ゴリラな彼女
自宅郵便ポストから郵便物を取って封筒を吟味する。
その中で異質を極める封筒をピリピリと音を立てて破り、書面を取り出す。
カード会社の請求書に僕は失神しそうになる。
別に、僕自身が使ったというならば自業自得なのだが、この請求書の内訳が彼女のおねだりによるものだから、僕は自分が心底間抜けのような気がしてならない。
うつろな意識の中、彼女にうんざりしている自分に気がついた。
ちょうどよかった。打開策は一つしかない。
もう別れよう。
どんなに美人だろうが、どんなに頭が賢かろうが、ものごとには限度というものがある。
大勢の人中を押し分けて、僕は電車に乗っていた。夏休みということもあってか――主に学生だろうが――人が賑わっている。
僕の心は重い。あれだけ積極的にアプローチしてきた女性に――会社のマドンナ的存在の、お嬢様秘書の彼女に――別れを決意しているから――ではないかもしれなくて、多分僕が一番ストレスを感じているのは、彼女をその気にさせるためにキザッたらしい甘い言葉を囁いてきたというのに、こんな形で別れようとしている自分の体裁とかいうやつを気にしていて、ここで別れたら結局のところ自分の許容のなさと愛情というようなものが欠けているのよ、と僕が現実の彼女に会う前から、僕は彼女に責め立てられていて、人波が動く、この駅で僕も降りなきゃ。
昼過ぎに彼女と出会うことになって、僕は今日、彼女と別れる。本来、今日の彼女は社長に付き従わないといけないらしかったが、彼女が駄々をこねて、後輩に全てを押し付け、その後、いきなりデートをすることになった。
僕だって本当は出勤だったが、無理やり風邪を引いていることにさせられた。
いい性格をしている女だ。すさまじく。どこに惚れたんだろうか。周りが噂をしているからか。美人だからか。清楚の外面を装い、はらわたがどす黒いルシファーだからか。それとも僕が、他人が欲しがるものを手にしたかっただけかな。いや、きっと理屈じゃない、人と人との交わりは、足どりなど気にしてもいなかったのに、目的地に近づくと、急に体がぎくしゃくする。
公園の噴水手前の階段付近で待ち受けて僕に向かって手を振っている彼女だって、どうしてなのかは、きっとわからない。単純なものを透明な目で見ようとしない限りは。
「遅すぎる。罰として何か買ってね」
一分たりとも僕は遅刻していないというのに、彼女が早すぎるだけだというのに、彼女は緑の黒髪を風にさやさやと揺らして、悪戯っぽい笑みを浮かべる。周りの男たちから黄色い歓声が少なからずあった。良いものを見せた代わりに、君たち一人一人に請求書を送ってもいいかな――嘘だ、少し夢を見ただけだ、彼女が僕の二の腕に絡みついてくる、最初は食事の予定のはずで彼女にその旨は伝えていたはずなのに、ブティックに入ってる、何でだろ。こういう詐欺を僕はよく聞いたことがある。彼女は詐欺師なのだろうか、だったら警察になんとかして貰いたい。
ねえ、これ、いいよね〜。僕の頭の中で、甘えた言葉が響いて、店員が微笑みながら近づいて、多分この女もグルだ、詐欺を行うためにしきりに彼女にお似合いですよとか、手にしているバックの薀蓄を長々と語っている。
僕はバックよりもこの女に囚人服を着せて眺めたい。
でも、僕はなぜか財布に手を伸ばしている。よくわからないけど。二人で僕に催眠術をかけられている。
しかし、値段を聞いて安全装置が働いた。
