21:終わりの時
詰所の中に入れられたアヤは椅子に座らされ、名前や住所等を尋ねられた。しかし名前以外は素直に答える事はせず、「社長を呼んでください」とだけ言い張った。
ふてぶてしく、生意気とも映るアヤの態度に警備員達の対応も厳しいものとなっていったが、頑としてそれ以外は答えなかった。
「センパイ、事務所の人が引き取りに来るそうです」
一番若い警備員が事務所の人間と連絡を取っていたらしく、受話器を置くなり告げる。
「本当か? 誰が来るんだ?」
「そこまではちょっと……。でも行くから保護しておいて欲しいとのことでしたよ」
その言葉に訝しげな視線を送って来るのは、アヤを引き留めた警備員だ。
「じゃあ関係者なのか? それならきちんとそう言わないと」
言ったが嘘だと決めつけ、信用しなかったのはそっちじゃないか。
憤りを感じても、これ以上揉めるのも良くないので黙っておく。
気付けば時計の針が十七時を指しており、サキの出番が始まっているはずの時間になった。イベントに関係無いここにはモニターも無く、間に合ったのかすら分からない。
やきもきしながら待っていると、しばらくしてようやく迎えが訪れた。
「スピリッツ代表の速水です」
「社長!」
やっと来てくれた迎えにアヤは椅子から飛び出し、駆け寄ろうとした。しかし社長に見据えられ、足を緩める。
「この度はご迷惑をおかけしました」
アヤが隣まで来たのを見てから、社長は警備員達へと頭を下げる。
「ほら、あなたも」
「え? あー……すみませんでした」
思わず本気で聞き返してしまったが、社長の気迫が怖かったので大人しく従っておく。相手の態度が腹に据えかねるものであっても、騒ぎを起こしたのは事実で、ここでちんたらするよりかはさっさと済ませて、二人がどうなったかを確認したい。
「いいえ、仕事ですから。君も次からは気を付けるようにね」
社長が美人だからか、謝罪を受けたからか、警備員の態度はかなり改善されている。
何はともかく謝罪も済ませればこれ以上ここにいる必要はない。
「社長! 二人はどうなったんですか!?」
詰所を出た途端、アヤはすぐさま尋ねる。
「後にしなさい」
何も教えてくれないまま、社長はさっさと歩き出す。その背中はこれ以上の問いかけを許してはくれず、仕方なく黙って後を追う。
ナギの姿も見えず、サキがどうなっているかも分からない。加えてタマキを追いかけて貰ったナンナンも戻ってきていない。焦る気持ちが足を速くし、足早に進んで行く社長に置いて行かれずに済んだ。
そうしてアヤが連れてこられたのはQuartzやサキの楽屋だった。社長は扉を開けるとアヤに先に入るように促した。
「アヤ!」
中に入るなり白い塊が飛び出してくる。飛び込んできたそれをぎゅっと抱きしめれば、柔らかい感触に張っていた気持ちが緩んでいく。
「アヤ、無事だったナンね」
ナンナンは頬を寄せ、再会を喜んでくれる。
「うん、大丈夫だよ。ナンナンも大丈夫だった?」
「ばっちりナンよ! ナギ達も無事ナン!」
ナンナンの言葉に視線を上げれば、ナギの姿が目に入る。落ち着かなかったからなのか、部屋の中心にあるテーブルには付かず鏡の前に立っており、眉間に皺が寄っているが、アヤの姿を見て安心したのか胸を撫で下ろしている。
「ナギ! 出られたんだね!」
ようやく出来た再会にアヤは嬉しくて、ナギに飛びついた。暖かさが幻でないことを教えてくれ、安堵で泣きそうになる。
「ああ、出られたよ。サキもギリギリだったけど間に合った。今、本番中だ」
指差す先は会場を映し出すモニターで、ステージの上ではサキが、トラブルがあった事など感じさせないパフォーマンスを見せている。
「良かった。間に合ったんだ」
安心したせいで足の力が抜けていく。
へたり込みそうになるアヤをナギが支えてくれ、その頭を優しく叩いてくれる。
「タマキが助けてくれた」
ナギはアヤの体を離して、部屋の奥へと向ける。
