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テレビの下の1982


 全員、無言で食べ進める。

 釜めし器は本当に冷めない。

 冷めないということは――逃げ場がないということだった。

 真平が箸を置きかけて、また動かす。

 温度が落ちないせいで、食べる速度が自分の意志として露骨に出る。

 怠けられない。

「……あのさ」

 真平が低い声で言った。

「器が熱いって、こんなに精神に来るんだな」

 沙羅が眉をひそめる。

「分かる。ずっと戦場の温度」

 琴美が勝った顔で言う。

「ほらね。昭和魂は温度なのよ」

「魂を器で語るな」

 沙羅のツッコミが今日も正確だ。

 勇馬は真顔で釜めし器の縁を見つめている。

「温度保持、優秀です……この厚み、この陶器の密度……」

 巫鈴が静かに鞄を開けた。

 出したのは、細い棒状の――料理用温度計。

 全員が同時に固まった。

「……は?」

 萌香が声を裏返す。

「ちょ、何それ、持ち歩いてんの!?」

 巫鈴は平然と答える。

「実験です。熱量は数値化できます」

「数値化するな! 部活でやることじゃない!」

 真平が悲鳴に近い声を出したが、巫鈴は止まらない。

 器の縁に温度計をそっと当てる。

 顔色ひとつ変えずに呟く。

「……まだ六十度台。通常の丼では、この時間で四十度台まで落ちます」

 沙羅が目を細める。

「巫鈴、そこまで言うならもう黙って食え」

 巫鈴は一口食べてから言った。

「はい。黙って食べています」

「言うな!」

 ズーハンが笑う。

「計測勢、ナイス。運営泣くやつ」

「運営って言うな!」

 真平のツッコミが追いつかない。

 萌香はスマホを構え、ドヤ顔で囁く。

「よし……この釜めし器シチューの証拠、撮る……!」

 ――パッ。

 画面が白く曇った。

「……え?」

 もう一回。

 ――パッ。

 また曇る。

「うそ、何これ!」

 萌香がスマホを振る。

 だが曇りは取れない。湯気がレンズを執拗に攻めてくる。

 琴美が笑う。

「昭和、撮影拒否してくるのよ」

 真平が呻く。

「最悪のオカルトはやめろ……ただの湯気だろ……」

 美優がふわっと手を差し出した。

「えへへ……これで拭いたらどうですか~?」

 ハンカチ。

 萌香が受け取って拭く。

 拭いた瞬間また曇る。

「無限ループ!」

 シャオが青い顔で言う。

「パォ……呪い……」

 沙羅が即座に刺す。

「呪いじゃない。物理」

 しかし、その物理が一番怖い時もある。


 やがて、器の底が見えてきた。

 デミグラスの艶が残り、陶器の熱がまだ生きている。

 真平がスプーンで最後の一線をさらう。

 その瞬間――動きが止まった。

「……来た」

 沙羅が嫌そうに言う。

「何が」

 真平は、釜めし器の底を指差した。

 白い点。

 米粒が、ひとつ。

 堂々としている。

 まるで「俺は釜めしの魂だ」と言わんばかりに。

 萌香が声を失う。

「……は?」

 ズーハンが短く言う。

「残機」

 琴美が天を仰ぐ。

「釜めし器の記憶が残ってる……!」

 沙羅が拳で額を押さえる。

「だから魂って言うな」

 巫鈴が淡々と米粒を観察する。

「釜めし器を使用する以上、精神的同一性が残存するのは自然です」

「自然じゃない!」

 真平が叫ぶ。

 美優がその米粒を見て、なぜか嬉しそうに言った。

