第三話 夜の公園
岬はタバコの煙を吐き出しながら、携帯灰皿にタバコの灰を落とす。
「‥‥相手って‥さっきファミレスにいた人‥‥?」
大和が恐る恐る岬に聞く。
「‥アタシさ、小児科の看護師なんだ。で、小児科の担当医がさっき店にいた男。伊坂って先生なんだけど、前に飲みに誘われてさ‥‥その時から‥。ルックスは悪くないし、お金もあるし、何よりカレシが欲しかった‥。医療従事者なんて、忙しくて出会いなんかないから‥。毎日が忙しすぎてさ‥‥なんか色々と嫌になってさ‥‥そしたら寂しくなっちゃって‥‥奥さんがいる事も知ってるし、子供がいる事も知ってる。いけない事だっていう事も重々わかってる‥。色々と考えて『別れよう』とも言った‥。でも、『そばにいて欲しい』って言われて‥‥」
岬が吐き出すように話しだす。三人は黙って聞いていた。
「‥‥どうしていいか分からないんだ‥‥。どうしようもない奴だよね‥‥アタシ‥‥」
岬が溜息をつきながら小声で呟く。すると黙って聞いていた淤加美が
「‥好きになっちゃったんでしょ?好きになっちゃった人に、たまたま奥さんと子供がいた、って事じゃん?天音ちゃんにはどうする事も出来なかったんじゃない?」
と言う。
「‥でも、好きになる前に自制する事は出来た。だから、自分を責めてんのか?」
久喜が続けて言うと、岬が軽く頷く。しばらく沈黙が続いた。辺りはすでに真っ暗で、街灯が所々を照らしている。
すると
「‥あの男、これまでも同じ事してないか?」
と久喜が岬に聞く。
「‥え?」
岬が怪訝そうな顔で聞き返す。
「あの店にいたメガネの女の霊‥。ちょっと気になってな‥」
久喜が大和と淤加美に言うと、二人は思い出したようなリアクションをする。
「お前の前にも不倫してた奴がいるんじゃねぇのか?」
久喜が腕組みしながら、直球すぎる直球をぶん投げる。裏表がなさすぎる所が、久喜の長所でもあり短所でもあった。
「‥メガネをかけた髪の長い女性‥。年は二十代後半か、三十代前半ぐらいだと思う‥。なんか心当たりない?」
大和も思わず岬に聞く。岬は少し考え込んだ後
「‥‥噂は聞いた事がある。奥さんと結婚する時に同時にもう一人と付き合っていて、その女性の方が自殺したらしいって‥。でも本人に直接聞いたら、根も葉もない噂だって言ってた‥‥」
と言う。すると淤加美が
「‥もしその噂が本当だとしたら、店で見かけた女性の霊はその自殺した女性の可能性が高い‥。その伊坂って男に対する執着でこの世を彷徨ってるとして、もしその女性が天音ちゃんの事に気づいたら‥‥?」
と考えながら呟いている時だった。淤加美は背筋にゾクッとする寒気を感じた。何かの気配に気づき、公園の入り口を見る。すると、さっきの店にいたあの女性の霊が、ゆっくりと公園の中に入ってきたのだ。大和も驚いて後ずさる。久喜が大和と淤加美の様子に気づき、女性の霊に気づいた。岬も思わず立ち上がる。
「‥この霊‥‥ただの浮遊霊じゃない‥‥?」
淤加美が呟く。霊感がない者でもわかる。この女性の霊からは、何かただならぬ力を感じるのだ。
「‥‥タツ君もこれを引いといて‥」
淤加美が大和に黄泉くじを投げてよこす。大和がキャッチするが、近づいてくる女性の霊に気を取られている。ゆっくりと近づいてくるその背後には、何か禍々しい黒いオーラのような物が見える。黒いオーラは煙のように女性の霊の体を包み込み、周りに大きく広がっていた。
「早く!」
淤加美が叫ぶと大和がハッと我にかえる。そして慌てて黄泉くじを逆さにして振った。
「‥は、八番だ!」
大和が出てきた細い木の棒を、右手で高々と上げた。するとその右腕が光に包まれる。光が収まると、一匹の黒い蛇が大和の右腕にグルグルと巻き付いていた。
「うわぁ!」
大和が驚いて、慌てて右手を振って振り払おうとする。だが黒い蛇はしっかりと巻き付いていて、振り払えなかった。
「‥なんだ、あれ?」
淤加美が黒い蛇を見て首を傾げる。どうやら見覚えがない守神のようだ。すると
「‥おいおい、タツ。ここは当たりを引いて、キッチリ締めるとこだろうがよ‥」
