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まじめと魔人の冒険奇譚 (再編集版)  作者: 春牧大介
王都ラヴィニエスタ
21/27

王都ラヴィニエスタ 3-3

      3


 エルフィーナはイリアナに抱えられ、ヴィヴィアンの先導で王の寝所へと続く長い廊下を歩いていた。

 厳重である。

 兵士の護衛と魔法によるトラップ。物理的なトラップの仕掛け。窓は無く、常に水晶灯が点っている。廊下から部屋へと入り、廊下に抜け、再び部屋に入り、隣の部屋へと抜け、廊下へと出る。そんなことを繰り返している。

 そして一度として同じ場所を通らない。

 イリアナはその荘厳さと複雑さにキョロキョロと見回しながら、口を半開きであるいていた。


「税金の無駄遣いね」


 複雑な構造に、エルフィーナはあきれたように言った。


「国王陛下と王妃様がそれだけ無くてはならない存在だからよ」ヴィヴィアンが返す。

「あなた、あいつらに毒されすぎよ」


 エルフィーナは、もうあきらめたように言った。ヴィヴィアンは何も返さなかった。

 しばらくの沈黙の間、部屋なのか通路なのか判別できないような箇所をいくつか通り過ぎた。窓の数が減少するのに比例して、そして徐々に人の姿が減っていた。


「だけど、もし私の手に負えなかったらどうするつもりなの?」エルフィーナは少し意地悪な質問をした。

「どうって……」


 ヴィヴィアンは何も考えていなかったようだ。自分の母親なら何とかしてくれる。そうとしか思っていなかったようだ。


「私は神様じゃないのよ?」

「おかんは何とかしてくれる。よね?」

「しらないわよ」


 エルフィーナはその後、口を開かなかった。

 寝所へと続く通路に入ってから約三分。エルフィーナが反応した。


「ヴィヴィ。止まって」

「え?」  


 ヴィヴィアンはエルフィーナの制止に驚き、歩みを止めた。

 イリアナも足を止めた。ヴィヴィアンは、周りの異変にすぐ気がついた。


 いつもの空気とは違う。ただならぬ空気。人の気配が少なすぎる。

 これは戦場の空気。おそらく憤怒の誓いの刺客が侵入してきたのだろう。

 息を殺して気配を探る。

 不自然な静寂は張り詰めるような緊張感を生む。


 一人。


 こちらに近づく気配がする。それはやがて足音という形で明確なものになる。

 ヴィヴィアンは足音のする通路の角の壁に背を預け、左手で帯剣のつばを押し上げた。少し離れてイリアナ達も壁に張り付き息を潜める。

 近づく人影の足音は不規則だ。嗚咽交じりに逃げているようだ。

 声は女性。訓練を受けていない足運び。非戦闘員だろう。内通者の可能性もある。

 剣を抜くのを止め、ナイフを取り出す。


 人影が角を曲がった瞬間、ヴィヴィアンは女性を後ろから組み付き仰向けに押し倒した。そして喉元にナイフを突きつけた。

 人影は恐怖のあまり声が出ない。

 歳は二十歳前後。世話係の服。そして見覚えのある顔。


「あなたは妃殿下付きの世話係ね」


 世話係の娘は恐怖に怯えながら頷いた。


「ここで何をしているの? 何があったの?」


 娘は怯えすくみあがって声が出ない。


「ヴィヴィ。それじゃだめよ。とりあえずナイフをしまいなさい」

 

 エルフィーナはヴィヴィアンをたしなめる。ヴィヴィアンはナイフをしまい、娘の体を起させた。


「大丈夫よ、落ち着いて。私達は異変に気づいてここにいるの。何があったか教えてくれない?」


 娘はエルフィーナの風貌に少し戸惑ったが、ヴィヴィアンが横で肩をさすりながら頷くと、少し落ち着いたのか涙が溢れ出した。


「陛下と王妃様が……。黒い服の、人たちがいきなり寝所に、入ってきて……。お二人は、私に逃げろと、助けを……。お二人をたす、助けて……」


 娘はヴィヴィアンにしがみついて泣きながら説明した。

 ヴィヴィアンは優しく肩を抱いた。


「ヴィヴィ。悪いけど、ハヤテさん呼んできて」


 エルフィーナはヴィヴィアンに言った。それはヴィヴィアンには寝耳に水だった。


「何言ってるの。おかん達が行ってきて。わたしが陛下の元に行く」

「あなたじゃ力不足よ」 

「どうして?」

「あの馬鹿王達の対処が、あなたに出来るわけ無い」

「だからどうして!理由を言って!」ヴィヴィアンは声を荒らげた。

「今ここで理由を言ったら、この世話係の子に迷惑がかかると思うんだけど」


 エルフィーナは世話係の娘を見た。


「この子と私の力不足の何の関係があるの?」

「あの馬鹿王達の身に起こっている病気とやらと関係があるっていってるの。あなた、あの馬鹿達を叩きのめせるの?」

「なんで陛下に剣を向けなきゃいけないのよ!」

「あの馬鹿達は、叩きのめさないといけない状態になってるって言ってるの」

「何でそんなこと分かるの」


 エルフィーナは大きくため息を突いた。


「私は元はどういう存在か忘れたの?」


 エルフィーナの言葉でヴィヴィアンは気づいた。

 目の前にいるのは育ての親であり、番の魔人である。神に匹敵する力を持つといわれた魔人エルフィーナである。たとえ肉体は無くても、今までその力の片鱗で様々な奇跡じみたことをやってのけてきたのだ。王であるクラフトとその王妃であるアンナの状態は既に把握しているのではないか。

