2-4 マリア・ドッソドーン②
何もないところから現われたのは身の丈ほどもある巨大な、血の滴る青い処刑斧だった。
鎌にも似た形状で古代に使われたものに似ている。
「これ痛いから嫌なのよね」
滴っている血は霊的に繋がっているマリアの血だ。
使用どころか所持しているだけで自身に出血を強制する呪いの斧。
普通に考えれば武器として欠陥品以外の何ものでもない。
だが、マリアはこれを愛用している。特に天使教会を相手にする時は。
「──────」
アリアンロルデの背筋が凍る。
封印区を管轄する以上、多くの穢れた呪具、忌まわしき呪いを見てきた。
そんな彼だからこそ斧を見て即座に理解した。
纏う穢れの濃度が違う。
帯びた呪いの密度が違う。
処刑斧に見えるが実態は物質化するほどの呪詛と怨念の塊なのだ。
「なんだそれは……どこから持ってきた」
濃密な怨念のほぼ大半が天使教徒に向けられている。
数十、数百ではきかない数の異端者の顔が見えたような気がした。
そして武器の積怨以上に寒気を覚えさせるのは、部屋中に広げている浄化の力を全く受けていない点である。いや、正確には受けているのだろうが焼け石に水程度の効果しか及んでいない。
どんな激流でも山を崩すのに月日をかけるのと同じ理屈だ。呪いの質量が多すぎて奇蹟ではこの武器を即座に分解できない。
それどころか斧から滴るマリアの血が呪いを呼び、逆に青い浄流を蒸発させていく。
「濃密な呪いの血……そしてその斧……そうか……そうか……貴様が……」
アリアンロルデは合点がいったとばかりに頷いた。
彼はマリアの正体に行きついた。
同時に戦慄を忘れ、今までの比ではない殺意をマリアへ向ける。
「ヴァンピレスの四大貴族の一つ、ドッソドーン家の当主は永遠に幼い少女であり、武器には南洋の海賊が使う青白い処刑斧を使うと聞く。
会いたかったぞ……我らの……最大の敵!」
「陳腐なセリフをありがとう。死ね」
マリアが身の丈ほども戦斧を軽々と振るう。
斧自体の殺傷力は言うまでもなく、付随して飛び散る呪血は接触したモノに呪死を与える。
防具に触れれば錆びて崩れ落ち、魔術であれば強制終了、生物であれば亡者の仲間入りだ。
世界最高の騎士が束になろうとまとめて皆殺しにできるほどの殺戮能力である。
しかし例外はなんにでも存在する。たとえば天使教の奇蹟だ。
「“聖なる盾”」
アリアンロルデが懐から取り出したのは磨かれた小さな真鍮の盾。
手鏡程度の大きさであり巨大な戦斧を防ぐにはあまりにも小さい。だがアリアンロルデが奇蹟を使った瞬間、盾の表面から彼の等身ほどある光の防御膜が広がり、斧も血も防ぎ切った。
マリアが忌々しそうに舌打ちをする。
盾は原理的には先のマリアの斧と同じ。奇蹟の密度が高くて簡単に消せない域のモノである。そして次に生じたものも同じ。
「“聖なる刃”」
盾の裏ではアリアンロルデが葉巻より少し長い程度の短杖へ持ち変えていた。
その杖の先から刃渡り一メートル近い光の刃が生成し、マリアへ斬りかかる。
マリアはすんでの所で避けたため頬を裂かれる程度で済んだ。頬の傷からもひび割れと崩壊が始まる。
青き神の奇蹟で作り出される武具はヴァンピレスたちに特攻で即座には治せない。
「これはまずいわね」
マリアは聖刃の危険性を理解すると続く攻撃を避けるか斧で弾くことで凌いだ。
当てれば必殺なのはマリアも同じ。そして彼女はヴァンピレスの中でもトップクラスの戦闘能力を持っている。
ゆえに白兵戦では有利のはずだが、
「ああ……めんどくさいわね」
反撃の機会を掴めない。騎士でもない枢機卿の攻撃を捌き切るのが精一杯だった。
手練れの騎士の中には殺気から攻撃の瞬間や狙っている場所を読んでくる者もいる。
そういった技術の対策として攻撃のギリギリまで殺気を抑えるという技術も存在する。
アリアンロルデの場合、抑えるのではなく全面的に濃密な殺意をぶちまけることで攻撃のタイミングを測れなくしていた。絶妙な攻撃の瞬間をずらし、それによって回避を困難にしている。
『聖なる刃』はヴァンピレスに対して必殺性の高い兵器である。
急所はもちろん、胴や脳に近い傷がそのまま死に直結する。
ゆえにマリアも回避を優先せねばならず、十度に一度、攻撃できるかどうかの戦いと化していた。
その反撃も聖なる盾によって防がれてしまう。
現状としては押され気味のマリアであるが、徐々に勝利を確信し始める。
「果たしていつまで踊り続けられるかしら?」
戦いの状況だけを見ればほぼ一方的にマリアが攻撃されているだけの状態であるが、二人には隔絶したスタミナの差がある。人間のアリアンロルデと違い、人外のマリアは三日三晩戦い続けても動きが落ちることはない。