2-3 マリア・ドッソドーン①
「ありがとう白波」
マリアの聴覚は背後でカインが倒れた音を聞き取った。
恐らくは迫ってきた雹にやられたのだろう。
意識をルナに割いていたとはいえマリアですら反応が遅れた攻撃だ。やられるのも無理はない。
マリアも白波が防いでくれなかったら危なかった。
しかし疑問が生じる。
「守らなかったのはわざと?」
白波の騎士はカインに怒りを抱いている。
ゆえにわざとカインを死なせたのではないかという疑問だ。
問われた白波は横目でカインが死んだのを確認したあと静かに答えた。
「………………純粋に防御が間に合わなかった。あとは優先順位だ」
「あ、そう」
マリアの方も特に拘泥せず眼前の暗闇にいるであろう敵に集中した。
今の雹は天使教の奇蹟の一つ。攻撃に特化した『天罰の雹』。
硬度を増した氷塊を生成しぶつけるもので、術者の腕前次第では鉄の鎧をへこませるくらいは可能だろう。だが無詠唱でこの威力はありえない。ということは詠唱を完了して待ち伏せていたのだろうとマリアは推測した。
「挨拶もなしに不意討ちするなんて不調法ね」
からかうようにマリアが話しかけると闇よりも暗く、石より重い殺気がマリアたちへ向けられた。
白波に抱かれているルナが短く悲鳴を上げて彼の胸元に隠れるように顔を埋める。
「家に勝手に入り込んだ害虫風情が礼儀を語るか」
まるで地の底から届いたような声はそれ自体が重みを持っていると錯覚するほどどす黒い感情が込められている。
守護騎士たちとは殺意の桁が違う。肝が細い雑兵ならば恐慌してしまうだろう。
だがマリアは逆に悪意を込めて嘲笑う。
「これが家だなんて随分と陰気なところに住むのが好きなのね。
薄暗いことばかりしている天使様にはお似合いだわ」
天使に対する愚弄の返礼は雹となって返ってきた。
今度の雹は先ほどの不意討ちに比べると弾速は遅く、弾丸も小さい。
(今度は本当にただの無詠唱ね)
奇蹟という術技は信仰心と神に捧げる祈祷文によって発動する。
それゆえに並外れた信仰心があれば奇蹟を無詠唱でも発動できるが祈祷がない分、本来よりも性能がガタ落ちるのだ。
それでも敵が放つ雹は人を殺せる程度の威力がある。
だがマリアは人ではない。
マリアが雹を埃のように手で払い落す。
そしてわざと挑発する。
「この程度なの?」
闇の中から床を軋ませながら男の姿が現れる。
その身には天使教の枢機卿が纏うことを許される僧衣。右手には真鍮と銀が混ざった杖を握っている。
「なるほど。ヴァンピレスか」
「へぇ、天使教の円卓枢機卿ね」
円卓枢機卿・第六位アルアンロルデが眉間に深い皺を寄せながら怨敵を睨みつける。
「暗黒時代の前、当時の教会はお前たちに大敗し、西の地を追われた。
信仰の始まりであった聖都グアメレは穢され、大勢の信徒は亡者と化し、信仰もまた薄まった。
あえて嬉しいぞ、ヴァンピレス。貴様らを討ち、かつての栄光がまた一つ、取り戻せるのだから!」
奮えるアリアンロルデに対しマリアの熱は凍てついていた。
唾棄すべきものとしてマリアはアリアンロルデを睨みつける。
「自己陶酔と被害妄想も甚だしい。
宗教弾圧でさんざん殺し、異端審問でさんざんいたぶり、その報いが返っただけでしょう。
奪われただの、失っただのはあなたたちに殺された人々が言うべきセリフよ。
あなたたちの教えに崇高さなんてこれっぽちもないわ」
お前たち天使教徒の戯言など無意味とマリアは言い切る。
アリアンロルデからすれば徹底して信仰と名誉を否定された形だろう。
だからマリアは敵が怒り狂うと予想していた。
しかしマリアの予想に反してアリアンロルデは皆目訳がわからぬという表情をしている。
「貴様……何者だ?」
ヴァンピレスの起源は亡者から新生した生物である。
死体が“天から降った血”に冒されて動き出し、朽ち果てた内臓を魔力で生成し、新たに自己を形成した化物なのだ。
つまり元の脳髄など残っているはずもなく、魂も天に召されているためヴァンピレスと元の死体は完全な別人といっていい。
当然、生前の恨みなどない。宗教もない。
人間を食料とみて襲い掛かり、積み木を崩すように都市を崩壊させるのがヴァンピレスだ。
だから今のような──天使教を憎むようなセリフを吐くはずがない。
「通りすがりの美少女小説家よ」
「戯言を。まあいい。貴様が何者であれ、ここで始末すればいいだけだ」
杖から稲妻が走る。人間を殺すには十分な威力に加え、その速度は文字通りの雷速。
