まもなく落ちる砦を守る将軍ですが、兵士達に「お前たちは逃げろ」と言ったらマジで逃げやがりました
私はワルーン・フォルテ。
30歳の時、フェリス王国が誇るアンセル砦の守備を任されて以来15年、この砦で敵と戦い続けてきた。
“難攻不落”とも呼ばれたこの砦だが、敵国に攻め続けられ、今や残る兵士は50人程度。援軍の見込みもない。次、大規模な攻勢があったらとても耐えられないだろう。
敗北を悟った私は、全兵士を砦の大広間に呼んだ。
「諸君!」
私は続ける。
「このアンセル砦はまもなく落ちる……私は砦と運命を共にするつもりだが、お前たちにそれを強制するつもりはない。お前たちは逃げろ!!!」
言った瞬間、私は我ながらかっこいいと思ってしまった。
部下を逃し、砦を最後まで守る将軍、まさに理想の将軍である。
これを聞いた兵士たちは当然口々に――
「本当ですか!?」
「じゃあ逃げます!」
「今までお世話になりました!」
え?
何かがおかしいぞ。
「では善は急げと言いますし!」
「敵が来ないうちに!」
「失礼します!」
いや、ちょっと待て。ここは普通「我々もお供します!」ってなる流れじゃないのかよ。
せめて少しは迷え。
そうこうしてるうちに、どんどん兵士達がいなくなっていく。水の入った容器から栓を抜いた時のような勢いだ。決断が早いって。
「お、おい!」
私が呼び止めると、最後尾の兵士が立ち止まる。
「なんです?」
「あ、いや……達者でな」
「はいっ!」
最後の一人も出て行ってしまった。
別に風など吹いていないが、ヒュウウという風の音が聞こえる。
マジかよ、なんて薄情な奴らだ。
そりゃあ、誰だって死ぬのは怖いし、命は大事だろうさ。
だけどほら、国への忠誠心とか、私への義理とか、色々あるじゃん。
フツー逃げないって。最低でもそこそこは迷って、私に「馬鹿者、下らぬ感傷で命を捨てるな!」とか言われてやっと逃げるじゃん。
全員一致団結で即撤退って……あんまりすぎるよ、お前たち。
肩を落としつつ、私は司令室に戻った。
***
司令室で半ばやさぐれた気持ちで、私は椅子に座る。
「くそっ、逃げた奴らめ。絶対化けて出てやるからな」
恨み言を吐きつつ、私は将軍生活に思いを巡らせる。
15年、色々あったなぁ。
砦を守ったり、砦に立てこもったり、砦でメシ食ったり……って全部砦関連じゃねえか!
思えば、砦に全てを捧げた半生だった。おかげで結婚もできなかったし。なんつう武骨すぎる人生だよ。
そうだ、いっそ私も逃げるか。
だってたった一人残ってたって意味ないし、かといって私は将軍職だから敵に捕まったらまず首を斬られるだろう。斬られて、「あのアンセル砦の将軍の首取ったぞ!」ってなもんだ。
意地張ってたって仕方ない。さっさとこんな砦は捨てて、私も第二の人生を歩もう。蓄えはあるし、どこか田舎で、慎ましく暮らすんだ。あ、できれば嫁さんも欲しい。砦のような逞しい嫁さんがいいなぁ。
そうと決まれば、砦は捨てよう。
ただし、15年共に過ごした砦だ。愛着もある。敵はまだ攻めてこないようだし、最後に砦を一通り見回してから行くとしようか。
***
まずは食堂。
テーブルがいくつも並び、キッチンもある。
砦内の兵士はここで食事をすることになる。
いつもワイワイガヤガヤと賑やかな場所だったが、今は一人もいない。
食堂勤めの女たちも、敵の進撃が本格化する前に砦から避難させた。
いつも元気だった食堂のおばちゃん、元気にしてるかな。「ウチのバカ息子が」が口癖だったけど、息子さんを戦争で亡くしてなきゃいいけど。
食堂を出て、訓練所に向かう。
平和な時は刀剣を始めとした武器が飾られ、いつも兵士同士で訓練や試合をしていた。
もっとも今は誰もいないし、武器も全て戦争で消耗してしまった。
私が「誰か私と試合をしないか? 日頃の恨みを晴らすいいチャンスだぞ!」と冗談交じりで言ったら、大勢が手を挙げたのをよく覚えている。
ちなみに私はその後、ボコボコにされた。ホントに痛かったよ、あれは。どんだけ恨み溜まってたんだよ。
いくら恨みがあったところで、普通将軍をボコボコにしないだろ。忖度って言葉を知らないのかよ。
全くふざけた部下どもだった。
そんな部下も続く戦でどんどん倒れ、残った奴らも逃げて、ついに私一人になってしまったが。
砦を出て、敷地内の庭を歩く。
今の季節は春。武骨な砦といえども木々が生い茂り、なんてことはなく、木が一本立ってるだけ。見てても風流な気分になんかちっともならない。
