2-9 信仰
──時間は少し戻ってカインとルナ。
ルナが壁にしがみつく。
「白波も一緒じゃないといーやーだ!」
「いや男二人を連れションに誘う女子ってなんなの!?」
「三人一緒じゃないとダメ!」
「ダメなのは君の情操教育だ」
「いーいーかーらー!」
壁にしがみつくルナをなんとか剥がして抱きかかえ、トイレらしき場所へと彼女を置いた。
場所が場所、状況が状況だ。早く済ませて欲しいとカインが祈ると、わずか二秒でトイレから出てきた。
「早く戻ろう!」
「いやしてねえだろお前! 途中で漏らしても困るから早く用を足せや」
そうして今度は戻りたがるルナをトイレに行かせようとして、
建物全体を揺るがす大震動が起きた。
「なんじゃこりゃあ!?」
屋根の一部が崩れ、ルナに瓦礫が当たりそうになったので身を挺して庇う。
「危ない!」
瓦礫の尖った部分が背中の肉に突き刺さった。鋭い痛みと熱が背筋を走る。
すぐに逃げたい。だがそれより自分の下にいる小さな女の子を傷つけまいとする意志が勝った。
「大丈夫か!?」
「う、うん……」
不安げながらも少女が頷く。
それだけでカインは力が湧いた。
「う、し。うらああああ!」
気合の雄たけびを上げながら背筋に全力を籠めて背中の瓦礫を押しのけるとガラガラと小さな岩塊が転がった。
背中に刺さった瓦礫も押し出されるように傷口から飛び出てみるみる間に傷が塞がる。
ヴァンピレスとしての治癒能力さまさまだが自分はまだ人間だと信じているカインにとっては複雑な気持ちだった。
(くそ。今の震動はなんだ?)
人生で味わったことのない揺れだった。
鋭くなった平衡感覚は前方──白波がいる方向から発生したと感じている。
(どうする。マリアのところへ戻るか……いや、ルナがいるのにそれは……だが前も後ろも危険だ)
カインは内心焦る。
マリアの眷属になったせいか、彼女の強さが何となくで分かる。
恐らく護衛がいらないほど強い。
そんな彼女が残らないといけないレベルの敵がいるなら白波をさっさと加勢に向かわせるべきだ。
(くっそ、情けねえ)
もしも自分が強ければ白波が付いてくることもなかったはずだ。
なのに子守りもろくにできていない現状が悔しい。
腕の中でルナが呆然と前を見ながら呟いた。
「アーポ・アークの安息湖……カインお兄さん! 急いで」
「ま、待て! 今の震動は危険だ!」
「ここにいると埋まっちゃうよ」
「────!」
恥ずかしいことにルナの方が冷静だった。
天井からピシッと亀裂が入っていくような音が聞こえる。
前も後ろも危険だが進まなければどのみち生き埋めだ。
なら出口を目指すしかない。
「捕まっていろ!」
「うん!」
マリアを抱っこすると全速力で駆け抜ける。
ヴァンピレスになって徐々に上がり始めた脚力が発揮され瞬く間に通路を駆け抜けた。
そして辿り着いた先は不可解な状況になっていた。
壁が切り裂かれその先の部屋は白い霧に満たされていた。わずかな先も見通せない。
「なんだ、これ」
白霧におそるおそる触れようとしたカインであったが、途中から手が前に進めなくなる。
距離が縮まらない不可解な霧に訝しむカインの脇を通ってルナが霧に触れた。
「ってちょっと待てェ!」
ルナが霧の彼方へ行ってしまう前に、カインが彼女の肩を掴んだ。
「どう見ても危ないだろ」
「なんで?」
「あん? 何がだ」
「なんでこれが危ないの?」
「先が見えないからだろ」
「見えないとなんで危ないの?」
何を当たり前なことを言っているんだとカインは呆れ気味に声を出した。
「何があるかわからないだろ。モノとぶつかるかもしれないし、何が潜んでいるかもしれない」
「…………………………じゃあ神様は?」
「は? 神様?」
唐突な質問にカインが目を丸くする。
「神様は見えないし、聞こえない。でもみんな分かった気になって信じてる。なんで?」
ルナの表情は真剣で、だが瞳はどこか悲しそうだった。
カインは問いを脇に置いたりいい加減な応答をすべきでないと悟る。
そして胸を叩くカイン。そこに神がいるとでもいうように。
「そりゃあ心の中に神がいるからだろ」
ルナの目が見開かれる。
「俺だって神様、天使様を心から信じてるわけじゃない。
だからこんなこと言うと怒られるかもしれないけど、あえて言う。
神様ってみんなを見てるんだろ? 天井があろうと、こんな地下だろうと。
ならずっと一緒にいるんじゃねえの?
見えないし、聞こえない。触れられない。勿論、匂いも味もしない。
だけどいると感じれる奴にはきっと、それが神様だって思うんだよ」
ルナはカインの独自解釈を聞くと「むー」と唸る。
そして何ともいえない微妙な表情を浮かべながら自分の胸元をペタペタと触れる。
「何の話してたんだっけ? ああ、それでコレは危ないから下がれって……」
「それなら大丈夫だよ」
ルナは右手で霧の壁に触れたままカインへ左手を差し伸べた。
「わたしは感じれる。『ここ』は大丈夫。手を握ればカインも見えるから」
カインはルナの言ってる意味が分からず不可解なまま、差し出された手を握り返した。
手が触れあった瞬間、脳内に知らない知識がよぎった。
【アーポ・アークの怨讐湖】
【黒い星空の下にある妖精王アーポ・アークとその眷属が住まう黒き湖。
湖面は白赤緑の三色の光が輝いており、それらは大地と死と生を表している。
冷たく暗い湖畔であるが穏やかで、美しく、生命に満ち溢れていた。
かつて豊穣と色を失った湖は死した妖精王の残留怨念のみが残っている】
白い大地の中をくりぬいて墨をためこんだような黒い湖を幻視する。
一瞬、汚水なのかと思ったが、黒い湖水は光沢がありどこか現実離れした気品を漂わせていた。
湖の中心は赤、緑、白の光が斑に混ざり合い、宝石のような美しい輝きを放っている。
この湖には多くの生き物がいた。
周囲には茂った木々が生え、鳥の囀りが聞こえ、黒い湖の中を貝のような生物が遊泳しながら楽し気な歌を歌っている。湖の中心にいるのはその親玉だろうか。とてつもなく大きなものが子供たちを見守るように鎮座していた。
「見えた?」
ルナの声ではっと我に返るカイン。
幻視していた風景は消えて現実の、白い霧の前に戻ってきていた。
ルナが反応を伺うかのように琥珀色の瞳をこちらに向けている。
「これは、なんだ?」
「わたしも知らない。でも生まれた時からこんなのがたくさん見えてた。こんなにはっきり見えたのは初めてだけど……これが神様?」
「神様というより国とか生息地とかかなぁ……」
「お兄さんのうそつき」
「いや、流石にこういうのがお出しされるとは思って……ってうおおおおおお!」
プンスカと頬を膨らませたルナがカインの手を握ったまま霧の中へと入っていく。
それに引きずられてカインも中へと入った。