だがマリアはそれを素手で掴んで脇へ投げ捨てた。白い手には火傷一つない。
「白波。二人を連れて行きなさい」
横で目を眩ませるほどの雷光が咲き乱れる中、マリアは冷静に白波へ命令した。
だが白亜の騎士は首を横に振る。
「……それは了承できない。相手は六位といえど枢機卿だ」
「とことんやるつもりはないわ。時間稼ぎで十分よ」
「……『前』もそう言った」
「何? 文句あるのかしら?」
「……………………分かった。迎えに来るから何とかして生き延びろ」
「下僕のくせに偉そうね」
「あんたほどじゃない」
憎まれ口を叩きながら白波は右に震えるルナを抱え、左でカインの遺体を持ち上げて入り口へと駈ける。逃亡を見たアリアンロルデが司教杖を構えた。
「逃がさん。“天の”──」
「邪魔よ」
アリアンロルデが奇蹟を発動させる前にマリアが槍のごとき蹴りを叩き込む。
矢のような速さでアリアンロルデが吹き飛び、壁に激突し、そのままめり込むと壁が崩壊して生き埋めにした。
その隙に白波はカインを片手で引きずりながら場を離れる。
「その子たちを頼んだわよ」
マリアはそれを見届けると敵へ向き直した。
「従者を逃がすために残ったか……人間の真似事か?」
アリアンロルデが青筋を立てて瓦礫の中から起き上がる。マリアは冷笑した。
「嫌ね。まるで私が死ぬために残ったみたいじゃない」
「“聖雷の威光”」
途端、常人ならば失明させるほどの雷光が部屋中に溢れた。
唐突な光にマリアといえど目が眩む。
「いつの間に詠唱を……」
量・威力ともに先ほどマリアが小手先で防いだものの比ではなく無詠唱とは思えない。
恐らく蹴り飛ばされた直後に詠唱を完了させていたのだろう。
詠唱は口に出さねばならぬ以上、マリアにも聞こえるはずだがが瓦礫が崩れる音に紛れさせたために聞き逃した。
加えて発動したタイミングも絶妙だった。
攻撃を受けても次へ繋ぐ冷静さ。
時間差で発動させる練度。
そして会話から敵の油断を誘う狡猾さ。
どれだけ腹を立ててもアリアンロルデが激情に身を任せることはしない。
彼は怒れば怒るほど冷静に、冷徹に、冷血になっていく性であるため殺しの手段をより鋭くしていく。
「その通りだ。ここで光に焼かれて死ね」
およそ数百万ボルトに匹敵する青白い電流がマリアを中心に渦巻いて逃げ場をなくす。
更にダメ押しとばかりに無詠唱で奇蹟を発動させた。
「“天の聖圧”」
高重力場が発生してマリアの行動を制限して、蒼い稲妻が飲み込んだ。
その直後──
「“血器・鋭爪”」
視界を覆い尽くする青と白の雷光は赤い十本の線によって散り散りとなった。
十本の線の正体はマリアの両手の指から伸びた紅い刃である。
指と爪の間から呪われた血で造られた長くて鋭利な爪が計十本伸び、それが稲妻を切り裂いたのだ。
物理的に考えれば電流を切り裂くことはなどありえない。だがヴァンピレスの呪われた血は稲妻すらも冒し、静電気の一つも残さず消し去っていた。
己の血を武器化させ接触したものを獰猛に冒すヴァンピレスの悪名高き『血器術』だ。
どんなモノですら防ぐことはできず、どんな概念すらも殺す術。
世界を滅ぼせる業であり、この呪われた血に人類はなすすべもなく敗北したのだ。
しかしそれは古い時代のこと。
「“浄めの流動”」
アリアンロルデの杖から青い光の帯がいくつも生まれ、空間全体に星屑のような青い光点が発生する。するとマリアの血爪が崩れ落ちた。
「古代と同じと思ったか? 我々は今や貴様らを滅するだけの奇蹟を天使から与えられている」
「貰い物でそこまで粋がれるのは大したものだわ──“血器・病弾”」
爪先から血の弾丸を放つマリアだったが指先から離れてすぐに弾丸が霧散する。
のみならず電流でも傷一つ負わなかったマリアの指が砂城の如くひび割れながら崩れていく。
「無駄だ。浄化され、塵になるがいい」
厳かに告げるアリアンロルデに対しマリアは崩れていく腕を興味深く観察していた。
そこに焦りや緊張の気配はない。
「なるほど。そういう術式か。まあ、頑張った方かしら」
血を封じられた? 体が崩れていく? あら大変ね。でもそれがどうかした?
楽観的な声にはそういったニュアンスが込められており、実際にマリアの手札を封じる域のものではない。その証拠にマリアが腕を振れば崩れていた腕が一瞬で復元した。
「でも素手じゃあ厳しそうね」
余裕あり気に言いながらマリアが虚空に手を伸ばす。
そして何かを掴んで──彼女の『武器』を引き抜いた。