19:またピンチ
良かった。
部屋の中は相変わらず薄暗いが、それどころか日も傾いてきて益々暗くなってきているが、視界は明るく感じる。
途中ハラハラする場面もあったが、無事にナギとサキは仲直りが出来た。その事がこんなにも嬉しい。万が一声を出してしまえば邪魔になる。必死で目を見開き、正座をしたふとももに爪を立てて堪え続けたかいがあったというものだ。
「ジュン! なんつー顔してんだよ」
話が一段落し、ようやくジュンの存在を思い出したナギが、ジュンの様子を見て慄いた。隣でサキもドン引きしている。
「もう、良いのデスカ?」
掠れた声で確認する。
「ああ、良いよ。大人しくしてて偉かったな」
ナギは近づいて来ると屈んでジュンの頭にポンと手を乗せる。
「二人は元に戻れましたか?」
「戻れたよ。なぁ、サキ?」
「え? ああ、うん。そうだね」
少しだけ気恥ずかしそうになりながらもサキも同意する。
「良かっ――」
「良がっだナン!」
「ぐはっ!」
ジュンの横から白い塊が飛び出し、ナギのお腹へと突撃する。
「よばっだナン! ぼばったナンねぇ! ふだりども、いけべんナンよ!」
ナンナンはナギにしがみついて、おいおいと泣いている。先を越されたジュンは涙も引っ込み、伸ばしかけた手を咽るナギの前で所在なさげにしている。
「ちょっとナギ、大丈夫?」
唯一ナンナンが見えないサキは、突然咽始めたナギに驚いている。
「だいっじょぶ、だ……。はぁー……」
ようやく落ち着いたナギは顔を上げ、ジュンと目が合う。
「あー、その、なんだ。ありがとな、ジュン。心配してくれて」
「ううん、何もしてないし」
泣き続けるナンナンの勢いが凄すぎて白けかけたが、ナギを心配するサキの様子を見れば、やはり喜びが勝る。
「二人が元に戻れたこと、オレも嬉しいよ!」
「ん、サンキュ」
満面で笑い掛ければ、ナギは視線を落とす。
つむじしか見えなくなってしまったので、何となく、その頭を撫でてみる。
「よくできました」
「ガキ扱いすんな」
「褒められるのに年齢は関係ないでしょ」
「褒め方の問題だ」
手を払いのけたナギが立ち上がる。怒っているのかそっぽを向いているので、ジュンは唇を尖らせた。
「仲良くやれてるみたいだね」
成り行きを見守っていたサキが感想を呟く。
「あ! そうだ。オレも謝らないと!」
ぽんっと手の平に拳を落とす。
「サキさん。話し合いの時に乱入してごめんなさい」
ジュンがあの時に部屋を間違えなければ話し合いはこじれる事も無かったかもしれない“たら”“れば”の話でも、やはり一度きちんと謝りたかった。
「君に謝られる事なんて無いよ。僕のせいなんだから」
「俺達の、な」
すぐさまナギの訂正が入る。
「いや、だってあの時、先に癇癪を起したのは僕だし」
「それは俺がきちんと話さなかったからで――」
二人はジュンをそっちのけにして、責任の奪い合いを始めてしまう。
険悪な仲違いというわけではなく、じゃれあいのような言い合いで、二人は楽しんでさえいる様に見える。
「これがBでLな展開ってやつ?」
以前ナンナンが言っていた言葉を口にすれば、ナギ達は凍り付いた。
「ジュンも分かってきたナンね」
いつの間にか落ち着いたらしいナンナンがナギから離れ、鼻水を垂らしつつ頷く。
「違う。断じて違う」
真顔でナギはジュンの両肩をガシッと掴んだ。
「良いか。余計な知識を入れるな。決して」
「分かった」
あまりの気迫に素直に頷いておく。
「んじゃ、そろそろ出るぞ。埃っぽいしな」
「そうだね。喉に悪いし、僕も準備しないと、もうすぐ出番だし」
あからさまに二人は話題の転換を図っているが、約束したので大人しく従う。
「サキさんの出番、楽しみです。ステージの脇から観てても良いですか?」
「お。良いな。俺もそうしようかな」
「えぇ……。モニターで観れば良いでしょ」
ジュンの提案にナギも乗っかり、サキは渋い声を出す。
「いやいや、先を行く先輩から色々学び取らないと。な、ジュン」
「そっか。ただ観てるだけじゃなくて、学ばないとなんだ! なら尚更観たいです!」
期待を込めてサキを見やれば、しかめっ面になっている。
「ナギ、後輩をおちょくるなよ」
「失礼だな。本当の事だぞ」
ナギは肩を竦める。
「Quartzのリハの時だって、サキのパフォーマンスを観たコイツの反応ったらすごかったんだからな。でっかい目をキラキラさせちゃってさ。そばにこんなに良い男がいるっつーのに」
「だってサキさん、綺麗だったんだもん! 今まで男のアイドルってあんまり興味無かったんだけど、良さが本当に伝わって来たんだよ!」
「もう勝手にして……」
思わず力説してみればサキが両手を上げて降参した。
「ヨシ! じゃあ観に行くぞ、ジュン」
「うん! 観に行く」
喜び手を叩き合う二人を横目に、サキは嘆息した。
「じゃあ、その本番に出るためにもさっさとここを出ようよ」
「あいよ」
げんなりするサキを笑いながらナギはドアノブに手を掛ける。その途端、有り得ない音がした。
「は?」
「え?」
「えぇっ!?」
三人の視線はナギの手に集まる。
手の中には銀色の物体――ドアノブがある。
「ちょっ! まっ! えぇ!?」
狼狽えたナギがドアノブを落とし、金属音が響く。コロコロと床を転がるのは紛れもなく出入口の扉のドアノブだ。
