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大賢者のようです

 腹を斬られ横たわるマリーは辛うじて息をしていた。しかし、傷痕からはドス黒い血がどんどん溢れ出してくる。一刻の猶予も許されない状態だ。


「お、お嬢様……よかった……ご無事で」


 薄っすらと目を開けたマリーが、かすれた声で語り掛ける。


「マリー、しっかりしてっ」

「申しわけ……ございません……」

「なんで謝るのよ?」

「約束を……守れそうに……ありません」

「いやよ。わたくしを一人にしないで!」

「……お嬢様なら……おひとりでも……大丈夫です」

「そんなことないわ。わたくしの子を抱くんじゃなかったの!?」

「……そうでしたね」

「そうよ。だからお願い」

「……男の子でしょうか……女の子でしょうか……うっ」


 血の気が失せて白くなったマリーの顔が苦痛に歪む。


「ああ、どうしよう。マリーもう喋ってはダメよ」

「きっと……かわいらしい………………お嬢様に似た……」


 一瞬だけ微笑むと、マリーは静かに目を閉じた。


「いやああああああああああっ! マリー!」


 回復魔法さえあればと、黒髪を振り乱しベルフェルミナが慌てふためく。SSSランクの冒険者を圧倒する魔法は使えても、回復魔法が使えない。覚える必要がなかった。ほとんどの物理攻撃と魔法攻撃が効かないオルガは、戦闘中に回復魔法を使うくらいなら死んだほうがマシと考えていたくらいだ。


「――あっ! そうだわ!」


 彼らが冒険者だということを思い出したベルフェルミナは、既に冷たくなっているルーベンの元に急いだ。そして、震える手でウエストポーチを漁る。


(ごめんなさい。ルーベンさん……)


 回復役の冒険者がいないパーティーなら、必ず所持しているはずだ。


「あった。ポーションと薬草…………すみません、使わせていただきます」


 緑色の液体の入った小瓶と、麻紐で束ねられた薬草を握りしめ、再びマリーの元に急ぐ。


「さあ、マリー飲んで……」


 少しずつポーションを飲ませると、マリーの身体が緑色の弱い光に包まれた。すると、斬り裂かれた傷口が徐々に塞がっていく。それを見てベルフェルミナは全身の力が抜けてしまった。


「はぁ……よかった。これで――」


 しかし、半分ほど塞がったところで回復の効果が止まる。傷が深すぎてポーションだけでは治癒できないのだ。


「ああっ、そんな……待って」


 ベルフェルミナは肉厚で固い薬草を揉みほぐし、柔らかくなった薬草で傷口を塞ぐ。そして、自分のスカートの裾を引き裂いて包帯代わりに巻き付けた。


(ああ、神様。お願いします。どうか、どうか、マリーをお助けください。代わりにわたくしの命を捧げても構いません……)


 ベルフェルミナは心の底から強く祈った。しかし、都合のいい神様などいないことは重々承知している。なぜなら、母親のときも必死に毎日祈り続けていたのに、願いが届くことはかなかったからだ。


「ほんと、自分が嫌になる……どんな相手だろうと倒すことのできる力があるのに、治す力が無いなんて……二千年も生きておきながら、なんと愚かでくだらないことをしていたのだろう……ごめんね。マリー……ひっ、ひっ、ひっく……うわああああああああ」


 まるで子供のようにベルフェルミナは大声で泣きじゃくった。母の時は悲しくてもマリーがいた。しかし、もう一人ぼっちになってしまった。こんなに苦しい思いをするのなら、パトリックに殺されておけばよかった。しかし、魔法攻撃も物理攻撃も自分には通用しない。この世界から逃げることは許されないのだ。全てに絶望し、ベルフェルミナは地べたに泣き崩れた。



「……か?」

「……ですか?」

「――大丈夫ですか?」


 徐々に近づいてくるその聞き覚えのある声に、ベルフェルミナが顔を上げる。そこには、黒地に金の刺繍の入った仮面をつけた貴公子がいた。


「……メイソン……様?」


 涙でぐちゃぐちゃになったベルフェルミナの顔を見て、僅かにメイソンが戸惑う。そして、傍に横たわるマリーに視線を向けると、


「ダグラス! 来てくれ! 早く!」


 差し迫った状況に大きく声を張り上げた。気付くと、ベルフェルミナたちが乗っていた馬車よりも大きく豪華な馬車が四台、すぐ近くに停車している。


「お呼びですかな? メイソン様」


 カツカツと精霊の宿り木より作られた杖を鳴らし、厳かな白いローブを纏った大賢者様が現れた。齢三百七十にして背筋は真っ直ぐに伸び、歴史を刻んだ深い皺と威厳のある白い髭を蓄えている。寿命が四百年といわれるエルフだ。


