20:救出
ジュンの目に入ったのは明り取りの窓だ。
高い位置にあるし、横長の窓は小さいが開けられれば通り抜けられるだけの幅はある。
「ナギ! サキさん!」
悩んでいる時間は無く、二人に呼びかけて窓を指差す。
「あそこから出よう!」
「窓? でも開くか?」
はめ殺しの可能性もあるが、確認してみないと分からない。三人は物をどかして窓までの道を作る。パイプ椅子を一つ台代わりに用意して、ナギが窓を確認する。
「格子は無いみたいだな。でも――」
「開かない?」
「いや、開くんだけど……」
窓はスライド式では無く、突き出す形で開いた。網戸があるわけもなく、普通に開いている。ただし――。
「通り抜けるのは難しいな」
防犯の為か、あまり大きくは開かず、体を曲げて出ようにも今度は横幅が足りない。
「見せて」
椅子を押さえていたサキが言い、降りるナギに替わって上る。何度も開け閉めを繰り返すが、開き方も窓の大きさも変わるわけでは無い。
「これじゃ、子供でもなきゃ通れない……」
力なく手を落とし、椅子から降りる。そのままもたれる様に座ったサキは焦燥感を滲ませていた。
「サキ、諦めるな! 俺がどうにかするから!」
「どうにかってどうするの!? 出られないのに!」
「人が通るかもしれないだろ!」
「そんなのいつになるか分からない!」
こうしている間にも時間は刻々と過ぎていく。
「僕も頑張ろうって思ったのに……」
顔を覆うサキに何て声を掛ければいいのか分からない。
唯一外に通じている窓は子供でなければ通り抜けられない。
「――ナンナン」
ハッとしてジュンは呼びかける。
「ナンナン! ナンナン!」
急に叫びだしたジュンに驚いてサキは顔を上げる。
「ナギ! 窓は開くんだよね!?」
同じく驚いているナギに確認する。
「あ? ああ、開くけど出るのは無理だ」
「うん。“子供”じゃないと、ね」
ジュンの発言の意味に気付いたナギは息を呑む。
「お前!?」
「通り抜けられないなら、通り抜けられるようになれば良い!」
グッと拳を握り、顔を上げる。
「何を言ってるの? 体が縮むわけでも無いし、冗談は止めてよ」
怪訝そうな顔でサキに窘められるが、ジュンは首を振る。
「冗談なんかじゃない!」
「ジュン! お前、自分が何言ってるか分かってるのか!?」
「分かってる」
自分が一番よく分かっている。
「今この場で一番大事なのはサキさんだよ。待っているファンの人もいるし、スタッフさんとか、皆が困っちゃう。それは絶対ダメだと思う」
元々“条件付き”合格で、常に綱渡りで進んできたジュンとは違い、サキの目の前には立派な道がある。スタートラインが用意されている。どちらを優先するべきかなんて、考えるまでも無い。
「だからって別の方法が――」
「時間が無いよ」
流れる時間は止められない。こうしている間にもどんどんとすり抜けていく。
「ありがとう、ナギ。私の事も気にしてくれて。でもね、ナギがそうしてくれた様に、私もそうしたいんだよ。ナギが、Statelyの皆が私を大事な仲間だって言ってくれて、応援してくれた。一緒に頑張ってくれた。だから、そんな皆が大事に思っている人の事、私も助けたい!」
今、助けられるのは自分しかいない。ならば迷う必要は無い。
「ナンナン!」
問答をする時間も惜しく、ジュンは呼びかける。
ナンナンはすぐさまスルスルと近づいてきた。
「本当に良いナン?」
確認は短い。
「お願い」
だから返答も短く返す。
ナンナンは何も言わず、短い手をくるりと回した。
煙が起こりジュンを包んでいき、姿がジュンから本当の姿――アヤへと変わる。
「なっ――!?」
目の前で人が変身すれば誰だって言葉を失うだろう。サキも目を見開いて口をパクパクと動かしている。しかし、今は説明している暇もない。
「ナギ、お願い!」
これで通り抜けられるだろうが、身長も縮んでしまい、椅子だけでは届かない。ましてや乗り越えようと思うなら、もっと高さが必要だ。長机を引っ張り出そうとするが一人では重すぎて難しい。
「ナギ、手伝ってよ!」
この期に及んでもナギは動いてくれず、焦りは募る。
「ねぇ、早く!」
「俺が抱えてやる」
「え?」
言葉を理解する前に手を引かれ、窓の下へ立たされる。
「ナンナン。窓の外を見てくれ。降りるのは出来そうか?」
「任せるナン!」
しんみりしていた空気を脱ぎ捨てて、ナンナンは勢いよく飛び出していく。
「何も無いナンよ! ただ高いから足から降りた方が安心ナン」
「じゃあ高さが必要だな。危ないけど、椅子の上で抱えるけど良いか?」
「それは大丈夫だけど……」
「僕が椅子を押さえるよ」
思考を取り戻したサキが申し出る。
「僕の為にやってるのに、何もしないわけにはいかないでしょ」
さすがに体を痛めてしまうわけにはいかないので、抱えたりするのは出来ない。それでもサポート位は出来る。
「ジュン――いや、アヤ」
向かい合ったナギが名前を呼ぶ。
「信じてる」
言葉は短いけれど、その言葉があれば良い。
「うん!」
アヤは思い切り頷いた。
「じゃあ抱えるぞ。来い」
