第五話 妾のストレス値:MAX
「はい、どうぞ。タコさんウィンナーですよ」
エルド教官の細面に咲き誇る、満開の笑み(ただし、両眼が包帯に覆われているものとする)。その隣で笑う、ピックに刺さった愛らしいタコさん。
裏切り者とは、かくも空気を読まないものなのか……
一見、微笑ましい状況に見えるかもしれぬが、相手が悪い。悪すぎるのじゃ……なにせ、只者ではない。笑顔のくせに醸し出す圧が重たすぎて、さっきから、妾の全身が小刻みに震えておる。脅かされた生存本能というやつじゃ。
無論、こやつは妾に圧を掛けている自覚など無かろう。人馴れせぬ野良猫でも相手に、「さあ、もっと食べなさい」と慈悲深く微笑みかけているつもりかもしれぬ。
しかもこれは、ルシアン少年のお茶の卓を半ば以上占領しての暴挙である(なお無許可)。こやつ、無自覚の強者ムーブをかましすぎじゃな? 純白のテーブルクロスの上にお弁当箱を広げ、握り飯と麦茶の水筒まで添えて、まるで良妻のような振る舞いじゃが、向かいのルシアンがどんな顔をしているか一顧だにしない辺り、気配りや配慮など皆無。ええい、周りを見よ! 妾でも、もっと人に気を遣って生きておるぞ!
「……」
ルシアンは一見変わらず、向かいに座って優雅に紅茶を嗜んでおるが、その白皙の顔は完璧に見えて完璧ではない。ほんの僅か、妾ぐらいしか気付かぬレベルじゃが、微細な歪みが眉間の辺りに生じておる。これはそのうち、千の執事を呼ばれてしまうのではないか?
妾の部下たちは、仲良しこよしとは程遠い奴らばかりじゃ。積極的に喧嘩を売り合っているわけではないが、円滑な人間関係を築こうとする意思は皆無である。それなりの理由があれば、いつだって殺し合いに転じるであろう。そういうところは悪の組織にふさわしいのかもしれぬが、妾は止めたい。何故なら、こやつらが本気で戦えば、片付いたばかりの部屋はぐちゃぐちゃになるか、下手をすれば灰燼に帰すであろうからじゃ。
その結果、賠償金を払わされるのは誰か? 妾じゃ!
(くっ、何とかせねば。妾がこの場を収めねばならんのじゃ)
「……良いか、無名殿」
妾はタコさんウィンナーから目を逸らし、コホンと喉の調子を整えた。
今、ここで必要なものは何か。
それは、威厳じゃ。
強圧に負けず、動じることのない真の威厳とはいかなるものか、こやつに見せつけてやるべきであろう。
妾が従うべき強者であると、じっくりくっきり、骨の髄まで染むように感じさせるのじゃ。
……足りぬ戦闘力をハッタリで誤魔化そうとしている? ふっ! それは敢えて触れんでもよい事実じゃ!
「妾は欠食児童ではないのじゃぞ。お主は失念しておるようじゃが、妾は誇り高き悪の組織ジャンガリアンの最高幹部、世に恐怖を振り撒く黒の女王レジーナじゃ! 傅け! さもなくば、無力に慄くがよい!」
ズオオオーン!
効果音が流れる。
妾の腕の中で、ジョーカーが何かのスイッチをポチポチと押している。妾の足元と背後に、黒薔薇の花弁が散り、幻影の花が咲き乱れた。流石は妾の参謀、タイミングは絶妙。良い子の皆は、「そういう演出……?」などと言ってはいかん。
黒く長い睫毛を見せ付けるように瞬きして、見下すように、くいっと顎を持ち上げたポーズで宣う。
「膝を突け! 妾は女王であるぞ!」
(決まった!)
妾の身長では、この場にいる誰のことも見下せてはおらんのじゃが、それは今気にするところではない。これはちょっとしたカジュアルな挨拶のようなものじゃからな。本番(?)では問題ない。悪の組織は高いところに陣取るのが好きなもの。妾も常々、場所取りには気を使っておるからの。
ともあれ、妾は強者だけが醸し出せる最大限の威圧と、ツンツンしたのじゃロリの魅力を余すところなく分からせてやった、はずなのじゃが……
「おお~」
じゃから!
