2-11 マリア・ドッソドーン④
円柱の岩塊を吹き飛ばしたのは紅い粘塊だった。
それらが間欠泉の如く噴き出して岩を砕いて溶かし、天井にべったりと張り付くと糸を引いて落ちる。
噴出が収まると部屋全体へ飛び散った紅い粘塊は蠢動しながら大小問わず出てきたところへ戻り出した。
アリアンロルデは未知の技に困惑する。
(血器術……いや、これは……違う!)
ヴァンピレスの血器術は血の武装化であり、爆発させたりバラバラにして動かすようなものではない。
生物的とも言える粘塊の動きは一つの魔獣を想起させた。
「スライムか」
色は赤いがバラバラになってもそれぞれの肉片が動く構造、固体にも液体にも自在に転ぶ肉体、そして強烈な酸で溶けた瓦礫。その全てがスライムの特徴に一致する。
紅の粘塊が合わさるとその中からマリアの着ていた服が浮かんできた。
粘塊はそれを基点に少女の上半身を象り、そこから顔が、髪が、胴体が人のモノへと変態していく。
「これを見られるのは嫌だったけど仕方ないわね」
ドレスの裾の下では足の代わりに頭足類のような赤い半透明の触手が蠢いていた。
そのうちの一本が斧を持つ。
マリアの素性に確信を得たアリアンロルデはより一層深い嫌悪感を込めて舌打ちした。
「そういうことか……ドッソドーン。貴様、拝海者どもの一人だな?」
「ええ、そうよ」
「海還りで生まれたスライムか」
古代の拝海者たちは海と一つになるための『海還り』と呼ばれる術式を編み出した。
その術式は自分たちをドロドロに溶かし融け合って一つになるというおぞましい邪法である。
その成れの果てが、あらゆるものを溶かし、取り込む怪物スライムだ。広義的にはこれも死体と言える。
「呪われた血を浴びたスライムがヴァンピレスとなり、人だった頃の脳髄を再構築した、といったところか」
ヴァンピレスの血すら取り込んだ結果、最悪の魔獣が最悪の魔人に転生し、そして人類に仇なした。
「やはり邪宗門の徒なぞ審問せずに皆殺しにするべきだな。
一切残らず覆滅されれば貴様のようなモノも生まれずに済んだ」
「御託はそれだけ?」
消化器の蠕動のような音を全身から鳴らすマリアは冷たい目でアリアンロルデを見下す。
スライムは化物だと散々聞かされてきた。
拝海者は邪教徒だと忌み嫌われてきた。
拝海者はと呼ばれた人々はただ海を怖れ、だから崇拝しただけの漁民にすぎない。
「最初に言ったでしょう。被害妄想も甚だしいと。
二百年前の宗教弾圧の時、お前たちはみなに何をした?
審問と称してどれだけの苦しみと痛みを与えた?
みんな、やめてといったのにお前たちは笑って私たちを串刺した。
手首足首を突き刺して引きずり回し、死んだら掘った穴にまとめて投げ捨てた。
海還りは死にゆく同胞を海に送り出すための術だったのに。
私たちは地上で、生きたまま、使わざるを得なかった。そうして私たちは怪物になった」
死後も墓土の下へ行くか、海へと戻るかの違いにすぎない。
それを天使教の連中は侮蔑し、彼らの遺体を陸へと捨てて埋めたのだ。
その恨みを思い出し、マリアの足元から血が細い線となって壁や床を伝っていく。
絶対的な殺意を持って血の業を発動させる。
「吐き気が出るのはこっちのセリフよ天使の奴隷ども。
お前は食わずにバラバラに溶かしてネズミに餌にしてやるわ──“血器・剃刀”」
マリアを中心に放射状に広がっていた血の線から赤い刃が生えた。
この刃はマリアもバラバラに刻むがスライムである彼女は問題なく復元される。
しかし人間にとってはそうではない。
「うおおおおおおおおォォォッ!」
アリアンロルデは迫る恐怖に打ち勝つために咆哮した。
天使教の『聖なる盾』では全方位を防げない。
ならばこそアリアンロルデは縦横無尽に襲い来る血の刃から逃れるべく僅かな安全地帯を見つけ、床に転がってそこへ逃れた。
その必死な様子をマリアは嘲笑う。
「無様ね。でもこれで終わりでなくてよ」
顔中を冷や汗まみれにしたアリアンロルデはマリアが祈祷を読み上げるのを聞いた。
それは天使教のものではない、拝海者たちの使う海の奇蹟だ。
「“海は語れり。月満ちれば喜びに涙を流し、月失えば悲しみで涙を流す。
これが波濤の理なり──月の満ち引き”」
アリアンロルデの体が引っ張られる。待ち受けるは剣山の如く生えた血の刃。
「“浄めの流動”」
アリアンロルデが浄化の奇蹟を発動させると進行方向の血刃が即座に霧散する。
