第一話:炎上
俺のクラスには学校一の人気者がいる。
名前を白崎花蓮。
スラっと長い手足。
艶のある黒髪長髪。
端正な顔立ち。
初見だとモデルかアイドルかと見間違うような美貌を持つ彼女は、入学以降、学校内の数多くの男子のハートを射止めてきた。
しかし彼女は、たくさんの男子から愛の告白をされてきたにも関わらず、一度たりとてその告白に承諾したことがないらしい。
最近では、クラス内外で、白崎がどうして、頑なに男子との交際を拒むのかの憶測が飛び交うようになっていた。
人付き合いが苦手な俺の耳にも入ってきた憶測だと……。
既に恋人がいるから。
滅茶苦茶高望みしているから。
……パパ活で忙しくて金銭的余裕のない同世代と交際している暇がないから。
こんなところだ。
しかし、結局クラスメイトの連中は、白崎がどうして男子との交際を拒むのかの答えを掴むことが出来ずにいた。
そう、今日、この時までは。
「白崎さん、SNSで大炎上しているよ」
現在の時系列は、長い長い夏休みが終わって三日後のこと。
久しぶりの学校は、最初こそ新鮮だったが、三日も経つと授業が非常に長く感じて、そろそろ休みが恋しいと感じ始めた頃合いの出来事だった。
実は、夏休み明けから今日まで、白崎は学校に一度も姿を見せていなかった。
最初、担任の先生は白崎の欠席理由を、体調不良だと伝えた。
しかし、その体調不良が二日。三日と続くと……クラスメイトの皆も、白崎は体調不良ではなく、何かしらのトラブルに巻き込まれて学校に来ないのではないか、と思うようになった。
そして、一人の生徒が何の気なしに見ていたSNSで発見した。
「白崎ちゃん、『SHIRA』ってアカウント名でファッション系インフルエンサーをやっていたみたい」
ファッション系インフルエンサー。
SNSなどの情報媒体を通じて、おススメのファッションコーデや衣類の着こなし術を紹介し、多数の人間に影響を与える人間のことである。
白崎は、丁度高校に入学する一年前くらいから、SNSを中心に自らのコーディネートを発信してきたようだ。
そして、その努力の甲斐あってか、活動一年程度にも関わらず、フォロワー数は十万人超え。
今や押しも押されぬトップインフルエンサーの仲間入りを果たしていた。
なるほど。
これが原因で彼女は、あまたの男子の告白を断ってきたのか。
クラスメイトの会話を盗み聞きしながら、真っ先に俺が思ったことはそれだった。
しかし、すぐに次の疑問が浮かんだ。
クラスメイト達は、件の『SHIRA』というインフルエンサーが白崎だということを知らなかったのだろうか?
「えっ! あたし、この『SHIRA』って人、フォローしているよ!」
やはり、十万人を超えるトップインフルエンサーともなれば、クラス内にも彼女のアカウントをフォローしている人はいたらしい。
しかし、それでも彼女は今日まで、自らがトップインフルエンサーであることを悟られることはなかった。
「『SHIRA』って毎回顔は出さないように写真撮ってるんだよね。写真も家の中なことが多いから、全然わからなかった」
どうやら彼女のネットリテラシーは高かったらしく、彼女の投稿から個人情報を特定するのは困難だったらしい。
帰宅後、俺は自らのスマホを操作し、『SHIRA』というアカウントの一連の騒動を調べた。
真っ先に調べたことは、今回どうして彼女が炎上してしまったのか、だ。
調べていってわかったことは、彼女のSNS運用は特定の思想に肩入れしたり、強い言葉を使ったりもせず……本当に写真のみを定期的に投稿しているだけということだった。
正直、インフルエンサーを名乗る割には自己主張が薄いとさえ思った。
しかし、そんなネットリテラシーが高く、炎上する要素がなさそうな彼女が炎上してしまった。
『この『SHIRA』って子、若いのに胸の谷間を強調して性的搾取されているのに一切気付きもしない。こういう子が日本を駄目にする。自分の娘がこんなんに育ったら、あたしなら殺処分する』
彼女の炎上理由はどうやら、自称フェミニストを名乗る活動家が、彼女の投稿した写真に反応したことがきっかけのようだった。
弁明しておくと、件の活動家がかみついた投稿写真は、胸の谷間は別に強調されているとは思えない。
