第一話 コトの始まり
仕事をしながら書いているので、連載が不定期になってしまうかもしれませんが、最後まで読んで頂ければ幸いです
「‥‥いってぇ‥‥‥」
男は呟きながら目が覚めた。全身が打撲と切り傷などで痛む。なんとか痛みを堪えながら、ゆっくりと体を起こした。ここはどこだ?俺は何をしてたんだっけ?血がベットリと付いている頭を振りながら記憶を辿る。男はスキンヘッドで髭を生やしていて、サングラスをかけていた。白いTシャツに黒い革ジャンを羽織り、ジーンズを履いている。どう見てもカタギには見えない。
男は上半身だけ起こすと周りを見渡す。真っ暗で何も見えない。男の名前は久喜龍二、四十七歳。指定暴力団、関東水神會の若頭だったが、数年前に足を洗ってカタギとして生活していた。近頃はネットを駆使して金を巻き上げる『ITヤクザ』が増えてるが、久喜は昔ながらの生粋の武闘派だった。まぁ平たく言えば、頭が悪いだけの事なのかもしれないが‥。同じ水神會にも派閥があり、対立する五島や井幡はクスリや女を売り捌いたり、闇バイトの運営などで荒稼ぎしていた。賢い稼ぎ方なのだろうが、久喜には性に合わなかった。あえて強い者に抗い生きてきた久喜。強い者とやり合っていたら、気づいたらいたこの世界にいた。だが周りを見ると、いかに弱い者を虐げ、欺き、楽して大金を稼ぐか、という奴らばかりだった。弱き者にはすぐに牙を剥き出し、強き者にはこっそり牙を隠し持ち、隙あらばの騙し討ち。そんな世界に嫌気が差した。なので色々考えた末、組を抜けてカタギになったのだ。すると突然
「お、気がついたね‥」
と、女性の声が聞こえた。声のした方を見ると、暗闇から一人の女性が現れた。黒い和服の着物を着た女性だ。短めの黒髪に金色の大きな髪飾りを付けている。小柄で年は二十代ぐらいだろうか?キリッとした気の強そうな顔つきの美人な女性だ。
「‥早くこれを引きな。じゃないとアンタ、殺されちゃうよ?」
女性が言いながら何かを投げた。久喜はそれを慌ててキャッチする。それは木で出来たかなり古いおみくじのようだ。正月に神社やお寺などでよく見る、あのおみくじだ。所々、木が傷んでいる。
「それは黄泉くじ。それを引くと黄泉国からアンタに因んだ守神がアンタに付いて、身を守ってくれるんだよ。とっとと引いて戻らないと、あの娘の身も危ないし‥」
女性が説明してくれる。そこでようやく記憶がハッキリし始めた。五島の仕切る風俗店では、借金の肩に体を売る事を強要されている女性が複数いたのだ。そんな女性達を久喜は五島に無断で連れ出して、運送業などのまともな仕事に就かせていたのだ。そして最近また十代の女性が、親の借金の肩代わりにその店に連れてこられた。久喜がその女性を組に無断で店から連れ出すと、それを聞きつけた五島が怒り狂って部下達に追いかけさせたのだ。五島の部下達に襲われ負傷しながらも、久喜達はなんとか近くの神社まで逃げて来た。そこで久喜は意識を失ったのだ。
「‥テメェはナニモンだ?なんで俺を助ける?」
久喜が女性に聞く。女性は
「‥アタシは淤加美。まぁ‥神様みたいなもんだよ」
と言う。確かに見た目は和装だし、よく見ればどこか妖しく神秘的な雰囲気もある女性だが‥。
「‥神様だと?‥‥俺には一生、縁がねぇモンじゃねぇかよ‥」
久喜が言いながらフッと笑う。
「‥俺もヤキが回ったなぁ‥。シャブには手ぇ出してねぇんだがな‥。幻覚が見えるようになっちまったんか?」
久喜がブツブツと呟くと
「アンタ、あの娘を助けなくていいの?早く戻んないと知らないよ?」
淤加美が両手を腰に当てて言う。久喜は淤加美をジッと見つめて
「‥うるせぇ。言われなくともやってやるよ‥」
と言い、ガシャガシャとおみくじを逆さにして振った。
「‥‥九番」
久喜が出てきた木の棒の数字を読む。すると久喜の体が白い光に包まれた。
久喜が目覚めると夜の神社の境内で倒れていた。すぐ隣では店から連れ出した女性が心配そうに覗き込んでいた。
「‥だ、大丈夫?」
女性が久喜に聞く。久喜はゆっくりと上体を起こす。顔面は腫れ上がり、頭からは血が流れている。すると、暗闇から複数の男性の声が近づいてきた。
「‥おい!いたぞ!」
「こっちだ!」
神社の境内に数人のガラの悪い男達が現れた。手には金属バットやナイフを持ってる男もいる。久喜はゆっくりと立ち上がり
「‥逃げろ。‥‥行け!」
と叫んだ。女性が後退りした後、走り去っていく。
「待て、コラァ!」
