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出会い1

 皆が寝静まった頃、こっそりと部屋を抜け出したレオンハルトは、夜の庭園を散歩していた。月明かりに照らされた花々が幻想的な世界を演出している。ランドールを故郷のように感じられるのは皇后イリス、つまり、レオンハルトの母がランドールの生まれだからだろう。


「ベルフェルミナ……」


 満天の星空を物憂げに見つめ、レオンハルトは深く吐息を漏らした。


 ◇  ◇  ◇


「――殿下、もうおやめください。なにも、そこまでしなくてもよろしいのでは?」


 端正な顔に泥を塗りたくる皇子の姿に、町娘姿のシエラが困惑する。二人は王都エストの路地裏に身を潜めていた。


「目立たないよう王都を歩き回るなら、このほうが身分を偽りやすいだろ?」


 ズタぼろのローブを纏ったレオンハルトが目深にフードを被る。背筋を曲げてフラフラと歩き出す姿はホームレスそのものだ。


「偽り過ぎですっ。こういったことは隠密部隊に任せておけばよいのですよ」

「そんなの僕がエストロニアに来た意味がないだろう? これは僕に与えられた初めての国外任務、自分の目で見て父さんに報告したいんだ。兄さんと姉さんはもっと過酷な任務を立派に果たしている。僕だけ楽できないよ」

「ですが……」


 その兄と姉からはくれぐれも危険なことをさせるなと言われている。もし暴漢等に襲われた時はスカートの中に忍ばせた短剣で対処できるが、さすがに王都での騒ぎは極力避けたい。ホームレスに絡むような輩がいないことを願うばかりだ。


「不安そうな顔するなよ、シエラ。今日は王都を見て回るだけだから観光みたいなものさ」

「だからといって、誰にも話しかけないでくださいね。話しかけられても無視してください」

「わかっている。じゃあ、そろそろ離れてくれ。通りに出たら他人のフリをしてくれよ」

「はい、お気を付けて」


 雑踏に紛れるレオンハルトを見送ったシエラは、しばらく待ってから通りに出た。

 一定の距離を保ちながらの護衛は難しい。近づくほど不審に思われ、離れ過ぎると不測の事態に対処が遅れる。それでも、歩くこと三時間。市場から商業区、居住区とまわり王宮へ繋がるメイン通りについたころには、シエラの警戒心もすっかり和らいでいた。思っていた以上に王都エストは秩序があり治安もいい。


(事前情報よりエストロニアは住みやすそうな国かもしれないわね。ホームレスの数も少ないから、かえって目立っている。でもこれで殿下も気が済んだことでしょう。次は、貿易商の若旦那と愛人という設定なんてどうかしら。それならお忍び感もあるし、くっついていても不自然じゃない。おまけに、好きなだけショッピングもできるわ)


 などと妄想していた時である。後方から近づく馬車にシエラは振り向いた。王家の旗が仰々しく掲げられている。外出していた王族の誰かが帰ってきたのだろうか。


(護衛の馬車もつけずにたった一台で外出? それだけ安全な国なんだわ。もしくは危機管理能力が欠如しているかね)


 絢爛豪華な白い馬車がゆったりとシエラの前を通り過ぎる。御者の一人は青い髪に吊り目の男。中に乗っているのはアッシュグリーンの髪の男と、ピンクローズの髪の女だ。年齢はレオンハルトと同じくらい。おそらく、この国の王子と婚約者だろうとシエラは推測した。第一王子はかなりの野心家だと聞いている。皇位継承に興味のないレオンハルトとは正反対だ。ともあれ、二人が相対するのはもう少し先であろう。

 ところが馬車はレオンハルトの横を通り過ぎ、ほんの数メートル先で止まった。車内では緑髪の男と桃髪の女がレオンハルトを見てヒソヒソ喋っている。


「よりによって……」


 シエラは嫌な予感がしてならない。警備兵くらいならば多少痛めつけても騒ぎになる程度だ。逃げ切る自信はある。もし王族にそんなことをしたら、国を挙げて追われる羽目になるだろう。逃げ切れずに捕まると拷問の末に処刑。素性がバレでもしたら戦争の交渉材料に使われる。


(王族がホームレスに何の用がある? 王宮はすぐそこだ、早く馬車を出せ。さっさと行ってしまえ!)


