1-2 森へ
アズレールはAzure + el
「なーにが英雄だ!」
帝都について調査団に入ろうとしたカインであったが断られた。
労働経験なしの箱入りである。前提として実務経験が要求される調査団の仕事に加わることはできなかった。そんなの最初から書いておけとカインは愚痴ったが調査団側もあの条件で貴族のボンボンが来るなど想定していなかったのだ。
調査団に加われるかどうかは素寒貧のカインにとって死活問題である。もう路銀もなく頼るあてもないためなんとかしてくださいと受付嬢に泣きついていたところを通りがかった調査キャラバンの隊長に拾われて荷物持ちとして調査団に参加したのだった。
「おら、荷物持ちのカイン! 訳分からんことを叫んでないで早くついてこい」
「アンベン隊長ォ! 6人分も持ってるのにホイホイついていけないですよ!」
「飯も金もねえお前を前金で入れてやったんだからそれくらいは役に立て」
置いていかれつつあるカインはくっそーと悔し気に呻いた。
家の方針で鍛えられてはいたから荷物を持つことは苦ではない。
だが慣れない森の道では歩調が安定せず一人だけ遅れていた。
「隊長……流石に荷物を半分くらいにした方が……」
「いいや駄目だルー。今回の調査内容はどうもヤバイ気がする。最悪を考えると体力は温存すべきだ」
「今回の調査内容といってもこの森の調査でしたっけ? そんなにヤバイとは思えませんが」
「先日、その森の周辺にある村が野盗に襲われて家畜や食料、若い女が奪われたらしい」
「よくある話ですね」
聞き耳を立てていたカインはぞっとした。
ある日突然襲われて何もかも奪われる。そんな恐ろしいことが彼らからすると日常茶飯事なのだと。
自分がどれだけ恵まれた環境にいたのかも分かり、少しだけ故郷を思う。
「だが野盗たちにとって最大の不幸はそこが特産品を作らせてる農村で、領主が視察に来ていたことだ。領主は無事だったらしいが今回の依頼を出させた」
「じゃあ偽装依頼ということですか? 南の森には野盗の巣窟があって連中と戦えと?」
「いいや調査自体は偽装じゃねえ。未開拓地帯だから開拓が可能かどうかの調査も兼ねての斥候だよ。もし盗賊を発見して討伐すれば件の領主はさらに金を払うと言っている」
「戦うのは得意ではないのですが……村を襲ったってことは盗賊たちってそれなりの数なのでしょう?」
メンバーは隊長のアンベン。学者のルーとランド。護衛のアルバスとその弟のポーン。魔術師のレイル。そして荷物持ちのカイン。このうちルーとランドは戦闘員ではない。
レイルの魔術による支援と他のメンバーで連携して戦えば野獣や魔獣程度ならよほどのことがない限りは狩ることができるだろう。問題は盗賊たちの人数だ。獣と違い知性がある人を相手にする以上、相手の数が多ければ撤退する必要がある。
そしてもう一つ隊長の説明には抜けている点があり、横からポーンが隊長を問いかけた。
「盗賊だけじゃなくてよ……後ろにいる天使教の連中はなんなんだ?」
ポーンの親指で背中を差す。少し離れた後方に武具に身を包んだ騎士たちが数名ほどついてきていた。騎士たちが歩くたびに足の鉄靴をカシャン、カシャンと鳴らしており、そんなのが数人いるから騒々しい。盗賊や獣に位置を教えるようなものだろう。
とはいえ「ついてくるな」とも「あっちへいけ」とも命令できない。
真鍮と鉄でできた武具は黄金の翼を象ったような意匠だった。
それが意味するところは天使教の守護騎士である。
「知るか。今回の調査に同行するって聞かねえんだよ」
「もしも盗賊と戦いになった時はきゃつらを支援した方がよいか」
天使教とは『青空の神エルドゥ』とその眷属である天使──純白の羽が付いた人間『アズレール』を崇拝する宗教である。