男達の内、何人かが女性を追って走り出す。と同時にバットを持った男が久喜に殴りかかった。久喜がヨロヨロと避けようとするが、とてもじゃないが間に合わない。バットが久喜の頭に当たる瞬間、さっきの淤加美の声が聞こえた。
「‥‥時量師神を引くなんて、アンタついてるね‥」
一体、何の事を言ってるのかわからなかった。だが、久喜が周りを見ると‥‥みんな止まっていたのだ。バットで殴りかかってきた男も女性を追いかけて行った男も、みんな静止画像のように止まっていたのだ。いや、よく見ると僅かに少しづつ動いている。そう。周りの全てが超スローモーションのようになっているのだ。
「‥な、なんだ?これは?」
久喜は驚きながらもゆっくりとバットの男の横に回り込み、男を横からヨロけながら蹴り飛ばす。すると突然、男達が動き出し元の早さに戻った。蹴り飛ばされた男は地面に転がる。
「な、何だぁ?」
転がった男が叫んだ。なぜ地面に転がったか、わかってないようだ。
「‥‥こいつは一体‥?」
久喜もよくわかっていない。そんな久喜の隣に淤加美が現れた。
「時量師神。アンタについた守神。文字通り、時を司る神様‥。見た感じだと、一時的に普通の人の数秒間が、アンタには何十秒にもなってるみたい‥」
淤加美が言う。周りの男達には淤加美の姿が見えていないし、声も聞こえてないようだ。
「‥‥はぁ?‥‥何言ってんだかよくわかんねぇぞ‥」
久喜が呟いた瞬間
「久喜ぃぃ!死ねやぁぁぁ!」
と、叫びながらナイフを持った男が突進してくる。その時、また周りが超スローモーション状態になる。今度は久喜は落ち着いてナイフ男のナイフを叩き落とし、周りの男達を順番に殴り飛ばしていく。そして普通の状態に戻った瞬間、男達が次々と地面に倒れていった。周りの男達にしてみれば、久喜が一瞬で数人を叩きのめしたように見えていた。男達は訳がわからず、思わず後退りする。
「くそがぁ!ビビってんじゃねぇ!」
そして最初に殴りかかってきたバット男が再度、バットで殴りかかってきた瞬間、超スローモーションを使って久喜はその場の全員を叩きのめしたのだった。
あの神社の一件から一ヶ月が経っていた。ここは都内の西の方にある八千代市。都内なのに緑が多くあり、住宅街が広がる住みやすい街だ。駅前はかなり開けているが、少し離れると閑静な住宅街や緑が広がる。都心へのアクセスも良い為、生活の拠点にする人も多い。そんな八千代市の中心から少し外れた所に、陰陽神社という神社があった。住宅街を抜けた小高い山の上にあり、かなり古い神社だが、敷地はかなり広い。昼間でもほとんど人気がなく静かな所だ。
その神社の中に小さな社務所があり、居住家屋が併設されていた。そこで久喜龍二は縁側の庭を箒で掃除していた。縁側には淤加美が座っている。そこへ一人の男性がお茶を持ってきた。スラっとした痩せ型で、黒髪を後ろで結んでいて作務衣を着ている。メガネをかけていて、真面目で優しそうな男性だ。その男性がお茶を縁側の床に置きながら
「すいませんね、お掃除まで‥。あ、あと買い出しのメモを置いときますね」
と笑顔で言う。すると淤加美が
「クッキー、終わったら買い出し行くよ」
と言った。すかさず久喜が
「クッキーって呼ぶんじゃねぇ。お菓子じゃねぇんだから」
と突っ込む。すると男性が
「はい。淤加美ちゃんにはこれ。お供物だから、霊体でも食べられるよ」
と饅頭を差し出す。淤加美が嬉しそうに受け取り
「アキ君、ありがと」
と言った。どうやら男性には淤加美が見えていて声も聞こえるようだ。男性は安倍明晴。この古い神社の宮司だった。久喜はあの後、淤加美の知り合いがいると言うこの神社に来たのだ。そしてアキ君にお世話になっていた。あの一件で五島の部下が躍起になって、久喜を探しているのだ。この神社はほとぼりが覚めるまで身を隠すのに打ってつけの場所だ。連れ出した女性は東北地方にある、知り合いの運送会社で事務員として働かせた。かつての後輩が沢山いる会社だから、しばらくは安全だろう。そこで働きながら借金を返せばいい。久喜は掃除を終わらせると、出かける準備をして
「‥じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
とアキ君に言う。街にあるスーパーまで、日用品の買い出しに行くのだ。山を下って街まで行かないといけないので、歩きだと片道で一時間ぐらいかかってしまう。一応バスが走ってはいるが、本数は限られているのだ。
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
