あの日
「肥溜め」—これがおらにつけられた名前だ。
おらのおっ母は肥溜めでクソを混ぜている時におらを産んだ。それが偶然、おらが肥溜めに落っこちまって、焦ったそうな。病いで死んじまわないかとしばらくはみんな心配していたが、おらは病いにかかることもなく生き残った。それで、「肥溜め」って名前がつけられた。
とはいってもおらの名前が特別に悪いわけじゃない。ゴブリンは名前には無頓着な生き物なんだ。おらの一番上の兄ちゃんは生まれた時に尻が先に出てきたから名前が「尻穴」、その次の兄ちゃんはおっかあが寝てた時に生まれたから、起きたら羽虫がたかってて、それで名前が「羽虫」になった。おら達ゴブリンは産むのが楽だから、こういうことはよくあるんだ。
おらの生まれた村はあまり木が生えていなくて、岩がゴロゴロしている貧しい土地なんだけど、みんな何とかして生きている。おらの家のウラにはちょっとしたヒエの畑があって、夏になるとヒエの丈が頭を越えるようになって、よく兄ちゃん達とそこでかくれんぼしてた。村のはじっこにちっさな川が流れていて、その隣に溜池が掘られてあって、そこは結構カニとか小エビとかが釣れるんだ。朝の畑仕事がだいたい終わると、おら達は連れ立ってそこに行き、カエルを捕まえて食べたり小川で泳いで遊んだりするんだ。
おらの村には「鍋底」っていうメスゴブリンの子がいて、まあそいつは生まれた時に鍋底みたいに顔が真っ黒だったからそういう名前がついたんだけど、そいつはやたら泳ぐのが上手くて、どんなオスゴブリンも簡単に引き離してた。ベンジェラはよくおらをイジめるからそれはやめてほしいんだけど、おらはそれくらい気の強いメスがいいなと思ってたりするんだ。
村には他に「鷲の糞」ってじっちゃがいて、これがまた大変なご老齢なんだ。ゴブリンっていうのは5歳で働いて、10歳で子供産んで、だいたい30歳で死ぬもんだが、このじっちゃはろくに食べ物もないこの村でかれこれ50年生きているって話だ。
このじっちゃ、若い頃に山の奥を歩き回っていたある日、人間に捕まったそうだ。なんでもそいつらは「冒険者」と名乗っていたらしい。冒険者はじっちゃと一緒にいたゴブリンを一人残らず殺して、じっちゃもひどい怪我を負ったんだが、何とか隠れてやり過ごしたそうな。それでももう動けなくて、木の根元に寝っ転がって死を覚悟していたら、村のゴブリンの一人が見つけてくれて助かった。その時、木の上にとまってた鷲がじっちゃの頭にクソしたので、それ以来みんなじっちゃを「鷲の糞」と呼ぶんだって話だよ。
このじっちゃが毎日のようにこう言うんだ。
「いいかオメェ達、人間とだけは関わっちゃいかん」
じっちゃが言うには、じっちゃのじっちゃの、そのまたじっちゃが赤ん坊だった頃——つまり100年も前の話だな——おら達ゴブリンは豊かな森に住んでいたそうな。そこでは勝手に木の実がなって、獲物が豊富にあり、何もしなくても楽しく暮らせてたというんだ。
ところがある時ヒューマンが近くに住み着いて、ここは自分達の土地だって言い出したそうな。みんなゴブリンよりヒューマンの方が体も大きくて、その上賢いから、言い返しても何にもならぬと悟ってスゴスゴと出ていく準備をした。だが村の若い連中にはそう思わない奴もいて、ある日棍棒で村の近くの家にいたヒューマンの赤ん坊を殺してしまった。その若ゴブリンは、「ヒューマンの村の連中なぞ、群れで来ても怖くない」と息巻いていたそうな。だがここからが大変だった。
その何日かあと、おら達の村に現れたのはヒューマンの村の者達ではなく、白色にかがやく金属を身に纏った大きなヒューマンたちだった。それがさらにデッカいロバみたいなのに乗って、手には長い槍の先に色とりどりの布をくっつけた物を持っていたそうな。それでその大柄なヒューマン達はこういった。
「赤ん坊を殺したのはここのゴブリンどもだ。人間に危害を加える害獣だ。一匹残らず始末しろ」
そうして村のみんなを殺した。生き残った少数が山に逃げて生き残り、そこからさらにいくつも山を超えてここに住み着いたとの話だ。
じっちゃはここまで喋ると決まって目を閉じてこう言うんだ。
「いいかオメェ達、ヒューマンは怖い生き物だ。一人に手を出せば、百人出てくる。一人殺せば、村ごと殺される。ヒューマンと関わてはいかん」
