治験のアルバイト
15時になると左腕に注射をされる。その後で小さなコップ一杯の水と一粒の錠剤を渡される。
それを担当の看護師の前で飲む。それだけで1日に43000円が貰える。
今回の検査期間は14日間、計602000円。大学の先輩に治験のバイトは割がいいと言われたがその通りだった。
錠剤を飲んだ後は夕食まで自由時間。病院の外に出なければよいということだったので僕はもっぱら中庭のベンチで持参した本を読んでいた。
「君も治験の参加者かな?」
不意に声を掛けられ目を向ける。
そこには年配の男性が立っていた。
「そうですけど」
人見知りをする性なのでぶっきらぼうな返答になってしまったが、男は別に気にした風でもなくベンチを指差して相席を申し出た。
僕は少し端に寄ると男は空けたスペースに座った。
「何度か参加する内にその病院にいる人間が、どうしてそこにいるのかが分かるようになってきてね」
つまりはこの人も治験の参加者なんだろう。
「はぁ、それはすごいですね」
明らかなお世辞だったが男は笑顔を作った。
「今回の治験はとある毒素への抗体薬のようだけれど、投与される毒が強すぎる」
「それは僕も初日に説明を受けました」
治験にはある程度の危険が伴うという事は、最初に嫌というほど説明があった。実際誓約書のようなものも大量に記入した。
つまり何があっても自己責任だと念を押された訳だ。しかしだからこその日給が43000円なのだと納得していた。
「どうやら運が悪いことに、君に投薬されている薬は効力が弱いみたいだ。明日の分からでも上手くごまかして毒の方は飲まない方がよい。君はまだ若いのだから」
「はぁ」
男が変わらない笑みで突拍子もないことを言うので僕は生返事になってしまった。
「実は一昨日にも君と同じような状態の人がいてね。忠告したのだが・・・先ほど集中治療室の方へ運ばれていくのを見たんだ。君も気を付けなさい」
言い終えると男は立ち上がり病棟の方へと歩いて行ってしまった。
僕はただただポカンとしていた。変な人だなと思った。
夕食の時間はざっくりと決められているだけで、各々好きな時間に食堂へ行くことが出来る。
18時健康的な時間に健康的な夕食。配膳された薄味なおかずで白米を食べていると、他の治験参加者の話し声が聞こえてきた。
「今回は副作用が出るのが早くてキツイだろ」
「そんな事はないけどなぁ」
「603室の人、集中治療室に移動になったらしいぞ。俺たちも何もないといいがな・・・」
その時、僕は中庭で話し掛けてきた男の話を思い出した。
翌日、朝食と昼食の時にいつもよりもゆっくりと過ごしてみたが昨日の男は見つからなかった。
そしてその頃には、とりあえず今日の錠剤を飲むのは止めておこうと考えていた。
15時、いつもの看護師に注射を打たれる。
「あの、この注射ってどんな薬なんですか」
淡々と作業をする看護師は手を止めずに答える。
「参加者の方に詳細を伝えることは禁止されていますので」
そうこうしている間に体の中には薬が入る。
「こちらを飲んでください」
いつも通りに差し出されたコップと錠剤。
何の気なしに飲んでいた、毒。
「どうしましたか?」
看護師に促されて錠剤を口に含みコップの水を煽る。
ごくんと音を立てて水を飲み込むとコップを看護師に渡した。
確認を終えた看護師は、次の治験者の元へと足早に移動していった。
完全に見えなくなってから舌の裏側に隠しておいた錠剤を吐き出した。
その後、トイレに移動して錠剤は捨てた。
そして結局最終日までの3日間を同じようにして過ごした。
標題の件につき、下記の通りご報告いたします。
状況説明
今回の治験により603号室40代男性、528号室の20代男性が逝去
それぞれ治験薬と同時に投与していたシアン化合物中毒を発症、看護師立会いでの服薬を3日以上差し控えていた疑いあり。
早急な病理解剖よる原因の特定を進めておりーーーーーー
「畑中さん、お散歩ですか?天気がいいですからね」
中庭のベンチで談笑をしていた男に一人の看護師が穏やかに話掛けたきた。
「あぁ、柴田さん。天気がいいですね。もうお昼ご飯ですか?」
「そうですよ。みんな待ってますから一緒に病室に戻りましょうか」
そう言うと挨拶も早々に病棟へと男は歩いて行ってしまった。
「すみませんね。変なこと言われませんでしたか?シャンとして見えるけれど、精神疾患で長く入院してる方なんです・・・。何を言われても間に受けないでくださいね」
そうやってやんわりと忠告をしてくれた看護師の名札には中村と書いてあった。
実際の治験は安全に配慮されています。