第65話
一分にも満たない時間でクオリネの異次元さを痛感したシアだが、それによって恐怖や敗北感を味わうかと問われれば、それとこれとはまた別問題と彼女は答えるだろう。
シアがそう考えるのには当然理由があった。
彼女が原異生物として生きていた頃、界庭羅船の序列的にはクオリネよりも上である焔帝竜の存在を日々感じていた事により、こういった存在には慣れているのだ。今更焔帝竜以下の強さに驚いたりする事は無い。
「随分とナメてくれるね」
「ナメているんじゃなくて正当な評価だよ」
「そっか。それなら……」
意を決したシアは、クオリネに挑むべく原異生物としての姿になった。まるで來冥者がその力を解放して戦闘時の形態へと変貌するかのように。
「それが過小評価だって事、証明してあげるよ」
原異生物の姿になっても、彼女の声は変わらず可愛らしいままだった。
「……九尾猫……そういう姿なんだね」
実際にシアの原異生物形態を見るのは初めてなのか、クオリネは興味深そうな声を出して、彼女を見ていた。
シアの本当の姿――九尾猫。その名の通り、九本の尾を持つ猫だ。九尾と聞いて真っ先に狐の霊獣をイメージする人は多いだろう。その生物の猫版といった感じである。
体長三メートルほどのサイズであるその四足歩行生物は、キリッと凛々しい目、勇ましい顔つきをしており、思わず見とれてしまう美しさがあった。
全身は真っ白のモフモフの毛で覆われており、頬と額に赤の波線模様が入っている。猫らしく立派なヒゲも頬付近から飛び出ていて、こちらは白よりも灰色に近い。
ここまではただの巨大な猫といった容姿なのだが、この生物の最大の特徴は何と言ってもその尻尾だ。九本の太い尾が尻付近から生え、その先端は赤く染まっている。
まるで神話の世界からやって来たかのような幻想的な生物である。
來冥力を扱え、人間の姿にもなれる、人外の知的生命体――原異生物。普段は『シア』という名前で人間として活動をしている少女が、『九尾猫』という本来の姿になる決定的なシーンを間近で見れる者は少ない。
クオリネがやたらと興味深そうに見入ってしまったのも、当然の反応という訳だ。
「この姿になるのは久し振りだよ。……悪いけど、本気で行かせてもらうよ」
「いいよ。まぁあなたに手加減をしている暇なんて無いと思うけれど」
クオリネがそう言い切った瞬間、九尾猫は彼女に向かって最高速度で突進を仕掛ける。
間一髪で左に体を傾ける事で回避したクオリネだが、彼女の右頬には非常に細い切り傷ができた。どうやら突進時に九尾猫の被毛がかすったようで、それが原因だった。
見た目はモフモフの触り心地良さそうな毛だが、鋭利な刃としての側面も持ち合わせているみたいだ。
「へぇ……」
人差し指の背側で軽く傷を拭い、自身の指に付着した血を見たクオリネは、拡大して見ればやっと分かるレベルで口角をほんの少しだけ上げた。
戦闘において最後に血を流したのはいつだろうと思わず考えてしまうくらい、いつも彼女は生温い戦いを強いられてきた。
正直原異生物の強さは焔帝竜くらいしかロクに把握していないクオリネにとって、九尾猫の存在は非常に好奇心をくすぐってくれる対象として映った事だろう。
「あなた、やるね」
「次はかすり傷で済むと思わないでね。その綺麗な肌と顔、傷だらけにしてあげるから!」
「私も女の子だし、それは困るかな」
軽く言葉のやり取りが行われた、その直後の事である。九尾猫が振り返ってクオリネに飛び掛かるのと、クオリネが剣を手に立ち向かったタイミングが綺麗に重なり、両者の攻撃が空中で激突した。