 焦るあまりすっかり忘れていた。


「おかん。もしかしてまずい状態なの?」


 エルフィーナは黙って頷いた。


「治療も荒っぽくなるから、あなたがいるとやり辛いの」

「そっか……」


 ヴィヴィアンは目を閉じた。


「分かった。おとんを呼んでくる」


 ヴィヴィアンは娘に立てるかを聞き、その体を支えばがら立ち上がった。

 娘は弱々しくではあるが、なんとか行動はできそうである。


「よろしくね」


 ヴィヴィアンはエルフィーナとイリアナに言った。

 二人とも頷いた。

 そしてヴィヴィアンは娘と共に張り詰めた空気の中、通路の影に消えた。


「さて、じゃあ行きましょうか」エルフィーナはイリアナに言った。

「あの、先生」 

「なあに?」

「さっきの話なんですけど……」

「ああ、そうね。今説明するわ。っとその前に……」


 イリアナは首をかしげた。


「イリアナちゃん。私の紋章を起動して」


 イリアナは「はい」と言って、そのまま紋章を起動した。一瞬光に包まれ、光がはじけ飛ぶとエルフィーナの紋章のコスチュームに身を包んだイリアナが現れた。


「じゃあ、立体地図を出してくれる?」


 イリアナは再び返事をすると、立体地図を出した。ラヴィニエスタ全域を映し出した。


「ちょっといい?」


 エルフィーナはイリアナの前に顔を出すと、現れた立体地図をいじり始めた。表示されている大きさを、ラヴィニエスタの城の寝所付近まで拡大した。

 赤色の点が十二~三ほど固まっている地点がある。そしてその中心に黄色い点が二つ。


「あー。黄色で表示されたわね」


 イリアナは再び首をかしげた。困惑してかしげたのではなく、状況を必死に整理しようとしているのだ。


「先生、この黄色い点は侵入者ですか?」


 イリアナはハヤテマルの説明を受けたときに、赤は敵であることを説明されていた。

 エルフィーナは首を振った。


「いいえ。この二つの黄色い点は第三勢力ね」

「第三勢力……ですか?」

「では国王陛下と王妃様は?」 

「まぁ。大丈夫なんじゃないかしら」エルフィーナは歯切れが悪い。イリアナは再び立体地図に目を落とす。次々に赤い点が消えていく。

「じゃあ行きましょうか」


 エルフィーナはイリアナの肩の上にとまった。イリアナも「はい」と返事をすると走り出した。

 

 細かく入り組んだ通路と部屋を、エルフィーナの誘導でで抜けていく。

 途中で数人の死体を見た。いずれも切り傷や刺突による致命傷であると思われた。生死の確認をしなかったのは、立体地図に生存者が表示されなかったためである。

 争った形跡が極端に少ない。

 エルフィーナは不審に思った。よほどの手練を差し向けたのか。


 薄気味悪い寒々とした扉が現れた。

 扉一つ向こうが、赤と黄色の勢力が争っていた戦場だ。


「あ、ちょっとまってイリアナちゃん」


 イリアナはエルフィーナに呼ばれ、足を止めた。


「突入する前に一つ言っておきたいことがあるの」

「なんでしょう」


 イリアナは、エルフィーナの真剣な口調に少し戸惑った。


「ちょっと面倒なことになっているみたいなの。場合によっては、あなたの体を使わせてもらうことになるから、今のうちに栄光の鎧を装着して」


 そう言うと、エルフィーナは光の玉となり、イリアナの右耳に張りつくとイヤーカフスになった。

 そしてイリアナは栄光の鎧を呼び出した。

 下半身から光の輪が出現し、イリアナをイリアナの頭に向けて通過する。光の輪が通り過ぎた部分は鎧へと変わって行った。

 二度目なので驚くことも無い。視界は何もつけていないのと同じだ。だが動きは制限されている。それが余計に勘違いさせるのだった。

 イリアナは一息ついた。何はともあれ、無事に出来て安心し、ほっと息をついた。


「イリアナちゃん。中からの反応の数は二。戦闘力は高いから気を引き締めて」

「はい」


 イリアナの気合は十分だ。


「いいわ。イリアナちゃん、入って」


 イリアナは扉に手をかけた。

 一呼吸置く。思い切り押し込んだ。

 何かに引っかかったように動かない。何度か押し込んでみたが反応がない。

 イリアナは気づいた。ここにくるまでにたくさんの戦いの跡を見た。もしかしたら意識を失った人か、もしくは死体が扉をふさいでいるのでは、と。


「先生。開きません」

「そうね。そのドア、外開きよ。蝶番ちょうつがいを見てみて」


 イリアナは扉の蝶番を見た。外開き用。イリアナは、顔が赤くなっていくのが分かった。

 そんなイリアナを他所に、エルフィーナはこれまでの状況を整理していた。

 この城は外開きと内開きの扉、そして引き戸がいくつも設置されているのだが、彼女達が来た段階では既に開け放たれていたのだ。しかも、これほどめちゃくちゃな配置をされているのもかかわらず、まったく破壊された様子が無かったことを不審に思っていた。殺された兵士にしても奇襲によって殺されたようで、争いの形跡はほとんど無く、一方的な争いだったような光景がいくつも見られた。これほど厳重な城に容易く進入するなど不自然である。