立ち上がったミーアキャットを見て喜ぶ観光客のような反応をするでない!
携帯のカメラを向けるな! しかもそれ、見たこともないような古い型の携帯ではないか! そんな遺物めいたブツ、一体どこで見つけてきたというのじゃ。本当に読めない、食えない男じゃの……
「立派に育ちましたね、レジーナ……感無量です。これはしっかり、永久保存アルバムに収めておきましょう」
「お主が育てたような顔をするでない! 育てられておらん! それに勝手に撮るな! いい加減にせんと、肖像権侵害で訴えるからの!」
「そうですか……ふふ、分かりました。私も一緒に写るとしましょう」
「何ひとつ分かってはおらんではないか。意味不明じゃぞ」
会話が成り立たんぞ、こやつ。
うっすらと気が遠くなりながら、妾は一瞬、思ったのじゃが……包帯を巻かれていても分かる、全面笑顔でピースサインの教官と、悪の組織の「のじゃロリ」幹部のツーショット。正義の味方どもに送り付けてやったら、嫌がらせになるじゃろうか。それか、エルド教官が記憶を取り戻してから新聞社に売るというのはどうじゃ……
「……」
微かに、背筋に寒気が走った。
何故か分からんが、妾にとっても自爆行為になる予感しかせぬ。やはり、こやつに深入りするべきではない……
「……何とも微笑ましいやり取りですね」
上辺だけは物柔らかな美声が響いた。
その声に釣られて、妾は目を上げて向かいのルシアンを見たのじゃが……ぴぎゃっ?!
「……っ」
危うく、奇怪な叫び声を洩らすところじゃった。両手で口を慌てて塞ぐ。
…………目を合わせたルシアンは、全くの無表情じゃった。
美形ショタの完全無表情、というものを見たことがあるかの? 恐らく、一生知らぬ方が幸せじゃろう。
視線を合わせた瞬間、バチッ!と火花が散ったような気がしたのじゃ。
「……ルシアン?」
「まるで幼稚舎のお遊戯のようですね。大層お可愛らしい。しかし、この歳になってお花畑に付き合う趣味はありませんので、僕は先に行かせて頂きますね」
ふっと冷たい笑みを閃かせると、ルシアンが部屋を出て行く。
その背中は何というか……「孤高のショタ」とでも言うべきか、それとも「暗黒微笑ショタ」と言うべきか……
「……」
ちょっと現実逃避気味に考える。
何故なら、妾は「キイッ」と歯ぎしりしたい気分だからじゃ。ハンカチがあれば、型通りに噛んでいたかもしれん。
(妾を幼稚園児、もしくは花畑呼ばわりしおったな?! 誰のせいで、誰のせいで……! 妾がこんなに気を遣う羽目になっておると思っておるのじゃ! 険悪な空気にしたのは、お主とエルド教官ではないか)
地団駄踏みたいが、踏まない。妾はロリに見えてロリではない、精神的には立派な大人だからである。扱いにくい部下どもに手を焼いていても、子供っぽく喚き散らしたりはせんのじゃ。
「ふむ。時間切れですか。では、ピクニックは現場に着いてから続行しましょうね」
にこやかに弁当を包みだす教官。
「……くだらん雑事に右往左往する、志なき者どもめ。お前たちに割く時間が惜しい、さっさと戦場に赴け。俺にもっと試し切りをさせろ」
高尚な殺人鬼みたいな発言をかます剣豪。
「レジーナ様。すでに十五分の遅刻です」
無感情なガラスの瞳を光らせるぬいぐるみ参謀。
あーーーもう~~~!!!
お前ら、全員好き勝手に生きておるな?!!!
いい加減にしろ! 休暇を寄越せ! 給金を上げよ! 妾をこれ以上、精神的に疲れさせるでない!!(地団駄)