久喜がボソッと呟き、続けて
「もういい!天音、行け!」
と叫んだ。
「‥ちょ、行けって言われても‥。どうすれば‥?」
岬は戸惑っている。
「適当にぶん殴りゃあイイんだよ!行け!」
久喜が岬に叫んだその時
『‥苦しい‥‥苦しい!』
突然、女性の霊が叫んだ。黒いオーラは爆発的に膨れ上がり、凄まじい風が巻き起こった。そして風と共に無数の黒い棘状の鋭く尖った物が、四人目掛けて物凄いスピードで飛んできたのだ。久喜は時間軸を変えて避け、淤加美は横っ飛びで避ける。岬は空手の組み手のような動きで、両手で弾き飛ばしていった。だが、大和だけは体が動かず逃げ遅れた。大和は慌てて両手で頭を抱えるように丸まる。だがその瞬間、右手の黒い蛇が素早く伸びて、すぐそばに立っている大きな木の高い枝の部分に噛み付いたのだ。そしてすぐにゴムが縮むかのように、凄まじいスピードで大和は木の上に引き寄せられた。
「うわぁぁぁぁ!」
大和は体が急に高い木の上に移動したので、思わず叫んでしまった。だがそこへ移動しなければ危なかったのだ。大和がさっきまでいた場所は、無数の黒い棘状の物が地面に突き刺さっていた。あのまま地面に蹲っていたら、鋭い棘が身体中に突き刺さっていた事だろう。大和は思わずゾッとする。
「おぉ、やるじゃねぇか!」
久喜が木の上の大和に叫ぶ。大和は木の太い幹にしがみついていた。すると、またも女性の霊が叫んだ。と、同時に黒い棘状の物が無数に飛んでくる。久喜がすかさず時間軸を変えて、女性の霊目掛けて飛び込む。さっきのレストランで、ほぼ一日分の能力を使ってしまっていた。一日の使用限界を超えてしまっている。明日は動けなくなるだろう。止まったような時間軸の中、久喜が女性の霊を殴りつける。だが、久喜の拳に手応えなかった。
「‥くっ、やっぱり実体がないと無理か!」
久喜が叫んだと同時に時間軸が元に戻る。岬の天之手力男であれば霊体へ攻撃が出来るのだが、久喜の時量師神は時間軸を変える事が出来るが、霊体などへの攻撃能力がないのだ。その攻撃の要の岬が、飛び込もうとタイミングを見計らっていたが、飛んでくる無数の棘を前にジリジリと下がっていってしまう。淤加美も避けるので精一杯だった。
「こんなに数が多いと、飛び込めない!クッキーが一番動けるのに、生身の体じゃあ攻撃しても効かない‥」
淤加美が叫ぶと岬が続けて
「クッキー!アタシの所へ!アタシの時間軸を変えて!」
と叫ぶ。
「お前までクッキーって呼ぶんじゃねぇ!」
久喜が叫びながら岬の方を向いた瞬間だった。女性の霊の体を包む黒い煙が、物凄い速さで久喜へと伸びる。そして久喜の体を包み込んだのだ。
「‥!‥‥く、な、なんだ?‥くそっ!息が‥‥出来‥‥な‥」
久喜が黒い煙に包まれ、もがき苦しんでいる。どうやら呼吸が出来ていないようだ。
「早く!時間軸を変えないと!」
淤加美が黒い棘を避けながら久喜に叫ぶが、時間軸は変わらない。
「‥‥で、‥‥出来な‥‥いん‥だ‥‥って‥‥」
久喜が辛うじて自分の現状を伝える。黒い煙は久喜の体を包み、呼吸と守神の力を封じていたのだ。
「くっ!そんな!」
岬は棘の勢いにさらに下がっていく。久喜は地面に両手をついた。なんの予兆もなく突然、息が止まる事ほど苦しいものはない。準備もなにもしてなかった為、わずか数秒で動けなくなってしまったのだ。
「クッキー!」
淤加美が叫んだ瞬間、久喜が地面に倒れた。まずい!早くあの黒い煙をなんとかしないと!そう淤加美が思った瞬間
『あぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
突如、女性の霊が苦しみだした。女性の霊を見ると体に黒い蛇が巻き付いて、女性の霊の体を締め上げている。いつの間にか大和が木から降りていて、女性の霊に向かって黒い蛇を伸ばしていたのだ。
「ナイス!タツ君、いつの間に?」
