12:手を繋いで
休日だと言うのに、都内は本当に人が多い。
待ち合わせ場所に向かうために乗った電車は、満員とまではいかないものの、かなりの人がいる。小学生で小柄なアヤは人々に揉まれつつも、棒に掴まる事が出来ているので、何とか転ばずに済んでいる。これで掴まる所が無かったら、もっと大変だっただろう。
ちなみにナンナンは混雑してきたと同時にさっさと上方へ逃げ、荷物置きの上にゆったりと寝そべっている。
うんざりしながら電車に揺られ、ようやく目的の駅に着いたら今度は降りる人に流され、外へと押し出される。
このまま流れに従っても良いが、アヤの足では流れに付いて行くのに精一杯になってしまうし、人々の頭で案内板も見えない。それでは困るので、一旦ホームの中ほどまで進み、人の流れが収まるのを待った。
「すっごい人ナンねぇ。皆、何しに来てるナンか」
「それを言ったら私達もだよ」
「アヤは目的があるナン」
今日の目的は衣装の買い出しだ。
帰宅後、母・希保に事情を話したところ「買ってきなさい」と資金をくれることになった。すぐさまナギに報告して、ナギの買い出しに一緒に付いて行く事にしたのだ。ちなみに、兄達の服も念のため着てみたが、やはりぶかぶかだった。
「ママさんにお小遣い貰えて良かったナンね」
「うん。やっぱり頼りすぎるのも悪いしね」
「これで予算の追加を申請しなくて済むナン」
心底ほっとしたように、ナンナンは長く、深く息を吐く。
「経理に立ち向かうのは、胃が痛くなるナンよ」
「ねぇ、ナンナン。妖精のくせに、何で所々世知辛いの?」
ちょいちょい現実的な感じが見え隠れしていて、ファンタジーじゃないのかと突っ込みたくなる。
「仕方ないナンよ。妖精さんも近代化の波には逆らえないナン」
ため息交じりに言われるが、何だかよく分からないので流して置くことにする。
「ところで、大人の服って、いくらくらいするのかな? お金足りるかな?」
希保に渡されたのは現金ではなくカードだ。これで決済が出来るらしいが、初めての事なので緊張する。
「ママさんはいくらまで使って良いって言ってたナン?」
「十万」
「じゅっ!?」
アヤが答えるとナンナンは目玉が飛び出てきそうなほど驚いた。
「え? 少ない?」
「アホ言うんじゃないナン! ママさん、こんなガキんちょに、一体いくら使わせるつもりナン! そんな金があるならナンナンに銀座の数量限定、スペシャルモンブランケーキを買って欲しいナン!」
よだれでも垂らしそうなほど口を開き、ナンナンは財布の入ったかばんを凝視するので、そっと背中に隠す。
「あ、ほらナンナン。人も空いてきたし、行こう」
ホームから階段を降りて行けば、構内はかなり大きく広がっている。あちこちに向かう人で溢れ、せっかく空くのを待ったが意味が無かった。
「西口ってどっちかな?」
「とりあえず適当に進んでみれば良いナンよ?」
「やだよ。そんな事したら迷子まっしぐらだよ」
そう言ったものの近くに見取り図も見つからず、案内板を見ても“西口”の文字は見当たらない。
「どっちに行けば良いんだろ?」
「だから、とりあえず行ってみるナンよ。冒険心が無いナンね」
「こんな都会で冒険も何も無いでしょ。駅員さんとかいないかな?」
「どうしたの?」
ふいに話しかけられ、アヤは振り向く。
目深に帽子を被り、メガネもしているが、その美しい顔は完全には隠せていない。加えて今は見たことない天使の様な笑顔も浮べているが、その顔は間違いようがない。
「サキさん!?」
「あ、バカ」
反射的に叫んでしまえば即座にナンナンのツッコミが入り、慌てて口を押える。しかし飛び出した言葉が戻ってくることは無い。
「僕の事、知ってるの?」
「――し、CMで見ました!」
「そっか。ありがとう」
苦し紛れの誤魔化しだが、合点がいったのか、更に顔は綻んで、キラキラしている。
「さっすがアイドル。眩しいナン……」
目を細め、短い手をキラキラを遮りつつ、ナンナンが感想を漏らした。
「それで、どこに行きたいの?」
「えっと、西口に……」
「西口ね。分かった。ここの駅、複雑だから一緒に行こう」
そう言うとサキは当たり前のように手を差し出してくれ、流れる様な立ち振る舞いに思わず手を取ってしまう。ぎゅっと握られた手は優しい。
「こっちだよ」
歩き出すサキに連れられて、アヤも足を動かす。人にぶつからない様、上手く誘導してくれ、歩くスピードも合わせてくれている。
「かーっ! スマートナン! こりゃ慣れてるナンよ」
後ろを付いて来るナンナンの鼻息が荒くなっていく。
「スケこまし! スケこましナン! アヤ、気を付けるナンよ。男は狼ナ――ぶぎゃっ!」
一人興奮していたナンナンは向かいから来る人を避けられず、ぶつかり、人並みに飲まれていった。もう、あの妖精には掛ける言葉も無い。
「――……たの?」
「え?」
ナンナンの気を取られていて、全く話を聞いておらず、聞き返してしまう。けれどもサキは別段気にした風でも無く、繰り返してくれる。
「一人で来たの?」
「あ、はい。西口の改札で仲間と待ち合わせしてて」
「仲間と?」
