1-12 封印区アリアンロルデ
腕の応急処置を終えてカインはマリアに尋ねた。
「それで聞きたいことが無数にあるんだが」
「教えない」
「まだ聞いてねえよ!」
「どうせ下着の色とかでしょ。汚らわしい」
「誰があんたの下着に興味があるって言ったよ」
「え、じゃあ白波の下着の色を……!?」
「下着から離れろ色ボケチビっ子」
「チビっ子じゃないわ。お姉さんよ」
マリアの隣で白波は静かに佇むだけで会話に参加しない。
マリアは私の騎士と呼んでいたが、やはり彼女はどこかの貴族だろうか。
これほど強い騎士がただの旅人や風雅人につくことは通常ありえない。
「あなたが知りたいことは分かるけど教える義理はないわね」
「俺は死にかけたんだが!?」
「それを救ってあげたじゃない。それも三回も。あなたに何かしてもらうことはあっても、あなたに何かをしてあげる必要はないわよ」
「ぬ、ぬぬぬ」
マリアの言うことは正論だった。
ぐうの音もでなくなったカインはそれでも何か言ってやりたかったが言葉が思い浮かばない。
そんな顔を見てニヤニヤと楽しそうな表情を浮かべるマリア。
「ん? ん? 悔しい? 元貴族の子息だったカイン君は小さな女の子にマウント取られて悔しいのかしら。ん~?」
「さっきお姉さんって言ってなかったか」
「さっきはさっき。今は今よ」
「矛盾の塊か?」
「その面白い顔に免じて情報交換ならしてあげてもいいわよ」
「本当か!」
マリアの肩を掴むカイン。
想像以上にカインの食いつきが良かったせいか逆にマリアの方が驚いた表情をした。
「コホン。先に私の用件を済ませてからね」
「用件?」とカインが首を傾げる一方でマリアは部屋の壁をコンコンと叩く。
すると叩いたところから青白い光が波紋状に広がった。
「“妖精の悪戯”」
マリアが謎の魔術を発動させてデコピンをすると壁がへこむ。
部屋中に聞こえていた聖歌が悲鳴のような甲高い声に変わり、そして沈黙した。
部屋の光度が下がって暗くなる。
カインが驚くのも束の間、今度は部屋の中央に白く光る繭のようなものが現出した。
「な、なんだ?」
「ここは天使教内部では『孤児院』あるいは『封印区アリアンロルデ』と呼ばれているわ。
簡単にいえば天使教にとって都合の悪いものをしまうための場所よ。人目につかないところにこっそり作って、始末に負えないものをしまうの」
──これが始末に負えないもの?
カインには光る繭がとても有害なものに見えなかった。
むしろ神々しい光を放っているせいか、なにか神聖なものに見える。
「これは外装よ。ほら起きなさーい」
ポンポンとマリアが気安く繭を叩くと繭の糸がするすると外れては虚空へ溶けて消えていく。
みるみる間に繭は小さくなっていき、次第に中身の輪郭が露わになっていく。
その正体にカインが唖然とする。
「な……女の子?」
全ての絹糸が消えた時、残っていたのは白い髪の少女だった。
質素な服を着ており肌は死人のように青白い。
寒さに震えるようにうずくまりながら眠っていた。
「……やっぱり違ったわ。私が探していたのはこの子じゃない」
マリアは悔しそうに言った。
「違ったわって……誰かを探していたのか?」
「妹よ。随分前に天使教の連中に異端として攫われてしまったの」
「異端? 何か変なことをしたのか?」
「違うッ!」
マリアが嚇怒の声を上げる。
「私たちは普通に生きていただけだった! ちょっとあの子が特別だっただけよ!
なのに、あの時、あの連中は、私たちが天使教を信仰していないってだけで連行した!」
マリアの赤い瞳には普段からは考えられないほどの憎悪と怒りが宿っている。
それはまるで幾星霜積もった地層を思わせた。
「異端だから変ですって!? 何も知らないくせに知った風な口を聞かないで!」
マリアの過去に何があったのかは分からない。白波の騎士も何もいわない。
だが彼女の怒りは本物だった。噴火の如く爆発させた後も燻ることなく燃えている。
カインにも妹がいる。自分より出来のよい、かわいい妹が。それを連れてかれた後に、お前の妹が悪いと言われたら怒るだろう。
だからカインは素直に頭を下げた。
「すまなかった。妹さんが連れていかれたのに無神経だった」
マリアは怒りが収まらないのかフンと鼻を鳴らすと頭陀袋から毛布を取り出し、繭から現れた少女にかけた。
「白波。この子で間違いないのね」
聞かれた白騎士はゆっくりと頷き、少女を抱えるように持ち上げた。
その様子にカインは慌てて待ったをかける。
「ちょ、ちょっと待てよ。まさか連れて行こうっていうのか? この子は妹さんじゃないんだろ。じゃあやっぱり封印されてたヤバイ奴ってことじゃないか」
「あのね……この子を見て、ヤバイ奴に見える?」
呆れ気味にマリアが少女を指さしたのでカインは改めて少女の寝顔を見た。
見た目は十歳足らずだろう。年相応に愛くるしい顔で眠っていた。顔の血色はさっきよりもよくなった気がする。手足はやせ細っていて鋤や鍬を持ったこともないだろう。
カインの眼から見て邪な人物には見えない。
「……ただの女の子に見える」
「この子は私の妹と同類よ」
「同類? この子がなんだってんだ」
「不死身よ」
「は?」
「だから死なないって言っているのよ。首を刎ねられても、水の底に沈めても、火あぶりにされてもね」
「そんな人間ありえないだろ」
「そうね通常ならばありえない。だから天使教はこの子のような奇蹟の存在を封印するの。
彼らは教義にない奇蹟が存在することを許さない。彼らにとって存在していい奇蹟は『天使アズレールとその主神エルドゥから賜った奇蹟』だけ。それ以外は抹消しようとする。
でもこの子は殺せない。だから封印されたのよ」
「教会がそんなこと……」
「現にやっているじゃない。別にここだけの話じゃないわ。あいつらは全世界で同じようなことをやっているのよ」
カインは足元が崩れていくような錯覚に陥った。
彼にとって天使教会は善良な人々という印象だった。
礼拝し、賛歌を歌い、子どもたちに歌や物語を教え、週末には炊き出しをしている優しい隣人だった。
だから両親は献金していたし、信者も大勢いた。
「教会の労働者には知り合いだっている。裏で不都合な少女を封印しているなんて信じられない。いや、信じたくない……」
「別に全ての信徒がこんなことに加担しているわけじゃないわよ。
一般的な信徒はあなたの知っている活動に専念しているでしょうね。
でも教会の暗部は違う。あなただって守護騎士に襲われたし、ここで死んでた伝道者を見たでしょう? 連中は信仰のためなら何でもする人でなしどもよ。
あいつらが昔、どれだけ最悪な宗教弾圧をしてきたことか……まあいいわ。この話は終わり。とにかく外に出ましょ」
マリアが不機嫌そうに歩き出し、白波がそれに続く。
遅れてカインも続いた。