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夜の王都

(よし、これで回復と浄化は大丈夫のはず。明日はルードさんたちの足を引っ張らないようにしなきゃ)


 何度も読み返していた魔導書を閉じ、マヤが灯りを消そうとした時である。

 ふと、下から叫び声が聞こえたような気がした。

 姉のミヤはすでにベッドで寝息を立てている。


(…………気のせい?)


 マヤがベッドに潜り込むと、今度はハッキリと悲鳴が聞こえた。


「ねえ? お姉ちゃん? 悲鳴が聞こえるんだけど」

「…………」

「お姉ちゃん?」

「…………」

「ねえってばっ!」

「……ん~っ? なに?」


 マヤに揺さぶられて、ようやくミヤが目を覚ました。

 気持ちよく寝ていたところを起こされ、ミヤがしかめっ面で妹を睨みつける。


「下から悲鳴が聞こえたの」

「も~っ、知らないわよ」

「でも、本当に聞こえたんだから」


 ベッドから出たマヤが、窓を開けて夜の町を見下ろした。

 ひんやりとした夜風が部屋に入って来る。


 ミヤとマヤの姉妹は町で最も安いといわれる宿屋に泊まっていた。その中でも、一番安い五階の部屋である。駆け出しの冒険者のため懐が寂しく、何かと節約しなければならないのだ。


「明日はルードさんに、魔物が出る森に連れて行ってもらうのよ。寝ぼけていないで早く寝なさい」


 そう言って、ミヤは薄い掛け布団を頭からかぶった。


「あっ、狼がいる。迷い込んだのかな? ……えっ? 熊? なんで? 他にも何かいっぱいいる」


 宿屋の前の道を、幾つもの不気味な影がうごめいている。マヤは身が竦むような得体の知れない恐怖を覚えた。


「…………だ~!!」

「……ものだ~!!」


 遠くから聞こえていた悲鳴が、次第に大きくなっていく。そして、ハッキリと『魔物だ』と叫ぶ声が聞こえた。


「たいへんよ! お姉ちゃん! 魔物よ! 下に魔物がいるわ!」


 耳を劈くようなマヤの叫び声に、ミヤが勢いよく上半身を起こした。


「静かにしなさい! 隣の部屋に迷惑でしょ!」


 安全な町に魔物が出るわけがない。ピシャリと妹を叱りつけたマヤが、再び布団にもぐろうとした、次の瞬間。


「「「うわああああっ! ゴブリンだあああ!」」」

「ひいいいいいい!」

「助けてくれええ!」

「ぎゃあああああ!」

「誰かあああああ!」

「ぐわあああああ!」


 悲鳴はすぐ下の階からであった。しかも、悲鳴の数が尋常ではない。ゴブリンの大群に襲われているのだ。


「――ゴブリンですって!?」


 驚いたミヤがベッドから転げ落ちる。


「お姉ちゃん! 大丈夫?」

「ど、どうしよう。早く逃げなきゃ」


 魔物と戦った経験も見たことも無いFランク冒険者のミヤに戦う選択肢はなかった。魔物についての知識はすべて本を読んだ程度だ。せめて、ゴブリンが数匹程度なら希望はあったかもしれない。


「逃げるったって、どこに? ここ五階だよ」

「と、とりあえず、ベッドで扉を塞ぐのよ」


 姉妹は力を合わせてベッドを押し、扉の前に移動させた。

 しかし、その後はどうする?

 部屋にはベッドが一つだけの狭い部屋だ。隠れる場所なんてどこにもない。


 ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえる。


「お、お姉ちゃん、怖い」

「う、うん……」


 ミヤは弱々しく笑い、力強く妹を抱きしめた。


 ゴブリンたちは人間の女をさらって繁殖させる、そんな話を思い出した。

 ゾクリと背筋に悪寒が走る。考えるだけでも悍ましい。

 あまりの恐怖に気を失いそうだ。しかし、妹だけでも助けなければ。


「ぶ、武器を」


 弓使いであるミヤは、震える手で弓矢を探した。こんな狭い部屋では弓が役に立たないことくらいわかっている。


 ――ドンドンドンドン!


 扉を激しく叩く音と、ギイギイと不快な鳴き声が聞こえる。ついに、ゴブリンたちが部屋にやってきたのだ。


「い、いやだ、お姉ちゃん!」

「大丈夫よ。扉には鍵がかかっているわ」


 ――バキィッ!