笑顔で送り出すアキ君を後にし、久喜と淤加美は歩き出した。
「‥チャリがあれば速攻なんだがなぁ‥どっかでパクってくるかぁ?」
と、冗談混じりに呟く久喜に
「‥あの力。悪い事に使ったら、アタシが許さないからね?」
と淤加美が睨みつける。あの超スローモーションの力。後日、ゆっくり検証してみると、あの力は久喜自身に流れる時間軸を一時的に一秒から十秒にする事が出来るようだ。つまり、普通の人の一秒間が久喜には十秒間になっているのだ。使用出来るのは、一日に数回程度。それ以上は使えなくもないが、疲労感が半端なくて、半日以上眠らないと回復しなかったのだ。そして久喜がこの力を使う時に誰かに触れていると、その人間も同じ時間軸になるようだ。アキ君で試してみたので間違いない。この力を使えば悪い事だろうがなんだろうが、やりたい放題なのだが、淤加美がそれを許さなかった。久喜は顰めっ面で溜息をつくと
「‥へいへい」
と、言い歩きだしたのだった。
うねうねとジグザグになっている坂を下り、街まで来るとスーパーへと向かう。郊外とはいえ街の中心まで来ると、かなり開けている。住宅は少なくなり、代わりに雑居ビルが立ち並び、人も沢山往来していた。大通りには車も沢山走っている。久喜達が大通りからスーパーに向かって脇道に入る。すると遠くからサイレンの音が聞こえてきた。周りの人達もざわついている。
「‥おい。向こうだって」
「マジ?ヤバくね?」
何人かが騒ぎながら走っていく。久喜達もなんとなく付いて行ってみた。すると雑居ビルの一つから、黒い煙が上がっているのが見えたのだ。
「‥おいおい。火事だな‥」
久喜が呟く。ビルの下には大勢の人が集まっていて、出入り口からは沢山の人が飛び出してくる。消防車などはまだ到着していない。まだ中に人がいるようだ。
「クッキー!」
淤加美が叫ぶと同時に久喜が走り出す。超スローモーションを使い、ビルに飛び込む。久喜がビルに入ったのは誰にも見えていないだろう。ビルの中では奥から人が出入り口に殺到している。止まっているような人混みを難なくすり抜け、階段へと向かった。そして時間が元に戻ると、一斉に中にいた人達が動き出す。火災警報が鳴り響き、煙が充満し始めていた。久喜は階段を駆け上がる。上の階からはまだ人が降りてきていた。
「早く下に行け!逃げ遅れるぞ!」
久喜は叫びながら階段を駆け上がる。
「四階に怪我してる人がいました!」
上から降りてきた女性が叫んだ。久喜は急いで四階を目指す。黒い煙はどんどん濃くなり視界は悪い。久喜は体制を低くして、煙を吸い込まないように進んでいった。四階に着くともう降りてくる人もなく、人気はなかった。
「まずいよ。これ以上進めばクッキーも危なくなる‥」
淤加美がクッキーの背後で呟く。
「おい!誰かいないか?いたら答えろ!」
久喜は奥に向かって叫んだ。這うように少しづつ進んでいく。超スローモーションを使いたい所だが、使うと相手の声が聞こえなくなってしまう。音までも超スローモーションになるからだ。すると奥から
「ここです!負傷者がいます!」
男性の声が聞こえた。その瞬間、久喜は超スローモーションを使う。這いずりながら進んでいくと、僅かに人影が見えた。そこは部屋になっていて、窓が開いていたのだ。そこから黒い煙が外へ逃げていくおかげで、他の場所より煙が薄くなっていた。そこには若い男性と女性、そして負傷している女の子が倒れていたのだ。
「大丈夫か?」
久喜が声をかけると、若い男性が
「僕らは大丈夫です!この子が逃げる時に転倒して、頭を打ったみたいで意識がないんです‥」
と言う。メガネをかけてスラっとした誠実そうな青年だ。二十代後半か三十代ぐらいだろう。顔や服が煤で汚れている。もう一人の若い女性が、倒れている女の子の具合を見ていた。
「アタシ、看護師なんです。詳しい事は検査しないと分かりませんが、軽い脳震盪だと思います。ですが、最悪の事態を考えると、頭をなるべく動かさないように運ばないと‥」
女性が久喜に言う。短めの髪で、こちらも二十代後半から三十代ぐらいだろう。小柄で可愛らしい女性だ。
「‥わかった。お前らは動けるか?」
久喜が女の子をそっと担ぎながら二人に言う。女の子は小学校の低学年ぐらいだろう。気を失っているようだ。
「‥はい。気をつけてください‥」
女性が答えると、男性の方が女の子を担ぐのを手伝ってくれる。
「‥すまんな‥‥よし、いくぞ」
久喜が立ち上がった瞬間
ドオォォォン!