そこにはタマキが居て、何故ここに居るのか分からないと言った表情で腕を組み、部屋の壁にもたれかかっている。
「タマキはすぐに倉庫に向ってくれたナン」
「ホントに?」
確認すればナンナンとナギが頭を縦に動かし、肯定してくれる。
あんな状況で出くわしたにも関わらず、タマキは本当に信じて動いてくれたらしい。
「ありがとうございます」
「え? あ……あぁ……」
アヤが笑みと共にお礼を述べれば、タマキも戸惑いつつ頷いた。
「とりあえず座りなさい」
場が落ち着いたのを見計らい、社長が指示を出す。
テーブルは向かい合って四人が座る事が出来、奥の椅子に社長が向かったので、反対側に来たナギと隣り合って座ることにする。
「社長、俺はもう行っても良いですか?」
これから何が始まるのか予想もつかないが、重々しい社長の態度に面倒事なのは理解できる。とっとと逃げ出したいタマキは手を挙げて尋ねた。
「いいえ、ここに居てちょうだい」
すげなく却下した社長にタマキは不満げな顔を見せる。
「俺、関係なくないですか?」
「全く無関係でも無いでしょう。事実を確認したいだけだから、それまでは居てちょうだい」
「事実って……。俺がやったわけじゃないです!」
疑われていると思ったのか、タマキは声を荒げた。
「タマキは助けてくれただけです。閉じ込められたのは俺達の責任で――」
恩人が疑われるのは願う所では無く、ナギも取り成そうとしたが社長が手の平を掲げ、制止する。
「わかってるし、疑っても無いわ」
社長がきっぱりと言うと、タマキは安心し、前のめりになっていた体を戻す。
「聞きたいのは別の事よ」
社長の目がアヤへと向く。
「何故、タマキはこの子の言うことを信じたのかしら?」
その質問はもっともなものだ。
アヤとタマキには面識がない。しかも警備員に掴まりかけている子供の言葉等、普通だったら無視するし、信じたりしない。しかしタマキは信じてまっすぐにナギ達を助けに行ってくれた。
「それは……」
タマキの歯切れは悪い。
「あなた、この子の事を知っているのでは無いの?」
「は?」
社長が核心を突く問いを投げかけたが、タマキは鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔になる。
「何の事だか分かりませんが、コイツの事は何も知りません」
驚き動揺したのか、タマキはすらすらと言葉をこぼしていく。
「俺はただ、サキが出番なのに来ていないって聞いたから、外を見に行こうとしたんです。そしたら入口で揉めてて、ソイツがサキがいるって言ったから、倉庫に行っただけで」
「でも本当に倉庫にいるとは限らないでしょう」
「だってサキが遅れるなんて有りえないでしょう」
社長の問いに即座に返したタマキは、自分の言葉に気付いて口を押えた。
同期であるタマキは、ナギ程では無いにしてもサキの事を理解している。その仕事に対する姿勢もずっと見てきている。例え仲が良くなくても、そうした信頼は揺るがない。しかし、それを表に出すことはしなかったが、うっかりと胸の内を晒してしまった。
「だから倉庫へ向かったと?」
「――はい」
これ以上、口を滑らしたくなさそうなタマキだったが、社長に射竦められ、大人しく返事をする。
「サキが遅れるなら、自分がどうにも出来ない状況って方が分かります。それに、ソイツが嘘をついている様には見えなかったし」
「そう」
短く相槌をうつ。
「では本当にこの子とは何の関わりも無いのね?」
「はい」
「わかったわ。それじゃあ、あなたはもう行っていいわ」
社長が許可を出すとすぐ、タマキは部屋を出て行こうとする。
「あの……」
ドアノブに手を掛けかけて、タマキは一度振り返った。
「ソイツのおかげでサキは助けられました。あんまり叱らないでやってください」
言うだけ言って軽く頭を下げ、部屋を出て行く。
「アイツ、意外と良いヤツだったナン」
ナンナンが呟きは扉が閉まる音と重なった。
