2-8 終わりの始まり③
昼天が星空になる。
白波が破壊した部屋の内装も、それどころか周囲の空間そのものが異空間へと変貌した。
敵の『妖精郷』は水晶のように透き通った湖と広大無辺な白い大地が広がる世界だった。
敵は湖の上に立っている。そう、立っていた。
頭部以外を失ったはずの体は見た目上は修復されている。
異界に呑み込んだ相手との距離すら自在に設定できるのか、白波は畔に立ち、
さきほどまでゼロ距離だったのに一気に百メートル近く離されていた。
そして妖精郷に招かれた瞬間に白波は攻撃に晒されていた。
「──! ──、──────!」
息ができない。足を前に進められない。いや、足だけではない。金縛りにでもあったかのように身体が何一つ動かせない
使徒が手を翳すと今度は尋常ならざる気圧が白波に襲いかかる。
全身ではなく肉体、鎧の内側だけが潰されようとしている。
なにもさせずに殺す。
妖精郷は妖精と妖精郷の主たる妖精王が許可したものだけが生きられる世界。
白波のように無理やり引きずり込まれれば者は動くことすら敵わない。
【ナゼ動ける。ワタシの、私たちの美しい湖畔でナゼ!?】
だが白波には対策がある。
妖精でなければ順応できない世界にもかかわらず白波は徐々に動き始めていた。
ギクシャクと油の切れた歯車のような不格好さであるが確かに動いている。
「見れば……分かるだろ……お仲間だよ」
彼が纏う白い鎧が柔かな燐光を放っていた。
彼の鎧は高純度の妖精石でできている。
妖精獣とは系統が違うが妖精の力を持つものであることに違いはない。
事実、鎧の加護がわずかながら世界の強制力を緩和している。
「巨人だけは……ありあまっていた・か・ら・な!……“青の拒絶”」
白波は水上を歩く魔術を使うと力強く足を前へ──踏み潰すかのように渾身の力をこめて前へ出した。
ゆっくりと波紋が広がる。
「これが美しい……湖畔だと。笑わせるなよ。
草の一本も……生えてねぇ、呼吸一つもねぇ。色もたったの二色」
白波は命の大切さを知っている。
生きていること自体が尊いものとは限らない。
痛い。苦しい。悲しい。憎い。生きているだけで無数の不幸と悲劇を浴びせられる。
だとしても──
「こんな終わった世界よりは今の方がマシだ」
次の足を出す白波。 一歩、また一歩。
息絶え絶えになりながらも迫ってくる白波を見て妖精は腰を抜かした。
妖精を無様と笑うことはできまい。
そもそも引きずり込んだ瞬間に必殺の妖精郷で敵が生存できていることが異常なのだ。
白波としても限界が近かった。
ヴァンピレスは不死身に等しいが不死身ではない。再生力の限界はあるし、それが尽きれば死ぬ。
無呼吸、圧壊、『前』から既に命の残量がほぼ残っていない。
おそらくカイン達が来るより早く命が尽きるだろう。
「“血濡れ火”」
だからこそ更に命を燃やす炎で加速して迫る。
その鬼気迫る姿を恐れた使徒は白波へ一心不乱に杖を向け、慌てて詠唱を始めた。
【“コ、拘泥、妄念、残念、散乱──届かざる幸福の島”】
風一つないのに湖面が波立ち、鉄砲水が生じて水かさが急激に増した。
だが、それだけだ。
「は、はは……は!?」
これまでの異常に比べれば水で足を取られる程度、肩透かしにもいいところだと白波は笑う。
だた数歩進んでおかしいことに気付いた。
前に進んでいるのに、まったく距離が縮まらない。むしろ遠ざかっている。
「この……く……そ……距離操作……」
痛恨だった。
妖精郷による行動阻害。気圧による阻害。そしてこの距離操作。
時間切れがやってきた。
再生が追いつかなくなった白波の足が崩れ落ち、湖上でべちゃりと這いつくばる。
完全に焼死する前に血濡れ火を解除する。
悔しさのあまりに罵倒したかったが、舌も焼け落ちたのか何もしゃべれない。
【アッチイケ!】
白波は見えざる巨人に叩かれたように吹き飛び、元いた畔の上に戻された。
そこで更に上から超気圧で抑えつけられた。
元より炭化して脆弱になっていた身体が音を立てて崩れていく。
「ああ、くそ……」
白波の体はもう限界だった。長い間血を吸っておらず、終末世界の呪詛が体内に残留するせいで、あらゆる制限がついていた。
こっちに来てからマリアの血を受けたのに全身が衰えていくばかり。
「また勝てないのか」
白波はこの世の全てを呪った。