凄まじい爆発音と共に地響きが起こる。どこかでガスボンベか何かが爆発したようだ。そして通路の方から凄まじい爆炎が四人に襲いかかってきた。久喜は女の子を背負いながら、男性と女性の手を掴み
「走れぇぇぇぇ!」
と叫ぶ。久喜と男性と女性、背負っている女の子の時間軸が変更された。久喜は爆炎と爆風より早く走って少し離れた部屋へと駆け込む。何がなんだかわかってない男性と女性も、なんとか付いて来た。そして時間軸が元に戻った瞬間、爆炎と爆風がビルの中を走り抜けた。久喜達が飛び込んだ部屋は爆炎から守られて、なんとか助かったのだ。
「‥な、何?今の?」
女性が驚きの声を上げる。
「な、何か‥周りが時間が止まったみたいになってた‥」
男性も驚いている。久喜はそんな二人に構わず、部屋から今来た通路を見る。だが通路を見て愕然とした。先程の爆発で通路が瓦礫で塞がれていたのだ。
「‥そんな‥‥これじゃあ、外へ出られない‥」
男性も通路を見て思わず呟く。火の手はどんどん強くなり、黒煙が充満していく。久喜達は別の道を探すが、初めて入ったビルの中なので現在地すらよく把握出来ていない。それに煙で見えづらく、視界の妨げにもなっているのだ。
「‥くっそ‥‥どうすりゃいいんだよ‥」
久喜が呟く。すると淤加美が久喜の隣に現れた。
「何やってんの?早くあの力で一気に脱出しないと‥」
淤加美が久喜に言う。
「‥これだけ煙が充満しちまうとなぁ‥‥もうあの力は使えねぇんだよ‥。普通の人間が一秒間に吸い込む煙の量の十倍を吸い込む事になる‥‥。あの力を使っていても、体の中身は普通の人間と変わらねぇからなぁ‥‥」
久喜は袖で口を覆いながら苦しそうに言う。すると男性が
「‥え?‥‥ど、どこから‥?」
と、淤加美を見ながら言う。この男には淤加美が見えるのか?
「‥あの力って?‥さっきの不思議な現象の事ですか?」
女性も淤加美に聞く。この女性も淤加美が見えている?すると淤加美は驚いた顔をした後、ニヤリと笑って
「‥なぁんだ。アタシが見えてんなら話しは早い。二人共、これを引いて!」
と言って例の黄泉くじを懐から取り出し男性に投げた。
「‥え?‥な‥‥え‥ちょ‥ちょっと‥」
男性は慌てながらなんとかキャッチする。
「‥それは黄泉くじ。まぁ、何が出るかはお前ら次第だ。さっきの力はソイツで引き当てたものだ‥」
久喜が二人に言う。だが男性は黄泉くじを受け取ったまま、キョトンとしている。
「‥ちょっと!何してんの?早くしないとヤバいって!」
堪らず女性が、男性から黄泉くじを奪い取り逆さにして振った。
「‥‥十!十番!」
女性が出てきた木の棒に書かれた数字を読み上げた瞬間、光が女性の体を包み込む。そして女性の背後に、髪の毛が逆だち筋肉で膨れ上がったような体格の仁王像のような大男が現れたのだ。そして大男は女性に覆い被さるようにして消えた。
「‥‥天之手力男。またとんでもないのを引き当てたね‥」
淤加美が大男を見て感心したように言う。
「‥な、何‥‥これ?」
女性は自分の体を包む光に驚いて呟いた。
「それは天之手力男の力。天之手力男は凄まじい怪力の持ち主‥。多分、貴方にも同じ怪力が備わったんじゃないかな‥?」
淤加美が女性を見ながら言うと、女性は自分の両手の平を見ながら
「あ、アタシに‥‥怪力‥‥?」
と、呟く。
「早く!このビルの壁を突き破って!」
すかさず淤加美が叫ぶと女性はハッと我に帰り、大きく息を吐き出しながら空手のような構えをする。男性顔負けの力強い構えだ。
「‥何かやってたのか?」
それを見て久喜が女性に聞く。
「‥高校まで武心流空手をやってた。県大会で優勝して全国も行った事ある‥」
女性が答えながら腰を低く落とす。そして気合い一閃と共に右正拳突きを叩き込むと、ビルの壁が粉々に砕け散ったのだった。
<人物図鑑>
名前:久喜龍二
別名:クッキー
年齢:四十七歳
守神:時量師神
能力:時間軸の一定時間変更
普通の人の一秒を十秒に変換
使えるのは一日、数回程度
備考:元関東水神會若頭