今手にしたのは限度額二十万のカードだが、相手は四十万のモンスターを出してきた。僕は小学校のころに、カードゲームをしていて、それは四十枚くらいのカードをデッキと呼んで、そこからお互いに交互に一枚ずつカードを引いていって、モンスターを戦わせるカード遊びをしていたのだが、たとえモンスターの攻撃力が百の差しかなくても、強いほうが勝ってしまう。今回は二十万が四十万に挑むのだ。勝てるわけがない。二十万では四十万には勝てない。勝ちたくない。
僕は落ち着きを取り戻そうと、トイレに姿を消した。いくら、彼女でも男子トイレには近づかない。
僕は自分に言い聞かせた。どうせ別れるのだから、嫌われたっていいじゃないか。全てを捨てろ。汗が尋常じゃないくらい飛び出す。めまいが僕を襲った。視神経に異常をきたしているようだ。しかし、大丈夫だ。今日が終われば、全て解決する。我慢しよう。
トイレから戻ったときには、僕は彼女の姿を見失ってしまった。どこに行ったんだろうか。すると、彼女がいた場所にゴリラの着ぐるみを被った人がいた。僕がトイレに立つ前に彼女がいた場所にだ。なぜ、こんなゴリラを店の人は招きいれたのだろうか。キャンペーンにしてもゴリラは頂けない。逆にイメージが下がるような気がする。しかし、ゴリラの着ぐるみは精巧にできていた。僕を見る純粋な瞳など本当にそっくりだ。
「どうしたの?」
ゴリラが僕に近づいてそう言った。僕は驚いた。だって口まで滑らかに動いているものだから。
「いや、あの、その」
ゴリラが僕の腕を引っ張った。このゴリ公なんてことしやがる。直立というより、ゴリラ特有のナックルウォーキングで僕をカウンターまで連れた。
「はい、お客様、これなんかどうでしょうか?」
ゴリラがウホウホ言いながら手を叩いて喜んでいる。
言うまでもなくゴリラは素っ裸だ。服すらつけてないのにバックを持って喜んでいる。
僕はもう我慢できなくなった。
「すみません。このゴリラなんなんですか?」
店員の顔が一気に懐疑に満ちた顔をした。いや、ゴリラ自身口を半開きにしてぽかんとしている。実に間抜け面だ。
「ちょっちょっと、私には……」
店員の顔が青ざめていた。黒々としたゴリラの顔がしわくちゃになる。僕に牙を見せてドラミングを盛大に披露した。
僕は引きつり笑いでドォドォと言ってあげた。ゴリラは余計に怒った。
「私は動物じゃないわよ、英二」
「どうして、俺の名を!?」
「ふざけんじゃないわよ。わたしはあんたの彼女でしょうが」
何故? 僕は異種交配を望んだ覚えは一度もない。
しかし、店員がはにかんだ表情で店の奥に逃げた。別にゴリラが、というより僕たちを気にしてのことだった。
僕の頭の中が混乱しているとき、店内にあった鏡がゴリラを映していていた。不思議なことにそこにゴリラはいなかった。
「ねえ、暑いよ〜。ソフトクリーム買ってきて」
四十万円のバックを持ったゴリラが、ベンチに座って僕に催促する。ゴリラが街中に解き放たれているというのに、誰もゴリラに気にも留めない。
もちろん、そんなこと有り得ない。
つまり、僕だけの目がおかしいということだ。一種の視覚障害だと思う。意外かもしれないが、精神状態によって目や耳に影響がでることがあるので、たぶん、その類だと思う。いや、ゴリラ変換は聞いたことがないけど、何でもかんでも最初の事例というやつは存在するから。
まあ、考えようによっては、ドッキリということも考えられるが、ただそれだと映画のように話が壮大になっていくもので、自分という現存在から離れていくものだから、二秒で止めた。だって、僕ウィル・スミスじゃない。石を投げたら命中してしまうようなどこにでもいるエキストラタイプの冴えない青年だ。エキストラ料、五千円もらって、お疲れ様でした、ラーメン食〜べよう、とか思っちゃう人間だ。え〜と、ギョーザとチャーハンわぁぁ?