そうしてじっちゃは「もう行って良い」と言って、静かに煙草をくゆらす。それでおら達は蜘蛛の子を散らすように走り出して、また各々川に遊びに行ったり山に遊びに行ったりするんだ。
正直、おらはヒューマンなんて見たことないし、ここの村のゴブリンももう何十年もヒューマンを見てない。だいたいここらへんは岩がゴロゴロしている貧しい土地ばかりで、わざわざ苦労して来ようなんて奴もほとんどいなかった。
ここからさえ出ていかなければ安全なんだ。みんなもうヒューマンのことなんて忘れて、慎ましく平和に暮らしてた。おらも、これから死ぬまでヒューマンと関わることなんてないと思ってたよ。
そう、あの日が来るまでは。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
その日の畑仕事がだいたい終わって、おら達は隠れんぼをすることにした。鬼はあの気が強いベンジェラだ。おらは体がちっさいから、隠れんぼは得意なんだ。おらは溜池の岸の草むらに隠れることにした。池のそばの草は背が高くなってて、池の泥を体に塗って寝っころがっていると、ほんとに見つからないんだ。おらはこれで一回も見つかったことないんだぜ。
ところが今日はいつまで経っても終わりの声がかからい。おらはノロマっ子だから、待つのは得意なんだ。でももう空が暗くなりかけきてる。それに、何だか外が騒がしいんだ。
おらは草むらからちょこっと顔を覗かせることにした。
そこに大きなヒューマン達が何人かいた。肌は白くて、背はおら達ゴブリンの5割増しくらいで肩幅もデカくて筋肉もすごいんだ。おまけに見たこともないような綺麗な服を着ていて、腰には大きな剣をぶら下げている奴もいた。
中にはメスヒューマンだろうか、長く髪を伸ばしている奴もいて、おら達ゴブリンほどではないけど胸元や太ももをさらし出した布をまとっていた。山を歩くには何だか不恰好だ。
それが突然村のはずれから現れて、みんな慌てているようだった。
「は、初めて見ただ。あれがヒューマンか…?」
おらは怖くなって、草むらの中に隠れていることにした。村の広場でじっちゃが驚いているみんなを落ち着かせようとしていた。
「皆のもの、落ち着け。おら達は何も間違ったことはしとらん。落ち着いてなだめて、帰ってもらうのじゃ。これ、武器は持ち出すな! 敵だと思われたら殺されるぞ!」
そうこうしているうちに、ヒューマンたちがドカドカと村の広場に入ってきた。村のみんなは大半が家の中に隠れたけど、何匹かは好奇心で窓から顔を覗かせている奴もいる。ヒューマン達の中で特に背の高い、髪を短く切り込んだ剣士が、村の広場に立っていたじっちゃに話しかけた。
「貴様がこの村の長か?」
「へえ、そうです」
じっちゃは頭を下げて答えた。その様子にヒューマンたちの何人かがせせら笑った。剣士はわざとらしく周りを見渡してこう言った。
「いい村だな。何匹いるんだ?」
「へえ、お陰様で。この村にはだいたい100人ほど住んでおります」
「ゴブリンの癖に『人』なんて生意気だわ! 家畜ごときが!」
胸の膨らんだメスヒューマンの一人が急に怒鳴り出して、じっちゃは体を丸めて萎縮した。あんなにかあいそうなじっちゃの姿は初めて見た。あまりの恐怖に震えながらも、おらは目が離せずにことの成り行きを見る。
「おい家畜。俺たちがなぜここに来たか、分かるか?」
剣士は腰を屈めると、平伏しながら顔を横に振るじっちゃに向かってニヤつきながらこう言った。
「俺たち『冒険者』はな、モンスターを倒したりして生きてんだよ。倒したモンスターの数が多ければ多いほど、ポイントも増えてレベルが上がっていくわけ」
「へ、へぇ……」
「でも正直めんどくさいじゃん? ドラゴンの巣とかそこら辺にあるわけじゃないしよぉ。だからさ、たくさんポイントが稼げてしかも楽に倒せるクソザコモンスターを探してたワケ。どういう意味か、わかる?」
おらの背中に寒気が走った。じっちゃもその意味を悟ったのか、ワナワナと震え出した。
剣士の後ろで呑気そうに棍棒を構えていた大男が嫌な笑いを浮かべた。
「喜べ家畜! カストル様がお前達の首をポイントに変えてやるってよ。人間様の役に立ててよかったな! ガハハハハハ」
ヘンテコな服を着ているメスヒューマンが心底見下した表情で口を開く。