活動家は性的搾取をされていると宣っていたが、男性からの反応は皆無で、ほとんどが同世代の女性からの反応ばかりだったらしい。
「……醜い嫉妬だな」
実際がどうかはわからないが、第三者である俺から見た彼女の炎上理由は、インフルエンサーである彼女の人気に嫉妬した同性のいやがらせだった。
実際、その後のSNSでの論調を見る限り、炎上はしたものの、どちらかと言えば叩かれているのは白崎ではなく活動家の方だった。
最終的に活動家のアカウントは削除され、逃亡を図ったようだ。
そんな炎上も収束を迎えようとしていた最中、今朝になって別の人間により、新たな火種が生み出されてしまったらしい。
その投稿主の自己紹介文はなし。アイコンは初期設定のもの。アカウント名は、規則性のない文字の羅列。
『今炎上している『SHIRA』って女、Y高校二年の白崎花蓮って子だよ』
見るからに捨て垢から投下された火種は……まごうことなき、白崎の個人情報。
……ネットリテラシーの高い彼女の投稿から、『SHIRA』と白崎を紐づけるのは容易ではなかったはず。
それこそ、白崎の実生活を知る人物以外では、決して紐づけることは出来なかっただろう。
つまり白崎は、身内同然の人間に売られ、個人情報をネットに晒されてしまったというわけだ。
* * *
翌朝、目を覚ました俺は、いの一番にSNSを開いて白崎の一連の騒動に進捗がないかを調べた。
胸糞悪い一連の騒動に巻き込まれ、多大な被害を被っている彼女のことに同情はしていたが……彼女のことが心配だったから、騒動の進捗を調べたわけではなかった。
昨日の捨て垢からの投稿には、白崎の実名だけでなく、彼女の通う学校。彼女の実年齢がわかるようなクラス情報まで記載されていた。
つまり、かの有名ファッション系インフルエンサーの通う学校は既に白日の下に晒されているのだ。
……そうなると、特定の被害は白崎自身以外。
具体的には、彼女と同じ学校に通う俺にも降りかかる可能性があることが予想出来た。
「ねえ君、ちょっといい?」
そして俺は、早速予想された被害の場面に遭遇してしまった。
学校最寄り駅に到着し、改札を出た途端、目深に帽子を被った男性に、突然呼び止められたのだ。
「君さ、Y学校の生徒? そうだよね。制服見たら一目瞭然だよね」
見るからに怪しいその男は、早口で俺に捲し立ててきた。
「君、白崎花蓮って知ってる。知ってるよね」
「知りません」
「ちょっと……おいっ! クソガキ! クソガキてめえ! 大人に歯向かいやがって! 戻ってこい!」
白崎の名前が出た途端、心臓が大きく高鳴った。
しかし、平静を装って、俺は足早にその男の前から立ち去ることにした。
異常に沸点の低い男だ。
ただ、背後から俺に怒声を浴びせるものの、追いかけてはこなかったから、実害を加えるつもりはないらしい。
とりあえず俺は、学校そばの交番に駆け込んで、駅前に不審者がいたことを通報した。
まあ、あの不審者はもうあの場所にはいないだろう。
そろそろ朝のショートホームルームが始まる時刻。電車通学してくるウチの学生が今更駅に到着していたら、遅刻になるような時間帯だった。
「倉本君。遅刻よ」
「すみません」
交番に駆け込んだせいで、俺は朝のショートホームルームに遅刻をしてしまった。
担任の先生は俺を叱責したが、内心では悪気は一切なかった。
それより、白崎の炎上に関する学校側の対応を教えてほしかった。
白崎炎上から約四日。
本人特定から約一日。
駅前には白崎を探す不審者。
正直、昨日の内に、保護者へ向けた緊急の声明くらい発表するべきではなかったのか、と疑問に思えて仕方がない。
「先生、白崎ちゃんって『SHIRA』なんですか?」
朝のショートホームルームの最後、クラスメイトの一人が先生に質問をした。
途端、クラス内がザワザワと騒がしくなった。
「あたし、駅前で不審者に会ったよ」
「え。何それこわ……」
「白崎ちゃんのこと探してた」
どうやら今朝の不審者に遭遇した人は、俺だけではなかったらしい。
「静かにしなさいっ」
先生は大声を発して、ざわつく生徒達を黙らせた。
「……その件は、まだ協議中です。発表出来ることは何もありません」
……実害も出ているのに、そんな対応で納得する生徒がいると思っているのだろうか?
