かんでくるのを止められなかった。


「……距離、五百メートル」


俺は小声で呟きながら、自身の体内にある魔力回路を確認する。

『虚無の帳』の有効範囲は、俺を中心とした半径数キロメートルだが、その効果密度は距離に比例して調整が可能だ。

今はまだ、惰性で彼らの周囲にも薄く効果が残っている。

だが、俺が意識的に接続を絶てば、その瞬間に全てが終わる。


「……距離、一キロメートル」


もう、彼らの焚き火の光は見えない。

完全に森の闇に包まれた。

周囲の気配が変わる。

木々のざわめき。草葉の陰からこちらを窺う無数の視線。

俺が『帳』を自分自身だけに限定したことで、森の住人たちは「強大な異物」が去ったと認識し始めているだろう。

あるいは、今まで「何もなかったはずの場所」に、突如として現れた「極上の餌」の存在に気づき始めている頃か。


「……距離、三キロメートル。エリア境界線、到達」


俺は足を止めた。

ここが分水嶺だ。

これ以上離れれば、俺の魔力干渉は完全に彼らに届かなくなる。

そして、俺が意図的に残していた「置き土産」としての隠蔽効果も、ここで解除することにする。


俺は大きく息を吸い込み、そして深く吐き出した。

体内の魔力循環を切り替える。

これまで広範囲に薄く広げていた意識を、自分自身の周囲数メートルに凝縮する。

完全なるステルス。

世界から、俺という存在が消滅する。


「解除」


指をパチンと鳴らす。

その音が、静寂な森に吸い込まれた直後だった。


ドォォォォォォォォン……!


地響きのような唸り声が、遠く背後から聞こえてきた。

いや、それは一匹や二匹のものではない。

数百、数千という数の魔獣たちが、一斉に喉を震わせた音だ。

今まで俺のスキルによって「認識」を阻害されていた飢えた獣たちが、突然目の前に現れた「高濃度の魔力源」――勇者アレクたちを見つけた歓喜の咆哮。


森の空気が一変した。

鳥たちが悲鳴を上げて飛び立ち、小型の動物たちが我先にと逃げ惑う。

そして、その混乱の渦の中心へ向かって、Sランク、Aランクの凶悪な捕食者たちが雪崩を打って殺到していく気配がする。


「さて」


俺は懐から携帯食料を取り出し、齧り付いた。

安い干し肉だが、いつになく美味く感じる。


アレクは言っていた。「魔物が逃げるのは俺の覇気のおかげだ」と。

なら、問題ないはずだ。

数千の魔物に囲まれようが、Sランクのドラゴンが襲来しようが、その自慢の『覇気』で追い払えばいい。

もっとも、彼が信じていた覇気とやらが、ただの俺の過保護なスキルだったと気づく頃には、喉笛を食いちぎられているかもしれないが。


「ギャァァァァァァァッ!!!」

「な、なんだこれは!? どこから湧いて出た!?」

「いやぁぁ! 来ないで! 私の魔法が効かない!?」

「アレク! アレク様、なんとかしてくれぇぇ!!」


遠く、風に乗って微かに聞こえてくる絶叫。

それは心地よいBGMのように、俺の耳を優しく撫でた。

俺は一度だけ、暗闇に沈んだ後方を振り返った。

そこには、木々の隙間から、禍々しいほどの魔力の閃光と、火柱が上がっているのが見えた。

宴の始まりだ。

ただし、彼らは招待客ではなく、メインディッシュとしてテーブルに乗せられているわけだが。


「悪いな、アレク。お前の言う通り、俺はただの荷物持ちだったみたいだ」


俺は肩をすくめると、踵を返した。

目指すは街。

これからは、ソロの冒険者として気ままに生きるとしよう。

そう決意して踏み出した一歩目の足元で、何かがキラリと光った気がした。


「……ん?」


視線を落とすと、そこには巨大な影があった。

俺の『帳』の中に、いつの間にか入り込んでいた異物。

銀色の毛並みを持つ、狼のような姿。だが、その大きさは馬車ほどもある。

額には三日月の紋章。そして、その瞳は知性を宿し、じっと俺を見つめていた。


「……おいおい、嘘だろ」


俺は冷や汗が流れるのを感じた。

『終焉の魔狼フェンリル』。

神話級の怪物。この魔境の生態系の頂点に君臨する、生ける伝説。

なぜ、こんなものがここにいる?

俺の隠密は完璧なはずだ。気配も、音も、匂いも遮断している。

なのに、こいつは真っ直ぐに俺を見ていた。


(食われる――)


そう直感し、身構えた瞬間だった。

巨大な魔狼の体が光に包まれ、シュウゥゥと音を立てて縮んでいく。

光が収まった時、そこにいたのは、銀色の長髪をなびかせた、信じられないほど美しい少女だった。

彼女は何も着ていない裸身のまま、ペタリと地面に座り込み、上目遣いで俺を見上げて言った。


「見つけた」


鈴を転がすような、美しい声だった。


「ずっと探していたぞ。私の鼻を誤魔化し続けた、生意気なオスをな」


彼女は妖艶に微笑み、長く伸びた舌で唇を舐めた。

遠くでは勇者たちの断末魔が響き渡っているが、目の前の彼女はそんなことには微塵も興味がないようだった。

どうやら俺の平穏なソロライフは、開始早々、予想外の方向に転がり始めたようだ。

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