2-2 奇襲
「白波、何か出してあげて」
マリアがそう言うと白波が無言で腰のポーチからビスケットを取り出して少女の口に運ぶ。
少女は受け取ったビスケット一心不乱にバリバリと食べ始めた。
少女がむせると白波が同じくポーチから桜枝という太い木の枝から作られた水筒を取り出して飲ませた。
その様子を見て先ほどのことを思い出し、カインはマリアに小声で話しかけた。
「飲ませてるの血じゃないだろうな」
「んなわけないでしょ。常識的にありえないでしょう」
馬鹿を見るような目で返されて、すごく理不尽な目に会った気分になるカイン。
一方で少女の方は食べ終わると三人の方に向き直った。
「こ、こはどこ……?」
「ここは牢屋みたいな場所よ。あなたの名前は?」
「わた、し……ルナ……ルナ・バン・ハリイェー」
バン……帝国における市民階級だ。
こんな見目幼い少女がなぜ天使教の異端とされているのか。
「どこに住んでいたの?」
「う、うみ」
「村とか集落の名前は?」
「しらない」
カインは隣で二人のやりとりを聞いていた。
海、ということは出身はここからさらに南東にある小国群の漁村だろうか。一番近いのはそこだ。
南西部には大河の先に砂漠の大陸が広がっているが、南東には小島が点在するだけで何もない大海原であると聞いたことがある。
「寝る前に何てお祈りするの」
「おいのり? えーっと……“大いなる白き波と、今は近き生命の水に祈りを捧げ、私たちは……は、拝跪します”」
なんじゃそりゃとカインは内心で首を傾げた。
聞いたことのない祈祷だ。
祈りといえば天使教の聖句と決まっているが、それらは海や水ではなく空や光を讃える。
カインは熱心な教徒ではないため断定できないが、ルナが告げた祈りは天使教のものではないと思う。
(そういえばスライムは異教徒のものだったな)
邪教、という単語が頭に浮かぶ。
この子が封印されていたのは邪教徒だからなのだろうか。
「そう、ありがとうルナ。大体分かったわ」
マリアはルナの頭を優しく撫でた。マリアが手で先に行きましょうと合図すると三人は歩き始める。
子供部屋に入るとカインはスライムがいないか警戒したが、二人は無警戒にスタスタと進んでいく。
(マリアはともかく白波さんが進んでいるなら大丈夫か)
白波の実力に信頼を置いて進むと白波の左腕に抱かれているルナが天井や床を不思議そうに見ていることに気付いた。
周りを一通り見渡した後、不安そうにマリアに声をかけた。
「ねえ、お姉さん」
「マリアよ」
「マリアお姉さん」
「なにかしら?」
「お姉さんたちは私のパパやママを知っている……?
ここにいた先生や、ジュドー、ロサ、セプテルにトールはどこにいったの……?」
純朴な少女の問いが木霊する。
鋭敏化したカインの聴覚はマリアが息を呑む音を捉えた。
『先生』の後に続いた名前はここにいたであろう子どもたちのものだろうか。
「ごめんなさい。わからないわ」
マリアがルナの両親を知っているはずがない。
それにこの部屋に来るまでの荒れ果てようは少なくても数年以上は放置されていたものだ。
ここにいた子供たちも恐らくは出て行ったあとだろう。
「でも必ず見つけ出してあげるわ。あなたもおうちに帰してあげる」
明るく、力強くマリアは少女に希望を与えた。
「本当?」
「ええ、約束するわ。実はお姉さんもね、マリアちゃんくらいの妹がいるのよ。今は少し離れてしまっているけどいつかルナと友達になって欲しいわ」
「うん。なる! マリアお姉さんの妹ならきっといい人だもの」
今までずっと不安そうだったマリアが無邪気な笑顔を浮かべた。
(ああ、そうか……子供に不安そうなことを教えるより明るいことを教えてあげたほうがいいか)
封印され、目覚めれば数年が経っていて、施設が荒れ果てていれば不安どころではないだろう。パニックになっても不思議じゃない。それをこの子は今まで我慢していたのだ。
一見するとマリアが無責任に約束したように見えるが、ルナの心を守っていた。少なくてもカインにはそう見える。
(それにしてもマリアの妹か……)
先ほどの発言からすると異端として天使教会に連行されたのだろう。
マリアがヴァンピレスだとすると妹もヴァンピレスだろうか。
(ん……? いや、待て……)
何かがひっかかった。どこかに違和感がある。
どこがおかしかったのかカインが考えようとしたそのとき、前方の通路から光る何かが飛来した。
「──────ッ!!」
白波が神速の抜刀をし、その刃が鞭のように伸びて光る何かを弾き飛ばした。
光る何かの正体は輝く氷だった。黄金色に光る、尖った雹。
それらが散弾で放たれ、床や天井に穴を開け、腐った家具や放置されていた子ども向けの玩具が粉砕される。
白波はそれらを鞭剣で見事に撃ち落とした。
ただしマリアとルナと彼自身に向けられたものだけである。
「あ?」
カインに向けられたものは一つも落としていなかった。
ゆえにカインは自衛しなくてはならないのだが、思考中だった上に突然の奇襲でカインは反応すらできなかった。
体中を穴だらけにされ、ひときわ大きな雹が眉間に突き刺さり、目の前が真っ暗になって倒れた。