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挿話6 マーシュ・ディル・ディルク・ラスシェングレの覚書①

(別視点)





「ヴァスラム卿が?」


 ルシアンの声は平静だった。


 ただ事実を確認しているだけの、平坦な声だ。


 その白皙の顔にも、影も動揺も見当たらない。最近はあまり眠っていないようだし、身体の疲労は降り積もっているはずだが、それを表すサインはどこにもない。


(元々の耐久値が高いんだよな。だから、一度無理をすると、止める事もなくどこまでも続けてしまう)


 俺は生まれつきの天才でなくて良かった、と思うのはこんな時だ。




 マーシュ・ディル・ディルク・ラスシェングレ。二十一歳。星間生命体の研究者をしている。年齢よりは老けていて、身なりを構わないせいか、無精髭によれよれの白衣という、いかにも研究室篭りの人間にふさわしい姿をしている。猫背気味で伏せた顔を覗き込めば、その目が想像以上に澄んだ青色をしていること、ぼさぼさの髪も元々は銀の絹糸めいた艶を持っていたことが推察できるのだが、パッと見には分からないだろう。見た目も態度も、まるで世捨て人である。


 そんな彼は、ラスシェングレ家の三男として生まれ、末弟のルシアンとの間には四人の弟がいる。いや、いた、と言うべきか。彼の兄たちも、ルシアン以外の弟たちも、皆死んだか、死んだも同然の状態にあるからだ。



(酷い一族に生まれたもんだ)



 画面の向こう側、遥かに離れた星からの通信を送ってきている、ヨレヨレの兄の姿を見ても睫毛一本動かさず、冷ややかな碧眼でこちらを見ているルシアンを見つめ返しながら、そう思う。


 あんな地獄で、揺らがず生きていけるなんて、それこそ異常な人間しかいない。人はそれを天才というのだろうが、化け物の一種ではないか。


 そう思っていたから、ルシアンがレジーナ皇女と関わるようになって、少しずつ表情を緩めるようになった時は衝撃を受けた。皇女に何か飛び抜けたところがあったとか、特殊だったというわけではない。その逆だ。


(こいつも、普通の少年だったんだな)


 そう思えたのだ。


 妙な感動すらあった。人造の生き物が、温かい血の通った人間だと判明したかのような。


(でも、今は、前より酷いよな)


 少しずつ芽吹いていったはずの熱は、今は大絶滅時代を迎えた星のように死滅している。ルシアンは完全に笑わなくなり、その代わりに常に仮面めいた表情を貼り付けるようになった。むしろ、無表情の方がまだマシなんだが? 自分の顔面が、そういう表情だと更に破壊力を増すってことを分かって欲しいんだが?



 そう思っているが、言わない。末弟は怖いヤツなのである。マーシュは余計な藪蛇はつつきたくない。


「まあ、状況証拠的に、ヴァスラム叔父の犯行以外ありえないよな。動機は山ほどあるし」

「動機。どんな?」

「お前が分からないはずないだろう。何を聞き返してるんだ」

「兄上の口から改めて聞きたい。客観的に見ておきたい」


 淡々とした末弟の返しに、(そういえば、こいつ、一度たりともヴァスラム叔父を「叔父上」と呼んだことがないな)とマーシュは思った。


 無意識の選別だろう。


 今は「兄上」と呼ばれているマーシュは安泰だと思われる。今のところは。


 ルシアンは、ごく自然に、息を吸うのと同じように人を切り捨てるのである。それが威厳のある壮年の貴族とかならまだしも、容姿のそこここに幼さを残した少年なものだから、余計にその酷薄さが際立つ。


(成長したらどうなるんだろう、こいつ。超美形の銀髪で冷酷な権力者とか、間違いなく小説の悪役だろ)


 末弟の行く手に一抹の不安を抱きつつ、マーシュは鳥の巣のようになった頭を掻いて、言葉を吐き出した。


「ヴァスラム叔父は、諦めるということを知らない御仁だ。普通、少し寿命を捧げて契約できなかったら諦めるのに、寿命の五十年も突っ込んで足掻くとか、尋常の神経じゃない。何が叔父上をそこまでさせるんだろうな」

「飛び抜けて愚かなだけでしょう。全ての悪の源泉は愚かさだ」

「お前には同情心ってものがないのか?」


 そうマーシュに言わせたのは、哀れみだろう。


 五十年の寿命を捧げて、なおかつ契約できなかった。それでいて、発狂死もしていない。そう聞き知って、心底驚いたものだ。あまりに非常識な内容だったから、それを知った一族の面々も皆、どんな顔をしていいのか分からなかったようだ。幾ら「努力家」と言っても、突き抜けすぎている。


 だって、それが事実なら、叔父はもうじき死ぬだろう。


 元々長生きとは言えないラスシェングレ家の血である。叔父の年齢を見ても、あと数年、生きられるか疑わしい。


 あっさり狂死した親族たちの方が、じりじりと追い詰められないだけマシだったんじゃないのか?


「同情? 自他の力量をわきまえられず、勝ち目のない戦いを挑むのは努力とも言えない。悲劇的ではありますね」


(そう言いながら、自分も無謀なことに手を染めてるじゃねえか)


 マーシュは無言の抗議を込めて、弟を見つめた。


 ラスシェングレ家の最悪なところは、代々、この一族があまりに自己中心的で、他人を思い遣る心を搭載しない人間ばかりを輩出してきたところだ。その心根にふさわしい存在が釣れてしまった、というべきか。「執事たち」は、契約者が契約外の振舞いをすると、厳しく寿命を取り立てる。そしてその契約に、「自分以外の誰かのために行動する」という項目は含まれていないのである。


 ルシアンはすでに、自分以外の存在のために、何度も力を使っている。


 その代償が少なくないことを、マーシュははっきりと知っているのである。


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