 ゴブリンが斧で扉を破壊したのである。

 割れ目から中を覗いたゴブリンが、怯える姉妹の姿を見つけると、あっという間に、扉をバラバラにしてしまった。


「「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!」」


 姉妹の悲鳴を合図に、十数匹のゴブリンたちが一斉に部屋へと雪崩れ込む。


「お姉ちゃん! 助けてええ!」

「マヤ!」


 ミヤとマヤは成す術もなく、羽交い締めにされてしまった。

 少女の腕や足、胸や腰に絡みつくゴブリン。一匹の力はさほど強くもないが、この数で抑えつけられると全く動けない。もがけばもがくほど、興奮するゴブリンたちの口角がニチャアと吊り上がっていく。


「くっ、ううう……」


 今からどんな目にあわされるのか、その悲惨な光景を想像し絶望したミヤは固く目を閉ざした。

 いっそのこと舌を噛み、死んでしまおう。


 ――ギイッ! ギッ! ギャッ! ギエッ! ギョッ! ギヒッ! ギヒィ!


「………………?」


 ふと、身体が軽くなり、ゴブリンの荒々しい息遣いが消えた。

 不思議に思いミヤが恐る恐る目を開けると、


「だ、大丈夫? なんか、女の子の悲鳴が、聞こえたから……」


 深海のように暗い青色の髪、切れ長の目に困り眉の少年が見下ろしていた。その喋り方は自信なさそうにオドオドしている。

 ミヤが立ち上がって周りを見渡すと、十数匹いたゴブリンが全て床に倒れていた。


「あ、あなたがこれを?」

「うん……」


 困り顔で頷く、青髪の少年。

 年は十六、七歳くらいだろうか。パッと見は冷たそうに見えるが、どことなく子犬のような愛くるしさを感じた。

 しかし、一瞬にして十数匹のゴブリンを倒したほどだ。大人しそうな見た目に反して、かなりの腕なのだろう。


「危ない所を助けてくれて、ありがとうございます」

「――お姉ちゃ~ん、怖かったよ~、わあ~ん」


 大泣きするマヤが飛びついてきた。どこにも傷が無いことを確認して、ミヤが安堵する。


「あ、あのさ、ぼくはこいつらを殺せないので、とどめをさしたほうがいいよ」


 青髪の少年はモジモジしながらそう言うが、身長と同じくらいの長剣を背負っている。黒い鞘に黒い柄の黒い剣だ。


「まだ死んでないの?」

「うん。こいつらは気絶しているだけ」


 よく見ると、ゴブリンの指先がピクピクッと痙攣している。


「他のお客さんたちは、どうなったのかしら? あなたが助けてくれたの?」

「い、いや、知らない。女の子は君たちだけだったから……」

「女の子? それじゃあ、男の人は? たくさん泊まっていたはずだけど」

「さあ? 男なんてどうでもいいし、助ける時間がもったいないよ」

「え、でも……」


 下から聞こえていた悲鳴が消えたということは……。姉妹は顔を見合わせた。


「もういいかな? 他にも助けに行かなきゃ」

「あ、待って。私たちも一緒に行っていい?」

「ん~、外は危ないし、ここにいたほうが安全。そのうち、町の憲兵隊が来ると思う」

「それまでに、また魔物が来るかもしれないわ」

「大丈夫。ゴブリンの死体を、部屋の前に置いとけば、寄ってこなから」

「部屋の前? ……わかったわ。やってみる」


 破壊された扉に視線を向けていたミヤが振り向くと、青髪の少年は窓から飛び降りてしまった。


「ちょっ! ここ五階――」


 慌ててミヤとマヤが窓から身を乗り出す。しかし、青髪の少年の姿を見つけることはできなかった。


「そういえば、名前を聞いていなかったわね……もっと、他にもいろいろ聞きたいことがあったのに……」


 気が動転して上手く考えることができない。ミヤはコツンと自分の頭を叩いた。


「ねえ? お姉ちゃん?」

「ん? どうしたの?」

「このゴブリンたちをギルドに持ち込んだら、けっこうなお金になるんじゃない?」

「は? …………たしかに、そうね」


 冒険者としてやっていく自信をなくしていたミヤであったが、たくましい妹を見てもう一度頑張ってみようと思うのであった。


 ◇  ◇  ◇


「フレデリック殿下!!」


 突然、蹴破らんばかりの勢いで扉が開く。


「――なっ?」


 一糸纏わぬ姿のリーンとベッドの上で戯れていたフレデリックの元に、近衛兵が駆け込んできた。急を要するため、挨拶もなく近衛兵は片膝をつく。