結局、今日一日中、ウチのクラスの連中は授業は上の空だった。
まあ、かくいう俺も集中出来ていたかと言えば、そんなことはなかった。
ただ、不審者や白崎のSNS炎上での自分への実害の心配をしていたわけではなかった。
『……その件は、まだ協議中です。発表出来ることは何もありません』
担任の先生の言い方的に、学校側が白崎を自主退学……つまりは、見捨ててしまうのではないかと感じてしまったのだ。
……有名インフルエンサーともなれば、昨今の時代背景的にも大きな影響力を持つ人物であることは間違いない。
身バレしたら、熱心なファンが生活圏を脅かす可能性だって否定出来ない。
そして、熱心なファンがインフルエンサーの生活圏を脅かした影響で、俺達のような一般市民も被害を被る可能性も否定出来ない。
というか、既に実害も発生しつつある。
……それでも、だ。
彼女は別に、俺達一般市民に迷惑をかけたいからインフルエンサーを目指したわけではない。
インフルエンサーになるため、学業とファッションの発信という二足の草鞋を履いて努力してきたのだ。
その努力の程度は……俺達なんかでは到底想像も出来ないくらいのものだっただろう。
……そんな彼女の努力が、悪意ある人物のせいで潰されるのが、不憫でならなかった。
「倉本君。あなたの家、白崎さんの家に近かったわよね」
放課後、俺は担任の先生に呼び出されて、職員室にいた。
先生は唐突な質問を投げかけた。
「いや、白崎の家の場所を知らないのでわからないです」
「じゃあ、住所を書いた紙、プリントするから」
「は?」
「彼女が休んだ分の宿題のプリント、届けてきてあげて頂戴」
「え、嫌です」
普通に考えてみてほしい。
炎上し個人情報が特定された渦中のインフルエンサーの自宅に、誰が近寄りたいと思う?
そんな彼女の現状を考えても、自分の自由時間を減らされることを考えても、俺が先生の提案に了承するメリットは皆無だった。
「そういうの、普通は同性の生徒に行かせるべきでは? いきなり見ず知らずの男子生徒が来たら、彼女も怖がるでしょう」
「あなた、今の白崎さんの状況をわかってるの。女子生徒になんて危なくて行かせられるわけないじゃない」
……つまりなんだ?
生贄にするのに、俺は丁度いいってか?