「さて、話の続きをするわよ」
相も変わらず厳しい表情で社長は組んだ手をテーブルの上に置いた。
「タマキはあなたの事を知らなかったのは本当の様ね。でもナギ。あなたは違うわよね?」
名指しされたナギは体を強張らす。
「あなたはアヤの事を知っているのね?」
言い逃れは出来ない。
「――知っています」
掠れる声でナギが答えた。
「知ったのは今日かしら?」
助ける時に初めて正体をバラした。
そう告げても真実を知る術は無いだろう。けれど、これ以上誤魔化したりはしたくない。
「ナギは悪くありません」
押し黙るナギの代わりにアヤが答える。
「私が辞めたくなくて、ナギにお願いしたんです。だから悪いのは私です」
「おい!」
ナギはアヤの肩を掴む。
「お前何言ってるんだよ!」
「正体がバレたら辞める約束だったのに、破ってごめんなさい」
ぎゅっと手を握りしめて、頭を下げる。
社長は本当ならすぐに辞めさせるべきジュンに、最後の舞台を与えてくれた。そして、その場で全力を発揮したジュンを褒め、更なる猶予までくれた。すでに辞めなくてはいけなかったのを誤魔化していたのに。
「社長! アヤを怒らないで欲しいナン!」
アヤの腕からナンナンが飛び出す。
「ナンナンがうっかりしたせいで、アヤの正体が知られてしまったナン! 悪いのはアヤじゃなく、ナンナンナン!」
「ナンナン……!」
かばってくれるのは嬉しい。でもやはり約束を破ったのはアヤなのだ。
アヤはナンナンを引き寄せて、首を振った。
「違います! 俺が黙ってるように言ったから……。コイツは、アヤはちゃんと約束を守ろうとしてました! それを破らせたのは俺で――」
「止めて、ナギ」
立ち上がったナギの腕を掴んで制止するが、構わずにナギは続ける。
「今日だって俺達を助けるために仕方なく変身を解いたんだ! 責任と言うなら俺にだってあります! だから――」
「止めて、ナギ」
もう一度制止して、アヤは首を振る。
もう覚悟は出来ている。
ナギを、サキを助けると決めた時に腹は括った。
「社長」
アヤは姿勢を正して、きちんと社長へと向かい合う。
社長は決してアヤを「子供だから」とおざなりに扱ったりはしなかった。どんな時でも真摯に向き合ってくれた。だからアヤも誠実に向き合おう。
「今更だけど約束を守らせてください」
初めは嫌々だった。
女の子なのに、可愛い恰好が出来るかと思ったのに、何故か男の人の姿でアイドルをする羽目になった。だから正直オーディションにも、そこまで真剣に取り組もうとはしてなかったと思う。
しかし「頑張れ」と応援してくれた人がいて、ギリギリ引っかかった程度の合格も喜んでくれ、仲間に入れてくれ、一緒に頑張ってくれた人がいた。問題を起こしても、正体がバレても、どんな時でも味方でいてくれた人がいた。
だからアヤはジュンとしてやってこれた。それも今日でお終いだ。
「今日のイベントを最後に、ジュンは事務所を辞めます」
言葉にしてしまうと、途端に実感が湧いてくる。
楽しかった時の終わり。本来ならあるはずの無かった時間の、誤魔化し誤魔化し先延ばしにしてきた終わりが、訪れてしまったのだ。
「私の正体をナギは知っています。そして今日、サキさんにも知られてしまった。そうなった以上、私は辞めるべきですよね?」
後悔なんてしていない。
ずっと助けてくれていた人の大事な人を助けたのだ。それを後悔することは無いだろう。だからアヤは胸を張れる。
「確かに、今回のイベントで辞めるのは約束だったわ。そして、その約束を返上出来るくらいのものを、あなたは見せてくれた。こんなことになって、とても残念よ」
社長はわずかに顔を歪ませて言葉を告げた。
「お世話になりました」
胸の前でぎゅっと手を握る。
きっとこれまでの時間は一生忘れることのない宝物になるだろう。大切な時間だった。
「本当にありがとうございました」
もう一度お礼を言う。
これで本当に終わりになるのだ。




