16:全てを出し切って
それは不思議な感覚だった。
興奮してふわふわとしているのに頭の片隅は冷静で、感覚は鋭くなっている。視界は広く、一つ一つの音が鮮明に聞こえて、内から出る声もぶれることは無い。指の先、つま先、頭のてっぺんまで意識が行き渡って思う通りに動くのに、まるで自分の体では無い様な気さえする。
割れんばかりの拍手が巻き起こり、その感覚は唐突に打ち切られる。
余韻として残るギターの音で、全てが終わった事に気付く。
ステージの正面にはパフォーマンスを始めた時よりも観客の数が増え、会場全体を見渡せば、遠くからでもこちらを観ていてくれている人がいる。どの人も浮べる表情は笑顔で、その目はキラキラと輝いている。
肩で息をしながら、ジュンはその光景を呆然として見ていた。
「ほら!」
「うわっ」
いきなり肩に回された腕にたたらを踏む。
「最後まで気を抜くなよ」
汗だくのナギが隣で笑う。
後ろにいたセン、ルイ、ハルも前に出てきて一列に並び、五人は手を繋ぎ、大きく振り上げてから頭と共に降ろす。
「ありがとうございました!」
また拍手が起こり、その音を聞きながらStatelyはステージから降りて行く。ステージ脇でもスタッフ、見学者、皆が暖かく迎えてくれる。
「ジュン!」
階段を降りた所でナンナンが突撃して来て、顔に貼り付く。
「やったナン! 大成功ナンよ!」
そのまま泣きじゃくり、しがみ付かれて前が見えなくなる。このままでは危ないのだが、喜んでくれる事が嬉しくて、そのままされるがままになっておく。
「お帰りなさい」
社長の声にナンナンがそろそろと顔から剥がれてくれる。視界の先には手を叩きながら出迎えてくれる社長の笑顔があった。
「あなた達、よくやったわ。大成功ね」
「ありがとうございます」
センが代表で感謝をし、皆で礼をする。
「これからも、この調子で頑張ってちょうだい」
社長の感想にメンバー達は喜び合うが、ジュンだけが心から喜ぶことは出来ない。まだ、ジュンへの審判は下っていない。
ジュンは不安を打ち消すようにまっすぐと社長を見つめる。その視線を受けて社長の顔も引き締まった。
「付いてらっしゃい。話をしましょう」
社長は踵を返し、スタスタと歩いて行ってしまう。
喜びから一転、メンバー達の顔は心配に変わるが、ナギだけが何も疑っていない表情で力強く頷いてくれた。
ジュンは頷き返し、付いてくる気のナンナンが肩に乗って来たので、その背中を軽く撫でながら社長の後を追い、ステージ脇から出た。
二人は人通りの少ない通路から楽屋口を通り、駐車場へと出る。そしてドラマやマンガでしか見たことのない、黒く車体の長い車に案内された。
座席は向かい合って座れるようになっており、座り心地はこの上ないほどに柔らかい。そして座席の間にはテーブルまである。
「狭いけれど我慢してね。人に聞かれたら困るし」
「狭いって……」
社長の言葉にナンナンが肩をずり下がらせて呆れ顔になる。
「車にしちゃ充分広いナンよ」
ジュンとしても同意見だ。しかし、今は車の広さよりも重要な事がある。
「さて、それでどうだったかしら? 満足のいくパフォーマンスは出来た?」
足を組みながら、社長は切り出す。
「正直、分からないです。まだ実感がわかないっていうか……」
本番中の不思議な感覚は既に消え去っていて、いつもより少しだけ昂ぶっている気もするが、それも次第に収まるだろう。
「ステージの上の自分が自分じゃないみたいでした」
「それが舞台の魔力よ」
社長は少しだけ顔を綻ばせた。
「舞台の上ではいつもと違う自分が現れるわ。隠していた本心、性質、そういったものが全て表面化するの。それを怖いと思う人もいれば、楽しいと思う人もいる。あなたは楽しかった?」
