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旅立ち 2-9

          9


 イリアナ達がワーバット討伐に向かった直後から、エルフィーナ達は狂犬病の患者の治療を始めていた。

 街中の薬師をかき集めマジェンタと共に、魔法と薬剤で作る『霊的ワクチン』を作り、投与した。

 ただ、一人ひとりの注射器を用意することはできないので、その都度、シスターに浄化の魔法をかけてもらい使いまわした。投与後は、エルフィーナとカーチャ、そして治療魔法が使える人々をかき集め施術した。

 薬と魔術治療が功を奏し、全員が助かるめどがついた。


 だが、エルフィーナは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 魔法の発達したこの世界では、医学はほとんど進化していない。

 魔法による治療で、外傷などは驚異的な速度で治癒させることはできる。毒や病気も治せるものは、瞬時に治療することができる。

 それだけに、今回のように魔法で治療できないものに関しては、「呪い」であったり「祟り」などとして、切り捨ててしまう。その為、エルフィーナたちが来た世界では治せる病気も、こちらの世界では「死の呪い」になってしまう。

 エルフィーナは、閉鎖的で保守的な魔術が心底嫌いなのだ。

 今ここで、一人でも多くの人を救おうと気を吐いてるマジェンタのためにも、医学の重要性を実感させてあげたかった。


 そのマジェンタは、宿でレオンから事情を聞いたとき、自ら薬の調合を志願した。

 エルフィーナは当初任せられるか不安だった。だが、マジェンタは子供のころから親の手伝いをさせられていたので、できるといった。

 エルフィーナは調合表を渡してみた。幾つかの質問の後、できるといった。その言葉を信じた。

 結果として、彼女は『霊的ワクチン』を作り上げた。

 マジェンタは息を切らして教会へ来たものの、薬をなんのためらいも無く、エルフィーナに渡した。自惚れも不安も無い。それを行う知識と経験が彼女にはあったからだ。

 彼女が作った薬は、そのまま使って問題ない出来だった。

 エルフィーナは、マジェンタがここまでできるとは思っていなかった。正直、エルフィーナが手を加えるか、最悪作り直す必要があると思っていたからだ。

 マジェンタの中の両親への蟠りがなくなったことで、素直に実力を発揮した結果だった。

 エルフィーナから追加の調合を頼まれると、呼ばれた薬剤師とともに薬を作り始めた。

 全患者分の調合を終えると、そのまま複合治療に取り掛かった。

 休むように言われても生返事で、今できることを精一杯取り組んでいた。

 そして全患者の治療を終えた。後は様子を見て、細かく治療を施せばいいはずである。

 この確認が取れたのが、朝の五時のことである。

 エルフィーナ以外の面々が床に椅子におのおの睡眠をとっていた。エルフィーナはそれぞれの体に布団をかけてまわった。

 

