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小椋夏己のア・ラ・カルト  作者: 小椋夏己


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 50 母たる者

「それじゃあお母さん、明日から10日間、ショートステイに行っててね」

「お姉ちゃん」


 母は不安そうな顔で私を見上げた。


「どこ行くの? ショートステイって? 私もどこかに行くの?」

「うん、だからね」


 何回繰り返しただろう、この問答。

 母はいわゆる認知症だ。

 いっそ本当に何も分からなければそれはそれで入る施設もあるのだが、まだらというやつで、介護認定の方が来られた時などはがんばろうと思うのか、いつもよりしっかり受け答えをしてしまい、「要介護」ではなく「要支援」にしか認定されない。


「よくいらっしゃるんですよねえ、そういう方」


 と、ケアマネージャーさんもため息をつくが、考えてみればそこできちんと認定してもらおうという意識が働かないというのが、すでにそういうことなのだろうと、私もため息をついて諦めてしまっている。


 元々は実家で一人で暮らしていたのだが、そういうわけで一人で置いておくわけにはいかず、私が実家にほぼ住み込みで世話をする形になってしまった。自宅は実家から車で15分ぐらいの距離なのだが、夜のうちこそ一人で置いてはおけないので、そうするしかなかった。

 今は大学生の娘は電車で1時間以上かかる距離で一人住まい、夫は通うのが大変だろうからと、週末や休みには実家に来てくれてなんとか生活を回しているという状態だ。


 妹は飛行機の距離で家庭を持っているので、気にはしてくれてもしょっちゅう来るというわけにもいかない。今はテレビ電話などというのがあるので、それで母の様子を聞いて話をして、年に何度か来てくれている。あちらはまだ高校生と中学生の子供がいるので、それで精一杯だ。


 そんな生活を続けて3年になる。

 そんな中、私に入院、手術が必要になった。

 

 手術自体は命に関わるものではないし、入院は一週間ほど、術後もしばらく安静にすれば普通の生活に戻れるだろうということだったが、それでも全身麻酔の上に体にメスを入れるのだ、不安でないはずがない。


 それに母のことも気になった。

 ケアマネージャーさんに事情を伝え、色々手続きをしてもらった上で、母を10日ほどショートステイに預けられることになった。


「だからね、お母さん、私が入院する間、お母さんが一人でいるわけにはいかないでしょ? だからショートステイに行っていてね」

「そうなの?」


 母は相変わらず不安そうな顔でそう言う。


 一気に長期のショートステイは難しかろうと、短い時間から増やして今は3日までは泊まれるようになってはいるが、最初の一泊は結構大変だったそうだ。


 夜中に起き出し、


「お世話になりました、娘に迎えに来てもらいますから」


 そう言って帰ろうとする。

 

 さすがに施設はプロ、そんな人の扱いにも慣れているらしく、こちらが深夜に起こされるということはなかったものの、翌日聞いて何度も頭を下げたものだ。

 なんとなく娘を保育園に預けて慣らし保育をしていた時を思い出した。


 そしてまた違う時のことも思い出した。

 もうずっと前、私がまだ学生の頃のことになるが、母が命に関わる病気で倒れ、無事に手術は終わったものの、しばらく麻酔が切れずに心配したことがあった。


 ICUに面会に行き、いつまで経っても目を覚まさない母の手を握りながら、ずっとこのままだったらどうしようと、俯いて一人で泣いていたら、誰かの手が私の頭に伸びてきた。


 驚いて顔を上げると、ぼんやりした顔をこちらに向けた母が、


「泣かなくていいのよ」


 そう言って私の頭を何度か撫で、そのまままた眠ってしまった。


 全然目を覚ます気配もなかったのに、母は我が子が泣いていることに気づき、その時だけ目を覚ましてそう言ってくれたのだ。

 今度は目を覚ましてくれたことがうれしくて、母の手を握って泣いたが、今度はそのままうれしそうな顔で眠っていた。


 母の顔を見ていたら、その時の私の顔に似ているのではないか、そう思った。

 

 最近は楽しそうにショートステイに行って、ただいまと元気に帰ってくるようになっていたのに、私が入院すると聞いてからはずっとこんな感じなのだ。

 

 母ならば、もっと娘を気遣って心配してくれるだろうに、ただ不安そうな顔でうろうろしているのを見て、


「お母さん、状況分かってるんだからもうちょっとしっかりして」


 と、ついつい叱る口調になっていた、イラついていた。


 でも違うのだ。

 きっと、母はもう私の娘になっているのだ。


 今はまだ小学生から中学生ぐらい、時に大人びて背伸びしたりもするけれど(介護認定の時みたいに)そのぐらいの子供になってしまっているのだ。


 この先は、もっともっと幼くなって、きっと下の世話とかも必要になり、やがてはすっかり赤ん坊に戻ったら、来た世界に帰っていくことになるのだろう。


「うん、あのね、少しの間ショートステイに行っていてね。お母さんが元気になる間だけ」


 私がそう言うと、母は少しだけびっくりしたような顔になってからにっこりして、


「うん、分かった、待ってるから早く元気になって帰ってきてね」


 そう言った。


 私を思い目を覚ましてくれた母の母たる気持ち、そして今は、娘になってしまった母を思う私の気持ちもやはり母たる気持ちになっている。

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