だが血煙の中でマリアは間合いを詰めていた。音を置き去りにする速度で斧を振り下ろし、それも直前に感知したアリアンロルデが光盾で受け止める。
アリアンロルデは勢いを殺しきれず通路とは反対側──ルナを封印していた白い部屋まで吹っ飛んだ。
彼の肺から逃げるように全ての空気が飛び出していく。
「か、はッ!」
マリアは苦しそうにのたうつアリアンロルデへ追撃をしようとするが立ち止まって床を注視する。
そして笑った。
「あら、危ない」
床に斧を振り下ろしてそこにあった短杖を叩き潰した。
「またひっかかるところだったわ……ああ、いい顔ね」
吹っ飛ばされた時に仕込んだ杖を見抜かれて歯がみするアリアンロルデ。
その悔しがる顔をみて愉悦を得ながら間合いを詰めるマリア。
寝ころんだ姿勢のアリアンロルデは腕の力だけで部屋の置くまで逃げていく。
勝利を確信したゆえにマリアも気が緩んで言葉を漏らした。
「あなたの死に場所としては随分とおあつらえ向きじゃない。アリアンロルデ」
封印の間はルナの魔力を使ってルナを封印する術式を発動させる永久機関だった。
魔力を通す無数の回路と刻み込まれた術式はマリアが不活性化させ、魔力源であるルナを失ったことで機能が停止している。そのせいかカインが入った時よりも薄暗く、聖歌も途絶えたため一層寂しい。
そう、まるで墓の中だ。
「白波は私よりあなたの方に軍配が上がると言っていたわ。
だから警戒してたけど大したことないじゃない」
あるいは警戒していたからこそマリアは床に仕込んだ杖に気付けたのかもしれない。
だとしたら未来は変わったということだ。
すなわちマリアの敗北から枢機卿の敗北へと──
「ならばその通りにしてやろう」
厳かな宣言の後、無詠唱の聖雷と雹の弾幕がマリアに襲いかかった。
しかし彼女は呪斧で全てを薙ぎ払う。だが雷氷に紛れて放たれていた不可視の刃がマリアの首を断った。
ヴァンピレスといえど首を断たれれば死ぬ。
脳髄の形成や記憶の保持に多大な魔力を消費しているからだ。
それを失えば再生力の上限を一気に超えるだろう。
ただし、人間から生まれたヴァンピレスならばという前提の話である。
「今のが最後の抵抗?」
スライムにとって斬首など一瞬で治せる傷だ。
それを証明するように瞬く間にくっついて痕も残らずに修復した。
「無意味だったわね。もう出し物はおしまいかしら?」
マリアが右手に持つ斧を無防備にだらりと下げて、左手は「かかってこい」というジェスチャーで挑発する。
「フンッ!」
アリアンロルデが床から拾った白い瓦礫を投擲した。
何かの奇蹟をこめたのか淡く光っており、マリアは持ち前の動体視力で避けた。
手で掴むこともできたが得体のしれないものを掴むほど油断はしていない。
猫が鼠をなぶるようにゆっくりと間合いを詰めたのも敵の出方を見極めるためだ。
窮鼠になって相討ちにされてはたまったものではない。
「まだだ! うおおおおおおおお」
打つ手が無くなったのかアリアンロルデは短杖を持って光の刃を生成し、捨て鉢になって特攻してきた。
「本当に、終わりなのね」
疲労とダメージで動きが悪く、彼が刃を振るう前にマリアが斧で彼の胴体を両断できるだろう。
マリアが薙ぐために斧を構える。
だが間合いに入る直前、アリアンロルデは止まり──
「てぇいあああああ!」
光の刃を地面に突き刺す。
そこから白い光の線が走り先ほど投げた白い物体に当たり、それが白く眩く光り出す。
すると部屋に埋めこまれた建材──妖精石が感応して光だし、部屋が明るくなった。
そう、明るくなった。
マリアが不活性化させた魔力の流れが強引に戻され、部屋全体に魔力が行き届いたのだ。
「まさか……しまった!」
そうなれば次に起きるのは明白だった。
魔力が行き届いたことで少年聖歌隊の歌を再生・リピートする魔術が再起動する。
“主よ。我々はあなたの僕です。
主よ。我々はあなたの剣です。
主よ。我々はあなたの鎖です。”
聖歌の正体が長大な詠唱を必要とする封印の奇蹟であることをマリアは知っている。
耳を塞いでも意味がなく、止めようにも詠唱者がいないため範囲外まで逃れるしかない。
しかし、手遅れだった。
「“アリアンロルデの名において──汝をここで永久に封印する”」
枢機卿が宣告すると同時、部屋の上部に無数の方陣が生まれ、マリアを光で拘束した。
天の聖圧とは種類の違う拘束力にマリアが動きを封じられ抵抗する意識も漂白されていく。
(しくじった……カイン……ごめんなさい……)
消えゆく意識の中、マリアは下僕に謝った。




