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SS・掌編小説 その他・純文学

昨日の無い男・明日の無い女

作者: 空クラ

短編です。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。



 強烈な喉の渇きを覚え目を醒ますと、僕の隣では女が小さく寝息をたてていた。

 肘を立て上半身を持ち上げるとベッドが軋み、女の白い背中があらわになる。

 朝陽を淡く遮るカーテンの向こうで神経症的に雀が何か鳴き続けていた。


 僕は女を起こさぬようにベッドから抜け出し、ひとまず冷蔵庫に向かい真っ新なミネラルウォータを取り出した。

 キャップを外しそのまま口をつけると、一気に500mlの量を飲みほした。

 喉は潤ったものの、体の重たさは増した気がした。


 あらためて自分の格好を確認し、軽く溜め息をつく。

 ジーンズに厚手の無地のシャツを着ていた。

 この格好のまま寝ていたらしい。

 通りで体がだるいはずだ。

 熱いシャワーと温いシャワーを交互に浴び、髭を剃り終えると幾分体が軽くなった気がした。

 電気ポットで湯を沸かし、ダージリンを入れる。

 スプーンで掻き混ぜながら、時間をかけて紅茶を飲んだ。


 壁に掛られている時計の日付を見る。

 それから膨らんだシーツが軽く上下しているのを見て、さてどうしようか、とようやく頭が動きはじめた僕は考えた。

 彼女が起きる前にクリアしなければならない問題がいくつかある。

 『いったい、ベッドで寝ている女性は、誰なのだろう?』

 確かめた訳じゃないが多分、女性には間違いがないだろう。

 いくら泥酔した所で男を自分の部屋に連れこむ事はないはずだ。

 それに起きた時にみたあの背中は女性のものに違いないと確信している。


 それともうひとつ。


 『昨日、僕はなにをしていたのだろう?』

 昨日の事がなにひとつ思い出せなかった。フィルムを映画の上映時間の関係で切り落とされ編集されたみたいに、すっぱりそこの部分が切り落とされていた。

 一昨日の事は分かるのだ。

 仕事を終え、少しばかりネットに繋ぎ、若い作家が書いた読みかけの小説を寝転びながら読み、そのまま寝てしまった。

 そして気が付けば隣で女の子が寝ていて、なぜか一日が消失しているのだ。

 もう一度、時計の日付に目をやるが間違いなく一日が過ぎている。

 たとえ時計が潰れていたとしても僕のベッドに女の子いる理由が分からない。

 つまり失われた一日の間に彼女と会った事になる。

 それらの問題をどうクリアするか、答えが出ないまま彼女は目を醒まし、こちらを見た。

 そして「おはよう」と彼女は僕に挨拶した。


 彼女は僕が入れた紅茶を飲んで、ボサボサの髪を手櫛でといた。

 僕は正直に、昨日の事が思い出せないと切り出そうとすると、彼女は「ねぇ」と遮るようにいった。

 「お腹すいたんだけど、あなたはもう朝ごはん食べたの?」

 「いや、朝は食べないんだ」

 僕は戸惑いながらいった。

「そう。でもわたしはお腹がすいてるのよ。物凄く。わたしが自分で何か作ってもいいけど、ここはあなたの場所だから」

 そういって彼女は僕を見つめた。

 「……わかった。何か作るよ」

 「ありがとう。あなたならそういうと思ったわ」

 彼女は嬉しそうにいった。


 僕はコンロにフライパンをかけ、熱した所で胡麻油を入れた。

 三枚のベーコンに赤いパプリカを刻み、フライパンに落とす。

 ある程度火が通ってから研いだ卵を流し込み、昨日の残りご飯をそこに入れる。

 手早く、ご飯を切るように炒め、塩、胡椒をまぶし、最後に醤油を鍋に添わすようにして匂いをつけた。

 そしてお皿に盛り付けて終了。


 彼女は一口食べて「美味しい」といった。

 「三つある得意料理のひとつなんだ」

 君はいったい誰なんだと、切り出すタイミングをはかりながら僕はとりあえず話をした。

 「残り二つは?」

 「和風パスタにインスタント焼きそば」

 「インスタント?」

