水を求める男。
暑い。全身を焼き尽くすような暑さに体中の汗腺から汗が噴き出し、大地を濡らす雨のように滴り落ちていく。
水。水が飲みたい。
男は水を求めて灼熱の砂漠の中をひたすら裸足で歩いた。
男には何も無かった。
身に纏っているものは腰に僅かに巻き付けた白布のみ。それ以外のものは何も持っていなかった。
数時間前まで男は砂漠を駱駝で駆ける、商人だった。次の町まで品物を運んでいた時、賊に遭い、身ぐるみを全て剥がされた。金に駱駝に食料、それに水。着ているものまで全て奪われた。奪われなかったのは男の命だけだった。
全てを奪われた男は絶望した。このまま死のうかと思ったがどこかで諦めきれなかった。
ただ、歩くしかなかった。
生きるためにはとにかく歩いて、町へ向かうしかなかった。
水、水、水。一歩一歩、歩くたびに頭に浮かぶ。
喉の渇きはもはや限界に達していた。
この先に町があるのは分かっている。しかしそれまで待てない。今すぐにでも水が欲しかった。
誰でもいい。この俺に水を分けてくれないか───。
男の願いが通じたのか、少し先に隊商が見えた。
男は走った。そして、隊商の一番先頭の男の前に出た。
装飾品をたくさん身につけた、先頭の男は男を見ると、あからさまに顔を顰めた。男を物乞いか何かだと思っているのだろう。
しかし男はそんなことは気にしなかった。
先頭の男に事情を説明し、水を分けてくれるように言った。
「お前のような奴にやる水は一滴もない。」
しかし、先頭の男は断った。
それでも男は諦めず、砂に額をつけて頼みこんだ。
「いいだろう。そこまで言うなら少しだけ分けてやろう。不要になった水をな。」
その言葉を聞いて男はハッと顔をあげた。その瞬間顔に生温かい液体がジョバジョバとかかった。
アンモニア臭がする。かけられたのは先頭の男の小便だった。
後ろの男達が笑い声をあげた。
先頭の男はペッと痰を吐き捨てると歩き出した。後ろの男達もそれに倣い、次々と男に痰を吐き、嘲笑の言葉を投げかけ去って行く。
男の中に怒りが湧いた。しかし、どうすることもできなかった。
隊商の最後尾には女と幼い娘がいた。二人とも鎖で足を繋がれ、歩きにくそうだった。身なりもそれほどよくない。恐らく奴隷だろう。これからどこかの町で売られるに違いない。
ふと、二人が足を止めた。前の男に急かされるのを無視してこちらを見ている。そして、女はおもむろに、赤い布を取り出し男に渡した。さらに、娘は腰に下げていた小さな水袋を差し出した。
男はそれを受け取るとすぐさま飲んだ。
袋に水はあまりなく、ほんの一口分だった。
それでも喉の渇きは癒やされ、男は生き返ったような気分になった。
しかし、その気分も束の間、すぐに渇きが襲ってきた。
男は歩き出した。
再び町を目指して。そして、男は期待した。また誰かが水を恵んでくれないかと。それも今度はもっと多くの水を。
しかし、その日男に起きた幸運はそれだけだった。
歩けども歩けども、町には辿り着けず、誰とも会うことはなかった。
そのうち、夜がやってきた。
砂漠の夜は昼とは逆に寒すぎるほど寒い。昼間あれほど熱かった砂が今度は冷気を放つように冷たい。
男は女に貰った赤い布に身をくるみ、ひたすら寒さを耐えた。こうなると昼の方がましだと思えてくる。
そして再び朝がやってきた。
水。水。水。
起きると再び欲求が湧いてきた。賊によって全てを奪われてしまったが、悲嘆する前にまずはこの喉の渇きをどうにかしたい。
男は歩き出した。
朝は幾分か過ごしやすかったが、太陽が昇ると灼熱の暑さが再びやってきた。
雨でも降らないか、或いは誰かが通りかかって水でも恵んでくれないか。男はそんなことばかり考え始めた。しかし、思い通りにはいかなかった。
雨も降らなければ、誰も通りかからない。
だが、男は希望を捨てなかった。この先に町があることを知っていたから。
町に着けば、水が思いきり飲める。そう思うと疲れ切った体に幾らでも気力が湧いてくるのだった。
そうして歩き続けて1時間半。ようやく町の景色が見えてきた。男は小躍りしそうな気分でそこへ向かった。
