第四十一話 思い出せずとも
記憶のない妾にとって、パパといえば、やはり総裁である。
実の父母との思い出は何一つ、かけらも思い出せぬ。だから、心の奥底で、ずっと一つの不安が滞留したまま消えることがなかった。
(記憶のない妾が、これから真の両親に再会したとして、心からパパとママと呼んで、慕えるのであろうか?)
何も覚えてはおらぬが、深く愛されてはいたはずじゃ、とは思う。
妾が行方不明になった時、母が半狂乱になって探してくれて、そのせいで敵につけ込まれたという話も聞いておる。
そう聞いて、罪悪感こそ覚えるのじゃが……薄情者にはなりとうない。出来れば思い出したい。じゃが、その名を聞いても一向に触発されぬ記憶、現実感のない呼称、それが今、本物となって妾の前に姿を現すかもしれぬ、となって、改めてその不安が突き付けられたのじゃ──
「御身は? 父上と母上のお身体は大丈夫なのか?!」
雅仁が吼えている。
妾、呆然とその姿を見上げて、それからマーシュ所長に視線を戻した。どこか縋るような表情が滲み出てしまったかもしれぬ。所長が苦笑いした。
「ご心配なく。衰弱はされているようですが、バイタルに問題はないという解析です」
「良かった……」
「地球防衛軍基地まで移送するようですが、そちらで到着をお待ちになられては?」
「そうしよう」
雅仁が頷き、妾の方に手を差し伸べてきた。
「行こう、リリス」
「お兄ちゃん……」
言えぬ。こんな不安は吐露できぬ。実の両親が危険な目に遭っているというのに、妾は素直に嘆くこともできないかもしれぬ。ひょっとして、妾は薄情なのかもしれぬ、などと言うことは。
お兄ちゃんの温かい手を掴むと、少しだけ、全身に張り詰めた緊張が解れるのを感じた。そのまま、地球防衛軍の専用車に乗って、共に基地まで移動する。
地球防衛軍の基地は、植民星の前線住居基地のように丸いドーム型の建物が連なっており、その周辺に大量の軍用機の発着場を備えている。海に向かって開けた土地に設けられた、広大な飛行場のようじゃ。シェイドナムの巨体はその発着場に降ろされることになったらしく、妾と雅仁たちが到着したのはタイミング良く、航空母艦が幾重にもワイヤーで固定したシェイドナムを積んで現れた、ちょうどその時であった。
風が強い。海から吹き付ける風に加え、航空母艦が大きな影を投げかけてくるその直下、立っていられぬほどの強風が吹く。雅仁がぎゅっと手を掴んでくれたお陰で、妾はなんとか倒れずに耐えられた。
「降ろします! ゆっくり! ゆっくり……」
ぽたぽたと滴る海水が、アスファルトに触れる側から蒸発して消えていく。
シェイドナムが地面に降ろされて、地球防衛軍の整備士たちが一斉にその周りに群がった。少し離れたところで、雨木副司令を含め、主立った司令塔的な連中が見守っているようだ。銀河帝国の者たちも、姿は見せずとも見守っているのであろう。
あちこちのロックが確かめられ、検分されて、やがて発見の声が上がった。
「ここです!」
「お二人とも一緒に押し込められているようです」
「脈拍、問題ありません」
胸元の装甲が剥がれ落ちるように開いていく。医師らしき人物も混じって、慌ただしく検分が続き、ゆっくりと二人分の担架に乗せられて、ようやく見えた。その姿が──
「パパ! ママ!」
妾、両親に思うような情を抱けぬかもしれぬと、ずっと不安に思っていたのじゃが。
その瞬間、驚くほど感情がほとばしった。
熱い。胸の中がいっぱいで、様々な感情が入り混じって、自分で自分が分からぬまま、とにかく衝動的に走り出した。一歩遅れて、お兄ちゃんが付き添うようについてきてくれているのじゃが、それもロクに認識していない。途中、副司令たちと同じように一歩引いて、見覚えのある銀色の髪の少年が見えた気がしたが、それもすぐさま視野から掻き消えた。妾、とにかく無我夢中であったのじゃ。
妾の前にいるのは、パパで、ママで、妾は今、それしか考えておらぬ。
「落ち着け、リリス。大丈夫だ。一緒に医務局へ行こう」
「お兄ちゃん……」
ぎゅっと肩を抱かれて引き留められて、妾はようやくその場に立ち止まった。立ち竦んだ足を押されるようにして、運ばれていく担架の少し後ろから、のろのろと付いていく。
医務局には大勢の医務官たちがごった返し、皇帝と皇妃は点滴管には繋がれたものの、健康状態には問題ありません、というお墨付きを得た。少し落ち着いて、寝台の側に膝をつき、医務室の真っ白いシーツの上に横たわる父と母を眺める。
「やっぱり、パパとママは美形じゃな……」
「何を言っているんだ、リリス」
セイレスお兄ちゃんが苦笑いしながら言う。
「俺もお前も、両親にそっくりだと言われているんだぞ」
「そうかな……」
本当に似ているじゃろうか? どこが? 妾は納得しきらんまま、じっと二人の顔を見つめた。やや青白く、疲労の影が浮かんでいるものの、造り物のように完璧で綺麗な顔じゃ。これが両親でなかったら、あまりに整い過ぎて近寄り難く感じていたであろう。
じゃが、これが妾のパパとママなのである。そう思うとつい、その整った鼻筋に、弧を描く眉に、妾とお兄ちゃんに似通った部分を探してしまう。
もはや不安はなかった。出来れば早く、その声が聞きたい。
「早く起きて、話して欲しいのじゃ……」
妾が呟くと、お兄ちゃんの手が、宥めるように妾の頭に触れた。ごく自然に、兄妹らしい親愛を滲ませて。妾も、もはやそれに違和感を感じることなく受け入れることができた。