 「そう。お湯を切るタイミングが上手いんだ。それに野菜を蓋に付けずに作る事が出来る」

 彼女は唇の端を軽く持ち上げた。それが彼女の笑い方だった。

 そして彼女は良く食べた。

 冷凍用に少し多目に炊いたご飯を全部使ったのに、三杯おかわりをして彼女は全て平らげてしまった。

 「ねえ。わたしの事、良く食べる女だなって思ってるでしょ」

 おかわりが無くなった事を告げると彼女はそういった。

 「正直思ってるね。きっと君の胃はハラペコ王国の人々に『繋がって』いるんだ。だからいくら食べても『満足しない』」

 「なによそれ」

 「さあ。自分で言っていてもわからない」

 「へんな人ね」

 彼女はクスと笑い、僕は肩をすくめて見せた。

 それから僕は本題に入るために姿勢を正した。

 「ねえ。なんと言っていいのか、正直僕は、君とどうやって接したらいいのか戸惑ってるんだ」

 「どうして?」

 彼女は首を傾げる。

 「失礼を承知で言わせてもらうけど、実は思い出せないんだ。昨日の事が、そして君のことも。だからこうやって君が『ここ』にいて、僕が作った料理を食べている事に上手く馴染めないんだ」

 彼女は僕をじっと観察するようにみた。

 長いあいだ、ティーパックに沈黙を入れてお湯に溶かしたみたいな空気が流れた。

 その沈黙が空気に行き渡ったころ彼女は、ふぅ、と細い吐息を吐き「そう……」といった。

 「本当に申し訳ないとおもう」

 こういうとき僕はどうすれば良いのか分からなかった。

 だから僕は頭を下げた。

 「あなたがわたしをここに連れて来たのよ」彼女は小さい声でいった。

 「そうなのかもしれない。いや、多分そうなんだろう」

 「きっとでも多分でもなく、そうなのよ」

 彼女がうつむく。

 「ねえ。教えてくれないかな? 昨日、僕たちはどこで出会い、どうして家にくる事になったのか」

 「……嫌よ」

 彼女は首をふる。

 「たしかに僕は失礼だと思う。部屋に呼んでおいて、知らないから教えてくれなんてマナーに反する。でも、このままじゃ落ち着かないんだ。飲みに行った記憶も無ければ、昨日どこで知り合ったのかも分からない人とこうやって同じ部屋にいるんだ」

 しかし彼女は「いいじゃない。もう過ぎた日の事なんて。それよりこれからの事を話し合いましょ」といった。

 「これからって……、どういうこと?」

 「私たちの事よ。これからずっと『ここ』にいるんだから、ふたりのルールをつくらなきゃいけないでしょ。

 「ちょっと待ってよ。君は『ここ』に住むもりなの?」

 「そうよ。あなたがわたしを呼び寄せたのよ」

 僕は途方にくれ、部屋を見渡した。

 

 そしてある事に気付いた。

 ここは僕の部屋じゃなかった。

 どこがどう違うのか上手く分からないが、確かに違うのだ。

 物の質感が、流れる空気が。

 

 「ここは……」


 どこだ?


 彼女は僕の意思を読み取ったように口を開いた。

 「心配しなくても大丈夫。ここは私たち自身の世界よ」

 彼女の姿がぼやけていた。

 そして徐々に僕の感覚が拡散していくように感じられた。


 どういうこと? いったい何をいっている?


 「いい。わたしのいう事をよく聞いて。あなたはいま混乱してるだけなの。直になれるわ、ここの場所に。そしてこの場所があなたにとっての理想郷だと知ることになる。

 決して孤独感や喪失感を感じる事はないのよ、ここにいれば。ここはあなたが望んだ世界なんだから」

 

 いったい、何が起こったんだ?


 「あなたの実体はここにいないのよ。ここにいるのはあなた自身じゃない。もっと別の何かなの」


 いったい、どう、いう、事?


 「わたしにもうまく説明出来ないわ。でもはっきりしてるのは、あなたはもっと別の場所で生きているのよ。

そしてわたしも別の場所で生きている。

 わたしたちは決して完璧には出会えない場所で生きているの。

 そうね、いうなら鏡の中のようなもの。

 同じ世界にいるように感じるけどそこには絶対的に近づけない隔たりがある」


 イッ、た、い、コレ、は……?


