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竜襲来

 淡いオレンジ色のパラソルが咲き並ぶ開放的なカフェテラスは、お茶を楽しむ若い女性たちで賑わっていた。耳に入ってくる会話は、もっぱら恋の話と噂話である。こればかりは、町娘だろうと貴族令嬢だろうと身分はまったく関係ないようだ。


「マリー? わたくしたちがポルタに来て、まだ四日目よね?」

「いいえ。今日で六日目です」


 ぼんやりと異国の街並みを眺めていたベルフェルミナとマリーは、数分ぶりに言葉を交わした。生きて国境を越えたお祝いと臨時収入、奮発して町一番の高級ホテルに泊まったのがいけなかった。豪華な部屋は現実逃避するには十分過ぎた。はじめは二泊の予定だったのが、今ではすっかりリゾート気分を満喫している。そして、ホテルのカフェテラスで優雅にお茶を楽しむほど、心に余裕が生まれていた。


「決めたわ」

「何をですか?」

「明日の朝、いえ、昼にはポルタを出ましょう」

「賛成です。さすがに国境を越えてくるとは思えませんが、あのバカ王太子がまたちょっかいを出さないとも限りません。お強いお嬢様なら返り討ちにできるでしょうが、できる限り戦いは避けるべきです」

「うん。誰とも戦いたくないわ」


 戦いを重ねていくうちに、戦闘を楽しむ感情が蘇りそうで怖い。そうなったらもうベルフェルミナでなくなってしまう。


「バカ王太子に見つからないようエストロニアから少しでも遠くに離れたほうがいいでしょう」


 ここまではマリーも落ち着いていた。


「また、しばらく馬車に乗ることになるから、後で買い物に行ってくるわ」

「買い物?」


 マリーの片眉がピクンと跳ね上がった。


「ところで、お嬢様?」

「なにかしら?」

「国境を越えてから、少し気が緩んでいるように見えるのですが?」

「わたくしが? 国境を越えたくらいでそんなことあるはずないわ。どこをどう見ていっているのかしら?」


 とんだ言い掛かりをつけられ、ベルフェルミナはヤレヤレといった様子だ。


「その服ですよ。ずいぶん華やかではありませんか!?」


 すっくと立ちあがったマリーが、ビシッと人差し指を突き付ける。


「そうかしら? マリーに言われた通り、目立たないよう控え目にしたつもりだけど……」

 

 自分でも薄々気づいていたのか、ベルフェルミナの目が泳いでいる。そんな泳いでいる瞳と同じ鮮やかな赤色のワンピースだ。しっかりとフリルやリボンもほどこされている。


「どこが控え目ですかっ。その帽子もっ」

「え? だって、ポルタの陽射しが強くて……」


 帽子を買うのは構わない。しかし、町娘なら絶対に選ばないであろう、ブルーのリボンがアクセントになっている肩幅より大きい純白の帽子だ。たとえ待ち合わせ場所がごった返していたとしても、これなら百メートル先からでも見つけられるだろう。


 さらに、マリー捜査官の取り調べは続いた。


「そのヒール、何センチあるんですか? 今からパーティーに出席するおつもりですか?」

「こ、これは可愛かったし、一足くらいあってもいいかなって……」

「いまバカ王太子の追手に見つかったらどうするんですか? 素早く逃げられませんよ。町中でドンパチするんですか?」

「いや、その時はヒールを脱いで裸足で……」

「あと、美容室にも行きましたね?」


 美容室を頻繁に利用するのは上流階級がほとんどで、平民は特別な行事などがあるときくらいだ。


「か、髪がボサボサだったのよ」

「爪もピカピカにお手入れされて」

「べつにいいでしょう? 少しくらいお洒落したって」

「少しくらい? 今『少し』とおっしゃいました?」

「……いえ。やり過ぎました」


 捜査官に睨まれたベルフェルミナはあっさり自白した。絶望と恐怖から解放された反動で、一時的に生まれた心の余裕。それが深層心理に影響し、無意識的に本来あるべき姿へ戻ろうとしているのだ。