まあ、そうかもしれないな。
「状況がどうの言うのなら、先生自身が行くべきでは? 先生、一応大人でしょ?」
「あたしは忙しいの。だから、あなたが行って頂戴」
……前々から思っていたが、この先生、どこか仕事に対する情熱を感じないんだよな。
それが悪いことだとは思わないけれど、人望はないタイプだと思う。
「わかりました。行きます。行きますよ」
まあ、俺が断って、別のクラスメイトに話がいって、そいつがトラブルに巻き込まれでもしたら寝覚めが悪いか。
渋々、俺は先生の指示に従うことにした。
俺は先生の用意したプリントを見ながら、白崎の家にプリントを届けることにした。
先生は俺の家が白崎の家のそばだとか言っていたが、白崎の家は、学校の最寄り駅から俺の家の最寄り駅と真逆の方向に位置していた。
多分、他の生徒数人にも頼んだけど断られたから、俺に白羽の矢が立ったのだろう。
「ろくでもねえ女だな、あの教師」
道中思わず、先生への悪態をついてしまった。
これで何かあったら、俺も学校への告発文をSNSに投稿しよう。
白崎の騒動の対応が後手後手なことも相まって、これはきっとよく燃えるぞぉ……!
「……そろそろだ」
プリントを見るに、この辺りに白崎の家はあるはずだった。
俺は周囲をチラホラ見ながら、恐らくどこかにある『白崎』の表札を探した。
「あ」
あった。
ようやく見つけた。
白崎の家は庭付きの一軒家だった。
都内でこれとは、元々実家は太い生まれだったのかもしれない。
ま、そんなことはどうでもいいや。
さっさと宿題のプリントをポストに投函して帰ってしまおう。
「……ん?」
宿題のプリントをポストに入れようとした俺は、違和感に気付いて手を止めた。
今の時刻は学校終わりだから夕方。
郵便がやってくるような時間ではない。
しかし、白崎の家のポストは、紙でいっぱいだった。
嫌な予感が過った。
昨日の捨て垢から投稿された情報は、彼女が通う学校と彼女の実名のみ。
彼女の住所までは晒されていなかったはずなのだ。
……しかし、これはまさか。
申し訳ないと思いつつ、俺は恐る恐るポストから一枚の紙を取り出した。
「……う」
俺は吐き気を催した。
A4用紙いっぱいに綴られた文字は、女子高生である白崎へ宛てたラブレターだった。
しかし、ラブレターに書かれていた内容は愛を綴った手紙にしては……センセーショナルで、不快で、醜悪だった。
「これ、全部ってことだよな……?」
ポストに投函された紙を見ながら、俺は一歩たじろいだ。
……ん?
一歩たじろいだ拍子に、俺はあることに気が付いた。
今、朧気だったが……間違いかもしれないが。
確かに、白崎家の庭の隅で、人影が動いたように見えた。
……ドクドクと鼓動を鳴らす程、心臓が高鳴っていく。
これまでの人生、こんなに心臓が高鳴ったことなんてなかったと思うくらい……心臓がやかましく、高鳴っていく。
いけないことをしている自覚はある。
ただ、バレないように柵を押して、白崎家に侵入した。
そして、抜き足差し足で人影を見た方へと足を運び……。
「お前っ! 何してんだっ!」
白崎家に不法侵入しようとしていた男を見つけて、俺は叫んだ。
「お、お前はっ!!!」
俺は呆気に取られた男を羽交い絞めにした。
羽交い絞めした男には見覚えがあった。
相手も俺の顔に見覚えがあったようだ。
……こいつはさっき、学校の最寄り駅で俺に白崎を知っているかと声をかけてきた不審者だ!
「てめえ! ガキがっ! ガキの分際でっ!」
「だ、誰かー! 誰かー! 助けてくれー!」
不審者の雄叫びと、俺の声が木霊して、白崎家の庭先はカオスな状況と化した。
「……く、倉本君!?」
まもなく、家から白崎が姿を見せた。
「白崎! 警察! 警察呼んでくれっ!」
「え。えっ!?」
「こいつ不審者だ! だから早く! それとっ! これから絶対に騒ぎになるから、応対はこっちでやるから、お前は絶対に家から出るな!」
呆気に取られていた白崎だが、まもなく家に帰って警察に電話してくれた。
不審者と揉み合って五分ほど経過して、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
夏だ! お盆だ! 休みだ!
……という幸せな気持ちを前面に出したかった私は、ほの暗い作品を書きたくなり、本作を書きだした・・・。
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