 手引きをしているものがいる。これは間違いない。エルフィーナの中で確信となった。


「先生?」


 イリアナの問いかけに、我に返った。


「ああ、いえ、なんでもないわ。さぁいきましょう」


 エルフィーナは勤めて明るい声を出した。イリアナが不安になると大変だ。部屋の中からの反応二つ。イリアナが果たして対応できるか。それだけが心配だ。

 イリアナは扉の取っ手を引く。

 重い扉が開いていく。

 部屋の中は暗く、照明すらない。

 イリアナの背後からの光が部屋へと差し込む。

 暗くよどんだ空気が、イリアナの肌を撫で、寒気が襲う。


「イリアナちゃん。暗視モードを起動して。『暗視モード』って言うだけで大丈夫よ」

「はい。暗視モード」


 イリアナは言われたとおり言うと、目の前が緑を基調とした視界に変わり、暗いはずの部屋が明るくなった。

 そして部屋の片隅で、白い、うごめく何かを発見した。


「先生」

「ええ、わかってるわ」


 うごめく何かは、イリアナのことなど意に介さない様子で、一心に何かをしている。


「戦闘態勢を」


 エルフィーナはイリアナに告げる。

 イリアナも「はい」と頷き構えを取った。


 そしてうごめく何かはこちらの存在に気づき、振り向いた。

 人間の様な生き物? いや人間そのものだ。

 目が怪しく輝く。その目は明確な敵意を向けている。獣のような目。


「くるわよ」


 エルフィーナがそう言うや否や、二体の存在は襲いかかってきた。イリアナは距離をとるため横へ飛ぶ。

 鎧自体に重さを感じない。だが、動きが制限されている。慣れない全身鎧を身に着けているので着地の際、絨毯で足を取られ倒れた。


「あうっ」と声を上げ、しりもちをついた。 


 慌てて敵の方を見ると相手は向きをこちらに変え、その内の一体は走って向かってきた。もう一体はジャンプして襲いかかってきた。

 二体とも噛みつく気だ。

 あわてて起き上がろうとするも、うまく力が入らない。

 やられる。

 そう思った時だった。目の前で二体は止まった。いや、光の壁に阻まれている。この鎧の力なのか、魔法の盾が侵攻を阻んでいる。


「ほらほら、早く立ちなさい」


 エルフィーナの声がヘルメットの中に響くと、自分の意思とは無関係に体が起される。というよりは釣り上げられたような印象だった。


「すいません。ありがとうございます」


 イリアナは礼を言った。エルフィーナは「ん」と短く答えた。

 そしてイリアナは、気を取り直し目の前の光の壁に目を向けた。光の壁に照らされて二体の姿があらわになる。


「え……?」


 イリアナは目を疑った。

 彼女の目の前でもがいている二体の化け物らしき人影は、二人とも目が血走り、牙をむき出しにして自我を喪失している。

 そして彼らの服装がされにイリアナを混乱させた。


 男の方は、高貴なものが着るチュニックとサーコート。

 もう一人は女性。高貴な女性が着るようなドレスを着ている。

 それを確認した瞬間、光り輝くと二体の存在は吹き飛ばされた。そして壁にたたきつけられ、力なく床に崩れ落ちた。


「せ、先生……もしかして、このお二人は……」

「ふーむ。今、私も確認したけどなんか大変なことになっているみたいね。この国」


 エルフィーナはイリアナの心配を他所に、興味がなさそうに答えた。

 吹き飛ばした存在。それは、この国の王クラフトと、その妃アンナである。二人とも極端に色が白く、病的な赤い目。人間のものではない牙。太陽光を避けるための暗い部屋。


「こいつらヴァンパイアね」


 エルフィーナは少し悲しそうに言った。


「え? もしかして、敵にヴァンパイアにされちゃったのですか?」


 イリアナは事の重大さに息を呑んだ。


「いえ、彼らがヴァンパイアになったのは昨日今日のことじゃないわ」


 エルフィーナにだけは、分かることが一つあった。

 それは、この二人の高貴な者たちは、エルフィーナ達が出会ったころと、ほとんど変わらぬ姿のだった。

 その姿に貫禄というものは無く、当時のエルフィーナたちと同じ、まだ垢抜けていない青年であった。十五年もの時間が流れていながらも、若々しくあるその姿。短い間だったかが苦楽を分かち合った仲。だが同時に裏切り者でもある。外見は、当時と比べたらやや大人びたかもしれない。だが、せいぜい裏切ってから二、三年の間にヴァンパイアになったのだろう。それほど時を経たずしてヴァンパイアになったということ。

 醜い。

 エルフィーナの心の中は、彼らの姿を確認した瞬間、怒りのまま消し飛ばしたいと思った。それを押しとどめるのは、理性ではなく子供達への愛情だけだった。


「せ、先生。どうすればよいのですか?」


 イリアナはエルフィーナに言った。明確な指示がないので不安になっていた。

 エルフィーナは周囲を確認した。部屋のあちこちに死体が転がっている。先ほどまで魔法の立体地図に赤色に表示されていた憤怒の誓いの暗殺者だろう。


「そうね。周囲にこいつら以外の敵はいないわね。さっきの赤点は既に死体よ。とりあえず治療をはじめましょう」

「はい」

「まぁ栄光の鎧をまとっている限り、あなたが死ぬこともヴァンパイア病に侵されることもないから安心しなさい」


 エルフィーナはイリアナを安心させるために、安全であることを強く押した。

 そして王と王妃がゆっくと体を起し始めた。先ほどは吹き飛ばしたに過ぎず、まして相手は人間を捨てた化け物だ。あの程度では、足止めにもならない。


「先生!」 


 イリアナはエルフィーナに指示を乞う。


「弱らせてくれると助かるんだけど。できそう?」

「え?」

「叩きのめして瀕死にして欲しいんだけど」


 エルフィーナは彼女の気持ちを聞いてみた。イリアナにしてみれば、自分の国の王と王妃に剣を向けることと同じである。

 イリアナは悲しそうに首を振り「できません」とぽつりと答えた。

 エルフィーナにしてみれば、王と王妃を痛めつけることなど些細なことだが、イリアナは違うのだ。

 その間に王と王妃は飛び掛る体勢に入った。もはや人間、いや知性や理性のある生き物とは思えぬような唸り声を上げた。歯茎が露わになるほど獣じみた醜い顔だった。


「じゃあ少しの間、足止めしましょうか」


 エルフィーナは鎧の力を発動させ、周りに魔法の楯を出現させた。それと同時に王と王妃は飛び掛ってきた。いくつもの楯が重なり合い、半球状の結界を作り出す。楯が難なく王と王妃の攻撃を防いだ。そしてその瞬間、二人の体を凄まじい衝撃が駆け巡る。楯は二人を束縛するかのように、二人を魔力で拘束した。二人の吼えるような悲鳴があたりにこだまする。

 その光景を見てイリアナは肩を落とした。


「お役に立てなくてすいません」


 イリアナは申し訳なさそうにエルフィーナに言った。


「何言ってるの。あなたがここにいなかったら、あいつら自分の部下まで殺してたかもしれないのよ」


 エルフィーナが言ったことは的を射ていた。遅かれ早かれ異変に気づいた部下がここへ赴き、この二人の餌食になっていただろう。イリアナとエルフィーナはそれを未然に防いだ形となった。