「おかしいと思ったのです。昨日、別行動がしたいとおっしゃるから」

「お洒落は今日だけよ。明日からは質素にするわ。ちゃんと目立たないようにするからまかせて」


 ベルフェルミナがポンと胸を叩く。どうやら、地味な服を抵抗なく着られるスキルは失われていないらしい。


「そうして頂けると助かります。あれだけあった臨時収入を、すべて使ってしまいましたので」

「え? ……えええっ!? だって、金貨百枚以上あったじゃない」

「最高級ホテルに泊まっていますからね。一泊金貨二十枚もする」

「わたくしのせいではないわ。マリーだって、あぶく銭はパーッと使ってしまおうってはしゃいでいたでしょ」

「あ、あの時は少しテンションがおかしかったのです。ですが、それだけではありません。誰かさんが高価な買い物や高級レストランで食事を思うままなされましたので」

「それは、ごめんなさい……明日は一番安い馬車にしましょう」


 うっかり値段を見ずに買ってしまう伯爵令嬢の習性が出てしまった。項垂れるベルフェルミナに、マリーがゆっくりと首を横に振る。


「いいえ。あまり安い馬車はおすすめしません。ここが、大変なことになりますので」


 スリスリと、マリーが大きなお尻をさすった。安い乗合馬車は硬い座席に、地面からの振動が直に伝わってくるのだ。


「そ、それは由々しき問題ね。わたくしにも身体強化の魔法が、使えたらよかったのだけれど……」


 前世の肉体があまりにも頑丈過ぎたために覚える必要が無かった。


「お尻を強化すればいい、という問題でもなさそうですが」

「乗り物酔いも酷そうよね」

「いっそのこと、空飛ぶ魔法を覚えたらどうですか?」

「それって、わたくしがマリーを背負って飛ばなきゃいけないってこと? 絶対に無理よ。体力と腕力は人並み以下なんだから。マリーを乗せた瞬間、背骨がポキッと折れてしまうわ」

「失礼なっ。私はそんなに重くありませんよ」

「ハハハ、冗談よ。怒らないで」


 お洒落なカフェテラスで二人が楽しんでいる頃。


 冒険者ギルドでは巨大岩を吹っ飛ばした女魔導師の話題で持ちきりになっていた。防壁の外で上がった爆炎は町の中からも確認できたのだが、当初それが魔法によるものだと誰も信じることができなかったのである。数日かけて、ようやくベルフェルミナの存在が裏付けされると『黒髪緋眼の魔女』という嬉しくもない二つ名をつけられた挙句、要注意人物にされてしまうのであった。

 尚、原因をつくったとされる門番は責任を問われ、人知れず僻地へと飛ばされることが決まった。




 王都の至る所から上がっていた悲鳴や雄叫びは消え、七日間昼夜続いた魔物の襲撃は収まりをみせていた。これも、騎士団が食事も睡眠もとらず命がけで戦ったからである。その代償に、騎士団は半数もの兵士を失った。被害は王都全体にも及び、多くの民衆が住む家を失くしたのである。


「王都だけで死者は千人を超えたか。ううむ。騎士団は何をしていたのだ。日頃から厳しい訓練をしていれば、もっと被害は少なかったはずだぞ」


 騎士団からの報告を受けたフレデリックは、エスト城の会議室から変わり果てた城下町を見下ろした。


「…………」


 命がけで戦った騎士団を能無し呼ばわりする王太子に、報告にきた兵士も開いた口が塞がらない。


「早急に王都の復旧に取り掛かれ。手の空いているもの全員でやるのだ」


 そうフレデリックは命じて兵士を下がらせた。不眠不休で働いた兵士たちは皆疲労困憊でクタクタである。そのくせフレデリックの顔色はすこぶる良い。宰相、将軍、軍師、大臣ら六十歳を超える老人たちと、安全な会議室であーだこーだと指示を出しているだけなのだから当然といえよう。しっかりとデザート付きの食事もとっている。


「フレデリック殿下? 聖女様の結界が、ようやく効いてきたようですな?」


 小柄で白髪頭の宰相が、ほんのりと嫌味を含ませる。

 頭の悪そうな喋り方に、礼儀作法も身についていないリーンが、本物の聖女なのか疑問に思っていた。それは、この場にいる誰もが思っている。


「フン。十五年もの間、誰にも感謝の言葉をかけられずとも王都を守ってきたのだ。少しくらい休んでもよかろう?」


 フレデリックが嫌味で返す。この台詞はリーンから直接言われたものだ。

 初めは申し訳なさそうにしていたリーンだが、徐々に開き直り『聖なる力を失ったのは、みんなからの感謝の念が足りないからよ。見返りもなく平和が手に入ると思ったら大間違いよ』と、完全に聖女らしからぬことを口にしていた。


