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目覚めたようです

「――パトリック」


 鼻を突く血の臭いと死体の山に怯みそうになりながらも、ベルフェルミナは目の前で優越感に浸る男を睨みつけた。


「冒険者を雇うのはよかったぞ、ベルフェルミナ。これだけの戦闘の残骸があれば、お前をさらったのは山賊だと決定付けられる。疑う者は誰もいまい」


 挑発するようにパトリックが満足そうに笑う。


「……っ。なぜ、わたくしを?」

「なに? わからないのか?」


 眉を潜め、パトリックが苛立ちを見せる。


「…………わたくしは、リーンを苛めてなどいないわ」

「チッ。やはり、お前というやつは」


 みるみる眉間の皺が深くなり、憤怒の表情に変わっていく。


「信じてもらえなくても結構よ。怒っているのは、わたくしのほうだわ。リーンのせいですべてを失ったのよ」

「馬鹿な女め! 俺を振ったことも忘れたのか!?」

「…………えっ?」


 予想外過ぎる言葉に、間の抜けた声が出る。たしかに去年だったか、パトリックに告白されたことがあった。しかし、当然その時はフレデリックの婚約者であったし、パトリックも義妹であるリーンと付き合っていた。告白を受け入れるはずがない。この男はそれを逆恨みしているのだ。


「よくも、この俺様の想いを踏みにじってくれたな」

「待って、わたくしはフレデリックの婚約者だったのよ」

「そんなことは関係ない」

「関係あるに決まっているでしょっ。フレデリックの護衛騎士がなにバカなことを言っているの? それに、あなたはリーンと――」

「――お前を俺のモノにするために付き合っていたに過ぎん。お前の元婚約者とリーンをくっつけるために仕方なくやったことだ」

「ちょっ、なにを……?」


 強気の表情が呆気なく剥がれ落ち、ベルフェルミナは狼狽えた。フレデリックとリーンの馴れ初めなど興味無いが、パトリックの策略というのなら話は別である。人生をめちゃくちゃにされたこの悪夢は、この男の身勝手な考えで引き起こされたのだ。


「あのバカ王子は、リーンが聖女だという嘘を簡単に信じてくれたよ。強欲なリーンも王妃になれると知ってノリノリだったからな。お前の評判を落として婚約破棄させるのは、ほんと楽だったよ」

「あ、あなたという人は……」


 血が滲むほどベルフェルミナは強く手を握り締めた。もちろん、まんまと唆されるフレデリックも、嘘をついて陥れたリーンも許せない。何より、いいようにされて何もできない自分自身に腹が立った。


「いいねえ。その怒りに震える顔も美しい。一目見た時から、俺の女にしたいと思っていた」


 大きく目を見開いたパトリックが、すうっとベルフェルミナの頬を撫でる。すぐさま、ベルフェルミナがその手を払いのけた。


「触らないでっ。虫唾が走るわ」

「ククク、これからは俺がご主人様になるのだ。反抗的な態度をとれないよう、たっぷりと調教してやるからな。俺の身体なしでは生きていけないメス豚にしてやる」

「誰が、あなたなんかに屈するものですかっ――――あっ」


 ベルフェルミナが平手打ちを喰らわせようとするも、逆に手首を掴み上げられてしまう。


「今からここで調教を始めてもいいんだぞ。賊どもの前で恥辱に悶える淫らな姿を晒してやろうか? なんなら、賊どもに辱しめられる姿を拝むのも面白そうだ」


 山賊たちから下品な歓声が上がった。


「女ひとりによってたかって、それでも騎士ですか! 恥を知りなさい! 不埒者!」

「黙れ! すべてお前が悪いんだろうが!」

「きゃあっ!」


 パトリックが軽く力を込めると、ベルフェルミナの細い手首が軋んだ。次の瞬間――。


「――その汚い手を離しなさい!」


 馬車からマリーが飛び出してきた。手には果物ナイフが握られている。


「やあああああああああああっ!」


 震える両手で果物ナイフを強く握り締めたマリーは、恐怖心を振り払うように雄叫びを上げた。そして、ベルフェルミナを救いたい一心で、敵うはずのない護衛騎士に斬りかかったのである。


「マリー!! ダメッ!!」

「薄汚いネズミの分際で」


 小さく舌打ちしたパトリックはベルフェルミナの肩を押して遠ざけると、薙ぎ払うように剣を振り抜いた。


 ――ブオンッ! ドシュッ!