 だが、イリアナの顔は浮かないままだった。自分は、魔人達が力を使うための道具程度なのではないかというひねくれた考えもめぐってしまう。エルフィーナ達も、そうならないよう気を使ってはいるのだ。


「今はまだ私達が力を貸しているけど、あなたには力をつけて、仲間を得て連携を組んで、戦場をコントロールできるようになってもらわないとね。あなたになそれが出来ると思ってる。だから今は、私達が力の使い方を教えている時期。変な気落ちや勘ぐりは捨てて、今何が出来るのか、何が学べるかに集中なさい。何度も言うけど、私達があなたの体を使って出来ることは、あなたが出来ることなのよ。それを忘れないで」


 エルフィーナは念を押すように言い聞かせた。やはり自分には荷が重い。それは重々承知の上で魔人たちと旅をすることに決めたはず。だが、己の力に対する無力感が否応にも彼女を苛むのだ。

 イリアナは一度、深呼吸をした。

 自分に「しっかりしろ」と言い聞かせた。何か落ち込むことがある度に自分の非才を嘆いていては、努力そのものが無駄になってしまう。成し遂げたいことがある。ならば心の弱さと戦わねば。自分の才能を疑うのはやめよう。自分を信じてくれている人がいる限りは。

 覚悟を決め、しっかりと前を見据えた。


「さて、どう痛めつけようかしら」


 エルフィーナは物騒なことを呟いた。


「先ほどもおっしゃっていましたよね」

「ええ。この二人はヴァンパイアだけど、ちょっと特殊なのよ」

「特殊……ですか」

「説明をすると、こいつらが自我を失ったのは、普段摂っていなかった人の血を多量に摂取したから」


 人の血とは、当然侵入者達のことである。


「おそらく、こいつらは侵入者に襲われて致命傷を負ったのよ。その辺を御覧なさい」


 イリアナは死体の近くに転がっている物を見た。幾つかのナイフや剣が落ちている。いずれも金属製だ。


「あれは銀製の物ね」


 エルフィーナの言葉に、イリアナも納得した。銀製の武器はアンデッドに対し、強い力を発揮する。そしてヴァンパイアはアンデッド。普通の武器ならば即座に傷を癒すことが出来るヴァンパイアも、銀製の武器で傷つけられると、傷がふさがらないのだ。侵入者達は、アンデッドとの戦いに精通した者達である。


「致命傷を負ったクラフト達は、苦渋の決断をしたはずよ。瀬に腹はかえられなかったんでしょうね。人間の血は、ほかの生物よりも高い魔力を持っているの。普段摂取していなかった人の血を大量に吸って、自我を失うほどの魔力を得て中毒をおこした……ってところかしら」


 イリアナは王と王妃を見た。心神喪失して、人というより獣だ。


「で、こいつらを意識を戻すには、中毒を起こした原因である『人の血の力』を消す必要があるわけ。ヴァンパイアの場合、銀製の武器で急所をつかれるか、祓わなければ死なないから……そうね、人間なら死ぬくらい痛めつければ、体を再生するために急激に人の血の力を使うはず。瀕死から回復すれば正気に戻るかな」


 イリアナは頷いた。

 拳に力をこめる。


「やるの?」


 エルフィーナは心配げに聞いた。

 イリアナは少し黙った。そして大きく深呼吸をした。

 そして覚悟を決めた。


「やります」


 このままこの二人を放置することは出来ないことはわかっている。嫌なことは自分ではない誰かにやらせるような小ずるく小利口な人間になるのはいやだ。イリアナのこぶしに力が入る。

 エルフィーナはイリアナの覚悟を汲んだ。


「今から束縛を解くけど、りきみ過ぎないようにね」

「はい」 


 イリアナは、肩の力を抜き体を揺らし、緊張を解きほぐした。

 そして王と王妃は解き放たれた。そして力なく崩れ落ちた。

 うずくまる様に力なく倒れた。イリアナは拍子抜けをした。


「せんせ……」 


 イリアナがエルフィーナに判断を仰ごうと目を耳へと集中させた瞬間、とつぜん二人が襲いかかってきた。

 不意をつかれ、王の力任せの殴りをまともに食らってしまった。

 そして浮遊感がイリアナを襲う。実際吹き飛んだのだ。壁にたたきつけられたが、痛みは無い。鎧の力でダメージはまったく無い。

 だが顔を上げた瞬間、王妃が殴りつけてきた。イリアナは咄嗟に前へと頭を突き出した。金属にぶつかり何かがつぶれるような音がした。イリアナの頭突きが王妃の顔に直撃したのだ。

 カウンターを食らった王妃は吹き飛んで、向かいの壁の本棚に当たり、本棚ごと崩れ落ちた。


「よし、いい感じよ」


 エルフィーナの言葉にイリアナは腹が据わった。もう後戻りは出来ないのだら。

 イリアナは迷い無く、王を迎え撃つべく構えた。

 王は、王妃が返り討ちにあったのにも怯まず、それどころか全く意に介す様子も無く力任せに殴りつけてきた。

 イリアナは王の突き出してきた拳を、体を捻り外側から右手で掴み、回転するように受け流し、手首をひねり上げ投げ飛ばした。

 王が床に叩きつけられ、もんどりうった。


「あら、小手返し。すごいじゃない」


 エルフィーナはうれしそうに声をかけた。

 イリアナも上手く出来て安心した。「ありがとうございます」と、少し興奮気味に言った。

 ここ数週間、馬車の中にいるときは、筋力トレーニングか、座学、そしてこの合気道と呼ばれる技の訓練をしてきた。

 相手の力に自分の力に上乗せして返す技だということだが、訓練ではいまいちよく分からなかった。型稽古ばかりで、投げ飛ばしたときの感触が全くわからなかった。

 そして今、その感触がはっきりとわかった。それもそのはず。いつも訓練に付き合っていたレオンは、腕が折れないようちゃんと受身を取っていたのだから。

 王はうめき声を上げながらよろよろと立ち上がりながら間合いを離す。右腕は人間では曲がらない方向へ曲がっていた。

 肘と肩関節が破壊されているのである。

 イリアナは王の攻撃を受けて崩すところまでは力を入れていたが、投げ飛ばす際はほとんど力を入れていなかった。だが、結果はこのとおりである。王の右腕は完全に破壊されている。