そして町へ着くやいなや、町の人にこれまでの経緯をなるべく悲劇的に聞こえるように話し、水を恵んでくれるよう頼みこんだ。
しかし、水が欲しいのはこっちの方だと断られた。この町は最近日照りが続いて、雨が数ヶ月も降っていないらしい。
他の人にも同様に頼み込んでみるも、誰もが同じことを言って断る。
男は苛ついてついに、この町には水が手に入る場所はないのか!!と、叫んだ。
すると、「水を飲みたければこの町から北へ行くしかない。そこにオアシスがある。ただしそこは・・・・」と、近くを通りかかった老人が言った。
男は話を最後まで聞かずにその場を離れた。
確かに町から北へ少し行ったところにオアシスがあった。しかし、折角のオアシスの周りを長槍を構えた屈強な兵士達が取り囲んでいる。
「お前も水が飲みたいのか?」
男が近づくと、兵士の一人が声をかけてきた。鍛えられた肉体が太陽の光を反射して、テラテラと黒光りしている。
男はコクコクと頷いた。
「ならば金貨三枚。一杯でだ。払えなければ帰れ。」
男は唖然とした。まさか水を飲むのに金を要求されるとは。賊に身ぐるみ全て剥がされた男には金貨三枚など当然払えるはずがなかった。
どうして金をとるのかと問うと兵士は憮然とした態度で答えた。
「このオアシスは砂漠唯一のものであり、大富豪アラン様が所有しているものだ。よって、本来ここの水はアラン様以外は飲んではならない。しかし、それではまともな水も飲めない一般市民が可哀想だということで、金を払った者にだけ特別にその水をほんの少しだけ分けてやることにしているのだ。大富豪アラン様の深い深いお慈悲に感謝せよ。」
この砂漠唯一のオアシスを、水を、たった一人の人間が独占しているのか。なんとも許し難い話である。男は憤った。だが、その感情をぶつける気力も、勇気も無い。
喉の渇きが限界だった。目の前に、すぐ手が届く場所に水があるのに、飲めない。それが更に渇きを加速させた。
何とか一杯だけ、無料で飲ませてくれないかとまたしても額を砂につけて頼み込んだ。
「ダメだ。どうしても水か飲みたいのなら金貨三枚だ。それが掟だ。」
ならばせめて金貨三枚を後払いにしてくれないか、いつか払い必ず払いに来るからとお願いした。
「いつか払うなどと、お前のようなみすぼらしい格好をした奴の言葉など信用できん。貧乏人はさっさと帰れ。さもないとこの槍で突き殺すぞ!!」
兵士が怒鳴った。
流石に突き殺されてはたまったものではないので男は引き下がり、再び町へと戻った。
町の住人は相変わらず水を欲しがっていた。
水、水が欲しい。誰か頼む。水をくれ。
誰もがその言葉を口ずさむ。まるで男の気持ちを代弁するかのように。
どうすれば水が手に入るのか?安全で、心置きなく飲むことができ、それでいて美味しい水を。
男の頭はそればかりになっていた。
しかし、考えても考えてもどうすれば水が手に入るのか分からなかった。今から違う町に行こうにもそんな体力や気力は残っていない。
誰かが恵んでくれるか雨が降るのを大人しく待つしかないのか・・・・。
足下がぐらつき、地面に倒れた。意識も朦朧としてきている。とうとう気力も体力も限界に達してしまった。
自分はこのまま死ぬのか。そう思ったとき、声がした。
「どうしても水が欲しいか?」
嗄れた声だった。
やっとの思いで見上げると、老人がこちらを見下ろすように立っている。
身に纏っているものは粗末だが、その老人にはどこか威厳を感じる。
「欲・・し・・い・・で・・・・・す。」
もう、声を出すのもやっとだった。
「そうか、ならばいいことを教えてやろう。水が欲しければ自分で探せ。水は、身近な所にある。しかしこの町の人間はそれに気づかずに、他人から水を奪うことばかり考えておる。情けないことだ。奪う者ばかりでは決して満たされん。与える者がいなければ、この町は救われやしないのだ。」
男は失望した。てっきり老人が水を恵んでくれると思っていたのだ。
「のう、全てを失った男よ。ここは一つ、お前がその与える者になってみんか?そうすればお前も、この町の住人も、皆救われる。」
言葉は聞こえているが、その意味が理解できない。この老人は何を言おうとしてるのか?