「貴様あっ! 許可もなく入ってくるとはなんたる不敬!」


 しかし、フレデリックの怒りは近衛兵の言葉で瞬時に消え去った。


「魔物がっ! 魔物の大群が、王都に侵入しました!」

「な、なんだと!?」


 飛び起きたフレデリックは、信じられないといった表情で固まっている。リーンを聖女として微塵も疑っていないからだ。そのリーンはフレデリックの隣で、シーツを被り怯えたフリをしている。


「……フン。狼か野良犬の群れを、魔物と見間違えているのだろう?」

「狼型の魔物も確認されています」

「だから、それを魔物と勘違いしているだけだ」

「ですが、ゴブリンやオークもいるのです」


 夜の暗がりでも、さすがにオークを人間と見間違えるのは無理がある。


「ば、馬鹿な。あり得ん!」

「実際に門兵たちと戦闘になっており、死傷者もでています」

「…………っ」


 いよいよ認めざるを得なくなったフレデリックは、ようやく愛するリーンに視線を向けた。


「リーンよ。今日まで魔物の侵入を阻んできた聖女の結界はどうなっているのだ?」


 どうもこうも聖女ではないのだから、リーンには答えようがない。いつものように、愛嬌を振りまいて誤魔化すことにした。


「え~っとぉ……なくなっちゃった? かも? エヘヘッ」

「笑いごとではない! すでに被害が出ているのだぞ!」

「だって……わからないんだもん」


 初めてフレデリックに強い言葉で責められ、リーンが泣きそうな顔になる。


「う、う~む。どうしたものか……聖女の力が弱まっているのか?」


 これ以上、リーンに詰め寄って泣かれては困る。苛立ちを抑えたフレデリックはベッドから下り着替え始めた。


「フレデリック様……」


 聖女ではないとバレたら捨てられてしまう。リーンは必死に考えた。ベルフェルミナのせいにしようにも、王都にはいないのだから義姉のせいにはできない。


「陛下には?」

「はっ! すでに報告しております」

「陛下はどのような対処を?」

「第一騎士団が王都の魔物を排除に、第二、三、四騎士団は近郊の町に向かうことになりました」

「そうだな。王都周辺の町や村も魔物に襲われている可能性は高いだろう。いったい、どれほどの被害になることやら」

「心配なさらずとも、我らエストロニア王国が誇る精鋭揃いの騎士団が、早々に制圧することでありましょう」


 平和ボケで実戦経験の無い近衛兵に力強く言われても、フレデリックの不安が取り除かれることはなかった。


「まったく。こんな時にパトリックが休暇とはな。行き先も言わずにフラッと出ていきおって。あいつもよくわからん男だ。俺は陛下の元に行かねばならん。お前は結界をどうにかしてくれ、頼んだぞ」

「う、うん……」


 侍女を呼びつけ軍服に着替え終えたフレデリックは、近衛兵を従えて部屋を出ていった。



「――何なのよ! もうっ!」


 一人になったリーンが枕を投げつける。ベルフェルミナがいれば、不都合なことは全て義姉のせいにできた。国外追放したのは早計だったかもしれない。やはり、牢屋に入れて手の届くところに置いておけばよかった。

 どこまでも自分勝手な考えで、リーンは頭を悩ませるのであった。


「はあ……。あいつのせいで結界が消えた言い訳を考えなきゃ」


  ◇   ◇  ◇


「父上! フレデリック、参上いたしました!」


 会議室までのんびりと戦況を聞きながら歩いていたはずが、扉を開けると同時にフレデリックはハアハアと息を切らす。


「遅いではないか、フレデリック。王国の危機だというのに何をしていた?」


 見透かしたかのように、国王の厳しい言葉が飛んだ。

 すでに、宰相、将軍、軍師、大臣ら六十歳を超える老人たちが、各部隊配置や被害状況などの対応に追われていた。


「王太子殿下は聖女様のご機嫌取りに、忙しゅうございますからな」


 小柄で白髪頭の宰相がチクリと刺す。

 フレデリックは軽く舌打ちして牽制すると、国王陛下に恭しく頭を下げた。


「父上。聖女であるリーンの安全確保のため、遅れたことをお詫びします」

「その新しく婚約者にしたリーンというのは、本当に聖女なのであろうな? 儂にはベルフェルミナのほうが、未来の王妃に相応しいと思っておったのだが、勝手にコロコロと婚約者を替えおって」