(クソッ。リーンめ。本当に聖女なんだろうな。俺の王都が瓦礫の山ではないか……それもこれもベルフェルミナを追放――? 待て。ベルフェルミナが王都を離れた途端、魔物が現れた? たしか、そのあとに東の地域から突然魔物が消えたと報告があったな。だが、ベルフェルミナの行き先はパトリックしか知らぬ。もし、東に向かったのなら……ええい。パトリックはいつ戻ってくるのだ)


 すでにリーンへの熱は冷め切っていた。しかし、今さら非を認めることなど断じて許されない。聖女としてリーンを妃にすることは決まっているのだ。

 やり場のない怒りに、フレデリックは奥歯を強く噛み締めた。


「――ん? なんだあれは?」


 ふと、空に浮かぶ青色の塊がフレデリックの目に飛び込んできた。その声につられ、宰相たちも窓の外に目を向ける。大きな翼に長く伸びた首のシルエット。


「ワイバーンだ!」

「なに!? ここに向かって飛んで来るぞ! 騎士団は何をしておる! いや。宮廷魔導師を向かわせろ! 急げえええい!」


 城の八階にある会議室は、空を飛ぶ魔物にとって格好の的になる。


「ええい! 慌てるでないわ! たかがワイバーン如き、Cランクの冒険者でも狩れる魔物だ。しかも、たった一匹ではないか!」


 浅黒い肌に、銀色に輝く鎧を纏った七十五歳の将軍がしわがれた声で一喝する。

 エストロニア軍が誇る戦闘のレジェンドが放つ言葉だ。慌てふためいていた宰相たちは、ゴホンと咳払いし落ち着きを取り戻した。

 ところが、


「――いや。違う! あ、あれは、ブルードラゴンだ!」


 フレデリックの悲鳴混じりの声に、今度こそ全員が竦み上がった。

 ドラゴンの上位種ブルードラゴンは、少なくともAランクの冒険者パーティーが四組は必要といわれている。エストロニアの宮廷魔導師では、何十人いようと歯が立たない。そして、王都とその周辺にAランクの冒険者がいないことは誰もが知っている。


「何故じゃあ! 何故ブルードラゴンがこんなところにおるんじゃあ!」

「ひゃああああ! あっちにいけえええ!」

「早く! 宮廷魔導師を出せ! 全員だ! 全員! 玉砕覚悟で撃ち落とせ!」

「城下町はどうなっても構わん! ここだけは死守させろ!」

「ワシはまだ死にたくない! 神様どうかワシだけでもお助けを!」


 権威をひけらかし命令するだけの老人たちが、死を目前にして本性を露わにする。


(くうぅっ。こんなことなら見栄を張らず、父上と指揮を代わるべきではなかった。安全な地下に避難していればよかったものを……)


 なぜ神に愛された俺が、老いぼれどもと死なねばならぬのか。奈落の底へ落ちるように、フレデリックはがっくりと両膝をついた。


 ――ドオオオン! ドドオオオン! ドドドオオオン! ドドドドオオオン!


「な、なんじゃああ!?」


 城壁の上に、三十人ほどの宮廷魔導師の姿が見える。果敢にもブルードラゴンに攻撃を仕掛けたのだ。次々と爆炎が花火のように打ち上がっては消えていく。想像以上の火炎魔法の威力に、老人たちは淡い期待を抱いた。


「おおおっ、やったか?」

「何という破壊力!」

「さすが、我が王国の宮廷魔導師じゃあ」


 ところが、老人たちの期待はあっけなく崩れ去る。黒煙から現れたブルードラゴンの硬い鱗には、かすり傷一つついていない。やはり、宮廷魔導師の攻撃は通用しないのだ。


「グルルルル……」


 煩わしそうにブルードラゴンはその長い首を宮廷魔導師たちに向けると、白い息を漏らしながら大きく口を開いた。

 次の瞬間、キラキラと光り輝く氷結のブレスを放出する。


「――――っ!」


 宮廷魔導師たちは悲鳴を上げる間もなく氷の像と化し、ブルードラゴンの羽ばたいた風圧で、ガラガラと崩れ去ったのである。

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