 一段落ついたところで、ハヤテマルたちが帰還した。

 エルフィーナは教会の外に出て出迎えた。

 興奮気味の一行に羽で人差し指を立てた形を作り口に当て、静かにするよう促した。


「みんな疲れて眠っているから」


 興奮していたシアン達も頭を掻いて申し訳なさそうにした。


「イリアナちゃんも疲れているようだし」


 うつむいていたイリアナは、自分の名前が呼ばれたのにも気づかず上の空である。

 ハヤテマルが頭の上から声をかけた。


「は、はい」

「どうした? さっきから。何か気になることでもあるのか?」

「いえ……疲れただけです」


 イリアナは顔をあげようともしない。


「じゃあ、ここらでお開きにしよう。みんなもゆっくり休んでくれ。お疲れさん」

「おつかれさまっしたー」 


 シアンは大きなあくびをした。ウィローも大きく背伸びをした。

 うっすらと空に東からの明かりに二人は満足している様子だ。

 レオンはカーチャの元へと行くのか、協会へと入っていく。

 イリアナだけが、うつむいたままである。


「イリアナちゃん。どうかした?」


 エルフィーナが、心配そうに顔をのぞいた。 


「噛まれたり、引っかかれたりした?」 


 イリアナは顔を上げ首を振った。


「あー」ハヤテマルは納得した様子。

「どうしたんですか?」

「イリアナは今回かなり精神を削ったんだった。元気ないのそれのことだな」

「それ?」エルフィーナは首をかしげた。

「後で説明するよ。エルにも彼らに説明してもらいたいことだから」

「なんだかよく分からないですけど、分かりました」


 エルフィーナはイリアナを見た。


「イリアナちゃん。今日は本当にお疲れ様。明日くらいはここにいるから、その間はゆっくり休んでね」


 エルフィーナはイリアナの頭を優しくなでた。


「……はい」


 イリアナは宿へと歩を向けた。

 その足取りは重たい。


 討伐組み一行が仕事を終え床に就いたのは明けの明星。東の空がうっすら明るくなるころあいである。

 農家の者ならばこれから仕事をはじめる時間であった。

 宿は既に動き始めていた。

 仕事を始めたばかりであったが、街の問題を解決したことを告げると、湯を沸かし朝食も特別に作るといってきた。

 全員が疲れているので、それを断る理由も無く甘えさせてもらうこととなった。

 ハヤテマルとレオンは食堂で、一息入れる。

 イリアナは、軽く汗を流すために湯浴みをさせてもらった。

 シアンとウィローは食事を取らずに、心地よい疲労に任せてベッドへもぐりこんだ。


 湯浴みを済ませたイリアナがハヤテマル達の要る食堂へ足を踏み入れた。

 うっすらと赤みが差した顔。水気を帯びた紫がかった髪は、しっとりとした大人の女性の色気をかすかにまとわせている。

 入り口でレオンたちを探す。

 ハヤテマルに呼ばれ、声の方へ顔を向ける。

 テーブルの上に料理がずらりと並んでいた。朝食と言うにはいささか量が多い。


「こんなに頼んで大丈夫なんですか?」イリアナが心配そうに聞いた。

「いやー。これ、俺達も頼んでないんだよ」

「え?」


 ハヤテマルの意外な答えにイリアナは驚いた。


「さっき仕事上がりのわがままを聞いてもらうために、今回の仕事のことを話しただろ? そうしたら『御厚意のお返しに』とのことだ」


 レオンはそう言うと、コーヒーを口に含んだ。

 彼らが成し遂げた討伐は、予想以上に住民から感謝されているようだった。


「そうなんだ」


 イリアナはレオンに答えながら椅子に座った。


「余った分は後で教会にでも持って行くさ。でも、こんなことならシアンとウィローも寝かさないで、食わせればよかったな」


 ハヤテマルは笑いながら食事をほおばる。


「寝る前に食うと太るから良くないんだけど、お前もどうだ? 今日くらい」ハヤテマルはいたずらっぽく言う。

「じゃあ……」


 イリアナは、ハヤテマルの言葉に果物を幾つか皿に取った。

 そして口にほおばる時に、ちらとハヤテマルを見た。

 魚のソテーをおいしそうに食べている。


「ん? どうした?」  


 ハヤテマルがイリアナの視線に気づいた。


「い、いえ……」


 イリアナは俯き、果物を口に押し込んだ。

 夢中になって食べていると、額に何かが当たった。

 思わず顔を上げると、ハヤテマルが羽をイリアナの額にあてていた。 


「ふーん。熱は無いよな」 

「あ、あの……」


 イリアナはあたふたした。顔がどんどん真っ赤に染まっていく。


「さっきからお前大丈夫か? 元気なさすぎだぞ」

「すいません」

「何かいやなことでもあったか?」

「ちがうんです。わたし、その」


 イリアナはそのまま押し黙った。

 ハヤテマルはレオンに顔を向けた。レオンは横に首を振った。 彼女の中の問題。

 そっとしておいて上げて欲しい。そう言いたげだった。

 ハヤテマルはレオンの態度に頷くと、イリアナの頭を優しくなでた。


「何かあったらちゃんと言えよ?」


 ハヤテマルは席に戻り、再び魚にかじりつき始めた。


「はい」


 イリアナも顔を伏せたまま、果物を頬威張り始めた。

 しかし、『はい』と答えはしたものの、答えは出なかった。


 治療のために取った滞在期間は三日であった。

 これは、患者の様態が全員が快方に向かうまで治療に当たったためであった。

 エルフィーナは治療。ハヤテマル、マジェンタ、そしてイリアナは治療の手伝いをしていた。

 その他の面々は休暇を取った。

 シアンはレオンとともに戦闘訓練を。カーチャは、狂犬病の治療の手伝いと、商売用の商品の仕入れを。

 ウィローは、今回の仕事でもらった自分の分の報酬と、そして魔人たちやレオンらを含めた全員からのカンパによって、魔術師ギルドで念願の年相応の魔法を契約することができた。契約した後は、魔術師ギルドの魔法修練場に朝から晩まで入り浸っていたようだ。

 結局三日間の間もイリアナはしょぼくれていた。

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