「ねえぇぇぇ!! 突っ立ってないで、早く買ってきて〜」
ゴリラが僕の腕にパンチした。僕は思わずひぃぃと怯えてしまった。衝撃は大したことはなかったが、迫力が凄かった。ゴリラのパンチを受けたら死ぬ。そんなの当たり前。
「ちょっと、わたしそんなに強くしてないでしょ」
ゴリラ(彼女)が唇を尖らせた。不細工だ。でも、僕は情けない声で頷いて、ソフトクリームを買いにアイスクリーム屋さんに向かって歩いた。
僕は自暴自棄になって、通行人に言い触らしたくなった。
僕、ゴリラと付き合ってるんだぜ、凄いだろ。
そろそろ、頭の中がやばい、自動ドアを開いて中に入る、涼しい。現実逃避にはもってこいだ。
列に並んで暇で暇で気づいたことがある。これ、現実逃避か? 僕が彼女をゴリラだと見ているのが、現実なのか、虚像なのか、僕にはよく分からない。僕には彼女が本物のゴリラには見えるのだから、虚像とは言いがたい。だって、そう見えるんだもん。錯覚じゃなくて、ゴリラがそこにいるんだもん、列の先端で、しまった何味を頼むんだっけ? ややこしいので全種ください、ソフトクリーム。
指と指に挟んで、ソフトクリーム八刀流使い、昔ロロノアゾロの真似をして口に模造の刀を咥えたことがあるが唇から血が出た、店員も半ばぎょっとしているが、僕はゴリラに給仕しないといけない。
透明なガラス窓越しに見るゴリラは彼女だった。可愛らしくて、髪の毛は濃いブラウンで、ナチュラルメイクというぜんぜんナチュラルじゃない二時間もかかる厚化粧をして、ベンチの向こう側から僕が出てくるのを待っている彼女は、美人で守ってあげたい女性だった。
一歩外を出る。
ゴリラだ。
毛がふさふさで、ノミがそこいらに跋扈しておそうな、いかにもボスゴリラのスケみたいな、狩野えいこうよろしく、腕力と猛々しさを兼ね備えた〜♪ ゴリラ♪
みたいなゴリラだ。
どうやら、鏡や何らかのフィルターを通すと、彼女の姿は元通りに見えることがわかった――わかっただけだ、ゴリラの元に歩く。
僕は異常だ。周りがゴリラだと騒いだら、僕は三秒で別れる。なのに、周りが普通なので、内心ではゴリラに怯えながらも、必死で平気なふりをしている。たぶん自分が普通から外れたくないから、僕は今ゴリラに付き合っている。
「遅い。なんでソフトクリーム買ってきたの。わたしカップでって言ったじゃない」
「えっ嘘、そんなことないと思うけどな」
僕は取り繕うような笑みを浮かべる。僕は自分に百パーの自信を持っていたが、彼女に意見するときは二パーになる。
「それでいいわよ、もう。なに、八個も買ってきてんのよ。馬鹿じゃない。あと、全部あんた食いなさいよ、もったいない……」
彼女はゴリラになっても言うことは変わらない。
でも、僕は変わった。この前までは、美人な彼女がこういう仕打ちをするのは当たり前で、要領を得ない自分が悪いと思っていた。自分が間抜けなんだと思っていた。友人に自分のその駄目人間っぷりを話したら笑われた――だが、僕には友人がなぜ笑うかは分からなかったし、 こいつは僕の気持ちなんか何にもわかってないんだと嫌悪感を抱いた。
でも、今、あいつが何で笑ったか分かった。ゴリラになった彼女を見て理解した。目が覚めてしまった。自分が今までなにをやっていたのかはっきりとした。
怒りが沸いた。
ゴリラがその様子に気づいて、何よ、と言ってきた。
彼女はわがままだ。美人だからそれが許されてきた。
でも、ゴリラになった彼女には、もうそんな権利がないと思う。
彼女は自分がゴリラだと認識したとき、それでもこんな態度を取り続けるのだろうか。
何よ、と彼女がまた言ってきた。言いたいことあるんならはっきり言いなさいよ、彼女がまた言った、黙ってないで何か言ったら、彼女がまた言った、僕の中で誰かがむせび泣いた。「……僕は……馬鹿じゃない」
彼女に初めての抵抗だった。頭では、こいつはもう馬鹿なゴリラだと思っていたが、体がついてこない。心臓がバクバクする。でも、怒りのほうが勝っている。
もう、やってらんない。愛想のいい人間なんて、やってらんない。彼女に都合のいい人間なんて、やってらんない。
パンクする。破裂する頭の中が誰かを破壊する遠い昔の記憶の中で粉砕する疑惑だらけの良心が炸裂する震える心臓が爆発する追い求めてきた理想が爆砕する僕という存在が爆裂する、全部木っ端微塵!!