 苦痛に顔をゆがめながらゆっくりと立ち上がるが、なお戦意を失っていはいない。それに合わせるように王妃もゆっくり近づいてくる。

 イリアナは気を抜かず構えを取る。

 相手を見据えると、異変に気づく。二人の体から煙が出ている。


「先生。これは……?」

「ダメージを回復しているみたいね。ほら、クラフトの腕を見て」


 エルフィーナに言われて、王の腕を見る。その腕は、破壊したイリアナ自身も目を背けたくなるような姿で、腕と手首がへし折れていた。だが、その右腕から勢いよく煙が噴出している。


「この調子で痛めつけるのよ」

「はい!」


 エルフィーナに褒められて、イリアナはこれが正しいのたど再確認した。気合が乗り、いつもより体が軽く感じる。

 王と王妃は、懲りもせず再び飛びかかろうとしている。彼等は完全に自我を失っていることが分かる。

 イリアナもそれに呼応して構えを取る。

 王が動くと続いて王妃が踊りかかってきた。

 直線的な動き。イリアナはすぐさま理解した。


 王は壊れた右腕ではなく、今度は左手で掴みかかってきた。

 イリアナは王の振り下ろされる左手よりも早く、右腕から繰り出される隙の少ないパンチ、ジャブを打ち出して相手の動きを止める。そしてジャブの元へ体を寄せるように体を移動させつつ、巻き込むようなパンチ、左フックを王の顔面に見舞った。きれいに入った左フックは、「ぐしゃり」といういやな音と手ごたえと共に王をなぎ払った。

 なぎ払った王の後ろすぐに王妃が迫ってきた。王妃も何の策も無く、ただ組み付こうとイリアナは半歩下がり今度は右のフックを王妃に見舞った。頬骨あたりに直撃し、王の時と同じく不愉快な音と、確かな手ごたえと共に王妃を吹き飛ばした。

 イリアナは顔を少しゆがめた。硬い何かが砕けつぶれる感覚。明らかに自分の力ではない破壊力である。鎧の力に恐怖を覚えた。

 

 王と王妃はなおも、立ち上がる。二人の顔からは凄まじい勢いで魔力の煙が上がっている。

 イリアナは、再び迎え撃つために構える。


「ここまでみたいね」


 エルフィーナがぽつりと言った。


「もう少しイリアナちゃんに紋章の練習させてあげたかったけど、時間切れね」

「時間……ですか?」


 イリアナは何の時間が迫っているのか理解できなかった。


「ごめんなさいね、体借りるわね。後で説明するから」


 エルフィーナがそう言うや否や、イリアナの体の自由がエルフィーナに取られた。


「時間かけてられないみたいなの」


 エルフィーナはイリアナの体を操り、王と王妃に向かって走り始めた。触覚も奪われ、イリアナは少し不安になった。

 王は左腕を乱暴に振り回した。

 エルフィーナはそれを最小限の動きで避け、右の手刀であっさり切り飛ばした。王妃は王の腕が刎ね飛ぶのを見て目を丸くした。そしてエルフィーナは、王妃との間合いを一瞬で詰めた。王妃は顔を両腕で守るように隠した。エルフィーナは王妃の両足をドレスの上から手刀で切断した。足をなくした王妃は驚いた顔をしながら床に崩れ落ちた。そして部屋中に、王と王妃の絶叫が木霊した。

 エルフィーナはもがき苦しむ王と王妃の首を掴むと、締め上げるように持ち上げる。指の先が首へじわりじわりと食い込む。首を絞め上げられ、もがき苦しむ。


「せ、先生」


 イリアナは残酷な仕打ちに目に涙を浮かべた。


「あなたの体を使ってこんなことしてごめんなさい。だけどこれが一番なの。我慢してね」


 エルフィーナは申し訳なさそうに言った。

 イリアナは、エルフィーナが自分かな触覚を奪ったのは、残酷な方法をとるからだったのだ。


「なにをやっておるか」


 不意に背後から声がした。


 ローブに身を包んだ、声から察するに初老の男が、五人の騎士を連れている。ローブの男は、フードを被っており杖をついている。杖は魔術用であり、背筋は綺麗に通っている。フードから覗く目は、老いを感じさせない猛禽類のような油断の無い目。歳経た声ではあるが、毅然としたよく通る声。身に着けたローブは、美しい刺繍。気品を損なわない程度の装飾品を身につけている。騎士を引き連れているところからも、おそらくこの国の主要人物なのだろう。

 そして騎士たちは、赤を基調とした鎧を身に着けている。おそらく王族を守るための近衛騎士だろう。二頭のヤギを連れている。

 少ない人数で王と王妃の救出に来たところを見るに、この二人の正体を知っている者達。エルフィーナは鼻で笑った。


「貴様らどこのもの……」


 初老の男性は言いかけて止めた。その顔は怒りから驚きの顔に変わる。


「その鎧は……」


 男は声を詰まらせる。栄光の鎧に見覚えがある様子だ。だが、男は驚きからすぐに狼狽へと変わった。

 エルフィーナは王と王妃を掴んだまま、振り向いた。


「どうもお久しぶり」


 エルフィーナは、努めて穏やかに言った。だが、その短い挨拶には、強い威圧感を放っていた。


「貴様、何者だ? 無礼者が。陛下と妃殿下を御放しせぬか」


 男は腕で合図をした。騎士達が戦闘態勢を取る。


「無礼? お笑いだわ。裏切り者が人に礼を説くの? 石頭のドノヴァン」


 鎧の兜。その覗き穴が青色に怪しく輝く。


「その声……。き、貴様……もしやエルフィーナか……?」


 ドノヴァンと呼ばれたその男は、忌々しげにエルフィーナの名を口にした。


「早く陛下と妃殿下を開放せぬか。貴様の体は封印されているのだ。満足に力は使えまい。今の我々でもお前の操る鎧も制圧できるぞ」

「私がこいつらを始末するよりも早く制圧できるの?」


 エルフィーナは指を皿に食い込ませた。喉から空気が漏れ出す。苦痛にもだえる王と王妃を見せ付けた。


「くっ」


 ドノヴァンは唇を噛み締めた。脅しをかけたつもりだったが、下手に動けないのは彼らのほうだった。


「それから、門徒を唆して裏切らせせた件。パックたちから筒抜けだから、覚悟しておきなさい」


 彼は、先代八門徒であり当時はまだ王子であった、クラフトの側近として従軍していた。

 彼は邪神を滅ぼした後、エルフィーナとハヤテマルの存在を恐れた。エスカーテと密約をし、そしてクラフトを唆してハヤテマルとエルフィーナを封印するように仕向けた張本人である。

