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小椋夏己のア・ラ・カルト  作者: 小椋夏己


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 56 マンション買います

「また入ってたよ」


 帰宅した夫から妻に渡されたのは不動産屋のチラシだ。


 夫婦が暮らすのは築15年ほどのマンション。

 夫婦は結婚した年に、たまたま空き部屋が出たのを購入して入居した。ここの住人となって5年になる。


 売り主が急いで売りたかったらしく、夫婦の部屋は販売当時の価格よりかなりお得に購入できたのだが、いつ見てもチラシの購入の予算が驚くほど高く示されている。


「うちの買った倍ぐらいは出すって言ってるよね」

「うん、まあ、そんなのは本当じゃないだろう」

「そうよね、倍だもんね。ローン支払っても残りどのぐらいになるのよ、ねえ」

「まだ今払ってるのってほとんど利子みたいなもんだから、半分ぐらい残る計算になるのかな」

「それが本当だったら売る?」

「まさか」


 夫が笑いながら妻に言う。


「それ、よく見てみろよ、その価格で買いますってのじゃなくて、予算って書いてある。準備はしてるが、実際に払う金額はまた別ってことだろ」

「あ、そうか」


 妻がチラシを両手で持って、ふうむと考える。


「ずるいわよねーまるで倍で買ってくれるかのように」

「ひっかかる方が悪いだろ」


 夫が妻の言葉にくすくすと笑った。


「それよりこれよ、これ、いつものこれ」

「ああ、いつものか」


 この手のチラシ、表に不動産屋の名前や担当社員やら、そういう情報が普通の宣伝のように書いてあって、裏を見ると、


「どうして私はあなたの家を売ってほしいのか」


 と、つらつらと作文のように書いてあるのだ。


「ワンパターンよねえ」


 妻が思わず死語を口にするほど本当に同じパターンの繰り返し。


「このたびこのマンション限定で部屋をお探しの方がいらっしゃいます。お子様がご結婚になられてこの近くに新居を構えられました。この機会にご自分たちもお子様たちの近くにある、このマンションに引っ越したいとお考えです。ですって」

「何回目だよ、それ読むの」


 聞いて夫がぷうっと吹き出した。


「そんなにこの近所に結婚した子が住む家ってあるのかしら? そしてここ限定で探してるお宅」

「嘘だろ、もちろんそんなの」

「いや、分からないわよ?」


 妻が真面目な顔で続ける。


「現にうちだって私の実家近くでたまたまここに引っ越せたんじゃないの」


 そうなのである。

 5年前、正式に結婚が決まって新居を探していた時、父がたまたまここのマンションが売りに出ている広告を目にしたのだ。


「今度の日曜日、内覧があるらしいぞ」


 そう言って渡してくれたチラシを見て、


「一応行ってみるか」


 その程度の軽い気持ちで行ってみたら、気に入って、すんなりと購入が決まってしまった。


「ローンは抱えるけど、いい家が見つかってよかったわね」


 母がほくほく笑顔でそう言った。


 母はこのマンションができて以来ずっと、


「子供の誰かがあそこに住んでくれないかしら。よく言うでしょ、スープの冷めない距離って。そういうのいいなと思うの」


 そう言っていた。


 実家から徒歩数分、セキュリティもしっかりしてバリアフリー、新築で一応ブランドマンション。

 建った当時は私も姉も弟も、誰も結婚の予定もなく、家族の誰かが住むなんて、本気で考えたこともなかったのだが、数年の(のち)、本当に偶然に空き室が売りに出て、本当に偶然に手に入った。そして今も住み続けている。


「だから、ないことはないと思うのよ」

「まあ、そりゃね」

「でも、うちの親は不動産屋にそんな依頼してなかったし、第一本当にずっとそんな風に探している人がいたとしたら、父が見つけたみたいなチラシ、出してないと思うわ」

「そうだよなあ」

「だからやっぱり嘘ね、きっと」


 妻がそう言ってチラシを紙ゴミ入れに入れるのを見て、夫が楽しそうに笑った。


 そうは言うものの、それからも毎日のように何枚も「売ってください」のチラシは入り、その度に「本当かなあ」との会話になる。


「よくまあ飽きないなあ」

「本当よね、同じこと繰り返して。チラシ刷り過ぎてるのかしら?」

「いや、飽きないのは僕らだよ」

「え?」

「よくまあ、毎回毎回同じ会話繰り返して」

「あら、本当だわ」


 夫婦でくすくす笑ってしまう。


「そういえば、エントランスの名札、いくつかなくなってるのがあったんだけど、ああいうのは売りに出してるのかしら?」

「いや、あれはね」


 夫が管理人さんと立ち話をした時の話をする。


「このご時世ですからね、個人情報がどうとかって、外してほしいって方もいらっしゃるんです」


 と、そうとだけ教えてくれた。


 それから数日後、父が、


「売りに出てたぞ」


 と、実家に入っていたチラシを見せてくれた。


 間違いなくうちのマンションだ。


「へえ、売りに出してる人がいるのねえ」


 色んな間取りがあるのだが、ちょうどうちと同じ間取りの部屋が売りに出ていた。


 持って帰ってまた夫婦の話題になる。


「うちと違ってベランダががこう」


 と、部屋の二辺をぐるっと取り巻いているところを妻が指摘し、


「なってるから、上の階のあの部屋で間違いないみたいよ」


 先日、新しく名札がなくなっていて、管理人さんが「名前を出してほしくない人もいる」と言った部屋らしい。


「やっぱり買いますより売りますの方が確かなのね」


 と、空き部屋になった部屋を思いながら夫婦で納得をした。 

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