17:話をしよう
「ひどい顔ね」
苦笑交じりにルイが冷やしたタオルを差し出してくれる。そういうルイもほんのり目が赤いし、鼻もすすっている。だが、ジュンとナギほどでは無い。
泣きはらした二人の目は腫れぼったくなり、ぐしゃぐしゃの顔だ。控室に戻るまでも通り行く人にじろじろと見られた。
「良いんだもん。嬉しいんだから」
哀しみの涙では無いのだから恥ずかしくなんかない――はずだ。ジュンは口を尖らせてそっぽを向こうとしたが、ルイに問答無用でタオルを当てられる。
「良いから冷やしておきなさい」
「はーい」
タオルを受け取って大人しく瞼を冷やす。
「お、ジュンは母さんの言う事が聞ける良い子だな」
「まだそのネタ引っ張るのかよ」
「そう言うお兄ちゃんも冷やしておけよ」
ツッコミを受け流したセンがタオルを渡し、諦めたのかナギも黙って受け取った。
「その顔じゃ二人共、表の手伝いは無理ね。私達だけで行きましょう」
先ほどスタッフから要請があり、手の空いている研究生は手伝いに回る事になった。午前中に手伝っていたセン、ルイはもちろん、今度はハルも行くようだ。
「そうだな。二人共、大人しくしてろよ」
「わーってるよ」
子供に言い聞かすような物言いに、ナギがふて腐れた声を出す。その頭を乱暴に撫でて、セン達は手伝いに行った。
「しばらくは休憩ナンね」
皆が離れたので、ナンナンはジュンの肩に降り立って口を開く。
「そうだね。センにも大人しくしてろって言われたし」
出来ればステージ脇から他のユニットを見学したいが、まずは顔が治まらないことにはどうにもならない。幸い、控室にあるモニターに会場の様子が映し出されているので、それを観ながら我慢すれば良い。
「ジュンはのんびりしてろよ」
「ジュン“は”って、ナギはどこかに行くつもりナン?」
ナンナンの指摘にジュンはタオル外して、ナギを見る。
置いて行かれるのは寂しい。
「どこか行くの?」
「もうちょっと顔が落ち着いたらな。ジュンもちゃんと冷やせよ」
「どこ行くの?」
はぐらかされまいと、じとっとした視線と共に追及すれば、ナギは視線を逸らしながら口を開いた。
「サキのとこ」
「サキさん?」
ジュンは目をしばたかせる。
「そう。さっきはまだ行けないって言ったけど、ジュンもちゃんと目的を果たしたんだから、俺もいい加減しっかりしないとなぁって思って。イベントも成功したし、まだ同じ場所には立ててないけど、少しは胸を張れる様にはなったから」
目をタオルで隠して、ナギはつらつらと言葉を繰り出す。
「だからサキと話をするっていうか、話がしたいって言いに行こうかと思って」
「それ良い!」
勢いよく立ち上がり、前のめりになる。
「それ、すごく良いよ、ナギ! そうしよう!」
「そうしようって、俺の事なんだけど?」
「二人が仲直り出来たら嬉しいもん! サキさんを捜すの手伝う!」
顔はまだ少し腫れぼったいが、こうしてはいられない。
「早く行こう!」
ナギの腕を引いて立ち上がらせる。
「いや、俺は一人で――」
「早くしないとサキさんの出番が来ちゃうよ。あっ! サキさんって何時からだっけ?」
「十七時からみたいナン」
すかさすタイムスケジュールを確認し、ナンナンが教えてくれる。
「じゃあ急がなきゃ! ほら、ナギ! 行くよ!」
何度も引っ張ってようやくナギのお尻が椅子から離れてくれたので、そのまま引きずるようにして歩く。
「こうなるから言いたくなかったんだよ……」
ナギのつぶやきはジュンには届かなかった。
サキの一番居そうな場所は当然、楽屋だ。
それぞれ部屋を割り振られているのはデビュー済みの、既に活躍している先輩方だ。年齢や人気度の序列によってグレードが分けられ、個室か大部屋か、部屋の広さ等が変わってくる。その中でデビュー予定のサキは一番格下の部屋になる。
並ぶ楽屋の中の入り口横には使っている人の名前が貼ってあり、時間も掛からずサキの名前を見付けた。その上には“Quartz”ともう一つ、聞き覚えはあるが馴染みの無いユニット名が掛かれており、どうやら三組で使っているらしい。
「ジュン。お前、一言も喋るなよ」
「なっ! それ、どういう意味!?」
「黙ってろって事だよ」
そうじゃない。
その通りなのだろうが、そうじゃない。
分かっていて言ったナギは、ジュンの抗議が始まる前にドアをノックした。すぐさま返事が聞こえ、ドアが開く。
「おや、ナギ。どうしたんだい?」
開けたのはミヤで、切れ長の目を丸くしている。
「サキ、いますか? 用事があって」
「今はいないよ」
そう言いながら、中が見える様に体をずらす。
中にはミヤの他にはレイしかいない様で、六畳ほどの部屋は閑散としている。