 ドノヴァンこそが、現状を招いた張本人であった。

 ドノヴァン自身、栄光の鎧の戦闘力を知っている。栄光の鎧を纏う者がいるということは、エルフィーナの紋章を所持しているということ。森羅三十六紋最強といわれる紋章だ。そして、エルフィーナの意思を宿している。勝てるわけが無い。


「さ、宰相殿」


 騎士たちはドノヴァンに指示を仰いだ。見たことも無い黄金の鎧の騎士が、王と王妃の首を掴みあげている。そしてエルフィーナの名前。恐怖で及び腰になるのも仕方の無いことだった。


「貴様、いったいなぜここにいる?」


 下手に動けない以上、相手の出方を探るしかない。


「うちの子に頼まれて来たのよ」

「うちの子?」


 ドノヴァンは何を言っているのか理解できなかった。


「まさか、憤怒の誓いのものか?」

「違うわよ。あなたも知っているんじゃないの?」

「王宮に仕える者か?」

「王様と王妃様の具合がよろしくないようなので、一度ぜひ見てもらって、治療してもらいたい、とね」

「その者の名は?」

「しつこいわね。そのうち分るわよ」


 ドノヴァンを他所にエルフィーナは騎士たちの方を見た。騎士たちはうろたえながらも戦う構えを取った。


「あなた達、そのヤギを……」


 エルフィーナが騎士達に話しかけるのをやめた。それと同時に複数の足音が近寄ってくる。

 王族のプライベートフロアである寝所は、限られた人間しか足を踏み入れることを許されていない。だが、その足音はかなり多い。案の定、ヴィヴィアンを先頭に十人近い兵が、なだれ込んだ。その中には、レオンとカーチャ、それにハヤテマルの姿もあった。

 息を切らせたヴィヴィアンが、部屋の中を確認する。暗くて見えない。


「紋章、起動」


 ヴィヴィアンは紋章を起動させた。光を一瞬放つと、赤を基調としたロングドレスのような鎧を身に纏った姿となった。

 イリアナは、どこかで見たようなデザインだと思った。イリアナがエルフィーナの紋章を発動した時とデザインコンセプトが同じなのだ。


「召着、栄光の鎧」


 そしてそのまま栄光の鎧を召喚し、そのまま身に着けた。


「え?」

 イリアナは思わず声を上げた。自分がエルフィーナから授けられた紋章と同じ力を持っている。


「先生、ヴィヴィアンさんの紋章は……?」

「ああ、あの子の紋章は、私の紋章の複製よ」


 エルフィーナは事が大きくなりつつあるのにもかかわらず、余裕を見せている。


「な……」


 ヴィヴィアンは状況を把握し、声を失った。彼女には、王と王妃がエルフィーナたちによって殺されかけているようにしか見えない。


「おかん、これはどういうこと? なんてひどいことを。早く陛下と、妃殿下を解放して!」


 ヴィヴィアンは怒りで冷静な判断が出来ていない。


「落ち着きなさい。こいつらの治療を頼んだのはあなたでしょう?」

「これだけ惨い事をして、黙っていられると思う? どこが治療なのよ!」


 ヴィヴィアンの語気は荒らげた。


「いいから早く……」


 ヴィヴィアンが一歩踏み出した。

 瞬間、彼女の脇を音も無くすり抜けた影が一つ。

 小さな影だ。その影はまるで風のようにエルフィーナの操るイリアナの背後へと張り付いた。

 そして影はイリアナの背中に手を当てた。


「あら、久しぶり。元気にしてた?」


 エルフィーナは背後を取られたのにもかかわらず、冷静。いや、余裕を維持していた。

 小さな影は女の子だった。エメラルド色の髪に黄色い瞳。端正な顔立ちは幼さが残り、身長も低い。学生服を着崩している。だらしないのではなく、ファッションとしての意味合いが強そうだ。体のバランスはよく、引き締まった体に、ほのかに女性らしいやわらかさがあふれている。


「ママなんでしょ? 誰を操ってるのか知らないけど、王様と王妃様を離して。私は本気だよ」


 少女は腕に力をこめる。その目に殺気が宿る。何かする気だ。


「ユアちゃん。あなた……」


 イリアナは少女が呼ばれた名前に聞き覚えがあった。エルフィーナは少女のことをユアと呼んだ。たしか魔人たちが育てた子供達の末っ子だ。魔人達の旅の重要人物。彼女が加われば、自分は彼女の指揮下に入るのだろう。イリアナは、彼女の人となりに興味がわいていた。

 エルフィーナはため息をついた。


「おいユア、こっち来い」


 レオンの肩の上にいるハヤテマルがユアを呼んだ。しかしユアは動こうとしなかった。


「早く放して」


 ユアは語気を強めに言った。


「せ、先生」


 イリアナが心配そうに言った。このままではどう転んでも戦いになりそうだ。何とか収めないと。イリアナはあれこれと思案をめぐらせた。思いつこうと思って思いつくはずも無いが、しないよりましだ。