 国王陛下の言葉に老人たちが頷く。


「お待ちください。今はそんなことを言っている場合ではございません。騎士団だけでなく、もっと王都に兵力を集めるべきかと」


 分が悪くなると感じたフレデリックが声を高らかに進言する。

 しかしそれが、自分をさらに追い込むことになった。


「それならば、西の国境を護っていらっしゃる第二王子のレナード殿下を、王都へ呼び戻されてはいかがでしょう、陛下?」


 宰相の提案に老人たちが賛同する。全員が第二王子派であり、次期国王はレナードこそが相応しいと思っているのだ。やっとの思いでレナードを僻地へと追いやったフレデリックとしては、それだけは避けなければならない。下手に功績を上げてレナードの支持が集まれば、王太子の座が危ぶまれる。


「ダメだ、ダメだ! この機に乗じて隣国に攻め込まれてしまったらどうするのだ! やはり、ここは現存の兵力で切り抜けるのが上策!」


 フレデリックはさらに声を上げて、強引に流れを引き戻そうとする。


「だから、今その会議をしておるのだ」


 国王陛下の呆れた顔を見て、フレデリックが拳を握り締めた。


「父上、全軍の指揮は私にお任せください」

「なに? お前が?」

「魔物の数はさらに増していると聞きました。王城が戦場となる恐れもあります。万が一にも、国王陛下が倒れるようなことがあってはなりません。どうか、母上と一緒に安全な地下のシェルターで身をお守り下さい。必ずや私がこの危機を乗り越えてみせましょう!」


 その意見に、老人たちが無言でほくそ笑む。

 こんなバカ王子に指揮ができるわけがない。だがもし、勝手に戦場に飛び出して、命を落とせば願ったりかなったりである。


「陛下。我々も王太子殿下のお考えに賛成でございます」

「そうか皆がそういうのであれば、フレデリックよ、任せたぞ」

「ははっ!」


 自分の株を上げることに必死のフレデリックは、先のことなど何も考えてはいなかった。



 ◇   ◇  ◇



 王都から数百メートルほど西に歩くと、ブナ林に囲まれた窪地に出る。その奥に古びた祠があった。現在の王都ができる前からあるらしく、何の神様を祀っているのか知る人はいない。

 その祠から地下に続く石の扉が破壊され、魔物が続々と飛び出していた。


 ――グルルルルルル。


「そうだ。溜まった膿は全部吐き出してしまえ」


 白色の生地に『三日月と翼の紋章』を金の刺繍で施したローブに、顎髭を蓄えた初老の男が目を細めた。全世界で布教活動をしている神竜教の大神官である。周りには若い神官と、教団の兵士を二十名ほど従えている。魔物に気付かれない結界を張り、祠の様子を伺っていた。


「大神官様。王都はどうなるのでしょうか?」


 若い神官が訊ねる。


「被害はかなりのものであろうな。だが、落とされることはあるまい。地上を汚す異教徒の排除は神竜様にしてもらう。我々の願いを叶えるためには大勢の血が必要なのだ」


 大神官が濁った目を大きく見開いた。


「はい。信徒たちもより信仰に励むことでしょう。……恐れながら、ひとつお聞きしたいことがあるのですが?」

「申してみよ」

「はい。祠に潜む魔物どもを、冒険者に駆除させるわけにはいかなかったのでしょうか? そうすれば、もっと早く神竜様の眠る場所に――」

「――愚か者! 神竜様は竜族であらせられるのだ。その竜族を狩る冒険者どもは、最も憎むべき存在なのだぞ。その冒険者の力を借りて、神竜様を復活させるなど断じてあってはならん」

「はっ、考えが至らず申し訳ございませんでした。どうか、未熟な私をお許しください」


 平伏する若い神官を横目に、大神官が

言葉を漏らす。


「しかし、十五年前に地下へと潜った魔物が、今になって地上に出てくるとは。この地に何が起こっていたというのだ……」


 しかし、この問いに答えられる者は無く。不気味な魔物たちの鳴き声が夜の闇に響くのであった。

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