終末カプセル
それはまるで、隣に立っているかのようだった。
――ついにこの日が来たんだね。
五十年以上連れ添った私の夫。今聞こえている声は、私の記憶よりも若干老けこんでいるような気がする。でもそののんびりした語り口は変わらない。
何度となく祝った結婚記念日も、最後のほうにはちょっとマンネリしていたけれど、それが私たちだとも思った。サプライズとか派手な演出なんて得意じゃないし、私たちには似合わない。ゆっくり、のんびり二人で歩いてきた。
――僕が言うのもなんだけど、なんだか寂しいねぇ。
こんなときまでなんだかとぼけたようなことを言っている。何言ってんの、って言い返したくなる。あぁ、これはまさしく私の夫の言葉だ。
長いような短いような人生。私は今、その幕引きのときにいる。ここまで来たらもう大団円と言っていいんだろう。天寿を全うするとはまさにこのこと。それくらいには十分に生きたという実感がある。
それでも人は必ず後悔するのだという。自分が死ぬというそのときになって、これまでの人生の何かを。
――君は真面目だからねぇ。
どこか間延びした、捉えどころのない話し方。それは夫の癖であり、優しさでもある。
――だからね、僕はこのときが来たら、君がちゃあんと息を抜いて迎えを待てるように、と思ってこれを残したんだよ。
ふふ、とこぼれるように笑う声までも、まるで本当に隣にいるようで。私は逆に息が詰まりそうだった。
一足早くお迎えが来た夫は、今ごろ天国でこんな風に穏やかに過ごしているんだろうか。
終末カプセル。それは先立つ者が遺る者へと残す、最後のメッセージだ。ビデオのようなものではなくて、AIが搭載されたカプセルに本人の意思を反映させて遺しておく。再生されると、まるでそのときまで生きた本人のような声で、本人が語りそうな言葉を紡ぐ。なぜそんな造りになっているのか。それはこのカプセルの言葉を聞くのは、遺った者の死期が訪れたときだから。まるでその瞬間まで添い遂げたように語るものだから。
――もっとゆっくりしてきてもよかったんだよ?僕は君に会えて嬉しいけれどね。
どれほどの情報を入れこんであったのか。その言葉はまさに今ここで夫に言われているかのように感じる。もう目を閉じているはずなのに、涙があふれてきそうな気分。
このまま、本当のお迎えが来たら。私は夫の腕の中へ飛びこんで、永遠の安らぎを得るんだろうか。
――こっちへ来たら、君ものんびりするといい。なぁに、怖くなんかないさ。僕が君を迷わせるわけないだろう。いの一番に迎えるよ。
優しい夫は、こんなときにまで的確に、私が欲しい言葉をくれる。
あぁ、本当に。これで本当に私はこの人と添い遂げたといえるのだろう。
人生を閉じることに未練などない。私の魂をいれていたこの身体という器は、少し古くなりすぎた。もう休ませてやらねばならない。幸いなことに、この国では死んだ人間の身体は火葬される。灰と煙になって、この大いなる母なる星へ還るのだ。
――あんまり慌てて転ばないように。ゆっくりゆっくり来るんだよ。
まるで子どもに言い聞かせるような言葉に、私は最後にふふ、と笑ってすべての息を吐いた。