「サキならさっき練習から戻って来て、またどこかへ行ったよ」
「そうですか……」
勢い勇んで来たのに出鼻をくじかれ、肩を落とすナギの後ろでジュンもしょぼくれていると、ミヤに見つかった。
「ジュン君も居たんだね」
視線を遮る様にナギが二人の間に立つ。
「過保護だなぁ」
肩を竦めるミヤはどことなく楽しそうだ。
「中に入ってくかい?」
「いや、サキを捜すから」
ナギは首を横に振る。
「そう? 残念」
ミヤは別段気にした風でも無く、あっさりと引き下がる。
「そうそう、君達のパフォーマンス観たよ。モニター越しにも分かるほど、すごい盛り上がってたね。僕も楽しかった」
「本当ですか!?」
褒められて思わず前に出そうになったが、ナギの窘める様な視線にそろそろと姿勢を正す。
「本当だよ。研究生のユニットは知名度もそんなに無いし、お客さんも愛想程度には盛り上げてくれるけど、君達のパフォーマンスは本当に盛り上がっていた。僕達も負けていられないね」
掛け値なしの感想に頬が緩んでいく。
「ありがとうございます」
「うん。ジュン君は素直で良いね」
ミヤが口に軽く手を当てて笑う。
「今度は一緒に仕事しようね」
「はい!」
いつまでも話していても仕方が無いので、二人は話を切り上げて立ち去る。
居場所の候補のうち一つが潰れてしまったので、とっとと次へ行くことにする。
他に居そうな場所と言って思いつくのは練習室なのだが、そこから戻って来てまた出て行ったとなれば、候補から外した方が良いだろう。トイレの様なすぐ戻る場所でも無いし、タバコは許されていない年齢なので喫煙所の可能性も無い。
「どこか思いつく所は無いナン?」
向かい合い悩む二人を見下ろしつつ、ナンナンが聞く。
「ステージが使われてるなら、脇で見学しているかもしんないけど」
今は誰も使っておらず、そこには居ないだろう。
「ナギ、親友なんでしょ? 頑張って思いついて!」
「無茶言うなって――あっ」
何か閃いたナギは腕を組み、片方の手をあごに当てた。
「そういや、アイツ、いつも本番前って散歩してたわ」
「散歩?」
ナギは頷く。
「精神統一っていうか本番で集中するために外の空気を吸いに行くんだよ。晴れてる日は特に」
「なら外にいるかもしれないナンね」
今までの中では一番可能性の高い居場所だ。
頷き合って、一同は楽屋口の方へと向えば外に出るまでも無く、戻って来たらしいサキと遭遇した。
「ビンゴ! ナン!」
ナンナンが短い手を突き上げる。
歩いてくるサキはこちらに気付いたが、すぐに素知らぬ顔になる。このまま通り抜けようとしているのだろうと分かる態度に、ナギが先手を打つ。
「サキ、話があるんだ」
予想外な言葉だったのだろう。サキは面を食らって足を止めた。すかさずジュンは通り抜けられない様、こっそりと動いて進路を塞ぐ。
「今更だってのは分かってる。でも、きちんと話したいんだ」
まっすぐに見つめる瞳には迷いも負い目も無く、真摯に向き合っている。それがサキにも分からぬはずがない。
「何を話すっていうの?」
サキは右手を腰にあて重心を片側に寄せた。どうやら耳を傾けてくれるらしい。
「今じゃなくても良いんだ。もうすぐ出番だろ?」
「まだ時間はあるし、聞くよ。思わせぶりな事されたら気になるし」
「そうか」
一先ず取っ掛かりを得られたナギは胸をなで下ろす。
「ジュン」
固唾を飲んで見守っていたジュンは、ナンナンに頭をつつかれて視線を向ける。
「あそこ」
短い手が指す先にはおそらく倉庫の入り口の鉄の扉だ。
「ここだと人通りもあるかもしれないし、あそこで二人きりで話させてあげるナンよ」
確かに通路だと誰が通るかも分からず、ゆっくり話もし辛い。もっともな意見にジュンがナギを見やれば、聞こえていたらしく頷いた。
「サキ。こっち」
幸い扉には鍵が掛かっておらず、ナギは扉を開けてサキを促す。
中はパイプ椅子に長机、立て看板用の板やらがあり、ジュンには何なのか分からないものもいくつかある。明り取りの窓からわずかに光が入って来てはいるが薄暗く、多少ほこりっぽいだろうが、話す分には問題ないだろう。
「ジュンも来い」
「え? 良いよ、オレは」
両手を振りながら首も横に振る。
二人でゆっくり話して欲しいのに自分は邪魔なだけだし、ジュンがいる事でサキの本心が聞けなくなるのは困る。
「良いから。目を離しとくと何するか分かんないし」
「でも……」
既に中へと入っているサキを窺う。
サキは目を伏せて溜息をついた。
「良いから来なよ。時間の無駄」
「あ、ハイ」
すげなく言われ、すごすごとジュンは従う。
「お邪魔します」
「そこで入っちゃうナンか」
呆れ声のナンナンも後から続いた。