古代の西部で信仰されていた天使教は百数十年前にガルプ帝国に入ってきて今では国教となり多くの分野で『力』を持っている。権力。財力。発言力。そして武力。危険の多いこの時代、信徒を守るという名目で教会は独自に騎士団を持ち、卓越した技量を持つ者を揃えている。それが背後にいる守護騎士たちだ。一人一人が翼の刻印が押された立派な武具を装備しており教会の権力と資金の潤沢さを物語っている。
「勝手についてきたんだ。助けてやる義理はねえ。だが連中に死なれて教会に目をつけられても厄介だから余裕があればってところだな。まあ、どっちにしろ迷惑な話だぜ」
アンベンが嫌そうな顔をして舌打ちする。過去に教会と何かあったのだろうかとカインが察したとき、先頭を歩いていたアルバスが右手を上げて静止を促した。アルバスは鼻を鳴らして周囲の臭いを嗅ぎ、低い声で警戒を促した。
「血の匂いだ」
そこからは流石は生え抜きの調査団員というべきだろう。カイン以外は即時に臨戦態勢になった。
真ん中に非戦闘員のルー、ランド、魔術師のレイルを置いて囲むように前衛にアンベン、アルバス、ポーンが移動する。調査団はその並びで警戒しながら進むと森を抜けて広い場所に出た。
みんなに遅れて辿り着いたカインが広場に入った瞬間、むせかえる鉄の臭いと真っ赤な惨劇が出迎えた。
「なん、だ……こりゃあ……」
広場は血塗れだった。椅子や天幕が無残に破壊され、大地には深い裂創が刻まれている。さらわれた女や家畜。盗賊と思しき連中が全員無惨に殺されていた。
被害者たちの体はバラバラに散らばり、内臓もばら撒かれ、それらに蠅が集っている。あまりの惨状にカインは胃液が逆流して嘔吐した。アンベンは舌打ちしながら各個に命令を下す。
「荷物を汚すなよカイン! レイルは魔術で何かないか探知しろ! ルーとランドはそこで待機。他は周囲を調べろ」
アンベンは命令を下すと近くの死体に寄り、指先で確かめるように触れる。
「体は冷えてるが血は乾いてねえ。“コレ”をやった奴はまだ近くにいるな」
「妖精獣ですかね」
ルーの不安そうな呟きがアンベン以外の顔を険しくする。
害獣にはいくつかの分類がある。狼などの凶暴な獣はただの野獣、高い知性を持ち武器や魔術を使う獣は魔獣と分類される。魔獣でも脅威度や人間への敵意、被害状況によっては討伐隊を編成されるほどだ。
そして妖精獣の危険度は更に上。魔獣のように賢くなっただけの化物もどきとは一線を画する厄災である。妖精獣は妖精と生物のキメラで生物としてありえない生態や異能、諸相を持つ正真正銘の化物だ。南にあった小国がたった一頭の妖精獣によって消滅したという話すらある。
「多分違うだろ。妖精獣は魔獣と違って縄張り意識が低い。山賊どもが目の前で裸踊りをしても無視するだろうさ。こっちから攻撃しない限りはな」
妖精獣とは温厚、というより自分たち以外に無関心なのだ。こんな風にわざわざ皆殺しにして自分は姿を消すなんて周りくどいことをする可能性は低い。
「おい、見ろ」とポーンが声を上げた。彼の手前に岩に見えるような迷彩が施された扉があった。風を受けて扉が揺れ、蝶番が軋んだ音を立てている。
「偽装した扉か。これは音がしなきゃわからねえな」
アルバスが扉に近寄り、開いた場所から少しだけ中を覗く。
「地下への階段がある。カイン、荷物からランタンを出せ」
「は、い……」
まだ口の中に酸っぱい味が広がるのを我慢してカインが立ち上がり荷物を漁る。
この現場を作り出した何かがいるかもしれないのだ。自分の命だって安全とは言いがたい。
カインが扉の前まで行ってランタンを取り出そうとすると──
「ぐああああああ」
後ろで魔術の準備をしていたレイルの悲鳴が上がった。
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