椅子の上で屈んだナギが手を広げる。
アヤが空いた隙間に体を入れると、すぐに暖かな手が体を持ち上げた。そのまま更に高くまで上げられ、充分窓に手が届く様になる。
枠に捉まり、なるべく体を乗せて支えられながら足を窓から出す。片方さえ出てしまえば後は身体を滑らせていくだけだ。慎重に、けれども急いで動き、下半身が外に出る。このまま、体を降ろしていき、ぶら下がってから飛び降りれば衝撃は少なくて済む。
「待ってて! 必ず助けるから!」
「ああ」
最後にナギに笑みを向けて、アヤは降りて行く。
「アヤ、気を付けるナンよ」
「大丈夫! これでも幼稚園の頃はおてんば――でぇっ!」
もう少しでぶら下がれるという所で滑り、一気に落ちたアヤは地面に転げた。
「アヤ!」
「だ、大丈夫……」
忠告通り足から降りていたおかげで頭は打ちつけずに済んだ。ざっと体を確認したが、窓枠を掴んでいた手が赤くなっているのと、あちこちを多少擦りむいた程度の様だ。立ち上がって軽く足踏みもしてみるが捻ったりはしておらず、問題なく走れそうだ。
「急ごう、ナンナン!」
「ラジャーナン!」
地面を蹴って走り出す。
倉庫の位置的に出入口とはそんなに離れていない。建物沿いに走ればすぐに楽屋口が見つかる。中に入ればすぐに倉庫へ向かえる。これならサキの出番にも間に合うだろう。
「ちょっと待ちなさい!」
走り抜けようとしたアヤの肩を大きな手が掴む。
「君! 勝手に入ったら駄目だよ!」
先程まではずっと入口の詰所に居たはずの警備員が、今は外に出ていたらしい。
「なんって間の悪いヤツナン!」
舌打ちをするナンナンの態度は悪いが、今だけは全力で同意だ。
「わ、わた――オレ、研究生です!」
「嘘つかない! ほら、戻りなさい!」
戻るなら中に、だ。しかも研究生だっていうのも、あながち嘘では無い。
「かーっ! 頭ごなしに叱るなんて、子供の教育に良く無いナン!」
相手に聞こえないナンナンの主張はともかく、このまま追い立てられて出されてはたまらない。
「倉庫に行かないと! ナギ達が閉じ込められてるんです!」
「何を訳の分からない――あ! こら!」
ちっとも信じてくれていなさそうな警備員の相手をしていては埒が明かない。
脇をすり抜けようとしたが、意外と警備員の瞬発力は良かったらしく、あっさりとつかまってしまう。
「離してください!」
「全く! 親に連絡するぞ!」
「助けないといけないのに!」
抵抗しても子供と大人ではたかが知れている。腕を掴まれ、引きずられるように詰所へと連れて行かれそうになる。
「信じてる」と言って貰えたのに、「任せて」と言ったのに、どうしようもなく無力で口惜しい。
「離し――あっ!」
それでも抵抗を止めなかったアヤは、廊下の先に見知った顔を見付けた。
「タマキさん!」
呼ばれたタマキは自分を呼んだ見知らぬ子供を凝視する。
子供が警備員と揉めている状況に怪訝な顔をし、関わらない方が良いが、かと言って呼ばれた手前、何となく去れずにいるのだろう。
この状況では怪しむのも仕方がないが、足を止めてくれただけでも有難い。自分一人ではどうにもならないのなら、誰の手でも良いから借りたい。
「タマキさん、助けて!」
「いい加減にしろ!」
警備員の語調は強くなり、態度も荒くなっていくが、諦めるわけにはいかない。
「ナギが、サキさんが倉庫に閉じ込められてるの! ノブが壊れて中から開けられないの! 早く行かないと出番が――」
「黙りなさい! 面倒をかけるな! 無視して行って下さい!」
相手は芸能人で、警備員にとって警護すべき対象だ。これ以上、その対象に迷惑をかけたくないのだろう。警備員はタマキに向かって言う。
しかしタマキは立ち去らず、じっとアヤを見た。
「サキが倉庫にいるのか?」
タマキが落ち着いた声で尋ねてくる。
「気にしない――」
「います! ナギと一緒に!」
警備員を遮って、アヤは叫ぶ。
「この奥にある倉庫です! 早く!」
タマキがやってくれる保証なんてない。ましてや、サキやナギに突っかかっていたとも聞いているが、それでも今は彼を信じるしかない。見ず知らずの子供の言葉に、多少なりとも聞く耳を持ってくれた。そこに賭けてみる。
突っかかっていても、タマキはナギやサキと同期だ。一緒に過ごした時間もあるし、ミヤも「悪いヤツじゃない」と言っていた。だから、本気なのが分かればきっと、信じてくれるはずだ。
「お願い!」
アヤが懇願するとタマキは何も言わず踵を返し、足早に立ち去っていく。
「ナンナン! 後を追って!」
「でも――」
「良いから!」
ナンナンは一度だけ振り返ったが、前を向くとすぐにタマキの後を追った。
これで万が一、タマキが助けに行ってくれなくても教えてくれるか、社長を捜しに行くだろう。
「ほら、来い!」
あまりにも自分をおざなりにするアヤに腹に据えかねたのか、警備員は乱暴に引っ張り、今度はアヤも大人しく従う。ただし視線だけは通路の先、ここからは見えない倉庫の方へと向いている。
どうか間に合いますように。
願いを込めて、アヤは時刻を確認した。