だけど、15年も過ごすと、さすがになぁ。
たとえこの砦が落ちても、この木が燃やされるのは勘弁して欲しい。
敵軍に木は燃やさないで下さいと手紙をしたためておくかなぁ。
***
一通り、砦を回って、司令室に戻った。
あとは身支度を整え、私も逃げるだけだが……。
「やっぱり、この砦を見捨てるわけにはいかんよな」
私は逃げるのをやめることにした。
15年も一緒に過ごした砦、これはもはや嫁といっても過言じゃない。
部下たちに言った通り、この砦と運命を共にしてやる。
私はそう決めた。
こう決心したら、不思議と楽しい気分になった。
そうと決まれば、やることがある。
デスクの中にあるスケベ本である。とりあえずこれは燃やしておかなければ。後で敵軍にこれを発見でもされたら、あの世でまた死ぬことになりかねない。
最後の記念にスケベ本を一通り見終わってから、それを燃やしていると――
「将軍!!!」
声をかけられた。
心臓が喉から飛び出るほどビビった。
「誰だ!?」
私が振り向くと、そこには――
逃げたはずの兵士達がいた。
「なんで……?」
「我々も長年この砦を守ってきましたし、やっぱり最後はこの砦で迎えたいと思いまして!」
兵士たちが笑っている。
「将軍もどうせ最初は逃げようと思ったけど、砦のことを思い返しているうちに逃げるのやめようとしたんでしょう?」
「うぐっ!」
見てたのかよってぐらい正確に当てられた。
「で、デスクの中に隠していた秘蔵のスケベ本を処分してたと」
スケベ本もバレてたのかよ。マジかよ、死にたい。
しかし、こんな戦いに部下を巻き添えにするわけにもいかない。
「お前たちは逃げろ。アンセル砦は我が妻の如き砦、殉ずるのは私だけで十分だ」
兵士の一人が言った。
「それは違います!」
「!」
「砦が将軍の妻ならば、我々は砦の子です。最後までお供させて下さい!」
兵士らが、口々に残ることを告げる。
私も説得を試みるが、聞き入れるつもりはないようだ。
時間もない。私は説得を諦めた。
「分かった……。ならば、私はどうすればいい?」
「我々に……最後のご命令を!」
まっすぐに私を見据える兵士らの目に、私もまっすぐに答える。
「うむ、分かった……」
私は深呼吸し、目をつぶり、目を見開いた。
そこには50人の勇士の姿があった。この世のどんな部隊よりも勇敢な男たちだ。
「聞け諸君! このアンセル砦は建築されて以来、フェリス王国の要害として敵の進軍を阻み続けてきた! 我が国を脅かす賊如きに、この砦を明け渡すわけにはいかん!」
私は続ける。
「どうか、この砦のために戦って欲しい! この砦を守り抜いて欲しい! 命を賭して、敵軍を追い払うのだ!!!」
歓声が上がる。
私は涙を流しそうになるのをぐっとこらえた。
今から戦いという時に将が涙を見せてはならない。
少しして、敵軍の姿が見えた。
軍備を整えた数千という軍団がこの砦に迫っている。
なのに、怖くはなかった。絶望はなかった。勝てる気さえした。
奴らに向かって私は叫ぶ。
「来るなら来い! ワルーン・フォルテの名に懸けて、アンセル砦の“難攻不落”の伝説は終わらせはせんぞォォォォォ!!!」
***
300年もの月日が流れた。
アンセル砦はまだ現存していた。
フェリス王国は今ではフェリス共和国と名を変え、戦争もすっかりなくなり、太平の時を迎えている。
もちろん、そこに至るまでには多くの血が流れたことは言うまでもない。
そして毎年春になると、ここで一つの催しが行われる。
演劇『将軍ワルーンと50人の勇者たち』の上演である。
将軍ワルーン最後の戦いは、砦を落とされこそしたものの、その奮戦ぶりから敵軍にさえ賞賛されるほどのものだった。
そして、その勇敢な物語は小説となり、演劇となり、漫画となり、映画となり――今や国という垣根を越えて世界中の人々に愛されている。
歴史上は敗者に過ぎないワルーンだが、彼の名は300年経った今でも歴史に深く刻まれているのだ。
ワルーンを演じる俳優が、凛々しい声で兵士たちに最後の命令を下す。
「アンセル砦は落とさせんぞ! 戦え、50人の勇者たちよ!」
その勇ましさに観客たちは魅了されている。
風が吹いた。砦の外にそびえる樹齢300年を越える大樹が、どこか嬉しそうに枝を揺らした。
完
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