淤加美が叫んだ瞬間、女性の霊が暴れ出した。そしてさっきよりも数多くの黒い棘をばら撒いた。なりふり構わず、と言った感じだ。すると、岬がさっきまで自分が座っていた公園のベンチを両手で掴む。そしてなんと、地面からベンチを引っこ抜いたのだ。岬は軽々とベンチを振り回し棘を防ぎながら前進する。とんでもない怪力だ。すると女性の霊が岬を見て
『あなたから‥‥あなたから‥あの人の匂いがする!』
と、叫びながら岬に襲いかかった。
「やらせるかぁ!」
大和が叫んで女性の霊の体を、黒い蛇を使って渾身の力で締め上げる。だが、女性の霊は構わず岬に向かっていく。
「止めろぉぉぉぉ!」
大和が叫びながら左手も突き出す。その瞬間、左手からも黒い蛇が飛び出したのだ。そして鞭のようにしなり、女性の霊の体を強烈な一撃で叩きつけたのだ。
『いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
女性の霊が絶叫する。そして一瞬。一瞬だけ黒い棘の攻撃が止んだのだ。その僅かな隙を岬は逃さなかった。
「タツ君!ありがと!」
岬が叫びながら前に飛び出し、低い体勢から女性の霊の鳩尾に右正拳突きを叩き込んだ。すると、女性の霊はゆっくりと前のめりに倒れ込んだのだった。
公園の中の少し離れた所の木の影に、背の高いメガネをかけた中年の男性と小柄な少女が立っていて、戦いの行く末を見つめていた。中年男性はあの火事の現場にいた人物だ。小柄な少女は中学生ぐらいだろう。肩までの金髪が風に靡いている。二人とも黒いスーツ姿で瞳の色が赤い。小柄な少女が男性に言う。
「‥ちょっと。アイツら何者?あんなのがいるなんて、聞いてないよ」
すると中年の男性が
「‥我らと同じ神主ですね。すぐに調べてみましょう‥」
と答えた。そして続けて
「‥あの女の霊、なぜこの公園に来たんでしょうかね?」
と少女に聞く。
「‥たぶん、生前の記憶が作用したんじゃない?アイツらを追いかけて行ったようにも見えたけど‥。何にせよ、生前の記憶が残ってるようじゃあ、兵器としては失敗だね。とにかく戻るよ」
少女が男性に言うと、二人は公園の闇の中に消えたのだった。
久喜達、いやクッキー達は陰陽神社に戻ってきていた。もうすっかり夜も遅くなり、神社は静まりかえっていて当然ながら誰も見当たらない。神秘的と言うより、かなり不気味な雰囲気だ。公園で岬天音が女性の霊を倒すと、クッキーを包んでいた黒い煙は消えた。クッキーは危うく窒息死する所で、呼吸を整えるのにしばらくかかっていた。そしてとりあえず、陰陽神社で落ち着こう、と言う事になったのだ。岬天音と大和辰巳、改め天音とタツは初めて陰陽神社へ行く事になる。タツは歩きながら両手に巻き付いている黒い蛇を、まじまじと見ていた。淤加美が言うには、どこぞの名も無きご神体だろう、との事だ。先ほどの女性の霊は淤加美が担いでいた。気を失っていて、黒い禍々しい煙のようなものも今は消えている。陰陽神社の鳥居をくぐると、社務所から丁度アキ君が出てきた所だった。
「お帰りなさい‥‥あれ?お客さんですか?」
アキ君がクッキーと淤加美に言いながら、天音とタツに会釈をする。
天音とタツも軽く会釈をして返した。
「この女性の霊、呪力の力を与えられているみたいなんだ。アキ君ならなんとか出来ると思ってさ‥」
淤加美がアキ君に言うと
「‥‥ふむ‥‥なるほど」
アキ君が顎に手を当てて女性の様子を伺う。
「‥わかりました。とりあえず中へ入りましょう‥。あ、お二人もどうぞ」
アキ君が淤加美とクッキーに言いながら、天音とタツも促す。
「‥すいません。お邪魔します‥‥」
天音とタツが小声で言い、みんなで家の中へと入った。アキ君は八畳ぐらいの畳の部屋にみんなを通す。ごく普通の昔ながらの居間だ。ちゃぶ台のようなテーブルがあり、テレビが付けっぱなしだった。淤加美が女性をテーブルの上に寝かせる。アキ君は女性の横に膝を立ててしゃがむと、自分の顔と胸の辺りで両手を動かし始める。まるで何かの印を結んでいるような動きだ。
「彼は安倍明晴。この神社の宮司だ。俺も一ヶ月ほど前から世話になってる‥」
クッキーが天音とタツにアキ君の紹介をする。
