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旅立ち 2-10

         10 


 そして四日目の朝に出立。

 最後の日ということもあり、ささやかな食事会を貨物室で開いた。カーチャが買い込んだ荷物で狭い中、各々場所を確保し、始まった。

 会食の雑談に花が咲く。

 マジェンタ、シアン、ウィローの三人は、一人ひとりに目標ができた。

 マジェンタは家に戻り医師を目指す。シアンは体格に合った戦い方を探るために重装歩兵科から転科するらしい。ウィローは変わらず魔術師を目指す。

 いつも一緒だった三人は、これから目標のために袂を分かつことになる。

 それは、傷を舐めあっていた今までともである。

 そして三年後の、今日。再び再会しよう、と。

 三人は、そんな話をこの三日間していたらしい。

 カーチャはその話を聞き、「がんばりなよ」と言った。若さに少しばかり嫉妬した。

 魔人たちは、


「くっせ! 何格好つけてんだよ」


 と、思いっきり茶化してやった。

 どっと、全員の大きな笑いが鳴り響いた。


「あんた達、今のことレオンにも話しておやり」


 カーチャはそう言うと、笑いながら手綱を握るレオンと交代しにいった。

 客間を通るカーチャの脇に、一人浮かない顔でいた者が居た。

 イリアナである。

 客室に一人、膝を抱え顔を伏せていた。

 寝不足。この一言で全員に対応していた。

 実際彼女は寝不足気味である。だが、寝不足だけではない。

 彼女はワーバット討伐直後から、様子がおかしかった。

 イリアナは表情こそ変わらないが、その素振りは気落ちした様子がありありと見て取れた。

 魔人たちは心配していたが、レオンとカーチャにそっとしておいてほしいと言われ、なるべくいつも通り接した。


『自分で解決すること』


 イリアナもそのことを良く分かっている。

 答えを決めるまであと一日。

 新しい力を得ることよりも、これから先の自分がやっていけるかの方がはるかに不安として大きかった。

 八門徒として魔人を救うこと。自分の肩に世界の命運がかかってくる。

 やってできませんでしたでは赦されない。

 重いのだ。

 しかし魔人たちと一緒に居たいと思う自分も居る。

 二人は歳の離れた兄弟のようだった。優しく、暖かく、教えてくれて、叱ってくれる。レオンやカーチャ達とは違った魅力を感じている。

 一緒にいたい。だが、一緒に居るには、世界を救うという大きな使命ががのしかかってくるのだ。

 どうしたらいいのか分からなくて、気がおかしくなりそうだった。

 だから何も考えずに、エルフィーナたちの手伝いをした。

 何も考えずに。

 先送りにした結果、さらなる葛藤が襲ってくる。

 何も決まらぬまま、先送りにしてきた。

 このことを考え出すと、泣きたくなる。

 自分では何も決められない。何もできない。

 そんな自分に優しくしてくれる魔人たちに甘えたくなる。甘えるだけの場所を探す醜い自分。そんな自分が心底嫌いなのだ。


 不意に、イリアナの頭に何かが乗っかった。

 イリアナが顔を上げると、目の前に白い塊が浮いていた。エルフィーナだ。頭の上の感触はハヤテマルだろう。


「はい」


 エルフィーナは、笑顔で手作りのサンドウィッチを渡した。


「ありがとう……ございます」 


 イリアナは、一つ手に取った。

 エルフィーナはイリアナの頭の上に居るハヤテマルにもサンドウィッチを分けて、皿を向かいの席に置いて自分も食べ始めた。

 山盛りのワンドウィッチ。三人分よりも多そうだ。

 カーチャと代わったレオンが、貨物室へと入っていく。すれ違いざまに皿のサンドウィッチに手を出した瞬間、エルフィーナに手を羽で叩かれた。


「あんたのはあっち」 


 エルフィーナは貨物室を羽で指差す。

 レオンはそのまま貨物室へと入っていった。

 貨物室から談笑が聞こえてくる。

 馬車の外からは、セミの鳴き声が聞こえてくる。

 生暖かい風を受けながら、もくもくと食事を取る。


「しっかしもう夏だな」


 イリアナの頭の上でサンドウィッチをほおばりながらハヤテマルが言った。


「ユアちゃん大丈夫かしら。あの子、外出るとき帽子被るのいやがる子だったから」 


 エルフィーナも答えた。


「あいつの場合。腹出して寝てないか心配だな」

「ですねぇ」


 二人の会話にイリアナは何も答えなかった。ユアという少女のことは少し前に聞いた。

 魔人たちが引き取った戦災孤児の一人。末っ子であり、最も魔人たちと長く暮らしていた子供で、魔人たちを元に戻すと約束した子らしい。

 非常に高い戦闘能力を持つということ。イリアナ自身、自分はこの子が合流するまでの『つなぎ』なんだろうなと、漠然と思っていた。そんなに強い子が入ったら、そのうち自分がチームの強さについていけず、切り捨てられる。そうなったら狂戦士病の克服も、敵討ちのための力をつけることもできなくなるだろう。