そのフレーズにサキに瞳がわずかに揺れる。
「良いね、仲間」
微笑みはどこか寂しげで、思い出すのは先日の一件だ。
ナギはサキを「仲間」だと言った。しかし、それに対してのサキの返答は「ウソツキ」だった。
サキとメンバー達の確執について、アヤが知っていることは少ない。
デビューが決まっていたサキが、Statelyから抜けた。けれどもサキは追い出されたと思っている様だということだけ。しかもジュンという存在によって。
メンバー達が未だサキの事を想っているのは、一緒に居れば分かる。しかし、サキはどう思っているのだろうか。
「何の仲間なの?」
「えっと……」
どう答えれば良いのか悩む。
スポーツチームとか適当に嘘をついても良いだろうが、ボロを出してしまいそうなので、素直に本当の事を口にする。
「一緒にダンスしたりする仲間です」
「ダンス!」
サキは顔を綻ばせる。
「ダンスかぁ。良いね。楽しい?」
「楽しいです。難しかったり、出来ない時もあるけど、仲間に教えて貰ったり、一緒に練習して、出来たら嬉しいです」
話しながら浮かんでくるのはメンバー達の顔。
ジュンはまだ正式なメンバーではない。むしろ抜けさせられる可能性の方が高いくらいだ。しかし、そうならない為に、皆も応援してくれている。だから期待に応えたい。
「一緒に居たいから、頑張ります」
こっそりとジュンの言葉を混ぜて告げれば、サキは「そっか。頑張って」と優しく微笑みながら応援してくれた。
「さ、あそこの改札を出て、右に行けば西口だよ」
サキの指差す先には改札があり、奥には案内板もあるので、もう迷い様も無いだろう。
「ありがとうございました」
お礼を言って頭を下げれば、サキは天使の様な微笑みを浮べた。
「じゃあ気を付けて。仲間にもよろしくね」
「サキさん!」
手を振り、去って行こうとするサキを思わず呼び止める。
「はい?」
「あの……」
まっすぐ見据えて、ジュンは口を開く。
「サキさんにも仲間が居たんですか?」
行きずりの、全く知らない子が尋ねるには、不躾かもしれない。しかし、聞かずにはいられなかった。
「――うん」
サキは驚いた表情から柔らかな笑みへと表情を変える。
「居るよ」
答える必要もない質問にも、気を悪くした素振りもみせずに答える。
「今は一緒に居れないけど、大事な仲間が」
それだけ言って、サキは踵を返して人混みに紛れて見えなくなってしまった。それでもアヤは視線を戻せなかった。
「アーヤー! とぅっ!」
「わぶっ!」
弾丸の様な勢いでナンナンが突撃をかましてきたので、アヤは転びそうになる。ぬいぐるみの様な柔らかい感触で無ければ、確実に倒れていただろう。
本当にこの妖精はしんみりとか、シリアスな感じを全てぶち壊してくれる。
「ナンナン! もう、どこに行ってたの?」
「置いてった癖に、ひどいナン!」
「いや、はぐれたのはそっちじゃん」
「なにぃー!?」
憤慨するナンナンを引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。
「どうしたナン? サキにいじめられたナン?」
「ううん、優しかったよ」
サキはずっとアヤを気遣ってくれた。ただ連れて行くだけでも良いのに、わざわざ話しかけてくれたのだって、気まずい思いをしない様、気にしてくれたからだ。
「サキさんって不思議」
「不思議? どこがナン?」
初めに会った時は怒っていた。次に会った時も怒りは収まりきっていなくて、けれどもそれをおくびにも出さない完璧なパフォーマンスを見せつけてきた。三度目もつれなかったけれど、ほとんど関係のないジュンを心配してくれていて、しかもかばってもくれていたと知った。そして今、アヤには見たこともない優しい姿を見せてくれた。
「そりゃ人間だれでも多面性はあるナンよ」
「ためんせい?」
「色々な顔ってことナン」
ナンナンは物知り顔で語りだす。
「向かい合う相手や場所、場合、色々な物によって、立ち振る舞いは変わるものナン」
女子供に優しい人は多く、ましてや初めて出会う女の子相手に、いきなり突っかかってくる人間がいたら、それはそれで問題だ。
「あれもまた一つのサキの顔ナンよ」
「別の顔か……」
アヤの――ジュンの知らないサキの顔。
それはきっと、Statelyのメンバー達には見せていた顔なのだろう。
「ジュンにも、いつかあの顔を見せてくれるかな?」
「さぁ? そればっかりは何とも言えないナン」
正直ジュンへの好感度は低いだろう。何かきっかけでも無い限り、仲良くはなれない。
「そこは“きっとなれるよ!”とか言う所じゃないの?」
「ナンナンは現実的ナンよ」
「妖精のくせに現実的って……」
またもやアヤは呆れてしまう。
「それより、早く行かなくて良いナンか?」
「そうだね」
時間を確認すれば、もうすぐ待ち合わせの時間になってしまう。
何だか今、とてもメンバー達に会いたい。
「さ、早く行こう。ナギが待ってる」
そう言うとアヤは歩き出した。
サキもたまたま仕事で同じ駅に来ていました。
用事があるのは別の出口なので、別れてそちらに行きました。