「何で!? 何でドアノブが取れるの!? 出れなくなっちゃったの!?」
「いや、ただ外れただけかも……」
サキはそう言い、落ちたドアノブを拾い上げる。
「えぇ……」
「折れてるな」
「折れてるよ」
断面はボコボコとしていて切断されたり外した様には見えず、折れている。
「何でドアノブが折れるのー!?」
「落ち着けジュン!」
「落ち着いていられないよ! だってドアノブ、折れたんだよ!」
有りえなさすぎる事態に混乱は止められない。
「もしかして、さっきナギがぶつかったから!?」
「んなわけあるか! それくらいで金属が壊れるかっつーの! 壊れないよな?」
否定しつつも、ナギの声は段々と尻すぼみになっていく。
「多分、古くなってたナンよ。ここ、あまり使われてなさそうだし」
扉のドアノブのあるはずの場所を確認しつつ、ナンナンが言う。
「そこにあの衝撃でボキッといっちゃったのかもしれないナン」
「ナギのせいだー!」
「やっぱりそうなのか!? そうだと思うか?」
ナギが救いを求めてサキを見ると、サキは深刻な顔でため息をついた。
「理由はどうでも良いから、脱出する方法を考えないと」
「それもそうだな」
冷静なサキのおかげでナギも落ち着きを取り戻す。
「まずは助けを呼ぼう。携帯、携帯……」
ナギはポケットに手を突っ込み、一瞬動きを止めたかと思うと身体中をバシバシと叩いて回る。
「無い」
「オレも持ってきてない……」
サキを捜しに行く事ばかりを考えていて、休憩室に忘れてきた。最後の望みはサキだが、サキも首を振る。
「僕も楽屋に置いてきてる」
持ち運べる電話という利点を、三人とも見事にないがしろにしてしまったらしい。
「あ! 蹴破るのは? 漫画とかで良くあるじゃん!」
ヒロインのピンチの時、ヒーローはすかさず体当たりや蹴りで扉をぶち破ってくれる。
「サキは身体を痛めると困るから二人でやることになるけど、ジュンは出来ると思うか?」
ナギの問いかけにジュンは扉を見る。
鉄の扉は少しくらい衝撃を与えたくらいではビクともしなさそうだ。
「無理ぃ……」
「仕方ないナンねぇ」
ジュンが情けない声を出せば、ナンナンが「やれやれ」と首を振りながら舞い上がる。
「ナンナンに任せるナンよ。壁なんかすり抜けて開けてあげるナン」
「ナンナン!」
「は?」
思わず叫んだジュンにサキが怪訝そうな声を出す。
「いや、あの、助けが来そうだなって」
「はぁ?」
「まぁ、サキ。ちょっと待ってみようぜ」
同じく聞こえていたナギが取り成してくれる。
その隙にジュンは手を合わせてお願いし、ナンナンは親指を立てて了承するとするりと壁を抜けて行った。
「意外とあっさり脱出出来そう!」
「そうだな。いやぁ焦った」
すっかりほっとする二人に訝しげにサキは腕を組む。
「助けなんて来るの?」
その質問の返事は扉が音を立てて、代わりにしてくれた。
ガチャガチャと、向こう側で扉を開けようとしている音が聞こえれば、サキも安堵の表情となる。しかし、扉は開かれない。
扉が沈黙し、ほどなくして項垂れたナンナンが戻ってくる。
「ナンナン、どうしたの? 早く扉を開けてよ」
小声で急かすが、ナンナンは首を振る。
「開けられないナン」
「え? どういうこと!?」
思わず声が大きくなれば注目が集まる。しかし今は気にしている場合ではない。
「まさか鍵がかかってるとか?」
「いや、それは無いと思うナン。でも……」
この時間が惜しい時にナンナンの歯切れは悪い。
「ナンナン!」
苛立ちを滲ませて促せば、意を決したナンナンは顔を上げた。
「手が届かないナン」
「は?」
間の抜けた声が出る。
「いや、ほら、ナンナンは可愛い妖精さんナン? だから、シルエットもこう……可愛くディフォルメちっくになってるナン。だから、その……頑張って手は伸ばしてみたナンが……」
「手が短かった、と?」
「そこは小さいと言って欲しいナン」
「ポジティブに言い換えるなし!」
思わず突っ込む。
こんな一大事の時にまさかの理由で手助けにもならないとは。あんなに自信満々にして出て行ったのに。
「魔法は? 魔法はどうしたの? 妖精なんだから使えるでしょ?」
「扉を開ける魔法なんてないナンよ。妖精さんは万能じゃないナン」
ジュンは「このままでは無能だ」と言い掛けて、寸でのところで飲み込んだ。
「助けは当てに出来なくなったな」
さっさと見切りをつけたナギは顎に手を当てる。
「どういうこと? 開けて貰えなくなったってこと?」
サキが訳が分からないという風に首を傾げる。
「ああ、開けて貰えない」
「誰かは知らないけど、その人に助けを呼びに言って貰えば良いんじゃないの? 外に居るんでしょ? 頼もうよ」
サキの提案はもっともで、ジュンとナギはナンナンを見やる。
「ナンナンの姿が見えるのはジュンとナギと社長だけナン。社長を呼びに行っても良いけど、どこにいるか分からないから、どれくらい時間がかかるか……」
時間がかかってしまってもそれが一番確実な方法で、頼もうと口を開きかけた時、スピーカーから音楽が流れた。
「四時半……」
サキが呟く。その顔は蒼白だ。
出番まで後三十分。
まだ衣装への着替えも済んでおらず、アップをしたりすることを考えれば、今すぐにでもここを出なければ時間は足りない。
「どうしたら……」
焦るジュンの瞳は一か所に釘付けになった。