「ユアちゃん、あなたこの一年で何があったの? ひどい顔よ?」

「え?」


 ユアは少し驚いた顔をした。

 その瞬間、鎧の後部からイリアナがはじき出された。イリアナとユアはもつれるようにその場に倒れこんだ。


「重い! 邪魔!」


 ユアは怒りながらイリアナにいった。そしてイリアナを忌々しげに押し飛ばすようにどかした。

 栄光の鎧は、王と王妃を掴んだガントレットを空中に残したまま、すべての装備が崩れ去るように消えた。

 そして空中に残ったガントレットが王と王妃を釣り上げたまま、締め上げる。


「や、やめ……」


 ヴィヴィアンが叫ぼうとしたのを遮る様に、ガントレットが二人の首を握りつぶした。

 一瞬首が伸びた後、ガントレットは二人を解放した。王と王妃は人形のように地面に崩れ落ちた。


 ユアはその光景に絶句した。

 イリアナも目の前で起きたことに体を震わせた。

 彼女達だけではない。ハヤテマルを除いたすべての人間が絶句した。

 そしてヴィヴィアンの絶叫が部屋中に響き渡った。ヴィヴィアンの叫び声に一同が我に返った。


「ヴィヴィアンとユア、そして魔人の一味をひっとらえろ!」


 叫んだ男は、誰あろうドノヴァンである。

 騎士達と兵士達はうろたえた。


「何をしておるか。この者達は、世界に仇なす邪神エスカーテに通じているのだぞ」


 騎士と兵士はその言葉にはじかれるように剣を抜いた。兵士たちはヴィヴィアンとハヤテマルたち、騎士はユアとイリアナを取り囲んだ。

 ドノヴァンもイリアナとユアの包囲に加わった。


「ちょっと。私は無関係だよ!」


 ユアはドノヴァンに不満げに言った。ドノヴァンはそれを無視した。

 だがこの部屋の空気は張り詰めた緊張感で満たされていた。

 イリアナ達は敵でもない騎士達に抵抗するわけにも行かず、騎士はエルフィーナの影に怯えていた。

 取り囲む騎士の一人が、王と王妃の様子を見た。

 切断された四肢の傷口から猛烈な煙を吐き出し、白目をむきわずかに痙攣をしている。口からは血の泡を吹き出している。


「ドノヴァン殿、陛下と妃殿下はまだ……!」 


 ドノヴァンは王と王妃には一瞥もくれず、イリアナを凝視していた。


「もうそろそろかしらね」


 エルフィーナがポツリとつぶやいた。


「貴様、いま何と言った」


 ドノヴァンは、イリアナに対し魔法の杖を向けた。イリアナがしゃべったわけではない。イリアナの耳についているイヤーカフスになっているエルフィーナがしゃべったのだ。


「この子じゃないわよ」


 イヤーカフスが光り、光弾となってイリアナの頭の上に移動する。光りがはじけると。イリアナの頭の上に鎮座する人形が一つ。


「え……?」


 ユアはエルフィーナを驚きの顔で見た。

 ほんの一瞬であった。そして、うっすら寂しげな顔を見せたかと思うと目を伏せた。


「それが今の姿か、化物が」


 ドノヴァンはまるでドブネズミを見るかのように忌々しげな顔で言った。


「それよりも、そこの二人にさっき連れてきたヤギを与えなさい。もうそろそろ人間の血が抜けるころだから」


 エルフィーナは、ドノヴァンの顔に不快感を覚えながらも、努めて冷静に対応した。


「貴様に命令される筋合いは無い」

「あっそ」


 エルフィーナはそっけない態度で言った。


「……もうよい、よせ」


 不意にに声がした。

 声は、煙が上がる只中から。

 王と王妃は意識を取り戻し、起き上がろうとしていた。

 二人からは相変わらず煙が上がっている。だが、切断された王の腕と王妃の両足が修復され、二人の顔の傷もふさがりかけていた。

 その場にいた事情を知らない者達は息を呑んだ。


「そこの騎士、早くあの二人にヤギをあげなさい。またあいつらが人の血を啜るなんてことになったら次は消滅させるわよ?」


 エルフィーナの言葉に、ヤギを引き連れた騎士はドノヴァンに指示を仰いだ。

 ドノヴァンはエルフィーナを一瞥した後、騎士へ向かって一つ頷いた。

 ヤギを引き連れた騎士は近くの二人の騎士に合図を送ると、王と王妃の下へ駆けた。それぞれは片膝をつき、手短に礼をとる。


焦眉の急しょうびのきゅうゆえ無礼のほど、ご容赦を」

「よい」


 騎士達は、やや大きめの器を用意した。そしてヤギの首を掴むと、そのうちの一人が首元を切り裂いた。暴れてもがくヤギを押さえつけ、血が飛び散らないようにした。

 その光景を見た、一部の兵士は顔を背けた。

 イリアナはその光景を見ても腰が引けることはなかった。国中を旅する彼女にとって、野生の動物を捕らえて食料にすることはままあることである。彼女自身、いくらかの動物を処理することが出来る。ただ、この場でいきなり血抜きをはじめたことに驚いた。

 やがてヤギは息絶え、器にはヤギの血が満たされた。


 騎士の一人がグラスを手渡そうとする。

 だが貴人二人は、それぞれグラスではなく血で満たされた器を持つと、あおる様に飲み始めた。


 イリアナは思わず目を丸くし口を押さえた。

 事情を知らない兵士たちもうろたえ、声を漏らした。


 喉元が激しく上下に動く。

 口元から零れ落ちる血。それを拭おうともせず、一気に飲み干した。

 二人は乱暴に器を捨てた。

 俯きながら、上下に肩を揺らしながら呼吸をする。

 荒かった呼吸を整え、おもむろに顔を上げた。


「包囲を解け」クラフト王が一言発した。

「しかし、こやつらは魔人とその一味ですぞ?」ドノヴァンは反論した。

「聞こえなかったのか?」


 王はドノヴァンを睨み付けた。その目に狂気はなかったが、強い意志がしっかりと宿っていた。


「うっ……」


 ドノヴァンは王の目に怯んだ。

 そして騎士と兵士に包囲を解くよう合図を送った。もっとも包囲自体は王と王妃の異常な回復力に動揺した兵士達に勤まるものではなかった。

 ドノヴァンは事情を知らない兵士達を、別室にて待機を命じ、下がらせた。そして騎士達に、いかなる者も寝所に入れぬよう指示し、今回見てしまった兵士達の口止めを命じた。兵士達は、おそらく死ぬか口外しないかのどちらかを迫られるだろう。