「ま、せいぜい頑張ってみることじゃ。儂は期待しておる。お主が己を、そしてこの町自体を変えてくれることを。さらばじゃ。」
ヒューッと風が吹いた。それから老人の気配がなくなった。
顔を見上げると老人はいなくなっていた。
男はもう、何もやる気が起きなくなって、地面にうつ伏せたまま、じっとしていた。そのうち日が暮れて、夜がきた。寒い。砂漠のど真ん中にいるよりは遥かマシだが、それでも大切な所に布一枚の格好にはかなり堪える。
意識が徐々に徐々に薄らいでいく。もうどうなってもいい。このまま眠りに落ちるようにして死ねるならそれでいいか。
男は完全に諦めていた。
寒い。地面が冷たい。消えかかる意識の中、男は思った。
どうして夜はこうも寒いのか、砂漠も、この町の地面も。
地面をさすって土の感触を確かめる。土は湿気を含んでいるようで、砂漠の砂よりサラサラではなかった。
・・・・・・湿気?待てよ。これはもしかして。
何気なくやった行為だが、男の頭の中で全てが繋がった。
水は身近な所にあるしかし、そのことにこの町の人間は気づかない。
老人の言葉が反芻する。
そうか、そういうことか。
男は起き上がり、手で地面を掘ってみた。地面は柔らかく、これなら素手でも充分掘れる。
男は喉の渇きも忘れて必死に足下を掘り進めた。
やがて、日が昇り始めた。それでも男は懸命に掘り続ける。
すると、ついに目当てのものが湧き出してきた。水だ。地面の底からジワジワと湧き出してきたそれを見て男は感動した。
そしてすぐさま口をつけ、飲んだ。
うまい。飲めば飲むほど全身から力が湧きあがる。
男は心ゆくまで水を飲んだ。いくら飲んでも水は無限に湧き出してくる。
この町の地下には巨大な水脈があったのだ。
飲み終えると、体も心も全て満たされたような気分になった。今までに味わったことのないような幸福感。
ふと、男はいいことを思いついた。思いついたらすぐに行動せずにはいられなかった。
「おーーーーいっ。水ならここにあるぞーーー。」
男は町中を叫びながら走り回った。
家から出てきた人々は半信半疑な様子で男を見ていた。
男はそんな人々を一人残らず自分の堀った井戸に案内した。
地面から懇々と湧き出る水を見た住人達は歓声をあげ、次々と井戸に飛びついた。
そしてたらふく水を飲んだ住人は皆、男に感謝した。感謝の印に衣服や食べ物など様々なものを渡した。
水が全ての町人にいき渡った頃合いを見計らって男は皆に提案した。
この町の皆で協力して町のあちこちに井戸を掘らないか?と、この町の地下には巨大な地下水脈がある。だから掘れば何処でも水が湧き出すだろうと。
町人は皆男の提案に賛成した。
こうして町の至る場所に井戸が作られ、町の人々はもう誰も水を求めることはなくなった。
男はその後、町の人々から頼まれ町長となった。
そして町の住人と様々な商売に挑戦し、住人を
富ませ、町を発展させていった。
一方、オアシスで水を売る商売をしていた大富豪アランは、水が無料でいくらでも手に入るようになったことから、町人の買い手がいなくなり、商売が破綻。晩年はとても寂しい余生を送ることとなった。
───────完───────
ビートた〇し
「賊に襲われ、全てを失った男が起こした一つの奇跡が、貧しい町の人々の心をも変えてしまった。そして今も男の心は町の人々の中で生きている。奇跡体験アン〇リーバボー。」