表裏一体の恋
何がどうなって、何をどうしてどこをどうこねくり回した結果だというのか。
なんということでしょう。どういうことでしょう。
――あたしにも彼氏が、できました。
……まさかの高校デビューってやつか。マジか。リア充か。爆発すればいいのか。
だけどまあ、残念ながら幸せ満載なわけでもないというか何というか、そう簡単に浮かれていられない事情があったりもする。
「ごめん、あたし遅れた?」
「ううん、大丈夫。ボクが早く来すぎちゃっただけだから」
待ち合わせ場所に溶け込むように立っていた伊織君――なんやかんやであたしの彼氏というポジションになったと言っていいはず――は、あたしを見るなりのほほんとした笑みで子犬のように無邪気な笑みを向けてくる。
その眩しい笑顔と可愛らしいセリフにあたしは「うっ」と呻かざるを得ない。
恋愛ビギナーには対処法なんてものが浮かぶはずもなく、「どうしたの?」と聞かれても結局「あ」とか「う」とか不可解な呻きを発することしかできなかった。
そんなあたしを不思議そうに見ていた伊織君だけど、特に具合が悪いわけでもないと分かるとまたふわっと笑って。
「映画、もうすぐ始まるから行こうか」
照れ笑いをしながらあたしの手を引いて歩き出した。
……。
…………今のあたしは手からファイアーボールを出せる気がする。
もしかするとあたしよりサラサラなんじゃないかと思う清潔そうな髪に、少しばかり悔しいと感じてしまうような長いまつげ。
時計とか靴とか、ちょっとした細かいところに見えるオシャレ感。
照れ屋ではにかむ姿には女の子の胸をキュンとさせるものがあるし、だけどあたしの手を包み込む彼の手は思ったよりも大きくて、ああ、しっかり男の子なんだなと緊張する。
さらに定番というか成績が良くて、それに背もそこそこ高い。
あたしと彼の関係を知っている友達からはみんなに羨ましがられるくらい、なんというか高スペックなお方である。
ただ、まあ……もちろん、そんな超人なだけじゃなくて変わってる面もあるんだけど。
「あ……」
映画館の少し手前、ふいに伊織君が足を止めた。
先に見える交通量の多い交差点でおばあさんが立ち往生しているのが見える。
あまり慣れた道じゃないのか何度もうろうろと足をさ迷わせていて、その様子を見ていると何だか気の毒に思えるほどだった。
どうしようと迷ったとたん、「ごめんね、ちょっと待ってて」と伊織君は足早にそのおばあさんの方へ駆けて行く。
……彼女の手前だから、というわけじゃなくて。
自然に、恥ずかしげもなくああいうことができちゃう人なんだよなとあたしはしみじみ感心した。
「お姉さん、どうしたの? 今時間ある?」
「え」
伊織君がおばあさんを誘導しているのを見ていたら、ふいに知らない男性に声をかけられた。
ニコニコというよりニヘラヘラ、そんな感じの笑みで、特に男性に耐性があるわけでもないあたしは思わず腰が引けてしまう。
うあー、ナンパ? これが世で言うナンパってやつですか?
なんということ。おじいちゃん以外にされたのは初めてな気がしますですよ。
「あの、えと。連れ、いますから……」
引きつった笑顔で手をパタパタと振ってみせる。ええい、早くどこか行け。やめろ、こら、近づくな。
「連れ? いなくない?」
「いえ、今離れてるだけで……!」
「お姉さんを放ってどこか行っちゃうような奴なんて良くなくない?」
良くなくない? って良いのか悪いのか分かりにくいんだよはっきりしろよ。そもそもどう見てもあなたたちの方が年上です。あたし「お姉さん」じゃないです。
心の中でいくら毒づこうとも、そんなものが相手に伝わるはずもない。
あたしはしどろもどろで「とにかく駄目なんです」と、これまた頭の悪そうな返事を繰り返すしかなかった。どうも同レベルのやり取りのようで凹んでくる。
「――何、してるんですか」
相当軽そうに見えてなかなかしぶとい相手に軽いパニックに陥っていると、背後からダイヤモンドダストを放出しているんじゃないかと思うほど低い声が降ってきた。
ぎくり、とあたしはあからさまに固まってみせる。
ナンパさんに向けていた表情以上に顔が引きつってくるのが分かる。表情筋故障なう。
「あん? 俺は今お姉さんとお話中――」
「あなたは待てと言われて大人しく待つこともできないのですか? 犬でさえ素直に従えるというのにあなたは犬コロ以下ですか」
…………あっれぇえええぇー?