「はい。ずっとやっていたいくらいに」
膝の上で拳を握り、ジュンはまっすぐ社長を見据える。
手は震えているし、社長の視線も怖くて目を背けてしまいたくなる。けれど、ここで少しでも弱気な態度を見せたのなら、望みはきっと叶わない。
「それは約束を破る事だと分かってて言っているの?」
淡々とした声色は、思惑を読み取らせてはくれない。
本来ならすぐにでも辞めるべきだったジュンに与えられた温情を、踏みにじっていると言われても仕方がない行為で、図々しいのも理解している。しかし、諦めきれない。
「約束は覚えてるし、わかってます。迷惑をかけちゃうかもしれないことも。それでも俺――私は続けたい。皆と一緒に歌いたい!」
胸を張って「仲間です」と言えるようになりたい。
「これまで以上に秘密がバレないよう気を付けます! レッスンももっともっと、真剣に取り組みます! 問題も起こさないし、皆の足を引っ張らない様に一生懸命にやります! だから――」
社長の視線を正面から受け止めて、必死に願う。
「どうか、お願いします!」
もう一度、頭を下げる。
「ナンナンからもお願いするナン」
テーブルの上に降り立ち、ナンナンも一緒に頭を下げてくれる。
車の中は静かで、外の物音がいやに大きく聞こえる。
「頭を上げなさい」
社長の嘆息が沈黙を破った。
「正直、あなたがここまでやるとは思わなかったわ」
「社長……?」
「さっきも言ったけれど、Statelyのパフォーマンスは大成功だった。本当に素晴らしく、それはお客様の反応からも分かる。きっとアンケートの結果も良いでしょうね」
社長は頬を緩ませる。
「お客様が期待している子を捨てられないわ」
ジュンは目の前がほんのりと明るくなった気がする。
「それって……?」
「辞めなくて良いって事ナン?」
ガバッと顔を上げてナンナンも食いつく。
「そうね。辞める事については一旦、保留にしましょう」
「ひゃっほう! やったナン! やったナンよ!」
喜び、ナンナンが車の中を飛び回る。
「本当ですか? 本当に良いんですか?」
言われた言葉が信じられなくて、思わずジュンは確認してしまう。
「本当よ」
社長は頷く。
「とりあえず、という事になるけれど、辞めなくて良いわ。今回のアンケートの結果次第になるけれど、おそらく良い物となるでしょう。そうなってくると、他の役員からもあなたの退所について、待ったが掛かるはずよ」
商品としての価値が認められたのなら、社長の一存で辞めさせる訳にもいかない。本人に退所の意志があるのならば話は別だが、続けたいと願っている以上、独断専行は好ましく無い。
「本当、よくやったわね」
肩を竦め、社長はため息をつくが、うんざりしていると言うより、感心の色が強い。
「ジュン、どうしたナン?」
呆然としているジュンの顔をナンナンが覗き込む。
「嬉しくないナン?」
「えっと……」
目をしばたかせ、自分の胸に手をあてる。
「嬉しい」
言葉にすればポンッと感情が弾ける。
ポップコーンが弾けていく様に喜びが身体中に弾けて満ちていく。
「嬉しい! 嬉しいよ、ナンナン! 私、辞めなくて良いんだって! やったね、ナンナン!」
ナンナンと両手を繋ぎ合い、ブンブンと上下に動かす。
「そうナン! やったナン! 正義は勝つナンよ!」
「ちょっと、それじゃ私が悪みたいじゃない」
「違うナン?」
あざとく小首を傾げたナンナンは、飛んできた社長の拳をさっとかわしてジュンの後ろへ隠れる。
「この疫病神が……!」
「ナンナンは可愛い妖精さんナン!」
「もう、ナンナン! 失礼な態度取らないの!」
折角勝ち取った権利が、ナンナンの振る舞いのせいでご破算になってしまっては堪らない。
