挿話12 ルシアン・シュカ・ディルク・ラスシェングレの決断①
(別視点)
激しい風が吹いていた。
さっきまで驚き騒いでいた一群は、皇帝と皇妃が担架に乗せられて運ばれて行くのに従って姿を消し、その代わりに今、この場に残っているのは、職人的な目をした軍人と整備士たちだけだ。
そして、それを遠方から眺める少年、ルシアン・シュカ・ディルク・ラスシェングレである。
「なるほど、ここの機構がここと繋がって……」
「この部分の装甲はどうなっているんだ? 全く意味のないものに思えるが、ひょっとして……」
まるで倒れた巨人に群がる蟻、それとも童話風に小人たちと言ったほうが聞こえがいいだろうか。シェイドナムは彼らに大人気のようで、何よりだ。
宙に向けて寝かされたシェイドナムの、がらんどうになった胸部の装甲部分が、ぽっかりと空いたままになっている。その中に皇帝夫妻が囚われていることを、ルシアンはシェイドナムを発見した当初から知っていた。知っていてレジーナに告げなかったのは、特にその必要がなかったからだが、囚われた彼らの姿を思い返すと、妙に胸の辺りが重たくなる。その重みもまた、彼が口を開かずにいた理由のひとつだったかもしれない。
「──……、……」
さっきから、通信機が騒ぎ立てている。
ルシアンは表情を変えずに歩き、人目から十分な距離を取った。遠目に止まったままの航空母艦、対面には青い水平線。その海に向かって、ゆっくりと歩いていく。
風が強いので、銀色の髪が吹き乱される。耳元を押さえて、ルシアンは通信機に応答した。
銀河帝国皇城、玉座直結通信。
四大公爵家の当主だけが繋がる通信である。帝都陥落と共に、途切れたはずの通信だったが。
「──久しぶりだな、ルシアン」
「ヴァスラム卿」
粗い映像を通して見る叔父の姿は、以前より老けていた。
元から、どこかぼんやりとして覇気のない、痩せた男だったが、その目は落ち窪み、肌はかさついて、生気という生気が抜け落ちている。まるで、埋葬されてすぐに掘り出された墓場の死体のようだ。仄暗い皇城にいて、影に沈んで見えるせいもあるかもしれないが、それが一層、その凋落ぶりを際立たせていた。
彼の周りに人影はない。たった一人で、孤独な玉座を満たしているようだ。
ヴァスラムの残り寿命は一年に満たない、とルシアンは推測していたが、この分だと数週間も保たないかもしれない。
(盗っ人猛々しいと言うが、人の婚約者を盗むような男だ。その性根に相応しい落ちぶれ方じゃないか)
ルシアンは心中冷ややかに吐き捨て、絶対零度の眼差しで叔父を見た。
明るい青空の下、風に吹かれながら立つ少年は、その内心はどうあれ瑕一つない完璧な造形だ。
暗がりに潜む叔父は、その落ち窪んだ目をぎらぎらと光らせた。
「……ルシアン。お前は生まれた時から、裁判官みたいな子供だったよ」
そんな話をしている余裕があるのか、と思うが、叔父は思い出話をすることに決めたらしい。
「誰からも、何からも距離を取って、何事も関係ないという顔でただ、観察だけしていて。それが一番賢いやり方だと思っているのだろう? 確かに賢い。何かに夢中になったことなんか、一度たりともないんだろう。命と引き換えにする情熱など、冷え切った心のどこにもない。そういう者だけが、執事たちを従えられるんだ。私に言わせれば、人の心を持たないただの人非人だがな」
「……」
何やら悪しざまに罵られているようだが、残念なことに、ルシアンの心には一ミリたりとも響かなかった。
愚かな人間が吠えている、と思いながら、ルシアンはただ眉をそびやかした。
「人には情熱というものがあるんだ。無様でも、全ての生き物にはその熱を全うして、より良き生のために努力する必要がある。足掻く者こそが尊い。それが私の考えだ」
「皇妃殿下に、命を削るような風習は止めるように、と言われたそうですね。それで逆上したんですか?」
「……どこで、それを」
「皇城の中で起きた出来事など、どこにでも伝わっていると考えた方がいいかと。それで、どうなんですか」
「……私の努力を、誰にも否定はさせない。お前のような冷血に、私の想いが伝わるわけもないが」
「だったら、このやり取りそのものが無駄ですね」
「この造り物の、紛い物が!」
呪詛の声だけを残して、通信はぷつりと切れた。
「……」
何とも無駄な会話だった、とルシアンは思う。
これを、宣戦布告に類するもの、と見做してよいものだろうか。ルシアンはかつて、叔父のことを叔父とも思わず、何なら同じ人間とも思っていなかったが、今ではくっきりと、滅ぼすべき敵だと捉えている。
お互いに理解し合えない、理解するつもりもない相手。
(僕がただの観察者だと、本気で思っているのか)
苦笑いが洩れる。それはどちらかというと草臥れて、心の傷を重ねた大人の溜息に近かった。
それは、とても美しい物語のようにして始まった。
王子様のように綺麗な少年が、婚約者として引き合わされたお姫様に恋をした。
……それ以来、少年はずっと地獄の底にいる。