「口が悪いですわアベラルド殿。我々はこの地を浄化するために来たのです。この穢らわしい畜生どもは、根絶やしにしなければなりません」
「おっとそうだったな神官様。この地を浄化してついでにレベルも上げましょうや。チェーザレ、こいつら全員の首持ち帰ったらどれくらいになる?」
チェーザレと呼ばれたヒューマンが、目にかけてあるヘンテコなもんを押し上げて答えた。
「一匹3ポイントなので、合計で300ポイント。我々5人で平等に分ければ一人60ポイントですね。あと村中の鉄屑や貴金属を集めて売れば、少なくとも銀貨3枚分くらいにはなるかと」
「チッその程度かよ。ほんと役に立たないゴミクズだなテメェ等はよぉ!」
「ま、ま待ってくだされ!」
じっちゃは震えながら声をあげた。
「おら達が何をしたというだ。 おらたちゃぁここでちっさく慎ましく暮らしてきただけだす。アンタら人間様には何もしてねえ。おっ母の名にかけて、何もしてねぇだ!」
「黙れこの悪魔!!! ゴミ虫のように地面を這いずりまわりやがって!お前らなんかこの世に生まれてきたこと自体が罪なのよ!」
胸の大きいメスヒューマンはそう言って剣を振り上げたが剣士がそれを止めた。
「落ち着けリリア。なるほど貴様はなかなか骨があるようだな。よし、こうしよう」
剣士は徐に足を突き出した。
「貴様は俺たちのいう通りに動いて、俺たちを楽しませるんだ。まずは俺の足を舐めてもらおうか」
そう言われたじっちゃは絶望した表情になった。おら達ゴブリンにだって、やりたくないことはある。
(おら達、バカにされているんだ)
胸の深いところを鋭い鉤爪で抉られるような怒りを感じながら、おらはその様子から目を離せないでいた。
「さあ、舐めるんだ」
剣士に急かされて、じっちゃは恐る恐る剣士の足元に近づいた。その足に口をつけるためにじっちゃが顔を近づけた、その瞬間。
ドゴッッッ!!!
「ウッ…!」
すごい音がして、じっちゃは吹き飛んだ。それを見てヒューマン達がどっと笑い出す。よく見ると、じっちゃは蹴り飛ばされて右目から血が出ていた。
(じっちゃになんてことを!)
おらの心臓はバクバクして、今すぐ飛び出してじっちゃを助け起こしてあげたかったけど、おらは怖くて動けなかった。金縛りにあったみたいに、体が動かないんだ。
「どうした家畜。早く俺の足を舐めろよ」
足を振り上げて嘲笑う剣士の足元へ、じっちゃは這いずりながら近づいた。村のみんなを守らなきゃ、みんなを助けなきゃという、ただその一心で、必死に戦っているように見えた。おらはもう胸が張り裂けそうだった。
ドガッッッ!!!
「グフッ…!」
今度は棍棒男が横から蹴りを入れた。それで肋骨が折れたのか、じっちゃは動けなくなっちまった。それでもなんとか剣士の足元に這い寄ろうと手足だけはピクピク動いていて、おらはそれをただ息を殺して見ていた。
「オラッ!オラッ!」
棍棒男は何度か蹴りを入れた。それに続いて他のヒューマンも蹴ったり振り回したり、魔法みたいなもので吹き飛ばしたりして弄び始めた。じっちゃの体はボロ雑巾みたいになった。
「もういいだろう」
晴れ晴れした顔で剣士がそういうと、変な服装のメスヒューマンが手元から火を起こして、松明に火を移した。
「貴様らはもう終わりだ。ここで死んで、俺たちのポイントになってもらう」
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
そこからはもう地獄だった。
ヒューマン達は松明でおら達の小屋に火をつけ、中に隠れていたみんなを炙り出した。おらのおっ父もおっ母も、出てきたところをバサッと剣で切られっちまった。ポッポ兄ちゃんはみんなを逃すために鍬を持って戦った。他にも家族を逃すために何人か若いゴブリンの兄ちゃん達が手に手に斧や棒切れを持って立ち向かった。
「レギ! ここは俺たちが食い止めるからお前は早く逃げろ!」
「嫌だ! 兄ちゃんが死んじまうのはおら嫌だ!」
「早く行けェ!!!」
だけど、ヒューマン達にはまったく効かないみたいだったんだ。
「ハハッなんだこいつら」
「作戦もねえ、武器もねえ。雑魚だな」
「とっととこの反抗的な劣等種族をこの地から消し去りましょう」
棍棒男がブンとその棍棒を振ると、ポッポ兄ちゃんはグギャ! と頭を潰された。他の兄ちゃん達も、あっという間に殺されて、死体が地面にころがった。
(隠れなきゃ、死ぬ…!)