 紋章も取り上げられてしまうだろう。

 今は優しく接してくれているが、能無しと判断されたら捨てられてしまう。

 一つ一つの小さな不安が大きな一塊となってイリアナを苛んでいた。

 いっそ今ここで捨ててくれたら、どんなに楽なことだろう。


 断ろう。


 今断れば、楽になれる。

 きっと二人は悲しむだろう。だが、世界の命運がかかっている。自分は力不足だから。だから、取り返しのつかない事態なる前に、ほかを当たってもらおう。

 言ってしまえば、もう終わる。

 そう思い、顔を上げた。


「あ、そうだ」


 イリアナが顔を上げると同時に、ハヤテマルがいきなり声を上げた。

 突然のことにイリアナは完全に話すタイミングを失った。


「どうしたのイリアナちゃん。具合悪い? 顔真っ青よ」


 イリアナの顔を見るなりエルフィーナが声をかけた。イリアナはエルフィーナの言葉に膝を抱え、うつむいた。


「いえ、大丈夫です。ちょっと酔ったのかも。すぐ治ります」

「そ、そう? 本当に具合が悪いならちゃんと言ってね?」

「はい……」


 魔人の二人は顔を見合わせた。このところのイリアナの様子がおかしいので心配なのだ。

 馬車のわだちを進む音と、時折聞こえてくる話し声がイリアナを孤独にしていた。

 長い沈黙が続いた。


「イリアナ」


 ハヤテマルはイリアナの頭の上から声をかけた。


「はい」


 イリアナは膝を抱え膝に顔をうずめている。


「もしかして、お前」

「……はい」

「俺達との約束で悩んでるのか?」


 ハヤテマルは核心を突いた。彼らからしたら、イリアナの抱えている問題は見え見えなのだ。


「……」 


 イリアナは、ひざに顔をうずめたまま、力なく頷いた。

 ハヤテマルはエルフィーナの顔を見た。エルフィーナは心配そうにイリアナを見つめた。


「イリアナちゃん、私達のこと嫌い?」


 イリアナは首を振った。


「じゃあ、私達の出した条件が、だめ?」

「……」


 イリアナは反応しなかった。


「そっかぁ」


 エルフィーナは困ったような顔でハヤテマルを見た。ハヤテマルも目を伏せた。


「今までもずっと悩んでたんな。ゴメンな」


 イリアナは反応しなかった。


「いくら森羅三十六紋を手に入れても、頼み事の範疇を越えてるようなもんだしな。いってみりゃ世界を救うことと同じだし、いきなりできるものじゃないよな」


 イリアナはずっと反応しない。

 ハヤテマルはイリアナの頭を優しく撫でた。


「ごめんな。俺たちのわがままで、つらい思いさせて。やりたいこともあるんだものな。それより優先させろって言われて、悩まないわけ無いよな」

「……です」


 イリアナの蚊のささやくような声がした。


「ん?」ハヤテマルはイリアナを見た。


「……ちがうんです」

「何が違うの?」

「私、お二人と別れたくないです」


 魔人たちは驚いた。


「先生達はいっぱいいろんなことを教えてくれました。狂戦士の私でも普通に接してくれました。レオンとカーチャ以外にこんなこと思ったことなくて。どうしたらいいのか分からないんです」


 イリアナは膝を抱えたまま泣き出した。


「こんなに良くしてくれる人たちのために、私何もできなくて。この先何一つ返せないんじゃないかって。いつか大きな失敗をして、嫌われるかもしれないって。それが怖くって……」


 魔人の二人は顔を見合わせた。そして、笑った。

 そしてイリアナを見た。


「ねぇ、イリアナちゃん。もしかして、私たちのこと何でもできる神様だと思ってない?」


 エルフィーナは優しく話しかけた。


「え?」


 イリアナは顔を上げた。涙でくしゃくしゃな顔。


「私達は神様じゃないのよ。別の世界から来た、あなたと同じ人間」

「……でも」


 イリアナは思った。持っている力は世界を滅ぼせると言っていた。そんなの人間にはできない。神様にしかできない。


「持っている力は、この世界の人間と比較にならないわ。だけど心はどうかな?」

「心……」

「私達と今まで過ごしてきて、神様っぽく見えた?」

「……」


 イリアナはこれまでの生活を思い返した。彼らは、優しく、頼もしく、暖かかった。しばしばイリアナをおもちゃのようにからかったりもしたが、決まって不快になるようなものではなかった。

