第四話 裏切り者が目の前にいて、何故誰も気付かないのじゃ?
「おや。これはこれは、随分と綺麗になって。ふふ、見違えるようですね」
カツ、と靴音が響いて、柔らかに響く低音がその場に入り込んで来た。
陶磁器のカップを優雅に取り上げたルシアンの手が、ほんの一瞬じゃが、ぴくりと震えて止まった。じゃが、まるで顔には表さず、表情が一ミリも変わらぬのは流石クール系……とでもいうべきかの?
妾もぴくりとした。
ここで、ルシアンを見習ってポーカーフェイスで押し通せば良かったのかもしれぬが。妾は別段、クール系というわけではないし目指してもおらん。顔いっぱいに不平不満を表して、戸口の方を振り向いた。
声の主をジト目で睨む。
(こやつ、妾より後に登場しおって……)
まるで主人公か、ラスボスのようではないか。
何様だと思っておるのか。この世界の主人公は妾じゃぞ?!
……ん? 何故、そんなに堂々と「主人公は妾じゃ」と言い切れるのかと? こんなに濃い面子しかいない世界で? 何故って、この世界の訳の分からなさ、意味不明さに気が付いて、たとえ心の中だけだとしても突っ込みを入れられるのは、この世に妾一人だけじゃからの。これはきっと、主人公の特権に決まっておる!
今だってそうじゃ。
妾だけじゃ。妾だけが気付いておる。
遅れて入ってきた男は長身痩躯、歳の頃は恐らく二十代後半。威圧感を感じさせない飄々とした態度で、一見、優しげなお兄さんといった感じなのじゃが、妾は知っておる。
この男の名は、朽葉エルド。
(あやつらの「先生」だった男じゃ……)
あやつら、つまり、我々悪の組織と敵対しておるヒーローたち。まだぴよぴよのヒヨっ子だった彼らを徹底的に鍛え、立派に育て上げた教導役がこやつじゃ。
常にニコニコとして、何を考えているのか分からん男じゃった。
初期の頃は、ヒーローたちが叩きのめされるたびにぬっと現れて、特に殺意もなく周囲を蹴散らしては、彼らを回収して帰っていくのが常であった。細面に揺るがぬ笑み、まるで本気を出しておらんのにビシビシと伝わってくる強者オーラ……色んな意味で、我ら悪の組織の下っ端たちの心に消えない悪夢を植え付けた御仁である。
妾もこやつは苦手じゃった。面と向かって、「おや、小さなお嬢さん。そろそろお家に帰りなさい、親御さんが心配しますよ」と言われたこともあるしな(それも、本気で心配している語調で)
それが、数ヶ月前のこと。大混戦の最中、爆発に巻き込まれて姿を消したのじゃ。
それはもう、ヒーロー側も一般人も大騒ぎじゃ。
「教官、死す───!」
みたいな号外が飛び交っておった。
敵味方を大勢巻き込んだ爆発で、色んなものが「跡形もなく」なってしまったらしく、エルド教官の死は疑いようもない、らしかった。教官が身に付けていた服の切れ端を握り締めて、ヒーローどもが泣いておった。それは確かに、涙を誘う展開ではあったがのう……
妾はずっと、疑問に思っていたのじゃ。
あやつが、そう簡単にくたばるかのう?
というか、復活フラグが立ちまくりであったしの?!
お約束もお約束じゃ!
(絶対、そのうちしれっと現れるのじゃ。何故か数倍パワーアップしてな!)
確信に近い気持ちで、そう思っておった妾なのじゃが、そのエルド教官が記憶喪失の末、我ら悪の組織側に就職してくるとは、流石に予見できなんだ……
しかも、誰も教官の正体に気付いておらぬ。
(どう見ても、別人で済ませられる域を超えておるじゃろう?!)
今のエルド教官は、両眼の上に包帯を巻いておるのじゃ。恐らく、爆発に巻き込まれた際に負傷したのであろう、目を見開くことが出来ないらしい。違いと言えばそれだけじゃ。それだけで、誰も彼も別人と思って疑わない。その包帯は変身ヒロインの仮面かの?!
しかも、両眼が塞がっておるというのに本人はまるで困っておらん。真の達人は心眼で全て見極めることが出来るらしいというが……本当かのう?! 実際、全て見えているかのように振る舞っているし、立ち居振る舞いはかつてと何も変わらん。物にぶつかるところも見たことがないのじゃが。
(無理じゃ……妾は認められぬ。こやつは敵、しかも裏切り者なのじゃぞ)
どうせ、そのうち記憶が蘇って、ヒーロー側に寝返るに決まっておる。そこそこ最終盤でな! そんな男と仲良くして、付け込まれて、挙げ句の果てに背中からバッサリ斬られるとか、想像しただけでもたまったものではない。絶対に回避したい未来じゃ。裏切りそうな男はセイラン一人で十分、妾の手に余っておるしな。
「レジーナ。……………レジーナ?」
「……はっ!」
気が付くと、エルド教官──いや、今は「無名」を名乗っておる。厨二病かの?──がひょろりとした長身を屈めて、妾の顔を覗き込んでおった。ま、またしても背後を取られた……この男は気配を消すのに長けていて、いつでもふいっと接近してくるのじゃ。こ、怖い……怖くなぞない! 妾は震えてなどおらんぞ!
「顔色が悪いのではないですか、レジーナ? ご飯はきちんと食べましたか?」
「ご飯?! それは勿論……いや、お主、妾のお母さんかの?!」
過剰な反応だとは分かっておるが、飛び上がって距離を取りつつ、噛み付くように言い返してしまう。
エルド教官は困ったような笑みを浮かべつつ(「反抗期かな?」みたいな雰囲気を醸し出すのは止めて欲しいのじゃ)、
「お弁当を作ってきたんですよ。お仕事の前に、きちんと栄養を摂っておかなくては。レジーナの嫌いなものは入れていませんから、安心して下さいね。美味しく食べてくれるのが一番ですから」
……まるで、千年前から妾のお母さんをやっているような態度ではないか。
そうやって、ヒーローたちのことも懐柔、洗脳、取り込み、挙げ句の果てに調教したのであろう?
妾は絶対、絶対騙されんからの!!