そう思っておらが草むらの奥に身を潜めようとしていたその時。
「待てこのメスブタぁ!」
ゴブリンが一人、こっちに向かって走ってきた。ベンジェラだ。その後ろを胸の大きいメスヒューマンが追いかけていた。
おらは戸惑った。今出てきたら殺される。でもこのまま何もしなければ、ベンジェラは今にヒューマンに追いつかれて、斬り殺されっちまう。そうだと分かってても、おらの体は動き出せない。
「捕まえt…うわっ、クソッ」
「助けて、ボチャ!」
その瞬間、おらは動き出した。
「んぎぇえええぇぇえぁ!!!」
おらはメスヒューマンに突っ込んで、あらん限りの力で足に体当たりした。急に草むらから飛び出したおらに気が付かなかったのか、メスヒューマンはすってんころり、頭から地面にころんだ。
「ボチャ! なんでここに」
「んなこたぁいいだベンジェラ、早く逃げるだ!」
おら達は手を繋いで必死に村の裏の山に向かって走った。後ろからはメスヒューマンの叫び声が聞こえる。
「おのれぇ、よくもよくも! このアタシの顔に傷をつけたなァ!!!」
メスヒューマンは追いかけてきたが、おら達は十分に遠くまで逃げていた。それに、岩がちの山を登るのはおら達の方が得意だ。
「リリア、弓を使え弓!」
「あ、そっか」
そんなことに気づかずおらは山の斜面をのぼりながらベンジェラに言った。
「ベンジェラ、おらの名前呼んでくれただなぁ」
「うるさい、ボチャのくせに生意気だわ」
走っているせいか、顔を赤くしながらベンジェラが答えた、その時。
ドスッ!
「んぐッ」
とつぜんベンジェラがうめき声を上げた。おらがびっくりして後ろを振り返ると、その背中にゴブリンの背丈くらいもある大きな矢が突き刺さっている。ベンジェラはゴフッと口から血を吐くと、崩れるように倒れっちまった。
「ベンジェラ! そんな、嘘だ!」
「やった、一匹仕留めたぞ」
遠くからヒューマン達の歓声が聞こえる。
「ボチャ…走って」
「嫌だ…おらはオメェを連れていくんだッ」
「ボチャ!」
ベンジェラは引っ張ろうとするおらの手を払い除けた。おらはもう、涙が溢れて止まらなかった。そんな動けないおらを見て、ベンジェラは静かなほほえみを浮かべてこう言ったんだ。
「…つぎは肥溜めなんかに落ちるんでねぇぞ?」
それからは何がなんだか分からなかった。矢はなおも飛んできたけれど、おらは右も左もわからずがむしゃらに走った。随分と走ってからおらは後ろを振り向いた。
おらがいる山のてっぺんから、村が燃え上がっているのが見えただよ。
おらはボーッとした。
もうほとんど悲鳴は聞こえなくて、代わりに薪を割っているような音がこだまして聞こえてきて「たぶん首を切っているだな」となんとなく思ったんだ。それから、ヒューマン達の賑やかな声が時々耳に入るくらいだった。
そのあと、おらは森の中をひたすら歩いて逃げた。もう何日歩いたのかも分かんなくなっちまって、腹も減ってフラフラになって、名も知らぬどこかの野原で、おらは足元から崩れるように倒れこんだ。次に目を覚ましたとき、オラはガタガタと揺れる檻の中にいた。
コメント・評価よろしくおねがします。お手柔らかに。
ついでに☆もつけてくれたらありがたいです。