16 美優と啓太
「別れよう」
俺の言葉に美優は蝋人形のように固まった。
そうだろうな。
今までそんなことおくびにも出したことがないから、そりゃびっくりするだろう。
「どうして?」
言ってしまえば簡単なことだ。
他に好きな人ができた。
だけど正直に言うつもりはない。
美優の性格はよく知ってる。
俺より3つ年上で姉さん女房気取り、何があっても自分が悪いんじゃないか、そう考えて一歩控えめ。
だからあえて本当のことは言わず、そう思ってくれてる状態で俺は退場させてもらう。
「とにかく、もう俺は美優と一緒にいられない、そう思ったから別れてほしい」
そう言って先に席を立ったら、思った通りに追いかけてはこなかった。
ホッとした。
今年29の美優がそろそろ結婚を意識していることは知っていた。
だけど俺は26だ、まだまだ自由でいたい、遊びたい。
これまでの4年の月日には感謝しているが、これから先のもっと長い月日を、美優一人の人生なんてつまらない。
だからとっとと俺を忘れて、望んでる結婚の相手を探してほしい。
俺のやさしさだ。
明日からは三連休、それで美優の気持ちも落ち着いて、週明けからは何もなかったように普通の生活に戻れるだろう。俺のせめてもの心遣い、美優ならきっと分かるはずだ。
週明けから俺は本社勤務となった。
受付には新しい彼女、その名も聖母マリアさまの麻莉亜だ。
「おはようございます」
俺がそう受付でそう挨拶すると、
「おはようございます」
もうちょっとで恋人にニコニコとかわいい笑顔を見せそうになるのを我慢して、仕事のスマイルで返してくれる。
かわいい、何をしてもこんな感じで新鮮でとてもかわいい。
年上の美優は楽だったが、こういう育てるかわいさってのはなかったよな。
なんというか、いつもマウント取られてる感じで、時に説教なんぞされて、そういうのはうざかった。
それからしばらく、俺は幸せな生活を続けていたが、三ヶ月が過ぎる頃には少し疲れてきていた。
「どうしてすぐに返事返してくれないの?」
「ああごめん、ちょっと忙しかったから」
「既読スルーはやめて!」
ぷうっと頬をふくらませる麻莉亜を、最初のうちこそはかわいいと思っていたが、段々と負担になってきた。
本社勤務になってからはそれまで以上に忙しくて、夜はぐったり、部屋に帰ったらシャワーを浴びて倒れ込むように寝たいだけなのに、その時間を見計らって電話がかかり、長々とその日にあったことを聞かされる。
「ごめん、ちょっと疲れてて眠いから明日でいい?」
「えーせっかく待ってたのに。もういいよ!」
ガチャンと切られてしまう電話。
こうなると厄介だ、翌日にはあれやこれやでご機嫌を取らないと、こじらせるとえらいことになる。
「もう麻莉亜のこと嫌いなんでしょ?」
ぐすりぐすりと泣きながら電話がかかる。
「そんなことないよ」
「だったらちゃんと言葉で言って」
「愛してるよ」
「もっと心を込めて」
「愛してるよ」
本当にめんどくさい。
かわいいと思ってたところが今では全部めんどくさい。
一番めんどくさいのはあの時だ。
いわゆるマグロだ。
何もかも、自分はやってもらう側だと思ってる。
生活全部がこんな感じ。
美優といる時を俺は懐かしく思い出す。
控えめに俺を立てて、一生懸命俺色に染まろうとしてくれていた。
「まだ間に合うんじゃないか?」
何しろ別れてまだ半年も経ってない。
そんなにすぐ新しい男に乗り換えられる女じゃない。
「まだ俺のことを待ってるはずだ」
俺の中で確信に変わっていた。
時々支社に足を伸ばす仕事がある。
今までは行っても美優に合わないように気を使っていたが、次はちょっと顔を見せてみよう。
何もなかったように「元気?」と話しかける。
一瞬困ったような顔をしながら「ええ、あなたは?」きっとそう答えるはずだ。
そしたらまた前の二人に戻れるだろう、何もなかったように。
美優のことはよく分かっている。
あれはそういう女だ。
麻莉亜と別れるのはちょっと面倒だが、何回かぞんざいに扱って泣かせたら、きっとあっちから「もういい」と言ってくれるだろう。
あれはそういう女だ。
そうしておれは計画を実行に移した。
いつも美優が使う階段の下で偶然のように立っていた。
俺を見つけた時の美優の驚く顔、今から楽しみだ。
時間になり、次々と退社する社員たちが降りてくる。
やがてその中に美優の親友の理沙と、その隣にいるのは……
(あれ、美優か?)
俺が知ってた美優とは全然違う。
短く切った髪にキリッとしたオレンジ。
かわいいのではなくかっこいい、そんな女になっていた。
思わず見惚れてしまっていたからだろうか、声をかけ損ねてしまった。
美優は俺とは気づかなかったようで、理沙と笑いながら行ってしまった。
一体何がどうなってるんだ?
何があったんだ?
あいつ、あんなにきれいだったか?
呆然と後ろ姿を見守っていると、立ち止まってこちらをちらっと見た。
その時懐でスマホが鳴った。
仕事の関係かと急いで出たら、麻莉亜だった。
「あ、もしもし、パパ〜?」
意味がわからない。
「なんだよそれ」
「うふふ、今日分かったの、二ヶ月だって」
「え!」
「色々と決めないといけないね〜」
甘ったるい声が俺には死刑宣告のように響いていた。