 だが、シエラの願いも虚しく、冷徹な光を目に宿したフレデリックがレオンハルトの前に降り立ってしまった。すぐ脇には狂気じみた笑みを張り付けたパトリックもいる。


「そこのゴミ」

「…………」


 行く手を阻む者が誰かも知らず、足を止めたレオンハルトはフードの下からゆっくりと視線を上げる。まるで、汚物でも見るようなくすんだ緑色の目がそこにはあった。


「おい、貴様。次期国王フレデリック様の前だぞ。突っ立っていないで跪け」


 凄まじい腕力でパトリックに頭を押さえつけられ、レオンハルトが地面に這いつくばる。


「――なっ!!」


 思わずシエラがスカートを引っ掴んだ。巻きスカートをはぎ取れば、動きやすいミニスカートと短剣があらわになる。踏みとどまったのは、パトリックの強さが同等、もしくは格上だと感じ取ったからだ。しかも、こちらの武器は短剣。やみくもに飛び込んでしまっては、その場で切り捨てられる可能性が高く、肝心の皇子を逃がすことができない。


「……わ、私が何をしたというのですか?」


 四つん這い状態のままレオンハルトが顔を上げると、


「ゴミの分際で喋るんじゃない。この汚らしいゴミクズめっ」


 忌々しそうにパトリックは眉を顰め、レオンハルトの後頭部を踏みつけた。ゴツンと鈍い音が響く。地面に強打したレオンハルトの額から鮮血が飛び散った。


「ううっ」


 うずくまって呻くレオンハルトを見て、満足気にパトリックが笑う。


「ハハハッ。なんだ血は赤いのか? 生意気に人と同じ血の色をしやがって」


 美しく整った容姿に穏やかな笑顔で周囲を明るく照らす『帝国の太陽』は、平和の象徴として広められた言葉だ。実際に皇子は、王都近郊の村が水害にあった際、全身泥まみれになりながら救助活動を手伝っていた。臆病者といわれようと、争いごとを避けて平和的に解決することを第一に考えている。それ故にエストロニアとの同盟を強く望んでいた。

 そんな優しい皇子に対してなんたる仕打ち。


(――おのれ! 蛮族ども!)


 ギリリッとシエラは奥歯を噛み締めた。もう機会を伺っている場合ではない。自分は命を落としたとしても、皇子が無事に逃げさえすればいい。距離にして十五メートル。気取られないよう野次馬を装って近づきたくても、ほとんどの者が見て見ぬふりをして通り過ぎてしまう。第一王子の噂を知り面倒ごとに巻き込まれたくないのだ。


「お前は、その汚らわしい目で俺の愛する人を視姦していたそうだな?」


 フレデリックの言葉にレオンハルトが弱々しく首を振る。フードを目深に被り、誰とも顔を合せないようにしていた。馬車からの目線と合せようがない。


「なに? 俺の愛する人が嘘を言っているというのか?」

「フレデリック様。その男がイヤらしい目つきでリーンを舐めまわすように見てきたの。リーンをさらって変なことしようと企んでいるに違いないわ」


 ひょっこりと窓から顔を出したリーンが可愛らしく怯える。朝から虫の居所が悪かったリーンは、たまたま目についたホームレスで憂さ晴らしをしようと思いついたのだ。一般市民だと反感を買う恐れもあるが、ホームレスなら誰からも文句をいわれない。なにより、フレデリックの愛を確かめることができる。


「ヤレヤレ、魅力的過ぎるというのも困ったものだな。こいつを殺してもよいが後始末が面倒だ。片方の目をくり抜くだけで許してやろう」


 非道な言葉がフレデリックの口からサラリと漏れた。


「どうしたゴミ。死なずにすんだのだぞ。嬉しくないのか? 殿下の寛大な処置に感謝したらどうなのだ。ほら! こっちを向け!」

「うっ!」


 剣を抜いたパトリックに蹴り上げられ、レオンハルトが仰向けに倒れる。その瞬間、レオンハルトはこちらに向って猛然と走るシエラの姿を捕らえた。


「――来るなっ! 絶対に来ないでくれ! 来たら僕も戦うぞ! 決して逃げたりしない! だから来るな!」


 レオンハルトの悲痛な叫び声に、パトリックの口角が吊り上がった。


「いいねえ。ゴミはゴミらしくもっと無様にあがけ。だが、あまり抵抗すると、うっかり殺してしまうかもしれんぞ、ククク」


 楽しそうに剣先を揺らすパトリック。その後方では、シエラが大粒の涙を溢していた。


(ああ……命を懸けてお守りすると誓ったというのに……お許しください、アレクサンドロス様、オリビア様、私は約束を果たすことができませんでした……神様、どんな罰でも受けます。ですから……どうか……どうか……)



「――何をなさっているのですか?」


 悪意に満ちた空気を振り払う凛とした声が通り抜けた。吸い寄せられるように皆の視線が声の主に集まっていく。


「ベ、ベルフェルミナ……?」

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