第二十二話 カタカナの方が穏当に思えるのは何故じゃ
「立て。はよう、机に戻るのじゃ。命令じゃぞ!」
「はっ」
切羽詰まった声で上げた命令は、きちんと果たされた。
ジョーカーは床から身を起こして、短い四肢を動かしてよちよちと机に這い登った。それを見守って、妾はほっと息をついた。
(やはり、後でぬいぐるみ掃除スプレーを使うべきじゃな)
これは、部下にぬいぐるみを持つ者でなければ体験することがない苦労であろう。……いや、そもそも何故、ジョーカーはぬいぐるみなのじゃ?
呪いか何かに掛かっておる、という話は聞いておったが、もはや、生まれつきぬいぐるみでした、みたいな顔をしているので、深く追及することを忘れておったのじゃ。
(疑問に思うことが多すぎて、頭がついていかなかった。そうとしか言えないのじゃ……)
今も、さっぱり理解できぬ、分からぬことだらけじゃ。
(一つずつ、解き明かしていくしかないか)
幸い、今は少しだけ時間がある。
小康状態、というべきであろうか。
あの戦いの後、セイランはどこかにしょっ引かれていった。拘束を決めたのはエルド教官じゃが、護送機体という名の怪しげな巨大装甲車に詰め込まれ、重金製のアームでガッチリと囲われて、悪の組織本部へ送還と相なった。もはや、銀河帝国の賞金首か、凶悪殺人犯でも捕らえたかのような扱いじゃ。
その上で、今、我々は総裁の処断待ちじゃ。何しろ、仲間割れしかしておらんかった割には、事態が大きく動いておるからな。妾はまだ見ておらんが、報道局も新聞社もさぞかし大騒ぎになっておろう。
(何を書き立てておるのか、想像するだに怖いのじゃが……)
本部が賑やかなことになっておる反面、妾の周りは静まり返っておる。側にいるのはジョーカーだけ。エルド教官も総裁のもとに行っておるらしいし、周囲に聞かれたくない話をするには、今こそ絶好の機会と言えるじゃろう。
今しかない、というべきか。
思わず、眉間に皺を寄せる妾の前で、ジョーカーの真面目くさった声が続いている。
「あれは暗い、嵐の夜でございました」
(どこかで聞いたことがあるような出だしじゃのう)
「銀河帝国皇帝、隼生・アスクム・ジェス・アヴァルティーダ陛下と、コノハ・ユディール・ジェス・アヴァルティーダ皇妃との間に、第二子レジーナ・ジェス・アヴァルディータ皇女がお生まれになったのは。地球から一時帰国なさっていた雅仁・セイレス・ジェス・アヴァルティーダ殿下もとてもお喜びで。帝国皇族の特徴である銀髪ではなく、鮮やかな金髪を持ってお生まれになりましたが、誰もそれを惜しむことはなく、かえって『金色の妖精のようだ』とお喜びで」
「一息に妾が理解できぬ情報をつぎ込むのは止めてもらえるかのう?!」
妾は頭を抱えた。
皇族の名前が長い! のは、百歩譲って、そういうものだと飲み込むとしよう。
妾、すぐに覚えられる気がしないのじゃが……いや、「雅仁」とか「隼生」とかだけで良くないか? となると、妾は「リリス」であるはずじゃが……今、こやつは妾を「レジーナ・ジェス・アヴァルティーダ」と呼んだな?
「『リリス』はどこへ行ったのじゃ」
「皇族の第一名は、物心ついてからご自分で名乗られるものです。雅仁様も、地球で好んで視聴していたヒーロー番組の主人公の名をもじって付けられたとか」
ヒーロー物の世界で放送されているヒーロー物を好んで視聴するヒーローか。紛らわしいのう。
「もともと、地球にお忍びで通うことが多かった銀河帝国皇族が、現地で通用する名前をつけ、それが流行りとなって、そのうち伝統となったと聞いています。今の雅仁様は堂々とご身分を明かして地球の高校に通っておられますが、それまでは表立って銀河帝国人を名乗られることはなかったゆえに」
「なるほど」
「レジーナ様の第一名も、雅仁様の薦めで、同じ番組から採られたとか。漢字で表すと『莉理珠』です」
「ひえっ」
思わぬキラキラ感に、思わぬダメージを受けた妾である。
「……これからもカタカナでお願いするぞ」
「かしこまりました」
知らぬところで、順調に黒歴史ゲージが積み上がっておる気がする。そのことは深く考えないようにして、妾は別の疑問を追及することにした。
「妾が金髪じゃった、というのはどういうことじゃ? 妾はこの通り、黒髪じゃぞ?」
高く結い上げたツインテールの尻尾の先をつまんでみせる。漆黒の黒じゃ。
「その事情は後でお話しますが、実を言えば、その話にはまだ解明されていない点が幾つもございまして」
「そうか……あと、気になるのじゃが、雅仁は茶色の髪をしておるじゃろう? 銀河帝国皇族は銀髪、と言っておらんかったか?」
「あれは変装です。あの方は地球でお育ちになりましたので、周囲からあまり浮かぬようにと、真の色を隠しておられるようですね」
「そうなのか……」
ヒーロー物でよくあるお約束のひとつ、真の力が開放されると髪の色が明るくなる、という設定の裏をなぞったかのような状況じゃな。
いつか、セイレスお兄ちゃんも、生まれつきの銀髪を披露しちゃったりするのじゃろうか……たぶん最終盤辺りで。と考えて、妾はハッとした。
(妾は雅仁を「セイレスお兄ちゃん」と親のつけた名前で認識していて、雅仁は妾を、自分のつけた名前で認識しておるというわけじゃな)
そう考えると、いかにも辻褄が合うような気がして、すんなり納得してしまう自分がいる。妾、何の記憶もないはずじゃが、実は無意識に覚えているのかのう? それはそれで奇妙な気がして、落ち着かないのじゃが……
「我が一族は、代々、帝国皇族の第二子を傅育する役割を拝命しております。私の母は不幸にして子を失いましたので、代わりにレジーナ様の養育に没頭し、私も僭越ながら、レジーナ様の生まれた時より兄のように関わらせて頂いておりました。レジーナ様は私のことを『ジョーカーお兄ちゃん』と呼んでおいでで」
(第二の兄が現れたぞ……)
「レジーナ様は幼いながらも利発なお方でしたが、お化けに対する恐怖だけはどうにも克服できないようで、夜中に私を起こしては、『ジョーカーお兄ちゃん、一緒に厠に行って欲しいのじゃ』と強請られるのが常でした」
「えっ」
「『寂しいから今夜は一緒に寝て欲しいのじゃ』と仰られることも常で。恥ずかしいのか、『今日だけじゃからな! 妾はもう大人じゃから、今日だけ特別に言っておるのじゃ!』と仰られたり」
「まままま待てジョーカー」
「どうぞジョーカーお兄ちゃん、とお呼び下さい」
「ぬいぐるみの顔でキリッとするでない!」
妾、首から上が沸騰したかのようである。滅茶苦茶赤い。いたたまれないにも程がある。
そんな妾の気も知らず、ジョーカーは淡々とした口調で繰り返しおった。
「どうぞジョーカーお兄ちゃん、と」
「ひえっ……」