何であたしが怒られてるんでしょうか。何で片手で頭をぐいぐい押されているんでしょうか。痛い痛い痛い髪のセットが、セットが崩れるていうか痛い。
「ちょ、えぇえ、待ってたでしょうが!?」
「ただ立ってればいいと思っているならその辺の雑木レベルですか、応用、臨機応変という言葉を知りなさい。まあしょせんその程度だとは思っていましたけど」
雑木バカにしちゃいかんよ。せめて期待はしてください。
……そんなあたしと伊織のやり取りにナンパさんはドン引きしたらしい。あたしが何とか伊織の手から逃れたときにはいつの間にかその場から姿を消していた。全くもって正解、賢明な判断だと思います。頭もスポンジのように軽そうだなんて思っててすいません。
「反省の色が見えませんが?」
「あだだだ」
伊織。伊織君。
正真正銘あたしの彼氏は、――二重人格だったりする。
二重人格といっても猫をかぶっている、というわけではない。どうやら伊織の身体にしっかり二つの人格があるらしい。
ちなみにあたしを罵倒しているこちらが元々の性格だそうで、初めてそれを知ったとき、あたしは目と耳を疑った。
大人しい方(あたしは「伊織君」と呼んでいる)がイジメやら家庭の事情やらで追い詰められて、その状況から逃避するためにこのある意味乱暴な性格を作り出した――というのが何となくふつうかなと思ったんだけど、それを言ったら、表(つまり「伊織」だ)に「漫画やアニメの見すぎじゃないですか」とあっさりばっさり否定されてしまった。
なんかよく分からないけれど、事実として今目の前にいるのが表、そしてさっきまで一緒にいた優しい方が裏の人格なのだ。
とにかく表は言葉遣いだけは丁寧なものの、あたしへの扱いが大層ひどい。ドSだ。言ってしまえばドSだ。
「ああもう、映画も始まってしまったじゃないですか。こんな簡単な予定もこなせないなんてどれだけノロマなんですか? 大丈夫です?」
「本気で心配されると地味に傷つく……!? て、いうか! 伊織が長々と叱るから始まっちゃったんでしょうが……!」
「……あなたはボーッとしているから心配なんですよ」
う。
目を伏せられ、その不意打ちにドキリとする。何か言ってやろうとは思うものの二の句が継げず、あたしは無意味に口を開閉させては行き場のない腕をぷるぷるさせるしかなかった。ああもう、調子が狂う。
「ところで……その、何で出てきたの? 今日はずっと伊織君だって聞いてたんだけど」
「あなたが絡まれているのを見まして。裏だと迫力ないので追い払うなんて無理でしょう。だから仕方なく、どうしようもなく、しぶしぶ、私が出てきました」
「う、うぅ。……えっと、じゃあ……もういいんだよね?」
「いえ、今日は無理ですね」
「え!?」
「好きな子を守るために絡んできた相手を追い払うこともできない自分が不甲斐なさすぎて合わせる顔がないと、落ち込むあまり出てこようとしません。ですから今日は無理でしょう」
「えええ!?」
「私もそう思います。私と体を共有していながらこんなに情けないとは反吐が出る」
追い詰めちゃダメぇええ! 伊織君ますます引きこもっちゃうからぁあああ!
どうしてこう、表の伊織は裏の伊織君にもドSなんだろうか。一応自分の分身なんだから少しは優しくしてあげればいいと思うのに。
もしかして同属嫌悪……、……いや、単純に人格だけ見ると全然同属じゃない気がするけど……。
いや、そんなことより。
「そんなぁ……せっかくのデートだったのに……」
結構気合入れてきただけにショックも倍増だ。
思わず肩を落として深々とため息をつく。するとベシリと頭を叩かれた。痛い。
「デート自体が無理になったとは言ってないでしょう」
「……え?」
「今日は私が付き合いますよ」
「えっ。……ほんと?」
「あなたなんかのために嘘を考える時間があるならもっと有意義なことをしています」
「……」
何だかすごい言われようだ。言われようだけど、……デートができることは何だか嬉しくて、あたしは少しだけニヤっとしてしまった。
……彼氏になった伊織は、二重人格。
それだけでも厄介だというのに、さらに面倒なことに、あたしは表の人格からも裏の人格からも一応好意を持たれていた。あ、いや、表の愛情表現はとっても、とっっても分かりにくいけど一応告白されてます、ハイ。
そしてあたし自身、どうしてこうなったのか分からないけど何だかんだいってどっちのことも好きになっていたというのだから……これは、何だろう。浮気なんだろうか。合意のうえの二股になっちゃうんだろうか。恋愛ビギナーには荷が重すぎる問題だ。
「気持ち悪い顔をしていないで来るなら早くついてきなさい」
「もう、どうしてそういうことばっかり言うかなぁ!?」
「まだあなたは幸せです。今の時代なら整形なり何なり、手段はいくらでもありますよ」
「え!? 表情だけじゃなくて顔全否定!?」
優しくて可愛らしい伊織君に、厳しくて分かりにくい伊織。
あたしは何だかんだいってどちらのことも放っておけない。
スイッチのように切り替わる、ややこしくて不安定な恋だけど――今は、それでもいいよね?
「しかし、こうして付き合ったからには最終的には決めていただかないと困りますよね」
「え……」
「ハジメテは、一度しかないんですよ?」
……。
やっぱ、駄目かもしれない。