「かわいい……」

「かわいくない!!」

 ツッコミが重なった。

 萌香が、半泣きでスマホを構える。

「この米粒だけは撮らせて! 釜めし器の証拠!」

 ――パッ。

 また曇る。

「やめろ! 昭和が撮影拒否してる!」

「だからオカルト化すんな!」

 真平が頭を抱えた。


 そこへ、コトン。

 白いカップが九つ。

 受け皿付き。

 小さな銀色のスプーン。

 ホットコーヒー。

 この流れで、ちゃんとしたコーヒー。

 真平が低い声で言った。

「……追撃、来た」

 沙羅がため息をつく。

「この店、落とす手順が完成してる」

 萌香が一口飲んで、表情が死ぬ。

「……粉っぽくない」

 ズーハンが短く言う。

「本物?」

 巫鈴が一口飲む。

 眉がほんの少しだけ動く。

「……インスタントではありません」

 琴美が机を叩く。

「なんでこの店で!」

 おばちゃんが通りがかりに、淡々と事実だけ言った。

「うちはね、コーヒーもちゃんとしてるよ」

 真平がカップを見つめたまま呟く。

「釜めし器で殴って、コーヒーで撫でるな」

 沙羅が即座に頷く。

「分かる。屈辱なのに機嫌良くなる」

 美優がにこにこする。

「えへへ……おいしい……」

 シャオが小声。

「パォ……こわい……でも……おいしい……」

 萌香が、悔しそうに言った。

「負けたのに気分いいの、最悪……」

 ズーハンが笑う。

「GG。気持ちよく負けるやつ」

「負けをゲームにするな!」

 真平のツッコミがもう息切れしている。


 真平がカップを置いて、静かに言った。

「……来るぞ」

 琴美が即答。

「プリンね」

 沙羅が渋い顔。

「固いやつね」

 巫鈴が淡々。

「銀皿、苦カラメル」

 萌香が半泣き。

「やめて! 言うな! 来る!」

 ズーハンが短く。

「ラスボス」

 コトン。

 銀の皿が九枚。

 固いプリンが九つ。

 カラメルが黒くて苦い。

 全員、一口。

 ――沈黙。

 固い。

 苦い。

 正しい。

 そして、うまい。

 萌香が、ついに崩れた。

「……ごめん。盛ってると思ってた。全部ほんとだった……」

 巫鈴が淡々と結論を出す。

「観測完了。真実性、確認」

 真平が机に突っ伏す。

「確認って言葉が、今日だけで軽くなりすぎた……」

 琴美が勝ち誇った顔で言う。

「これが昭和よ。噛み応えで黙らせる」

 沙羅が呆れて笑う。

「プリンで黙らせるって、最悪の説得」

 おばちゃんが去り際に、さらっと追撃を置いていく。

「プリンはね……火曜は固いよ」

 ――沈黙。

 真平が声にならない声で言った。

「……曜日で固さ変わるの、やめろ……」

 巫鈴が真顔で言う。

「条件差の可能性はあります。次回、水曜で再検証」

「やめろ! 実験続行すんな!」

 萌香が慌ててスマホを構える。

「待って待って、固さの差を検証するなら、動画要る!」

 ――パッ。

 また曇る。

「なんで!!」

 美優がにこにこしながら言った。

「えへへ……湯気、強いですね~」

 ズーハンが頷く。

「運営、ガチ」

 沙羅が机に突っ伏して言う。

「もうやだ……この店、こっちの負け方まで管理してる……」

 琴美が立ち上がり、拳を握る。

「――よし。昭和食堂、追跡開始よ! 次は水曜!」

 真平は心の中でだけ叫んだ。

(やめろ。

 釜めし器で殴って、プリンで仕留める店を、習慣にするな)

