09:屋上にて
「うぅ……。さぶいナン……」
屋上のフェンスしがみ付き、景色を眺めるジュンのすぐ横で、ナンナンは身体を震わせた。
社長との話し合いで結論を出すことが出来ず、考える時間を貰う事になった。部屋で考えていても良いのだが、息苦しかったので見晴らしのいい屋上へと来てみたのだ。
陽は出ているが風は冷たく強く、体を冷やしていく。しかし、気分の沈んだジュンには気にならなかった。
「へっぷし! うぅ……。いつまでここにいるナン?」
くしゃみをして、また身体を震わせ、ナンナンが聞いてくる。
ここにいても仕方ない事は分かっているが、まだ答えも出せていない。
ジュンは手の中の案内に目を落とす。
書いてあるのはイベントの詳細で、それがジュンに与えられる最後の場になる。
イベントにはもちろん出たい。
前回は自分のせいで出られなくなり、迷惑をかけた皆に報いたい。けれども、これに参加すれば全て終わってしまう。いや、参加せずとも終わってしまう。それなら出なくても良いのではないか。
一緒に居られなくなるのに、参加してしまえば未練が募るだけで、このままひっそりと消えてしまえば
「そういえばそんなヤツもいたな」程度で、皆も忘れてくれるだろう。それがジュンにとって、とても寂しいことでも。
ぐちゃぐちゃになった思考に、ジュンの目が潤んでくる。
「あー泣くんじゃないナンよ。男の子は泣かないナン!」
「本当は女の子だもん」
震える声で言い返し、鼻をすする。
「今は男ナ――」
「ジュン!」
突然の呼びかけにジュンもナンナンも心臓を飛び上がらせる。
錆びついた機械のようにぎこちなく首を動かせば、屋上の入り口にはナギがいて、顔には心配と怒りが混ざった複雑な表情が浮かんでいる。
「こんなところで何してるんだよ!?」
「えーあーうぅ……」
逃げる間もなく距離は詰められ、腕を掴まれる。
「皆、心配してんだぞ? 社長との話し合いはどうなったんだよ!?」
「みん……な?」
他のメンバーも来ているのかと周囲を窺うが、どうやら今はナギ一人らしい。少しだけほっとするが、ナギとも顔が合わせ辛いのは変わらず、視線が自然と下へ向く。そんなジュンを余所にナギはジュンの手の内の用紙を見付けた。
「それ……! じゃあ、イベントに出られるんだな!?」
一転して満面の笑みへと変わり、喜びの声をあげる。
「許して貰えたんだよな? 良かったな! 皆で社長に直談判したかいがあった!」
ナギはもちろん、他のメンバーも、その場にいた他の研究生や、判決を下したミヤさえも、社長へ酌量を願い出てくれていたらしい。
それだけの人が自分のために動いてくれたのは嬉しいが、それが無駄であったというのは申し訳なくて、情けない。
ジュンの顔は益々曇っていく。
「どうしたんだよ……?」
喜ぶべきはずのことなのに、一向に表情を晴れさせないジュンに、ナギは眉を寄せる。
「許して貰えたんじゃないのか? イベント、出れるんだろ?」
両肩を掴まれ、向かい合うようになれば、その視線から逃れることは難しい。
ジュンは恐る恐ると目線を上げて、困惑したナギの顔を見る。その後方ではナンナンが「腹を括れ」と言わんばかりに重く頷いている。
「――イベントは出ても良いって」
一度言葉を切り、大きく息を吸う。
「でも、それで辞めろって」
「え……?」
肩からナギの手が離れていく。
「許して貰えなかったのか?」
「ううん」
ジュンは首を横に振る。
「許して貰えたよ。でも事情が変わって、辞めなきゃいけなくなったんだ。でも最後にイベントに出ても良いって。それで辞めろって」
「事情? 事情って何だよ?」