 イリアナは左右に首を振った。


「でしょう? だって同じ人間なんだから」


 イリアナは頷いた。


「イリアナちゃんの失敗を怖がる気持ちは私達も同じなのよ」

「失敗……することあるんですか?」

「あるわよ。細かいことで言えば、最近で言えばイリアナちゃんをおもちゃにして傷つけちゃったかなとか思ったり、あっちの三人にも、もう少し有意義な指導ができたんじゃないかとかね」


 イリアナは黙って聞いている。確かに、ミスといえるようなこともしばしばやっていた。だからこそ身近に感じられたのかもしれない。


「それに、イリアナちゃんのこと誘ったけど、本当に自分たちのことを押し付けちゃっていいのかなって」

「え?」

「指導が失敗して、イリアナちゃんが強くならないかもしれない。嫌われるかもしれない。戦死させちゃうかもしれない。封印の解除に失敗して私が世界を滅ぼしちゃうかもしれない」


 エルフィーナは目を伏せた。


「イリアナちゃんの弱みに付け込んで、目の前に森羅三十六紋っていうご馳走広げて抱き込もうとしている。そんな自分達に嫌悪感を持ってる」


 エルフィーナはサンドウィッチを手に取った。


「嫌悪感……」

「ずっこいな、最低だな……ってね」


 エルフィーナは寂しげな笑顔を見せた。

 ハヤテマルも自嘲気味に笑った。


「失敗が怖いのは私達も同じ。だから失敗を恐れないでなんていわない。だけど、不安に立ち向かう勇気をくれるのが努力だと思うの。すべてが報われるとも限らないけど、タナボタで何かをなしえても、残るのは、すがりつくだけの見栄とすっかすかな自分だけ」


 エルフィーナはイリアナの顔を真剣な面持ちで見つめた。


「イリアナちゃんはいつも一生懸命でしょう。何かをあきらめず努力している人はとても打たれ強くて、文字通り『強い』の。協力してほしいのは、あなたのような不安と戦うために努力ができる人。そんなイリアナちゃんだからこそ、頼みたいの。助けてほしいの」


 エルフィーナは、ありのままの気持ちを口にした。

 イリアナの瞳から、再び涙が零れ落ちた。


「だから私達とこれからも一緒に旅してくれない?」


 エルフィーナの言葉がイリアナの心を優しく包んだ。

 イリアナの心は、流れ落ちる涙を拭うのを拒んだ。

 頭を優しく撫でる感覚。ハヤテマルの気持ちも伝わってくる。

 イリアナの心の中が軽くなった。

 満たされたのか、陰りが払拭されたのか自分にもわからなかった。

 ただただ、安らいだ。

 そして、


「私を……私を連れて行ってください。お願いします」


 イリアナの口から自然に言葉がこぼれた。 

 この言葉に、二人の魔人は抱きついた。

 ハヤテマルは頭の上で顔を擦り付けて喜んだ。エルフィーナは顔に飛びついて、イリアナの顔をもみくちゃにしながら喜んだ。

 しばらく三人は抱き合っていた。

 イリアナは泣いた。

 心が、そうさせるから。そうさせるがままに。

 魔人たちは、それを真正面から受け止めた。

 しばらくの間、イリアナは魔人たちにすがり付いて泣いていた。


 イリアナの涙が収まりかけたころ、ハヤテマルが顔を上げた。


「あ、そういえば」


 ハヤテマルのこの言葉に、エルフィーナとイリアナが反応した。


「どうしたんです?」


 エルフィーナが答えを促した。


「すっかり忘れてた。ワーバットの時の説明」ハヤテマルは頭を掻いた。


 ハヤテマルの言葉にエルフィーナは、あっとなった。

 思い出した。

 エルフィーナは、二日ほど前にワーバットとの戦いの話をハヤテマルから聞き、しこたま説教をしたのだ。


「じゃあみんなに説明しましょう。イリアナちゃん」


 いつもの顔に戻ったイリアナは、一つ頷き、荷台へと移動するために腰を上げた。


「むぎゅあ」


 頭にやわらかい感触がした。

 頭と天井に挟まれたハヤテマルが悲鳴を上げた。

 すっかり忘れていた。ハヤテマルが頭の上に居たのだ。イリアナがあわてて頭から、ハヤテマルを助け出した。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 イリアナは、何度も頭を下げて両の手のひらの上のハヤテマルに謝った。


「あはは、調子が戻ってきたんじゃないの」エルフィーナが笑った。


「大丈夫大丈夫」


 ハヤテマルは目を回しながらも笑った。

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