 プリンまで完食して、全員の戦意が溶けたころ。

 シャオだけが、まだ元気だった。

 というより――こういう場所に入ると、好奇心が勝つタイプだ。

 店内は狭い。

 狭いのに情報が多い。

 壁の短冊、傾いた時計、湯気、油、そしてテレビ。

 テレビは再放送を垂れ流していた。

 音量は小さいのに、存在感は強い。

 シャオはそのテレビの下にある棚にしゃがみ込んだ。

 雑誌、古新聞、誰が読むのか分からない週刊誌――

 昭和食堂にはだいたいこういう何かがある。

「……パォ?」

 シャオの声が、いつもより小さくて、妙に真剣だった。

「何?」

 琴美が反応する。

 シャオは棚から、分厚い雑誌を一冊引き抜いた。

 背表紙が擦れて、紙が少し黄ばんでいる。

 表紙のロゴは、あまりにも強い。

『週刊少年ジャンプ』

 しかも、かなり古い。

 シャオは首を傾げて、表紙を見つめたまま言った。

「パォ?このドラゴンボール……悟空いません」

 全員の動きが止まった。

「は?」

 萌香が一番早く立ち上がり、スマホを構える。

「ちょ、見せて!」

 沙羅も椅子から身を乗り出す。

「悟空いないってどういうこと」

 真平が嫌そうに言う。

「また店の世界観が壊れるやつだろ……」

 シャオが雑誌をテーブルに持ってくる。

 ドン、と置かれた瞬間、紙の匂いがふっと立った。

 インクと古本の匂い。部室にはない匂い。

 全員が覗き込む。

 たしかに、ドラゴンボールっぽい何かがある。

 でも――悟空ではない。

 勇馬が眼鏡を押し上げ、秒で結論を出した。

「……これはドクタースランプです」

「ドクタースランプ?」

 琴美が目を丸くする。

「ドラゴンボールじゃなくて?」

「同じ鳥山明先生です。ドラゴンボールの前の作品です」

 真平が低い声で言った。

「昭和の鳥山明は、悟空じゃなくてアラレちゃんの世界線か……」

 萌香がページをめくる。

 指先が自然に慎重になる。

 この店では、紙一枚めくるのも儀式みたいに重い。

「うわ……紙、硬……」

 萌香が言った瞬間、沙羅が即ツッコむ。

「プリンと同じカテゴリに入れるな」

 萌香はページの隅を見て、ふと止まった。

「……んっ?」

 目が細くなる。

 そして、数字を読み上げる声が、急に現実の温度になる。

「……1982年って……」

 ――空気が、一段冷えた。

 琴美がゆっくり顔を上げる。

「1982……昭和……何年?」

 巫鈴が何の間もなく答える。

「昭和五十七年です」

「やめろ」

 真平が反射で言った。

「その即答、やめろ。怖い」

 ズーハンが雑誌を覗き込み、短く言う。

「ガチの古いやつ?」

 勇馬がページの広告欄を見て、真面目に頷く。

「値段表記、電話番号の桁、紙質……本物です」

 沙羅が顔をしかめる。

「……なんで、こんなもんが普通にテレビの下にあるの」

 美優がふわっと笑う。

「えへへ……お客さん、読むのかな……?」

 その普通の感想が、逆に怖い。

 萌香が言葉を失いながらページをめくる。

 そこには、知らない漫画、知らない広告、知らない時代。

 そして――知ってるはずのジャンプなのに、知らない。

 シャオがもう一回、ぽつりと言った。

「パォ……悟空、いない……」

 真平が乾いた声で呟く。

「……この店、飯で黙らせたあと、時間で殴ってくる」

 琴美が、釜めし器の余熱が残るスプーンを握りながら言った。

「最悪……最高……」

 沙羅が即座に切る。

「最高って言うな」

 巫鈴は雑誌の発行日を指でなぞり、静かに結論を落とした。

「……この店は、保存が異常に良い。

 食品だけでなく、時間も保存している可能性があります」

「オカルトに寄せるな!」

 真平が叫んだ。

 だが。

 叫んでも、ジャンプの紙の匂いは消えない。

 1982年のインクは、確かにここにある。

 そのとき、奥から声。

「コーヒー、おかわりいる?」

 おばちゃんの声は、いつも通りだった。

 この店では、時間のズレすら日常扱いだ。

 全員が、同時に思った。

(――この店、やっぱり怖い)

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