「もう沢山だ。もう沢山!! 君にはうんざりしてるんだ。本当に。自分を傷つけるのはもうしたくないんだよ。知ってた? 君が何か言うたびに僕はビクビクしてる。そう信じたくない自分と、君を愛してると思ってる自分と闘って、最後には、彼女は悪くない、うん違う、きっと僕が悪いんだと思うんだ。死にたくなるよ、なにもかも自分が悪いんだって思うのはさ、ほんとうに死にたくなるよ!!」
どんな声を出してるか自分でも分からない。涙声もあったし腹からも怒声を出した。ぐちゃぐちゃだ。全部ぐちゃぐちゃだ。世界がぐちゃぐちゃだ。全部壊れちゃえ。
僕が手にしたチェンソーですべてを切り刻んでやる、僕と一緒にやってきた嘘つきな弱々しくて駄目で、エゴな僕が奥歯を噛み締めて幾ばかりかのものを切り刻んでいる。
彼女は目を白黒させて黙った。
「なんとかぁぁあああー、言えよ!!」
僕は怒りに任せて叫ぶんだ、でも僕も痛くて痛くて溜まらないんだよ、どこかが痛くて痛くて痛くてたらなだよ。この痛みはどこからくる?
彼女の瞳からぽろぽろ涙がこぼれた。
だから、何。だから何だっていうんだよ!! 泣いているのも傷ついているのも、僕だって同じだ、僕も今はちっぽけなさ、人間なんだよぉ、世界から見放された人間なだよぅぅうう、僕だけを泣かせろ……よ、ずるい、よ、僕だけが悪いみたいで、ずるいよぉぉ。
「わっわたし、ひっく、ひっく、そんな……」
彼女の鼻先は赤くなって、もう嫌だ、もう耐えられない、もう無理、もう無理、もう無もう理、もう無理、無理無理無、理無理無理無理無、理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無……あっ。
僕は歩き出した、膝が震えて駆け出す力もない、でもジジイみたいに歩いてでもここから離れなきゃ、今まで積み上げたものが全部パーだ、頭がパーになる、僕が僕に押し潰される。自分の重力に耐えられない。メキメキ体が縮んでいって、何もなくなっちゃう。
「まっっで、おねがぁい」
後ろでゴリラが何か言ってる。ゴリラが僕の後をついてくる。通行人が僕たちを見ている、ゴリラが僕目がけてダミ声でまっっで、まっっで、言うからだ――違う、僕も号泣しながら怒り狂ってるから 知らないよ!! 真実はおまえらで考えろ。お前らが想像した通りでいいよ、何だっていいよ、僕には関係がない、僕は一人だ僕はここにしかいない。
どっかの誰かが僕の頭の中で囁いた。大人だろ? 冷静になれよ。
知らないよ!! 知らない知らない知らない知らない知らないつってんだろ!! 二度と言うな!!
「おねがぁい、まっっで、わだし」
わずかに後ろを見た、ナックルウォーキングでゴリラが歩いてきやがる。しゃくり上げながらゴリラが泣いている。見たことがあるかよ、ゴリラが号泣するのをよ。
あああ、疲れる。何、見てんだよ。こっち見んなよ。全員だよ。そこにいるのお前もだよ。悪いかよ、大の大人が子供みたいに泣き腫らしたら悪いってのかよ、同情もするな!! 何様だ!! 知った風な口を利くな!! 今の僕は凶器だ、触れるもの全て傷つける!! 血だらけになりたくなかったら放っておけ、馬鹿!!