「俺達も」


 レオンがそう言うとハヤテマルが「いや、残ってくれ」と言った。


「あたしゃ面倒事はゴメンだよ」


 カーチャは面倒くさそうにいってそのまま出て行った。

 その場に残ったのは、王と王妃、ドノヴァン、魔人二人、イリアナ、ヴィヴィアン、レオン、そして末娘のユア。

 王と王妃は、血を袖口で拭うとゆっくりと立ち上がった。そしてそのままイリアナを見た。いや、イリアナの頭の上にいる人形を見た。


「エルフィーナ……なのだな?」エルフィーナは、ゆっくり頷いた。

「二人とも、久しぶりね」


 その言葉に、敵意はなかった。だが好意的とも取れるものはなかった。淡々と挨拶をしたのみ。


「別に殺しにきたわけじゃないわ。私が来たのは、あなた達の紋章の回収。そしてもう一つは、あなた達の呪いを解くこと。依頼者は私達の子供、そこにいるヴィヴィアンよ」

「ヴィヴィアン……」


 王妃は力ない顔でヴィヴィアンを見た。ヴィヴィアンは不安げに二人の王族を見つめた。


「念のため聞くけど、中毒を起した理由は?」

「突然襲われて、体に激痛が走った。覚えているのはそこまでだ」


 クラフトが弱々しく言った。アンナも「私もです」と短く言った。


「毒が抜けたついさっきまで、意識はなかったわけね?」


 王と王妃は悔しげに俯いた。そして少し間を空けて頷いた。


「まったく、ヴァンパイアになるなんて。馬鹿ね」


 エルフィーナは呆れ顔で言った。


「おかん、それそろ事情を説明してもらいたいんだけど」


 ヴィヴィアンはエルフィーナのそばにやってきて、やきもきしながら言った。


「今言ったとおり、こいつらはヴァンパイアなのよ。それも大分前から。今回、侵入者に致命傷を負わされ、意識を失うと同時に、無意識に人間の血を摂取したの。普段から人間の血を吸っていないこいつらは、いきなり大量の血を吸って中毒をおこしたのよ」

「ヴァンパイア? 中毒?」


 ヴィヴィアンは二人の王族を、不安げに見た。二人とも力なく頷いた。ヴィヴィアンは数歩後ずさりした後、力なく膝から崩れ落ちた。


「あなたが知らされてなかったと言うより、知っているものがほとんどいなかったはずよ」


 エルフィーナはドノヴァンを見た。ドノヴァンは忌々しげに睨み返した。


「クラフト、アンナ。あなた達は裏切り者。本来ならまとめて始末したいところだけど、子供達がお世話になっていることだし、とりあえず過去のことは横に置いておいてあげる」


 王と王妃は頷いた。


「それから、今回憤怒の誓いに襲われた以上、ヴァンパイアも治療するからね。何が目的でヴァンパイアになったのか知らない。けど、この国の王と王妃であるあんた達がヴァンパイアだってことは、すぐ国中に広がるわ。魔族だらけの『グリビアナ』ならいざ知らず、仮にも誠実と博愛の女神『オルファ』を国教としている国の王が、魔族なんて冗談じゃないわよ」


 二人は俯いたまま微動だにしない。


「はっきり言っておくけど、治療すれば年齢以上の見た目になるし、寿命も縮む。覚悟しておきなさい。あと、紋章の回収はヴァンパイアの治療がすんでからよ」


 エルフィーナの淡々とした説明に、少しの間をおき、二人は無言で頷いた。


「なりませぬ。悪魔のようなやつらですぞ。祓われたりでもしたらどうするのです!」


 ドノヴァンは声を荒らげた。


「黙らぬか!」


 クラフトの一喝が部屋に響き渡る。

 そしてエルフィーナに悔恨のまなざしを向けた。


「エルフィーナ。私達は……」 

「謝るなら、あそこにいるハヤテさんにもしなさいよね」

「ハヤテマルもいるのか」


 驚く二人にわかるように、エルフィーナはハヤテマルの方を見た。その目線を追いながら、王と王妃も見た。

 ハヤテマルはレオンの肩の上で、黙って見つめ返した。その目には怒りも蔑みも無い。また、同情や優しさでもない。ただ見つめていた。

 クラフトとアンナは、彼が謝罪を望んでいないことをその目で感じ取った。その目が謝罪を許さなかった。真意を理解するとクラフトは口を開いた。


「ありがとう。よろしく頼む」


 二人はハヤテマルとエルフィーナを見回しながら言った。

 この言葉が、王と王妃としての立場ではなく、対等な立場としての言葉だった。


「だって」


 エルフィーナはドノヴァンを見ながらいたずらっぽく言った。ドノヴァンは王の前でありながら舌打ちをした。心底エルフィーナが嫌いなようだ。


「とりあえず明日、診察しましょう。今日のダメージが抜け切らないと、治療の目処も立たないから。あと、入城を手引きした内通者がいるから、そこらへんも調べるといいわ」


 王と王妃は頷き、ドノヴァンにエルフィーナの指示に従うよう指示をした。


「……御意」


 ドノヴァンは短く切ると、すぐさま対応のために部屋を後にした。


「イリアナちゃんもお疲れ様」


 エルフィーナはイリアナに声をかけた。


「は、はい」


 イリアナは頭の上のエルフィーナを意識しながらいった。


「ユアちゃんも大丈夫?」


 ユアは顔を伏せた。


「大丈夫。気にしないで」

「そう。落ち着いたら会いに行くからね」

「いいよ……別に」


 ユアは顔を少し背けながら言った。


「あなた、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だよ!」


 ユアはエルフィーナの顔も見ず、苛立ちを隠さなかった。


「何なのよ、その態度は。もういいわ、イリアナちゃん行きましょう」


 エルフィーナも苛立ちを隠さず、イリアナに移動を促した。

 イリアナは少し気まずそうにユアを見た。

 ユアは相変わらず不機嫌そうに顔を背けていた。イリアナはユアに一礼するとその場を去った。

 その夜、魔人達はユアの元を訪れたが、ユアは部屋から出ようとせず、門前払いされてしまった。

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