小麦畑に浮かぶ村
国境の町ポルタから馬車で三日ほど東へ進み渓谷を抜けると、広大な小麦畑に囲まれた村に辿り着く。
人口千三百人ほどのクレンテス男爵が治める村である。
小高い丘に赤い屋根の民家が建ち並び、最も見晴らしの良い南端部に、カイル・クレンテス男爵は屋敷を構えていた。
遠方より眺めるその村は、緑の大海原に浮かぶ島のようであった。
「わあ~っ。すごい眺めですよ。ベルお嬢様!」
「ええ。毎日、自分の部屋からこの絶景が見られるなんて最高だわ」
窓の外に広がる景色に、ベルフェルミナとマリーが感嘆の声を上げる。
二人はクレンテス男爵邸の客室にいた。
「だろう? 収穫時期になると、黄金色の絨毯が地平線まで広がるんだよ。そりゃあもう、最高の眺めさ。ハッハッハッハッハ!」
豪快に笑い飛ばし、クレンテス男爵夫人のマーサが窓を開ける。日焼けした褐色の肌に、マリーがすっぽり隠れるほど恰幅の良い体、三十代半ばにしてバツ二、四児の母だ。
「このような素晴らしい部屋を、わたくしどもに貸してくださり、クレンテス男爵夫人のお心遣いに感謝いたします」
一番危惧していた安心して住める場所を確保できたのである。ベルフェルミナとマリーは改まって頭を下げた。因みに、この客室は二階の角部屋でマリーの部屋は隣だ。
「そう言ってもらえると私も嬉しいよ。でも、悪いわねえ。この客室はちょっと狭いかもしれないけれど我慢しておくれ。小さな屋敷だからもう部屋が無いんだよ」
二階建ての古い屋敷には、クレンテス男爵夫妻と長男、長女、次男、次女の家族六人と、料理人が一人、農作業と馬の世話をする使用人の四人が暮らしている。
数年前にメイドが辞めてからは、男爵婦人と長女で家事をこなしていた。
「とんでもありません、奥様。クレンテス男爵家のために一生懸命働きますので、何なりとお申し付けください」
さっそく、マリーはメイド服に着替え気合十分である。
「ああ、頼むよ。今までは長女のララナに家事を手伝ってもらっていたんだけど、あの娘にはそろそろ他のことに頑張ってもらわないと困るからねえ。あなたたちが来てくれて、ほんとに助かるわ」
マーサが娘の心配をしていると、噂の当人がひょっこりと廊下から顔を出した。
「もうっ、お母さんってば、何度も言わなくたってわかっているわよ。早く婚約者を見つければいいんでしょ?」
ララナはうんざりした様子で溜息をついた。
マーサと同じ灰色の瞳に、ライトブラウンの髪を後ろで結び、母親とは違って肌は白く、ほっそりとした体型である。
「本当にわかってんのかい? あんたはもう十八なんだよ? ただでさえ田舎貴族の娘なんて貰い手が無いんだ。さっさと相手を探さないでどうするんだい?」
「ベル~? 村を案内するから、後で私の部屋に来て」
母親を無視してベルフェルミナに手招きしたララナは、小言が飛んでくる前にひっこんでしまった。
「まったく、あの娘は呑気なもんだねえ。いったい何を考えてんだか。ひょっとして、いい人でもいるのかしらねえ? あんたたち、あの娘から何か聞いてない?」
「いえ。とくには……」
やはり、どこの国でも婚期を逃した貴族の長女というのは、修道院送りにされてしまうのだろうか。他人事とは思えないベルフェルミナは、ララナの気持ちを思うと心苦しくなってしまった。
「まあ、こんな私でも三回も結婚できたんだ。見てくれとかこだわらなきゃ、結婚なんざすぐにできるもんさ。だろう? ハッハッハッハ」
そうですね、とも言えず。返事に困ったベルフェルミナは、横目でマリーに助けを求める。
「では、さっそくですが奥様? 屋敷の案内をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんさ。と言っても、大した屋敷じゃないから案内するほどではないんだけどね」
「いえいえ、十分広いですよ。立派な馬小屋だってあるじゃないですか。何頭いるんです?」
「ハッハッハ。騎馬隊の馬を飼育しているからね。馬小屋だけは立派なんだよ。後で覗いてみな」
「ええ~? 入っちゃっていいんですか~?」
「なんだいあんた? 馬が好きなのかい?」
「はい。大好きなんです~」
楽しそうに喋りながら二人が出て行くと、残されたベルフェルミナは窓から身を乗り出し大きく深呼吸した。目を閉じて魔力の流れに集中する。
(……だいぶ収まってきたわ。あと、もう少しね)
駄々洩れだった魔力を内側に溜めていくイメージトレーニングだ。この数日間続けてきた結果、いよいよ他の魔物を制圧してきた魔力が消えようとしていた。