全然、足が進まない。僕は通りすぎた公園のベンチに座る。ゴリラの彼女も付いてきた。俺の一個となりのベンチに腰を落としている。
ハンカチを取り出して、鼻をすすっている。
急速に僕の中で熱が冷えていく、居心地が悪い、本来の自分が還ってきた。僕が悪いのか。よくわからないけど、そんな気がする。でも、怒りの熱さは覚えている、ここで僕が謝ったら 全部無に還る、楽になるけどそれは嫌だ、ゴリラを見ると度々僕の顔をチラ見してくる、何を期待している。
「ごっめんね」
ゴリラが鼻水をすすりながら言ってきた。しかも、ウホウホ言っている。いや、実際には言ってないのだろうが、聴覚までおかしくなったようだ、そう聞こえるのだ。ああ、そうか、ドラミングの音まで聞こえるということは、耳もおかしくなっていたのか。
まだ、ゴリラが心配そうな顔をして、ウホウホ言ってくる。
ちくしょう。笑いの壷を的確に突いてきやがる。僕は笑わないぞ。絶対に。笑ったら負けだ、勝負とかしてないけど駄目なんだ。
ゴリラが一メートルくらい鼻水を垂らしやがった。
ちくしょうううううううーーーーーー。
噴き出してしまった、ゴリラの顔がほころんだ、だから嫌だったんだ。ウホウホ言って喜んでいる、なんか自分がとてつもなく許せないが、僕はさらに大笑いしてしまっていた、止まらない、ゴリラのウホウホも止まらない、なんか小躍りしてるんですけど。
僕はどれだけ笑ったのかわからない。
ただ、自分に対する裏切りも遠くことに感じた。
ゴリラは微笑んでいた。動物が心から微笑むなんて聞いたことがないが、なぜだが彼女のは微笑みは嘘一つ偽りがないものだと思った。そういえば、人間だった彼女からもこんな顔を見たことがない。
「もういいよ」
膨れっ面をしたまま僕はゴリラに応える。ゴリラは目頭を押さえて、うんうん頷く。指先を合わせたり外したりする。立ち上がってこっちに来るべきが迷っているようだ。
僕は自分から――といっても好意的にじゃなくて――ぶっきらぼうに大股で歩いて、彼女のベンチに座った。
お互いに何も喋らなかった。
誰かがこう言った。
もう許したらどう。
……うん。
僕は驚くほど素直に誰かの声を聞き入れた。なんとなしに自分が悪いということは理解できたから。
だって、僕の彼女はゴリラなんだから。そうだ、ゴリラなんだ、だから、仕方ない。
高級ブランドを買い漁るのも許せる。
だって、ゴリラなんだもん。
わがままなのも許せる。
だって、ゴリラなんだもん。
言葉がきつくても許せる。
だって、ゴリラなんだもん。
すごい、大発見だった。ゴリラだったら何でも許せる。むしろ逆だ、ゴリラなのに彼女は人間生活に立派に溶け込んでいる。まわりの人たちが気づかないまでに。
ゴリラはウンコを周りに投げないでトイレに行けるのだ。
すごいではないか。
物を買うとき、ちゃんとお金だって払う。
すごいではないか。
あらゆる社会の常識を身につけている。
すごいではないか。
これはすごいゴリラだ。僕は彼女を尊敬の眼差しで見つめた。彼女はすばらしいゴリラだ。
「どうしたの?」
僕の異変に気づいたのか、ゴリラがたずねてきた。
僕はゴリラの両肩に手をつかんだ。フサフサだった。どうやら触覚もおかしいらしい、まあいいや。
「今日はごめんね」
僕は下を見ながら呟いた。
「ううん、いいんだよ。私も悪かったし。あんまり怒られたことないから私も泣いちゃってごめん」
もじもじする彼女。彼女の外見は人間から遠ざかったが、内面は可愛らしい女の子に近づいたようだ。
「あの、もう一度――」
ゴリラはストライクゾーンどころか、金網フェンスにぶつかるほどの暴れ球だが、なぜだか今の彼女とだったら、僕はうまくいく確信があった。
数日がたった。僕は彼女の部屋に招待された。あれから、職場でも出会うこともなく――そもそも平社員と秘書の彼女が出会うことなどあまりないが――電話やメールでのやり取りは多くなった、ゴリラが秘書というのもおかしいな、ボディガードかな、僕は彼女の玄関前のチャイムを鳴らす。
「はーい」
声はゴリラじゃないんだよね、ガチャっと扉が開かれる、どうぞ入って、でも僕は入らなかった、ゴリラがいない、だって彼女は普通の人間だった、元の人間だった、僕はそれでも部屋に上がっていて電話やメールでの彼女を連想してみたのだが、でも僕の中で何かが終わっているのを感じた、ごめんやっぱり無理、彼女はえっと言って何がなんだか分からない様子だったが、僕は構わず家を出て階段を降りてマンションから出た、今から動物園でゴリラを見てこよう。
ブラッド ブラッド ブラッド
ロックンロールチェンソー♪