「社長、本当にありがとうございます」
やっと伴ってきた実感を大事に受け止めながら、ジュンは感謝を伝える。
「やぁね。お礼を言うのは早いわよ。すぐに辞めなくて良いってだけで、続けて良いとは言ってないでしょう。アンケート結果によって続けさせるかは決めるわ」
「アンケートなんてぶっちぎりで一番に決まってるナン!」
「まぁ一番かはともかく、悪くは無いでしょうね」
社長は頷く。
「けれど続けて良いとなっても、あなたが難しい存在なのは変わらないわ。デビューするかどうかも別の話になるし、秘密がバレたらその時点で辞めて貰う事には変わりないし」
「相変わらず冷淡ナンね。これだから夢を忘れた魔法少女(笑)はー」
「だから見えてるんだっつーの! (笑)がっ!」
睨みつけられても手が届かないと思って、ナンナンは平然としている。同じく向かい側にいるジュンにも睨みと冷気が浴びせられるので、いちいちあおるのを止めて頂きたい。
「アンケートの結果はいつ分かるんですか?」
空気を換えるためにも尋ねてみる。
「来週中には分かるはずよ。それまでは他のメンバーもお休みの予定だし、あなたも休んでいなさい。集計が終わって、話し合いの結果が出たら呼び出すわ」
「わかりました」
暫定的な残留で、またも緊張の日々が続きそうだが、大方良い結果になると言われてもいるし、ひとまず安心出来る。そうなると早く皆に伝えたい。
そわそわと動き始めたジュンに社長は苦笑する。
「話すべきことは終わったから、行って良いわよ」
めんどくさそうに手を振り、追い払われる。
「はい! ありがとうございます!」
最後にもう一度頭を下げて、電話をかけ始めようとした社長を残して車から飛び出す。
太陽はそろそろ傾き始めているが、まだ青空は広がり、清々しい天気だ。解放的な気分になったのは、外に出たからというだけでは無いだろう。
「早く皆に報告に行くナンよ」
ナンナンはジュンよりも逸って手招きをしている。
「うん、行こう!」
急く気持ちに従って、ジュンは走り出す。通路を走るわけにはいかないが、外ならば構わないだろう。車に注意しながら移動し、楽屋口の守衛さんに会釈をしつつ、中へと入る。
そこではメンバー達が待っていてくれていた。
「ジュン!」
姿を見せるとナギ達はすぐに駆け寄ってくる。心配顔の皆に向けて、ジュンはピースを突き出した。
「やったわね!」
「良かったな、ジュン!」
「俺も嬉しい!」
センには乱暴に頭を撫でられ、ルイは手を握ってしきりに頷く。ハルもそこに手を重ねて、珍しく微笑んでくれている。口々に喜びの言葉を発し、はしゃぐ三人の奥で、ナギだけが俯いて佇んでいる。
「ナギ?」
一番応援してくれて、一番支えてくれたはずの人が喜んでくれない。一抹の不安を感じながらジュンはおずおずと呼びかける。
「――……った。良かったな、ジュン……」
「ナ、ナギ!?」
なんと、ナギは泣いていた。
予想外の出来事にジュンはもちろん、他の三人も唖然として棒立ちになる。
「本当、良かった……。マジで安心した……」
へなへなと座り込み、項垂れたナギは時折鼻をすすっている。
ジュンはそっとルイ達の手を離し、ナギの前でしゃがみこむ。
「信じてるって、ナギがずっと言い続けてくれたおかげだよ」
信じていても不安がよぎる事はある。けれど、そんな姿を一切見せず、信じていると言い続けてくれた。だから勇気づけられた。だから頑張ってこれた。
「ありがとう、ナギ」
ぽんっと、いつもしてくれるようにナギの頭に手を乗せれば、柔らかな髪の感触とほのかな温もりを感じる。
お腹の中がむず痒くなる気がした。
「信じてくれてありがとう」
もう一度口にしたお礼と共に、ジュンの目からも涙が落ちた。