「彼女を治せるか?」

「ふうむ。まだ息があれば可能かと」


 メイソンの問いにダグラスが眉をひそめた。この世界に蘇生魔法は存在しない。肉体から魂が離れてしまえば二度と目覚めることはないのだ。


「頼む。大賢者の力でなんとかしてくれ」

「やってみましょう」


 静かに目を閉じたダグラスが、囁くように詠唱を始める。


「生命を司る精霊たちよ、傷ついた者を癒せ――エクストラヒール」


 掲げられた杖が光を放つと、マリーの身体が柔らかな緑色の光に包まれた。すると、内臓にまで達していた傷は完全に塞がり、真っ白だった顔に血色が戻っていく。まるで、神の奇跡を目の当たりにしているようだ。


「…………う、う~ん…………あれ? ベルお嬢様? 私、死んだんじゃ」

「――マリー!」


 目を覚ましばかりのマリーに、思わずベルフェルミナは覆いかぶさるように抱きついた。大きな胸に顔を埋め腰回りをぎゅうっと締め上げる。


「もう! マリーのバカ! ほんとに心配したんだからね! なんであんな無茶なことをしたのよ! 今度やったら絶対に許さないんだから!」

「い、いたたたっ。お嬢様、そんなに強く力を入れないでください」

「あっ! ごめんなさい」


 慌ててベルフェルミナが飛び退く。それを見て申し訳なさそうに微笑んだマリーはゆっくりと起き上がり、最愛の主の手をそっと握り締めた。


「ベルお嬢様こそ、無茶をしないでくださいね」

「……うん」


 マリーの手の温もりを感じ、ようやくベルフェルミナは安心することができた。オルガとして生きていた時は、この世に怖いものなど何もなかった。自分、ましてや他者の死に恐れを感じたことはない。しかし今は、大切な人を失うことがどれほど怖ろしいか思い知り、共に生きていくことの尊さを知った。


「オホン。お嬢さん、御無事でなによりです」


 ダグラスの控え目な咳払いに、すぐさまベルフェルミナとマリーは立ち上がり深々と頭を下げる。


「わたくしはベルフェルミナと申します。この度は大賢者様の偉大な魔法でマリーの命を救ってくださり、心より感謝いたします。本当にありがとうございました」


 そう言ってダグラスの左手をとり、包み込むように両手で握り締めた。ズタボロのスカートに乱れた黒髪、身なりこそひどいものだが、美しく品性と知性を兼ね備えたベルフェルミナの佇まいに、ダグラスは見惚れてしまった。


「ホッホッホ。これぐらい大したとありませぬぞ。そんなにお気を遣わないでくだされ。なんならもっと凄いものを見せてさし上げましょうかの」

「もういいぞ。ご苦労だったダグラス。下がってくれて大丈夫だ」


 ベルフェルミナの熱い視線に鼻の下を伸ばす大賢者に、やや呆れ気味のメイソンが労いの言葉をかける。放っておくと高出力の魔法を花火のようにぶっ放しかねない。


「ダグラス様。行きますよ。ご披露するならまたの機会にしてください」

「う、うむ」


 赤色のローブを纏った女性に促され、再び威厳のある表情を取り戻したダグラスは、名残惜しそうに馬車に戻っていった。

 そんな彼らのやり取りに気持ちが和らいだベルフェルミナは、ふと自分の身なりに気付き急激に恥ずかしくなった。


「あの、すみません。こんな見苦しい格好をお見せして……」


 裂けたスカートから露出する脚を、ベルフェルミナが隠そうとする。マリーはお気に入りの侍女服が修復不可能とわかって怒りに打ち震えていた。


「い、いえ。構いませんよ」

「あらためてメイソン様、ありがとうございました。まさか、こんなところでメイソン様にお会いできるとは思いもよりませんでした」


 敵だらけの舞踏会でただ一人、優しい言葉をかけてくれたことは強く印象に残っている。絶好のタイミングで通りかかった仮面の貴公子は、白馬の王子様の如くキラキラと光り輝いて見えた。


「僕もです。とりあえず、何があったのかお聞きする前に、お二人とも着替えたほうがいい。僕の妹のでよければ、新しいドレスが何着かあると思うのですが」

「い、いえ。わたくしたちは着替えを持っていますので」


 幸い馬車に積んである荷物は無事だ。もし馬がパニックになり走り去っていたら、着替えと全財産を失うところであっただろう。



「――手触りはちょっとあれだけど、軽くて動きやすいわね」

「さすが、お嬢様。よく似合っていますよ」

「え? そうかしら?」


 まんざらでもなさそうに、ベルフェルミナがさり気なくポーズを決める。あんなに嫌がっていたはずの地味なワンピースも抵抗無く着ることができた。

 ただし、進んで着たいと思うには、まだまだ時間がかかりそうである。

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