 「でも、誰かと繋がっていたい。みんなそんな気持ちを多かれ少なかれ持ってるのね。そんな弱さがネットや携帯に依存させている。みんな『繋がりたや』さんなのよ。

 不安なのよ。自分はひとりぼっちなんじゃないかって考えるのが。

 でもね、行き着くところまで行けば、みんなひとりなの。そう理解するのが怖いのよ。

 だから考えようともしない。見ようともしない。

 でもあなたは違う。

 誰もがひとりだと知ってる。ひとりじゃないと思ってる人間も、気付かないように目を瞑っている人間だけだとしっている。

 それでもあなたは繋がりたがっている。強くね。その反面繋がる事を畏れもしている。

 繋がりは一時的、もしくは部分的なものでしかないから。

 その事に目を閉じて生きていけたら、こんな辛い思いもしなかったかもしれない。

 

 あなたはそう考える。

 でもあなたは目を開けてしまった。気付いてしまった。

 あなたは怖かったの。不安だったの。そしてどこか諦めもしたのよ、その事に。

 みんなどうして気付かないんだ。声をあげて叫びたいのよ。

 みんなひとりなんだ。

 恋人がいても友達がいてもネットで繋がっていても、結局ひとりなんだとね。

 決して、同じように分かりあえないんだと。

 そしてあなたはとうとう叫んだの。

 昨日の晩に。小説を読み終えた後に。

 僕をひとりにしないでって」


 キ………、ノ、ウ。


 「その叫びにわたしが同調したのよ。

 ああ。ここにわたしと同じような人がいるって。ずっと孤独で無器用な人なんだって感じとったの。

 そうしたら、ものすごい強い引力でわたしはここに運ばれてきた。

 あなたがわたしを呼んだの。ひとりは嫌だとね。

 いい。ここはあなたが作った世界よ。

 そこにわたしは取り込まれてしまった。

 ここにいればあなたの過去はどんどん消えていく。ここでは必要ないものだからね。

 そしてわたしの未来も同様になくなっていく。

 それは別にどうでもいいの。わたしもあなたと同じだから。

 ここにいればわたしは孤独も喪失も感じなくてすむ。

 あなたが望むなら、ここで私たちはずっと一緒にいることが出来る。一時的でも部分的でもなく、完全に。

 孤独も喪失も不安定さもない、この世界に」


 ヒ………、ト、リジャナ、イ?


 「ええ。何も考えなくてもいいの。完璧でカオスで汚されることはない世界。私たちの桃源郷」


 か、考エ、ナく、て、も、イイ?


 「そう。何かを求めて辛くなる事もない。失う事もない。すべてここにそろってる」


 求め、ル、事もナ、い?

 

 じゃあ、求め、ていた僕は、どこにい、るの?


 「わたしと同じになるの。わたしとあなたは一つになるのよ。それが完璧なものなの。孤独感も喪失感も不安定もない本当の姿なの」


 僕は、ぼく、だ。君じゃ、ない。


 「いいの? 独立した意思、肉体を持つということは結局どうあがいても孤独から抜け出すことは出来ないのよ。それが分かってるの」


 ぼやけていた視界が晴れはじめ、拡散していた意識が一束に集まり出す。

 彼女が目の前にいた。


 「いい。人は孤独なものよ。でも運がよければ一時的、もしくは部分的に繋がる事は出来る。そしてまた、あなたはいづれ喪失感を味わうの。それでもいいのね」

 

 孤独や喪失も嫌だが、僕が僕でなくなるのも嫌だ。

 僕は彼女の言葉に頷く。

 彼女の姿が消え、部屋が粒子になる。そして再び変わらない世界が構築されていく。


 僕には分かった。失われた一日が今から始まる事に。ここはもう歪な世界に戻ってしまった事を。


 そう思うと、いつまでもやまない雨の音を聞いたような、心の揺れか僕の体を満たした。

 不安なのか期待なのかよくわからない感情が溢れてきて僕はどうしていいか分からなかった。

「おはよう」と僕は誰もいない部屋に声をかけた。

 言葉は虚しく空気を振るわし、波紋を拡げていった。

 胸を締め付けられたような苦しさから逃れるように、僕はカーテンを引き開け空気を入れた。


End



 感想など頂けたら嬉しいです。

 執筆の励みになります。

 また他にも色々ショートショートをアップしています。

 よろしければ読んでみてください。

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