 風を切る音、肉を切る鈍い音が響く。


「――あっ!」


 左脇腹から右脇腹にかけて腹を斬り裂かれたマリーは、その剣の威力に身体ごと吹っ飛ばされてしまった。何度も地面に叩きつけられ、人形のようにゴロゴロと転がっていく。


「フン。興を削いだ罰として、苦しみながら死ね」


 侮蔑の眼で仰向けに倒れるマリーを見やり、パトリックが冷ややかに吐き捨てた。


「マリー……」


 大きく目を見開いたまま、ベルフェルミナは呆然と立ち尽くす。怒り、悲しみ、憤り、憎悪、絶望、といった負の感情が一気に流れ込み虚無感に襲われる。それは、深淵の竜と恐れられ、強くなり過ぎた故に生甲斐を失い、途方に暮れた時の感情と似ていた。


(いつだろう? この感情を何処か、遠い昔……………………………………ああ、そうか。我は望み通り人間になれたのだな……)


 本来なら記憶を持ったまま生まれ変わる予定であったのだが、今になってオルガとして生きていた前世の記憶を思い出したのである。


(――んん!? まさか、この魔力量……な、なんということだ。完全に魔法もスキルも引き継いでいるではないか)


 最強の強さを捨て、脆弱な人間の身体を手に入れるはずだったオルガは、自らのステータスを開示して確認した。


「フッ……アーッハッハッハッ! いったい何のために転生したというのだ! こんなことなら転生などしなければよかったではないか!」


 突然、高笑いするオルガであったが、目から涙が溢れ出している。この心が引き裂かれるような熱い涙は、母親を亡くした時に流したものと一緒であった。自分はもうオルガではなく、ベルフェルミナなのだと実感する。


「……この女。気でも狂ったのか?」


 怪訝そうに眉を歪めるパトリックは、別人のように雰囲気の変わったベルフェルミナに剣を突きつけた。見たいのは絶望に打ちひしがれ、恐怖に引きつった顔である。


「ほう。我に――わたくしに剣を向けるのね? その貧相で稚拙な剣の腕前では、傷一つ負わせることはできないわよ」

「くっ、黙って聞いておれば……自分の立場もわきまえず、この俺を愚弄するか!」


 激昂したパトリックの剣先がベルフェルミナの肩口を狙う。痛みを与えれば生意気な口もきけなくなるはずだ。


 ――ガキンッ。


「なっ!?」


 人の肌に当たったとは思えない甲高い音が響いた。同時に、金属に弾かれたような痺れる感触が手に伝わってくる。


「こいつ、服の中に鎧でも纏っているのか?」


 しかし、切り裂かれた衣服の下からは白い素肌が覗いている。

 体力と腕力は一般人の女性と同等、もしくはそれ以下だ。しかし、【斬撃無効】スキルの前では如何なる剣技も通用しない。


「あなたのような人間のクズは、この世から跡形もなく消し去ってやるわ」


 静かにそう告げたベルフェルミナは、呆気にとられるパトリックに向けて右手を突き出した。すると、大きく開かれた手の平の中心に魔力が集まっていく。


「な、なんのマネだ? 貴様あっ!」

「――灼熱の炎よ。彼の者を焼き尽くせ!」


 ベルフェルミナの深紅の瞳がじんわりと光る。次の瞬間、パトリックをすっぽりと光の球が飲み込んだ。そして、球体の表面に魔法陣が現れると、超高温の炎が燃え盛る焼却炉と化す。


「ぐあああっ! やめろお! こんなことしてただで済むと思っているのか! 後で後悔することになるぞ! ぎゃああぁぁぁ……」


 光の球が消失すると、あとには何も残されていなかった。増幅した熱量を凝縮し数千度にまで達した炎が、骨や剣までも蒸発させてしまったのだ。


「バ、化け物だ! うわああああ~」

「た、助けてくれ~!」


 圧倒的な力を見せつけられた山賊たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。もちろんベルフェルミナは一人も逃がすつもりは無い。すでに、闇魔法の『死の宣告』を山賊全員にかけていた。きっかり六時間後には、怖ろしい幻覚に襲われ精神崩壊と共に命を落とすだろう。


「――マリーッ!!!」


 手早くゴミ掃除を終えたベルフェルミナは、急いでマリーの元に駆け寄った。

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