「どうぞ、よろしく。僕は守神が、意富加牟豆美命と言って退魔や破魔の力があるんですよ。名前も陰陽師の安倍晴明とよく間違えられますしね‥」
アキ君は言いながら印を結び続ける。すると女性の霊の体から、黒い煙のような物が出始めた。女性の霊を包んでいたあの禍々しい黒い煙だ。空中に浮かんだまま、モヤモヤと蠢いていて何か不気味だ。よく見ると昆虫の蜂のような形に見える。
「‥‥原因はこれですね」
アキ君が黒い煙の塊を見ながら言う。
「‥コイツはなんだ?幽霊からこんなものが出るモンなのか?」
クッキーが淤加美に聞く。
「‥ううん。これは強力な呪力‥‥。恐らく誰かに付けられたモノ‥‥彼女の中で自然と生まれた物ではないと思う‥」
淤加美が黒い塊をまじまじと見ながら答える。そしてアキ君が一喝すると、白い桃の形をした印が現れ黒い塊は消えたのだった。そこでようやくアキ君が天音とタツに向き直る。
「‥ところで、お二人は?」
和かに問いかけるアキ君に、クッキーがざっくりと説明をする。
「‥なるほど。あの火事の現場にいた方達なんですね。その節は、淤加美ちゃんとクッキーさんがお世話になりました」
アキ君が言いながら頭を下げる。慌てて天音とタツも頭を下げる。
「‥いえいえ。こちらこそ、助けて頂きました」
タツが返すと、天音も
「あの時、クッキーと淤加美ちゃんに会ってなかったら、きっとアタシ達はこの世にいないと思うんで‥」
と言う。すると、アキ君が二人を見ながら
「‥黄泉くじの話しは聞きました。天之手力男の力‥‥それとこれは‥?」
アキ君がタツの両腕に巻き付いた黒い蛇を見て
「‥これは‥‥‥まさか‥‥?いや‥‥思い過ごしか‥」
と呟く。タツが怪訝そうな顔をした時、背後から雪女の冷奈が姿を現した。
「‥お呼びでしょうか?」
冷奈が淤加美に聞く。
「うん。この女性の身元を調べて欲しいんだ。閻魔省に記録があるはずだから‥」
と淤加美が答えると、冷奈は一礼して
「わかりました。後、一つ報告が‥‥」
と言う。そして一呼吸おいた後
「‥‥やはり黄泉国より火之迦具土がいなくなっているそうです‥」
と伝えた。淤加美がジッと冷奈を見つめ
「‥つまり‥‥火之迦具土が現世に‥‥‥」
と言うと
「‥はい。来ていると思われます」
と冷奈が答えた。
「‥って事は天音が見たって言う黒いスーツの男の守神が?」
クッキーが聞くと
「‥うん。たぶん、火之迦具土だね‥」
と淤加美が頷きながら言う。
「火之迦具土‥‥火を司る神様‥‥‥という事はあの火事を起こしたのも?」
タツが確認するように問いかける。
「‥確証はないですが、可能性は高いですね‥」
アキ君が答えた。冷奈は引き続き調査すると伝え、また消えていった。
「‥とりあえず、話しを整理しようよ?」
天音が気を取り直して言った時だった。
「‥‥‥ここは‥?」
畳に寝ていた女性の霊が起き上がった。つい今し方、気がついたみたいで、今の状況がよくわかってないようだ。
「‥お前‥‥自分が死んだ事はわかってるか?」
クッキーが女性の霊に聞く。霊体と自然に会話しているのが不思議だったが、普通の人間とあまり変わらないのだ。女性の霊は周りを見渡しながら軽く頷く。メガネをかけた髪の長い真面目そうな女性だ。スカートタイプのスーツ姿で、少し気が弱そうにも見えるが綺麗な女性だ。
話しを聞いた所によると、やはり伊坂と付き合っていたらしく、どうやら九年前に亡くなったようだ。亡くなってからは浮遊霊として、伊坂の周辺を彷徨っていたそうだが、ある日を境に今日までの記憶がないと言う。
「いつぐらいから記憶がないかわかる?」
淤加美が女性の霊に聞く。
「‥‥ハッキリとは‥少し前ぐらいからだと思うんですが」
と女性の霊が答えると、クッキーが女性の霊に
「‥とりあえず生前、何があったか話してくれないか?」
と言う。女性の霊は戸惑いながらも、少しづつ話し始めた。
<人物図鑑>
名前:岬天音
別名:天音 天音ちゃん
年齢:二十八歳
守神:天之手力男
能力:術者に凄まじい怪力を授ける
備考:武心流空手 四段
谷川総合医療センター 小児科看護師
小児科医師の伊坂と不倫していた