「それは……言えない。言っちゃ駄目って言われたから」
「言えないって……。何でだよ? ジュン、本当は辞めたかったのか?」
「違う!」
はっきりと否定する。
「辞めたくないよ! 皆と一緒に歌って踊って、続けていきたい!」
「なら続ければ良いだろ!」
「駄目なの! 認められないって言われたの!」
また込み上げてくる涙に、今度は抵抗できない。ボロボロと溢れる涙をそのままにして、ナギを見据える。
ナギは眉間に皺をよせ、口をキュッと結んでいる。きっと色々言いたいことがあるだろうに、泣いてしまったジュンに追い打ちを掛けない様、留めてくれている。その優しさに更に涙は増すばかりだ。
こんなに気遣ってくれ、色々手助けしてくれる。そんなナギに本当の事さえ言えないのは不誠実だ。
「駄目ナンよ」
ジュンの思考を読んだかのように、ナンナンの制止が入る。
「人に話したら駄目ナン。社長が言ってたからじゃなくて、これは決まりナン」
ナンナンは厳しい顔で首を振るが、ジュンは言ってしまいたい。どうせ辞めなくてはならないのなら、バラしてしまっても良いのではないだろうか。
「ジュン! 駄目ナ――ぶふぇーっくしょいっ!」
急降下してきたナンナンは途中で勢いよくくしゃみをかまし、弾みでジュンの額に突撃する。それと同時にぼふんっと煙が巻き起こり、ジュンの姿はアヤへと戻った。
「あ、ヤベ!」
鼻水を垂らしたナンナンが漏らす。その下で突然の事過ぎて涙の引っ込んだアヤと、目の前にいたはずの仲間が消えて、見ず知らずの女子が現れたナギは見つめ合う。
「――は?」
たっぷりと間を開けた後、ナギは声を漏らす。
「えーっと……」
「アヤ、誤魔化せ! 誤魔化すんだ! これは手品ですって!」
予想外の出来事にナンナンも語尾を忘れている。
「誤魔化せるか! 目の前でこんなんやっちゃって、どーすんの!?」
あまりの無茶振りにアヤはナンナンをひっつかみ叫ぶ。
「バラすなとか言っといて、自分のせいでバレてるじゃん!」
「仕方ないっしょ! くしゃみは生理現象!」
「だからって何で変身まで解けるのさ!」
「はずみだ、はずみ! だー! もーっ!」
ナンナンはアヤの手からもがき出て、上空へ飛び上がる。
「わーったよ! 責任取れば良いんだろ! 責任取れば! とりゃっ!」
掛け声とともに出てくるのは、ナンナンの体と同じくらいの大きさのハンマーだ。側面には“200t”とポップな字で書かれている。
「このちんちくりんステッキをしゃらんらって一振りすれば、あっという間に記憶なんてふっとぶさ!」
「どこがステッキだよ! 命まで吹き飛ぶわ!」
「問答無用! てぇい!」
「ナギ!」
未だ呆けているナギにタックルをかまし、ナンナンの凶手から逃れさせる。勢いで転倒し、ナギは頭をぶつけてしまったようだが、命の方が大事なので仕方がない。
「こんな青天井の下で男を押し倒すなんて、ふしだらナンよ!」
「黙れ、白まんじゅう! 人を殺そうとしておいて、ざけんな!」
「ちがうしー。忘れさせようとしただけだしー。むしろアヤの方が殺人未遂ナン」
「え? は? あ……ナギ!」
気付けばアヤの下にいたナギは意識を飛ばしていた。
ある日、下校途中に空から妖精が降ってきた。
妖精との契約で魔法少女になり、アイドルをすることになった。
それが何故か男の姿にさせられた。
向き合ってナギに説明するが、自分で説明していても訳が分からない。しかし事実なので仕方がない。
目の前で人が変身し、突き飛ばされ、ほんの数分とは言え意識まで飛ばした後に聞かされる話としては、荒唐無稽すぎて遠慮したいところだろう。それでもナギは黙って最後まで聞いてくれた。頭を抱えてはいたが。
