1-6 毒猿
白波が腰に佩いた剣を抜剣して『出来損ないの妖精獣』の剛腕を斬り飛ばした。
銀の体毛に覆われた肉厚の腕が宙を舞い、大地に鈍い音を立てて落ちる。
一瞬の静寂の後、怪物は取り乱すこともなく遠吠えをあげた。
「RORORORORORORORORO」
頭脳体であるゾンビが奇声をあげると腕の断面から血が噴き出し、なんと小さな腕が生えはじめた。
小さな腕は徐々に筋量を増して厚くなり、銀の体毛が生えて、僅か数秒で腕がほとんど再生した。
脅威的な再生能力に白波は訝しむ。なぜなら毒猿は高速再生など持たない魔獣だ。当然ゾンビも。
「別々のモノをただくっつけただけじゃない。能力も付け足されているってことか」
『出来損ないの妖精獣』という名の通り、元は妖精獣を目指して開発された生物兵器と白波は聞いていた。おそらくはパッチワークのように次々と付け足されているのだろう。
なので次の現象もさほど驚かなかった。
「“霜の柱”」
魔獣が北方民族が使う魔術を唱えると冷気と氷の粒が生じて瞬く間に丸太のごとき氷柱が十本以上も生成されていく。そして生成が完了すると凄まじい速度で白波へ射出された。
受ければひとたまりもないのは見ればわかる。
だが切り捨てるにしても柱が長いため両断するよりも早く白波を串刺しにするだろう。
ゆえに騎士は回避を選択した。
先ほどの毒猿の斬撃を避けたように豪速で迫る合計十六本の氷柱をまるで霧がすり抜けるように躱しきる。霜の柱は白波の後方の大地を抉って轟音と共に地面に突き刺さり、その衝撃で遠くの鳥たちが羽ばたいて逃げた。
「次はこっちの──ぐぅ!?」
白波の鉄靴が凍結し地面に縫い付けられていた。
のみならず兜も鎧も氷に覆われていく。
「これは、まさか!?」
原因は避けたはずの氷柱。十六の氷柱に込められていた魔力が爆発し絶対零度に近い凍気をばら撒いたのだ。
瞬く間に白波の肉も血も凍てついた。死の凍気が命あるものを壊死させんとさらに覆っていく。
あらゆる生命は凍結に勝てない。
だが白波もまた、まともな生命ではない。
肉の焼ける匂いがした。
「『霜の柱』にこんな効果があるなんて聞いてなかった……だが、それでも!」
意を決すると白い鎧の内側から赤黒い炎が沸き上がり総身を覆う凍気を押しのけていく。
それらは凍土と化した地面を焦がし、凍てつく大気を焼き、攻撃的な念をばら撒いて空間を冒し始めた。
肉の焼ける匂いが肉の焦げる匂いへ変わる。
夏の森林に現れた氷漬けの空間のさらに内側で、地獄の火焔が渦巻いている。その主は血濡れ火に包まれながらも兜の奥で揺らがぬ狂気を宿した目を爛々と輝かせた。
「俺はもう負けない」
生き物ならばもう全身が炭化しているはずなのに、火だるまになった騎士は力強く大地を踏みつけた。
命令しか聞きつけないはずの怪物が戦慄の声を上げる。その声の意味するところは理解できた──なぜお前は死なないのだと。
白波は失笑した──なんたる皮肉。許し難い無知。
こいつが本来の世界で何を害していたのかすら知らなかったと見える。
「化物が……死なないのがそんなに珍しいかよ。お前のご主人様がなにを信奉しているのか忘れたのか?」
『出来損ないの妖精獣』を作った邪教集団──『終世教』はとある存在を信奉していた。
それは古代において天から来訪した『悪意ある血塊』より生まれた降臨者。
それは現代において西方の死の大地に王朝を築いた吸血種。
すなわち『血鬼』である。
白波はその末席を穢す者だった。
ヴァンピレスとしては若いため不死性は低いが焼死に対しては強い耐性を持つゆえに『血濡れ火』では死なない。
白波の総身を焼く獄炎が背中に流れていき、炎色が神聖な純白へと変化する。まるで白いマントか、白い波のように炎がたなびいていた。
「お前は塵も残さない」
神々しさと熱さとは全く逆の凍えるような抹殺宣言。
白炎光背がさらに火力を増し、ジェット推進を得た騎体が突進する。
「────────」
魔獣と騎士が衝突すると同時、解き放たれた白炎が失明するほどの爆光と天地を揺るがす大爆発を引き起こし、魔獣を細胞の欠片すら残さず消滅させる。周囲に散らばっていた死体や血、武具なども巻き込まれて蒸発するか吹き飛んだ。
眩い光がやんだ後、残っていたのは巨大なクレーターとその中心に立つ白い騎士だけだった。
「が、ががぎぃ……まだ……だ!」
全身鎧の中身が蒸発した白波はヴァンピレス特有の再生能力でなんとか肉体を再構築できたが、残っていた生命力が底をついて死の淵を彷徨う。
だがまだだ、まだ終われぬという鋼の意思が彼を現世に繋ぎとめていた。彼にはまだ倒せねばならない敵と救わねばならない人、そして解かねばならない謎がある。
頼りない足取りで一歩、また一歩と孤児院へと続く地下階段を歩く。
肉体の再生は遅々として進まず、剥き出しの神経が武具とこすれるたびに魂が砕かれそうなほどの激痛を脳髄へと叩き込んでくる。
それでも前の世界──滅んだ世界を歩くことに比べればこの程度大したことないだろと己を叱咤して進む。
「俺は……今度こそ世界を滅ぼさせない……!」
それが白波の決意だった。
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