「信じられないですよね?」
おずおずと上目使いで窺うが、ナギの反応は無い。
「信じられないはずないナン。こうして可愛い妖精さんの姿だって見えてるんだから」
ナンナンはくるりと一回転をし、片手を頭に、片手を腰に当てて決めポーズを取る。
説明の最中、ナンナンはナギに姿を見える様にしてくれた。その方が、話が進みやすいだろうとやってくれたのだが、この妖精の立ち振る舞いを見たら余計に逃避したくなるかもしれない。
ナギは一向に頭を上げる気配は無く、瞳に映るのはつむじばかりだ。それはそのまま心の距離な気がして、お腹の奥がきゅっとなる。
「それで社長には正体がバレて、本当の姿じゃないなら受け入れられないって言われました。だからイベントに出て諦めるようにって。でもイベントも出られなくなっちゃいましたけど……」
出るか出ないか悩んでいたら、自動的に不参加が決まってしまった。まさかこんな短時間に二人に正体がバレるとは思わなかったが、結果的には良かったのかもしれない。もしイベントに出ていたら、益々未練が募るばかりだっただろう。
「イベント、出ないのか?」
ようやくナギは顔を上げた。まだ頭の整理がつかないのか、複雑な表情をしている。
「他の人に正体がバレた段階で辞めるように言われてて……」
「出ろよ」
ナギの発言に、アヤは目を瞬かせる。
「え?」
「イベント、出ろよ」
ナギはもう一度繰り返し、じっとアヤを見据える。
「え? でも、バレちゃったし……」
「バレた事が社長に知られなきゃ良いんだろ? 俺が黙ってれば問題無い」
「いや、そういう問題じゃ無いナンよ」
呆然としてしまったアヤに代わり、ナンナンがツッコミを入れる。
「そういう問題だよ。だって続けたいんだろ?」
「それは……」
もちろん続けたい。
先程言った言葉に偽りはなく、辞めたくないし、皆と一緒にやっていきたい。
「続けたいです」
「ならイベントに出ろ。イベントに出て、そこで辞めさせるのが惜しいって思うくらい、活躍すれば良い」
ナギは不敵に笑い、胸を張る。
「どうせ元々“条件付き”合格で、価値を認めさせなきゃいけなかったんだろ。ハードルは上がっちまったけど、やることは変わんないじゃんか」
何でもないことの様に、ナギは言う。
胸の奥にほんのりと明かりが灯る。
「でも、私、だましてて……」
「黙ってたのは騙したとは言わないだろ。それとも、続けたいってのは嘘なのか?」
「嘘じゃないです!」
慌てて否定する。
「なら良いだろ」
ナギは頭を掻いて、ため息をつく。
「まぁ確かに驚いたし、正直未だ信じられないけど、ジュンが仲間だってことに変わりは無い」
きっぱりと言い切るナギは、嘘偽りを言ってるようには見えず、心から言ってくれている様だった。
ジュンなんて存在は本当にはいないのに、それでもナギは仲間だと言ってくれる。希望を持つよう励ましてくれる。
その気持ちに応えたい。
「良いの? 本当に良いの?」
差し出された手を見つめながら、アヤは尋ねる。
「良いんだよ。仲間が困ってるなら助けるし、望むのなら一緒に頑張る。そういうもんだろ」
再びナギは請け負ってくれる。
それならば、アヤに出来る事は一つだけだ。
「私、イベントに出る!」
ナギの手を取って、宣言する。
「イベントに出て、続けられる様、社長に認めて貰えるよう、頑張る!」
「アヤ!?」
ナンナンが慌てて飛び寄ってくる。
「本気ナン?」
「本気だよ! だって続けたいもん! だから諦めない! さぁ社長に言いに行こう!」
アヤとナギはしっかりと手を握り合った。
ナンナン、うっかりしました。